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重い体を引きずるようにしてボクは目を覚ます。視界に入るのは見覚えのない天井だ。自宅のベッドよりもやや硬いベッドの感触を背中に感じながら起き上がると、白い背中とつるりとしたお尻が見えた。
「ああ、そうか……」
サラリとした黒髪の隙間から、幼さの残る顔立ちが現れたのを見て思い出した。
昨日はリンネの日だったな。
ギルドから新たな任務を言い渡されて、今回は少し遠い国へと遠征して、立ち寄った町で宿をとったんだ。
3年前にボクはこの世界、ガルネリアに勇者として召喚された。もちろん女神様からたっぷりとチートをもらった上でだ。あとはもう何て言うかゲームみたいな展開で、ドキドキハラハラの大冒険をしながら無事に魔王を討伐した。
地球には帰れないよ。だってトラックに轢かれて死んじゃったらしいからね。ボクは覚えていないけど、女神様から聞いた話だとそういうことらしい。
「キヨハル様?」
「ああ、ごめん。起こしちゃったね」
彼女は魔王討伐の旅で仲間になった一人だ。魔王を倒した後もボクと一緒に冒険者として着いて来てくれている。とは言っても、魔王討伐に加わった仲間たちは全員がその後もボクと一緒だ。今回の任務は遠くの国なんで、連れてきているのはリンネとニーナだけだけど、セルグラッド王国にある屋敷に帰れば他の女の子たちがボクの帰りを待っている。
ああ、いや……違うな。厳密に言うと一人だけ別れた仲間はいる。その娘は魔王討伐の旅の真ん中くらいで、突然ふらっといなくなった。
「あの……キヨハル様」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事をね」
細い体を絡ませ、しなだれかかってくるリンネの肩を抱く。こんな時に他の女の子のこと考えるなんて、ちょっと失礼だったな。
反省したボクはリンネを抱き寄せる。世間では聖堂教会の聖女様なんて呼ばれている彼女だが、ボクの前ではただの可愛い女の子だ。
外を見るとようやく空が白み始めたような時間で、まだ朝には時間がある。
ボクはリンネの名を呼ぶと、そのまま白く細い体に覆いかぶさった。
◇
宿を出たボクらは装備を整えるために街を回っていた。今回の任務は久々の長旅だったので物資を消耗してしまった。もちろんチートのひとつであるアイテムボックスを使えば、ほとんど無限にアイテムを詰め込める。これは地味だけど役に立つチートスキルで、歴代勇者の中でも持っている者は少ないらしい。ただあまり沢山詰め込み過ぎると取り出すときにどれがどれだか分からなくなる。時間が経つとパソコンのフォルダに何のデータを入れたか忘れてしまうみたいなものだ。だからボクは非常時の物資以外は(それでも相当量をストックしているんだけど……)必要以上に物を持たないようにしている。
「あとは何がいるかな?」
「水と魔晶石、ポーションは十分だから、あとは食料だね?」
男っぽい口調で答える鎧姿の赤毛の女性はニーナ。腰に佩いた長剣は竜殺しの魔剣だ。彼女もボクのパーティの中では古株の一人で、ボクも仲間にした当初は剣術を師事していた頼れる仲間だ。
「アイテムボックスに入れてるから腐るわけじゃないけど、新しいものが欲しいな」
「うん、そうだよね。ボクもそう思うよ。まぁ、季節の物がいつでも食べれるのは助かるけどね」
「それは言えてるね。あと南国の果物とか、こっちじゃ食べれないものね」
好物の味でも思い出したのか、ニーナがうっとりとした顔をする。長身で男勝りの性格と言われている彼女だけど、中身は立派な乙女で甘いものが大好きなんだ。
「じゃあ、果物屋と……あとお菓子屋も回ろうか?」
「うん」
「リンネもいいかい?」
「かまいませんわ」
隣にいるリンネも嬉しそうに頷く。もちろん彼女も甘いものが大好きだ。とはいえ小さな町だ。お菓子屋があるかどうかは正直分からない。そしてその予想は残念なことに当たってしまう。
小さな市を見渡してもお菓子屋は見つからなかったのだ。
「まぁ、小さな町だし仕方がないわね」
「そうだよね……」
「そうですね……」
そう言うが、二人の顔は残念そうだ。そんな時、香ばしい薫りが鼻腔を擽った。
「キヨハル様、あそこのパンが美味しそうです。買っていきましょう」
「ああ、そうだね」
リンネの指さす方を見れば通りの向こうにパン屋が見える。でも菓子パンの類は置いてないだろうな。なにしろこの世界の料理は、ドラゴンの肉とか、世界樹の実とか、美味しいものはそれこそ魔法みたいに美味いんだけど、基本的には日本の物ほど美味しくない。日常で食べるようなものは、コンビニの弁当や菓子パンよりも下だと思っていい……いや、こういう言い方は語弊があるか。別にマズイ訳じゃないんだけど味が素朴なんだ。
「あそこで買おうかな」
「焼きたてのヤツだからね」
「解ってるよ。こういうときはアイテムボックスが本当に便利だよね」
アイテムボックスに入れれば、いつでも焼きたての熱々のパンを食べることが出来る。冷めればコンビニのパンを下回っちゃう異世界のパンだけど、さすがに焼きたてならば十分に美味いんだ。
だから旅の間、食事に関しては王侯貴族でさえも難しいような贅沢が出来る。これはボクたち勇者パーティの特権だよね。
「さすが、キヨハルだね♪」
「さすがはキヨハル様です~♪」
聞きなれた称賛の言葉に気を良くしながら、ボクはパン屋の戸をくぐる。中にいたのは長い栗毛を後ろで束ねたおかみさんだ。
「すいません。パンを買いたいんですけど、今焼いているヤツって時間かかりそうですか?」
「あん? 焼成まではちょっと時間がかかるよ」
「そうですか」
俺は奥にある竈を見る。そこでは彼女の旦那さんと思しき中年の男が薪を運んでいた。そんな旦那さんとおかみさんを見比べる。
年下の奥さんだな。
何となく思い、おかみさんを見る。腹周りに余分な肉がつき始めているが胸やお尻が大きいのであまり気にはならない。むしろこういう身体つきの女性は、リンネやニーナのような若い女の子にない魅力がある。
腹の下に滾るものを感じた。
「な、なんだい……?」
「いえ、奥さんが綺麗だなって思って」
「きゅ、急になにを……!?」
戸惑いの表情を見せるものの、最後まで言い終えることはない。おかみさんの頬は薄っすらと朱がさしていた。ボクがニコリとほほ笑めば、大抵の女の人はこういう顔になるのだ。
「パンが焼けるまで時間はあるんですよね?」
「そ、そうだね……」
「だったら、ちょっとボクにつき合ってくれませんか?」
「え? そ、それって、どういう……」
後ろを振り向いて旦那さんを見ようとしたから、隣まで移動して視線を遮ってやる。音一つたてない足運びだったから、それこそ一般人の彼女には瞬間移動したように見えただろう。まぁ、短距離なら本当に瞬間移動も出来るんだけどね。
さぁ、これで店の中で見える男はボクひとりだ。
驚く彼女の耳元でそっと囁く。
「旦那さんには内緒です」
そうして彼女の大きなお尻に指を伸ばそうとして――
「ちょっと、キヨハル~」
「キヨハル様!」
二人の声がしてハッとする。
しまったな、またやってしまった。ボクには女神様から色んなチートをもらっていて、今のはその中のひとつであるエクストラスキル『主人公補正』の力だ。これはいわゆる、概念系とか、因果律操作みたいな能力で、このスキルがあると、とにかくボクに都合のいいことばかりが起こるのだ。
今の場合だとおかみさんがボクに惚れちゃう……ってところかな?
「今日は私の番なんだから」
「ゴメン、ゴメン」
ニーナは焼きもちこそ焼いているが、怒っている様子はない。これも『主人公補正』の力なのだろう。
腕を組んでくるニーナに謝る。鎧の上からだが、彼女の豊満な胸をついつい思い出してしまい鼻の下が伸びてしまった。
「わ、私の献身が足りなったでしょうか?」
「そんなことはないよ」
リンネが恐る恐る聞いてくるが、もちろんそんなことはない。むしろ十分に足りている。ここにはいないが屋敷で待っている、ミニーにも、シャルルにも、スーリエにも、サザリネにも、ナナンにも、アクアにも世話になっている。ただやっぱり男の欲望っていうのは底がないんだ。
ボクは笑って誤魔化しながら奥へと逃げるように去っていったおかみさんの代わりに旦那さんを呼んでパンを譲ってもらう。焼きたてのパンじゃないんだけどしょうがない。
それにしてもまいったな。我ながら最近ますます見境がなくなっている。この前のことといい、以前はいくら美人でも、こんな一回りも年の離れたおばさんに言い寄るなんてなかったんだけど、どうにもタガが外れている気がする。
言っちゃなんだが、ボクはこの世界を救った勇者様な訳で、メチャクチャ強いし、貴族の位だって持っている。領地経営とかは面倒なんで、ほとんどスーリエとナナンに任せっぱなしだけどね。スーリエは伯爵家の令嬢で領地経営は彼女の知識と人脈があれば問題ない。ナナンは商家の出でアイテムボックスの大量輸送を活用して貿易で金儲けを提案したのは彼女のアイデアだ。そんなわけで帳簿の方も問題なし。そんなわけでボクは結構なお金持ちなのだ
なんで、多少の我がままは、お金と、権力と、腕力のごり押しで何でも通ってしまう。もっとも『主人公補正』のおかげで大きな問題は起きたことがないけどね。
自分でも調子に乗っちゃってるのは気づいているよ。だけどさ、仕方ないじゃん。ボクがやることは何でも肯定されちゃって、可愛い女の子たちに「さすがはキヨハル様~♪」なんて言われ続けると、調子にも乗っちゃうよ。
ちょっと前まではもう少し自制出来ていたんだけど、一回タガが外れるともう駄目だね。好き勝手やりたくなっちゃう。今になって思うと、あの娘がいなくなったのがきっかけだったのかもしれないな。
彼女だけは「さすがはキヨハル様~♪」って、言ってくれなかったからね。ああいう娘がいることでボクの中のバランスが取れていたのかもしれない。リンネやニーナと関係を持つようになったのも、あの娘がいなくなった後だし、一人手を出しちゃうと他の女の子たちとも、もうズルズルとそういう関係さ。誰も嫌がってないから、問題はないんだけどね。
「まったく、キヨハルときたら、また違う女のこと考えているな」
「そんなことないよ」
「そうかしら?」
疑念の眼差しを向けてくるけど、実際そうなのだから弁解のしようもない。こうなるともう誤魔化すしかない。
「そうだ。お菓子のことだけど、アイテムボックスにとっておきのヤツがあるんだ。前にカンナメルの街で食べたケーキがあったでしょ、アレ」
「ほ、本当か!?」
「本当ですか!?」
二人の顔色が変わる。まぁ、アレは魔法みたいに美味しいケーキだったからしょうがないよね。口の中でフワッと蕩けたかと思うと、甘さが口の中いっぱいに広がる。その癖、飲み込んだ後は爽やかな余韻が残り食べた者を満足させるのだ。
「本当は皆を驚かせようと思ってとっておいたんだけど、改めて数えてみると数が足りなくてさ。どうしようか迷ってたんだ……だからみんなには内緒だよ」
「うん♪」
「わかりました♪」
二人は笑顔で応える。
ケーキの数が足りないのは本当なんだけど、実は以前にも同じようなことがあって、アクアとミニーにあげちゃったからなんだよね。まぁ、そのおかげで同じ手があと一回だけ使えるから良しとしよう。
「じゃあ、一度宿に戻ろうか」