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ギルド本部での打ち合わせが終わり、ボクらは宿に移動していた。S級であり、今回のクエストの戦力の要でもあるボクらの扱いは当然の如く良い。最初にこの国にいたときには泊まれるなんて思いもよらなかった最高級の宿にボクたち……つまり僕らとトール達は逗留する。
「不思議だよね、ボクたちがこんな所に泊まってるんだから」
舞台では楽隊が陽気な音楽を奏でていた。大金を払った者だけが利用出来るラウンジでボクはグラスに入った黄金色の液体をくゆらせる。グラスをかざすと黄金色の液体の向こうにリンネとニーナの姿が透けてみる。
「私もです。キヨハル様と一緒にここに来れるなんて」
「うん、まさかこの宿に泊まれる日が来るなんて思わなかった。キヨハルのおかげだよ」
「あの頃はまだお金がなかったもんね~」
グラスの中身を飲み干して笑う。実のところ今のボクはかなりの額を動かせることが出来るので、泊まろうと思えばこのランクの宿に泊まるのは難しくないし、実際にもっといい宿にも普段から泊っている。だけどこのメンバーで、この宿に泊まることが大事なんだ。サザリエやアクア達には悪いけど、皆を置いて行って良かったかな……うん、これは絶対にみんなの前では言えないな。
苦笑いしながらグラスの中の液体を飲み干す。
「うん、美味しいね」
大輪の花を思わせるような芳醇な香りが鼻孔を擽ったかと思うと、喉の奥へ熱いものがすぅっと消えていく。最初は苦手だったブドウで出来たお酒も今ではすっかりお気に入りだ。地球だったら年齢的にまだ問題のある年齢なんだけど異世界なら問題ない。
舌と鼻を満足させた後、ボクはリンネ達と感覚を共有してくれるであろう女の子に問いかけた。
「マリーもそう思わない?」
ボクらの向かいに座るのはマリーとトールの二人だ。不機嫌そうな顔でトールは安酒を飲んでいて、その横でマリーは口いっぱいに料理を頬張っている。そんな彼女はボクに話かけられるときょとんと首を傾げた。
「ん? 何が?」
「だから、ここの宿だよ」
「ああ、うん。ここのご飯おいしいよね♪」
ボクの考えていた答えとは微妙に違う答えを口にする。
ああ、そう言えば、この娘はこういう女の子だったな。空気を読まなくて、素直なんだけど何でもズバズバ口にする。楽しいことが大好きで、放っておいたらフラッとどこかへ行ってしまう。そんな子どもみたいな女の子だ。
「トールももっといいお酒飲んだらいいのに、いっつもそれなんだよね」
「いいんだよ。これが好きなんだ、俺は」
そう言って泡の入ったジョッキを傾ける。その言葉の通り飲みなれた酒なのか、なみなみと注がれていた琥珀色の液体はあっという間に彼の喉へと消えていった。そんなに好きならもっと美味しそうに飲めばいいのに、コイツはさっきからずっと眉間に皺を寄せたままだ。
「今まで何度か泊ったんだけど、私はこの魚の蒸したヤツが好きなんだ」
「へぇ、マリーは何度か泊ったことがあるんだ?」
「うん、私って半年くらい前からこっちに戻ってきたから、トールと何回も泊ってるんだよ」
「そ、そうなんだ」
少し驚いたが、考えてみれば彼女はA級冒険者。実入りもそれなりにあるだろう。それよりも驚いたのは彼女がトールと何度も泊っているというポイントだ。もちろん子どもみたいに見えても、マリーも立派な女性なんだからおかしな話ではない。ただそれでもマリーにそういうイメージを持っていなかったんで驚きが大きかったんだ。
ボクの中のマリーのイメージは一年前に別れた子どもみたいなマリーのままだからね。というか、あの時はボクもまだ子どもみたいなもんだったしね。
ええっと……そもそも、この二人って、もともとどういう関係だったっけ?
思い出す。
3年も前の話なんで、ちょっとうろ覚えだ。女の子が仲間になるときって、大体一緒に男がいることが多いんだ。ええっとマリーは確か…………そうだ、リンネや、アクアと同じパターンだ。
「二人は幼馴染だったっけ?」
「うん、そうだよ。一緒にハマジリの街に冒険者になるために出て来たんだ」
それを聞き「へぇ、そうなんだ!」と食いついてきたのはニーナだった。
「いいね、幼馴染」
「うひひ~、そうでしょ~♪」
「ちょっと憧れちゃうわ。マリーも知ってると思うけど、私って騎士を継ぐために小さい頃から大人相手に剣術ばっかりだったからさ。羨まし~い」
ワインで頬を染めたニーナは身をよじらせる。普段は男っぽいからか、逆にこういうのに憧れているんだろうな。逆に如何にも女の子っぽいリンネの顔は対照的だった。
「そんなに羨ましいものですか?」
「リンネは幼馴染いるから、そんなこと言えるんだよ」
「あ~、そういえばリンネにもいたよね。え~っと、あの教会の待祭の子の……」
「ほら、何て言ったっけ? しばらく前に一度会いに来た」
「セッタのことですか? 確かに幼馴染で良い友達でしたけど、だからって恋人にしたいかと言えばやぱり違いますわ」
「そんなもの?」
「そんなものです。確かに小さい時は一番仲が良かったけど、やっぱり大人になれば色んな殿方が目に入るようになりますもの」
そう言って視線を俺に向けてくる。黒い瞳を潤ませて微笑む黒髪の聖女様を見て、俺は自慢げに笑みを浮かべた。
「それにニーナにも年下の友人がいたじゃない?」
「あ~、そう言えばいたね。王都にいた頃はニーナとよく一緒だったよね?」
「ランスのこと? あれはただの後輩だよ。男としては別に見てないよ。まっ、良いヤツだけどね」
そう言って視線を俺に向けてくる。そんな艶然と微笑む赤毛の女騎士を見て、俺は自慢げに笑みを浮かべた。
過去のことはどうあれ、今の彼女たちは俺の大切な仲間……いや、それ以上の存在なのだ。
それにしても女の子っていうのは、やっぱりこういう話が好きなんだな。女が三人集まれば姦しいなんて言うけど、まさにそれだ。まぁ、旧交を温めるのはいいことだけどね。
そう思い、ボクは相変わらず不愛想に一人で飲んでいるトールに語りかけた。
「それにしてもあの時、ハマジリの街で会った君にまた会えるとは思ってもみなかったよ。お互いに立場は随分変わったけどね」
「ああ、何たって、アンタは魔王を倒した勇者様だしな」
「それを言うなら、君もS級冒険者じゃないか。冒険者としては同格だよ」
「ふん……」
見え透いたおべんちゃらだけど、一応半分は本音だ。実際にS級になれるってのは大したもんだ。だって言うのに、コイツは不満げに鼻を鳴らす。だけどその視線に見覚えのある感情が入り混じっていることに気がついた。それはボクにとって、もう向けられることにすっかり慣れてしまった感情、つまり嫉妬と苛立ちだ。
なるほど、そういうことか。
別にゆさぶりをかけた訳じゃないが、そこで確信した。要はコイツはボクのことが羨ましいのだ。それを気づかれるのが嫌で、こうしてイライラすることで感情を押し隠しているんだ。そう思えば、コイツのこのいちいち失礼な態度も可愛げがあるように見えてくる。
相も変わらず不機嫌な顔でジョッキの中身を飲み干すトールを眺めながら、ボクはマリーに囁いた。
「マリーも随分と強くなったみたいだね」
「うん、頑張ったからね。でもさ、結局、S級にはなれなかったんだ」
「そういえばS級になるって、ずっと言ってたもんね。A級でも十分に立派だよ」
正直、彼女はボクのパーティの中でも器用貧乏の典型みたいなステータスで、戦力的にはイマイチだった。ヒーラーだけどリンネほどの回復魔法は使えないし、攻撃力はそこそこ高いんだけどニーナやサザリネのような純粋な物理特化の前衛には及ばない。だって言うのに、やたらと前に出たがる。
最初の方、それこそボクと、リンネ、ニーナと4人でパーティを組んでいた頃は良かったんだ。だけどシャルルや、スーリエやが仲間になったくらいから、火力不足、回復量不足が目立ち始めた。それでもパーティのムードメーカーとしては一役買っていて、彼女との旅は楽しいから誰も文句は言わなかった。
まぁ、たまにイタい発言をするから微妙な空気になることはあったんだけど、その点も含めてみんなマリーのことを好いていた。戦闘面ならどのみちボクが全部フォロー出来るってのもあるからね。
「う~ん、そうだね。みんなも強くなったけどS級になったのはキヨハルくんだけだもんね」
「勘違いされてるけど、S級は強さじゃなくて特殊性だからね」
「そう、それ! 最初から教えて欲しかったなぁ~」
子どもみたいに頬を膨らませる。
「マリーは変わらないなぁ。トールは……だいぶ変わったみたいだけど」
「そうかな? 何だかみんなそう言うけど、そんなに変わったかな?」
「いや、変わったでしょ」
最初に会ったトールって、あんなヤンキーチックなヤツじゃなかったよ。目つきもやたら悪くなってるし、ずっとイライラしてて雰囲気悪いし、あんなヤツじゃなかっただろ?
どうにも聞いてみると故郷の村にいる家族にさえ「お前は誰だ?」と言われてしまったらしい。
「おかしいよね。トールはずっとトールのままなのに」
「そ、そうかなぁ……」
「うん、トールはずっと優しいんだもん」
「そ、そう」
とてもそうは見えないが、本人がそう思っているなら別にいいだろう。意外と二人きりなら優しいヤツなのかもしれないしね。かく言うボクも、初めて女の子と仲良くした後は「全然見た目と違う」って言われることがよくあるんだ。
「それよりも私はキヨハルくんの方が変わったように見えるけどな~」
「ボクが?」
「うん、なんだか偉そうになったよ」
「え?」
その一言は自分でも自覚しているはずの事実なのに、驚くぐらい胸がざわついた。
偉そうになった?
まぁ、そりゃ、世界を救った勇者だから偉いに決まってる。勇者で、貴族で、大富豪で、S級冒険者で、女の子にだってモテモテだ。増長だってするよ。解ってる。
でも――
何だって、ボクはマリーのひと言に、こんなに動揺しているんだ??
「ねぇ、マリー、それって、どういう――」
「あ! ねぇねぇ、トール。吟遊詩人だ。一曲歌ってもらおうよ」
「ちょっ――」
ボクが声をかけるよりも早くマリーはトールの腕を取って……というより引っ張りながら舞台に現れた吟遊詩人のもとへ駆け寄っていく。もうボクのことなんて見ちゃいない。
そうだ。こういう娘だったな。あの時も「楽しくない」とだけ言って、フラッといなくなってしまったんだ。
「キヨハル様、どうかされたのですか?」
「あ、いや……」
動揺が顔に出てしまっていたのだろう。不安そうにリンネが尋ねる。
「顔色が悪いみたいだけど?」
「す、少し飲みすぎたかな」
訊いてきたニーナにも曖昧に答える。
「それよりもせっかく吟遊詩人が来たんだから、一曲お願いしなよ」
「ああ、うん」
「気分悪くなったらいいなよ」
「ならないよ。ボクは勇者だからね。やろうと思えばいつでも酒精を解毒出来るんだ」
「ああ、そうか」
「忘れていましたわ」
つまらないからお酒を飲むときはやらないけど、ボクの身体は一定量の毒物が入ると勝手に解毒魔法で分解してしまう。だからいつでも酔いを醒ますことが出来るのだ。怪我だって同じように治るし、病気にだってかからない。そのことを思い出した二人は改めて吟遊詩人に目を向ける。
ふぅ、助かったな。つまらないことで二人に気を使わすのも良くないからね。
流れてきた吟遊詩人のリュートの音に、ボクも少しずつ冷静さを取り戻す。
コメディタッチに描かれた物語を吟遊詩人は朗々と歌い上げる。この詩っていうのが、ドラマや映画みたいなコンテンツに慣れたボクにとっちゃ、しっくりこなかったんだけど、娯楽の少ない異世界生活を3年も続けていれば楽しみ方も解ってくる。
それは異国の英雄譚だった。この世界には魔王が存在し、それを倒すために女神様が勇者を召喚して遣わす。このボクの様にだ。フォーラという国で召喚されたというその勇者は、優しく、勇敢で、カッコつけなんだけどどこか抜けている。そんな憎めない男だった。魔法使いや、騎士、王家の姫巫女、密偵たちの仲間と共に魔族の魔王に戦いを挑む。
魔族か……凄いな。魔族ってのは見た目は人間に近いんだが、肌が緑色で、牙があって、角が生えてて、耳が尖がってて、身体に紋様があるのが種族で、最大の特徴は人間よりも強力な魔力と身体能力を持っている点だ。一回だけ戦う機会があったんだけど、あいつらはメチャクチャ強い。その魔王を倒したのか。ゴブリンの魔王がイージーモードで、ベヒモスの魔王がノーマルモードなら、差し詰めハード……いや、ベリーハードモードってところか。面白そうだが、そんな旅じゃあ、女の子達と仲良くなってる暇もなさそうだ。
恐らくは名前からして同郷であろうフォーラ王国の勇者に心の中で合掌しながら、ボクはリュートの音色に耳を傾ける。詩の中ではフォーラ王国の勇者はピンチに陥りながらも四人の幹部を打ち破り、見事に魔王を討伐していた。
こうして大団円で物語は終わる。魔王を倒した勇者はその後、フォーラ王国に帰り、領地を与えられた後、回復魔法を使った農業を考案したり、ゴーレムを使った鉄道のような輸送網を考案したりして、国の発展に尽力したらしい。
このあと地球には帰らなかったのか。コイツもボクと同じで地球でトラックにはねられて死んだのかな?いや、トラックとは限らないけど。
聞けば大昔の話という訳でもなく、ほんの10年ほど前の出来事らしい。
ちょっと会ってみたいな。フォーラ王国か。名前は何となく聞き覚えがあるが、どの辺りの場所なのかは分からない。かなり遠くの場所という印象だ。
「いいお話でしたね」
「うん、面白かった♪」
「ああ、良かったな」
リンネ、マリー、ニーナの三人は思い思いに感想を述べる。
「特に序盤の村娘が生贄にされそうになるのを助けるシーンが良かったな。幼馴染の少年が勇気を振り絞って勇者に村の秘密を打ち明けるシーンに胸を打たれたよ」
「え? そこですの?」
「いや、カッコイイだろ。力及ばないことを悔しく思いながら、幼馴染の少女を助けるために村の掟を破るんだぞ」
「う~ん、そこよりも『勇者とは勇気ある者のことを言うのだ。勇気を持つもの全てが勇者だ』の勇者の台詞がカッコよかった」
「私もそうかしら」
「じゃあ、勇者が魔王を倒したあと、本当は姫巫女に惚れてたのに、幼馴染同士だった騎士と姫巫女の仲を取り持って身を引く所は、どうだ?」
「ニーナは本当に幼馴染に憧れがあるのですね。私はその後、独りで旅立つ勇者にひっそり着いていく密偵の女の子が良かったですわ」
「私も〜」
「何だよ幼馴染、人気ないなぁ」
恋愛要素で盛り上がれるところが、なんとも女の子だ。
心の中のざわつきが落ち着いたのを感じると、ボクはリンネとニーナを連れて立つ。今日はもうお開きだ。
その前に――
「マリー」
「ん? なに?」
「あ……いや」
何か言った方がいい気がした。
だけど言葉が出てこない。
胸の中がまたざわつき出して……
「キヨハル様、どうかされましたか?」
「まだ何かあるのか?」
リンネとニーナに呼び止められる。
「あ、いや……何でもないよ」
「? マリーに何かあったのでは?」
「いや、別にいいんだ。大した事じゃないからね」
「そう?」
マリーが小首を傾げると金色の髪がさらりと揺れる。子どもみたいな無垢な青い瞳に吸い込まれそうになり、ボクは思わず後ずさる。
「ああ、何でもないんだ」
言い訳するように、ボクはもう一度呟いた。