第30話 鯨骨街を出る
現歴2265年6月15日 午前10時過ぎ
鯨骨街に戻ってきて3日。
俺たちは、鯨骨街上部の滑走路にいた。
「じゃあ、一足先に、戻るね。」
そう言って、小型の輸送機に乗り込むのは、リピ。
リピは、4本の腕のうち、2本が包帯でぐるぐる巻きに固定されている。
全治3か月。
7眼のフローティングアイの攻撃は、リピの腕にかなりのダメージを残した。
とはいえ、リピの治療は完了し、後遺症の心配もない。
だが、4本の腕のうち、2本はしばらく使えず、万全に戦える状態ではない。
ここは辺境。
鯨骨街の中こそ安全だが、一歩外に出れば、生態系の上位者同士が鎬を削る、大変厳しい世界である。
旅客の中でも青鉄に次ぐ上位クラスである緑透金の実力を持ち、なんなら今の状態でも並大抵の戦闘旅客よりも強いリピといえど、辺境においては、万全でなければ生命の保証はない。
今の状態でここから陸路でロンギストリアータ第6要塞に戻る道のりに同行するのは、かなり厳しい。
とはいえ、チーム『青の戦士を仰いで』は、鯨骨街に長く滞在するつもりもないようだ。
そのあたりは、各チームごとの都合等もある。
どうやら、チーム『青の戦士を仰いで』は、次の仕事があるようで、文明圏に戻らなければいけないらしい。
そのため、リピは輸送機を利用して帰ることになったのだ。
リピが乗り込んだ輸送機は、地球のアメリカが運用していたC-1トレーダーに似た艦上輸送機だ。
鯨骨街はその構造の独特さから、運用される機体はほとんどが艦上機だ。
輸送機は、形状こそC-1トレーダーに似ているものの、そのサイズは二回りほど大きい。
その優秀さから、陸上機型も開発され、正規軍では退役したものの、未だに多く使用されている傑作輸送機である。
今回の機体は、その輸送機を辺境仕様に改造したものであり、輸送力を多少犠牲にして無数の防御火器と重厚な装甲を追加したものだ。
輸送機は、カタパルトによって加速し、鯨骨街から飛び立っていく。
その直後、その輸送機を護衛する戦闘機も2機、飛び立つ。
辺境は、上空も危険だ。
いくら防御機銃が多くとも、戦闘機の護衛は必須なのだ。
リピを乗せた輸送機が、無事、鯨骨街上空の黄金銀の林立する空域を抜けたのを見届け、俺たちは滑走路から鯨骨街の中に戻る。
「儂らも出るとするかの。」
そう言うのは、ヴィクトル。
その言葉に、皆、同意する。
俺たちも鯨骨街に長く残っている理由はない。
これから帰還する『青の戦士を仰いで』と一緒に移動した方が、安全だろう。
旅支度を整え、鯨骨街入口、鯨の頭骨部の駐車スペースに集まる。
緑のヒヨコ号は、エミーリアが目覚めてから2日をかけて整備したため、新品のようにきれいになっている。
緑の迷彩も塗りなおされ、心なしか、上手く風景に溶け込めそうだ。
エンジンに火を入れれば、消音機能で小さくなっているものの、深く響くようないい音を立てる。
エンジンの整備もバッチリだ。
「状態は万全っすね!」
そう言うのは、顔色の良いヴァシリーサ。
鯨骨街に帰ってきてすぐに病院へ行き、3日間ゆっくりと休んだため、体調は万全のようである。
「物資も万全。いつでも出発できまする。」
補給を担当した作太郎は、自信満々に言う。
作太郎は、様々なモノに興味を示すメーアの面倒を見ながら、俺たちの他に、イルゼとイルザ、さらには『あの戦士を仰いで』の分まで、全チーム分の補給を手配していた。
相変わらずできる男である。
作太郎と一緒に補給を担当したメーアは、今回は錆色号に乗ることになった。
錆色号は、リピが別に帰還した分、乗ることができる人数に余裕があるのだ
緑のヒヨコ号よりも広々と乗れるだろう。
その肝心の錆色号だが、なかなか痛々しい外見をしている。
部品が足りず、完全な状態にはできなかったのだ。
しっかり迷彩が施されてごまかされてはいるが、穴が開いた部分には、結構雑に装甲板が貼り付けられている。
錆色号が使用している規格の装甲板が鯨骨街に無かったらしく、あくまで応急処置で穴を塞いだだけなのだという。
エンジン音も、どこか不規則で、調子の悪さがにじみ出ている。
「ま、どうにかロンギストリアータ要塞までは持つでしょ。」
コロは、あっけらかんという。
コロも3日間休んだことで、体調はそれなりに良さそうだ。
「いやぁねぇ。そろそろ買い替え時じゃない?」
リトヴァが眉をひそめながら言う。
リトヴァの腹部は、アンデッド用代替肉体から、金属光沢が煌めく、黄金銀製の謎の部品に置き換わっていた。
パイプが飛び出したり、リベットが打ち付けてあったりと、かなり武骨な見た目だ。
リトヴァ曰く、見た目は美しくはないが、肉体としての性能は以前よりも向上しているとのことである。
「確かに、そろそろ、検討してもいいかもな・・・。だが、名残惜しいな。」
ローランドも、リトヴァの言葉に同意する辺り、錆色号はそれなりに長く使われているのだろう。
よく見れば、錆色号には修理跡も多く、だいぶ年季が入っている。
「ふむ。ローランドの言う通り名残惜しいが、命には代えられんからのう・・・」
ヴィクトルは、かなり名残惜しそうだ。
もしかしたら、錆色号は、元々ヴィクトルかローランドの物だったりするのかもしれない。
「いけるわよ!」
鯨骨街の入り口付近から、声が響く。
そちらに顔を向ければ、軽戦車のハッチから顔を出すエリザが見える。
リールは、鯨骨街に戻ってくるとほぼ同時に二人に分裂し、エリザとエルザに戻った。
リールの状態でいると、燃費が悪すぎるとのことである。
エルザは、装甲車の運転席にいるのか、ここからは見えない。
エリザ・エルザの軽戦車に、錆色号が続く。
その後ろに、緑のヒヨコ号もついていく。
今の運転手は、ヴァシリーサ。
作太郎は、補給を頑張ってもらったので、最初に休憩だ。
俺は車長ハッチから上半身を出し、エミーリアが砲手ハッチから顔を出している。
砲手ハッチからひょっこりと頭だけを出しているエミーリアに視線を向ける。
エミーリアはこちらに気づいたようで、少し視線を向けてきたが、表情は変わらない。
いつも通り、無表情な中に、なんとなく楽しそうな感情を滲ませている。
この3日間、エミーリアは、特に変わったところはなかった。
力こそ増えたものの、エミーリアは、エミーリアだった。
緑のヒヨコ号が、鯨骨街から出る。
暗い頭骨から明るい場所に出て、眩しさに少し、目を細める。
透き通るような青空と、林立する黄金銀の柱の対比、そして柱に煌めく反射光が、美しい。
「上空にコンジキシマクジラ。こっちに敵意はないみたい。」
コロの声が、通信機から響く。
その声に釣られ、上を見る。
コンジキシマクジラが、こちらを一切気にせず、悠々と空を泳いでいる。
美しい景色だが、ここは辺境。
上空でのんびりと泳いでいるコンジキシマクジラも、その雄大な外見通り、強大な生物だ。
今戦闘になってしまえば、俺と、力を増したエミーリア、エリザ・エルザ、メーアしか、生き残れないかもしれない。
要塞に帰りつくまで、気を抜くことは、できないのだ。




