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ハマジリの街の酒場でボクはいつものようにビールを飲んでいた。最初は苦いだけで大して美味しくないお酒だけど、飲むとその間だけは嫌なことを忘れられた。
マリーがいなくなってから3カ月が経った。最初はすぐに飽きて帰ってくるだろうと思い込もうとしていたが、彼女はいつまで経っても帰ってこない。もう認めないといけない。ボクはマリーに捨てられたんだ。きっと彼女にはその自覚はないだろうけど、意気地なしで弱いボクよりも、才能に溢れて……何よりも強いキヨハルを選んだんだ。
「くそ……」
テーブルの上のビールはすっかりぬるくなってしまっていたけど気にせずボクは飲み干した。口の端からこぼれたお酒を拭うと、最近生え始めていた髭がまばらに触れる。この3カ月は日銭を稼いで酒ばかり飲む。ボクはすっかり落ちぶれていた。そんなボクに話しかけてくるのは今では一人だけだ。
「よう、トール調子はどうだい?」
「マークさんか……最悪だよ。すっと、ず~っと最悪だよ」
「酒臭いな。お前は酒を教えちゃだけなタイプだったかな」
「そんなことない。お酒って、最高だよ。飲んでる間は楽しいから」
「そうは見えないけどな。最近、目つきも悪くなってるし」
どっかりとボクの隣に座る。両手にはジョッキ。中にはなみなみと冷たいビールが注がれている。そのひとつをボクに差し出した。
「おごりだよ」
「サンキュー」
遠慮せずにぐびぐび飲む。やっぱり冷えている方が旨い。こうして日銭を稼いで酒が飲めるのもマークさんのおかげだ。
「トールは明後日空いてるかい? ゴブリン狩りに行くんだが、人数が足りないんだ」
「ゴブリン?」
「ああ、薬草採取のクエストばかりじゃ飽きるだろ。そろそろゴブリン狩りに行こうぜ。ゴブ狩りは割がいいんだ。前に一回だけやっただろ」
「あ、ああ……うん」
それはハマジリの街に来た最初の方の……まだマリーがいた頃の話だ。あの時は薬草採取をしていたボクらの方に、マークさんが追っていたゴブリンがやってきた。初めて斬ったゴブリンの感触は硬く。飛び散った血の色や臭いもよく覚えている。初めて命を奪った高揚感に思わず「ボクは天才なんじゃないだろうか」なんて馬鹿な自信さえ沸いたものだ。だけどその空っぽの自信も、そのすぐ後に出会ったキヨハルの強さを見せつけられて、すっかり萎んでしまっていた。
あれは真正の化け物だ。
人間じゃない。
それこそ英雄と呼ばれる類の人間だったんだろう。
魔王を倒す英雄。それに比べて、ボクは所詮、どうにか、こうにかゴブリンを狩れる程度の男だ。
「いいですよ。行きますよ……ゴブリン狩り」
「おお、そうか。助かるよ」
世の中にはゴブリンを専門に狩る冒険者がいる。俗に言うゴブ専だ。たまに冒険者仲間からは蔑称として使われることもあるけど、凶暴なゴブリンを駆除する冒険者は周囲から感謝もされている。
ボクはもらったビールを一気に呷ると景気づけに叫んだ。
「よーし、オレはゴブ専になるぞぉっ!」
「おお、いいな。その意気だ。もう一杯飲め」
「おおぉっ!!」
やけくそになりながらガブガブ酒を飲む。この間だけは幸せなのだ。
これがオレのゴブ専冒険者としての第一歩だった。
◇
「よし、マリー行ってこい!」
俺の指示とともに放たれた猟犬はゴブリンの群れを蹴散らしていく。どうしようもない駄犬だが、狩りの役には立つらしい。
「よしよし、よくやった。後で骨をやろう」
さすがは腐ってもレベル47だ。戦槌が振るわれ、瞬く間に殲滅されたゴブリンを見て俺は素直に感心した。
俺が何故、故郷に帰ってまでゴブリン狩りをやっているのかと言うと、長老に挨拶に行った際、村の近くにゴブリンが住み着いたと相談されたからだ。
ギルドを通さない仕事を請け負うのは、後々の処理が面倒だったりするのだが、今回は仕方ない。ゴブリンが発生した場合、いかに早く駆除に乗り出すかで、その後の被害が変わっていく。やつらはとにかく増えるのが早い。小規模な群れならこっそり家畜を襲って、それが中規模になると堂々と人間も襲い出して、さらに大きな群れになると上位種も発生してガンガン集落を襲い出す。
小規模のまま被害を抑えるなら、だいたい発見してから三か月が目安だと言われている。長老の話だと、最初に見てからすでに2カ月。今のうちに狩っておかないと面倒なことになるだろう。
それにしても長老は俺を見てずいぶん驚いていたが、何だったんだろう?「ずいぶん雰囲気が荒んだ」なんて言っていたが、どうにも自覚がないので分からない。何しろあいさつに行った兄にも「お前は誰だ?」なんて言われてしまったのだ。
「ねぇ、トール」
「何だ、骨なら狩りが終わった後だから、ちょっと待て」
「いや、骨なんかいらないんだけど」
「だったら何だ?」
さすがは駄犬だ。堪え性がない。そんな風に考えているとマリーは妙なことを言ってきた。
「ねぇ、トールおかしくない?」
「ん? お前はいつもおかしいだろ? 今更、何言ってんだ?」
いや、自分がおかしいことに気がついたんだから、ある意味で進歩出来たのか?
「いや、私ってばヒーラーなんだけど?」
「だから何だ?」
「私が前に出て戦うのって、何かおかしくない?」
「いや?お前の方がVITが高いだろ?」
「またVIT!? 別にVIT万能じゃないんだけど」
「万能じゃないが、敵からのダメージが通り難いのは間違いないだろ?」
「いや、そうだけど……」
何しろマリーはソロでA級に上り詰めた猛者だ。俺よりもVITもSTRも高い。ガンガン前に出て交戦するのは理に適っているのだ。
床で寝たら背中が痛い?
知らんな。VITが高いから大丈夫だろ。
そもそもゴブ専の俺がいれば事足りる現場にマリーを連れてきたのは、コイツ自身のためだ。
出戻って来たコイツは村に居場所がない。だからこそ活躍の場を用意して、村の役に立つ所をみせておかないといけないのだ。
「それにしてもゴブリン狩りのクエストなんて久しぶり」
「そうなのか?」
「うん、ミノタウロスのお供に出て来るのを一緒にやっつけるのはあるけど、ゴブリンだけ相手にするのってなかなかないから」
さすがはA級だ。潜っている戦場が違う。マークから聞いた話だが、ミノタウロスってのはA級で互角、B級でも10人以上でかからないと危ない相手らしい。
「最後にゴブリン狩りしたのってキヨハルくんと一緒にゴブリンロードと戦ったときかな?」
「マジか?」
ゴブリンロード。マークから聞いた話だと、かつては魔王の一角に数えられた個体も存在したらしい。ゴブリンジェネラルにゴブリンシャーマン、ソーサラーなど、無数の上位種を率いる。ゴブリンの最上位種にて災害級の魔物。
しかし本当に凄い戦歴だな。ゴブ専の俺もさすがにゴブリンロードと戦ったことはない。癪だが、後学のために聞いておこうか。
「う~んと、とにかく数が多くて大変だったかな。わたしはずっとゴブリンジェネラルを食い止めてたんだよね。結局、ゴブリンロードはキヨハルくんが一人で倒したんだけど」
「お前……ゴブリンジェネラルとガチれるのかよ」
聞いて呆れる。ゴブリンジェネラルはゴブリンロードに次ぐ上位種で、B級以上じゃないと討伐依頼も受けれない程の強敵なのだ。え?誰に聞いたかって? マークからだよ。何か文句あるか。
「まぁ、ソロでやってたくらいだからな。それくらいは出来て当然なのか……そういえばA級ってことは、お前にも何か二つ名があったりするのか?」
「まぁ……いちおう」
コイツにしては珍しく声が小さい。聞いてみるとギルドでは、血塗れマリーなんて呼ばれていたらしい。どんなヒーラーだよと思いながらも、ゴブリンの血で汚れた戦槌を見て妙に納得する。
呆れていると木の陰で動く人影もといゴブリンを発見。
「よし、マリー。行ってこい」
「いや、だからわたしヒーラーだから!」
こうして村の近場のゴブリンを始末して回る。
だが日が高く昇った頃、俺は違和感に気づいた。
「どうしたの?」
「ああ、いや……思ったよりも数が多いと思ってな」
狩ったゴブリンはそろそろ30を超える……多すぎる。まずいかもしれない。村の被害がまだ出ていないから小規模な群れだと思っていたが、明らかに数が多い。
面倒だな。恐らく中規模以上の群れ。出来ればギルドを通した仕事としてやりたい。危険度も高くなるし、何より金になる。
だが……
「仕方がないな」
金を出すのは故郷の村。つまり俺の兄やマリーの両親。馴染みの者たちだ。彼らに正規料金の高い報酬を請求するのは気が引ける。
幸い戦力的にはマリーがいるので問題ない。それに今日でこそマリーに丸投げしているが、俺だってゴブリンさえ相手ならまず大丈夫だ。
「おい、マリー」
「いいよ。ゴブリンやっつけるんだね」
「ああ、そうだ……ん? なんだ?」
「ううん、何でもないよ。トールはやっぱり優しいね」
何が嬉しいのかニコニコと笑う。相変わらず妙なヤツだと思いつつ、俺はゴブリンを狩る算段を立てる。ゴブリンは簡単な道具を作れる程度に器用だが、建物を建てれるほどの知恵や技術はない。穴を掘ったり天然の洞窟を利用している場合が多い。そうなると根城にしていそうな場所は自ずと限られる。
村から出て、久々に歩く草原を超えて、森の奥にある鉱山跡の洞窟に俺たちは向かう。
その道すがら小石を拾っていく。指で摘まめるくらいの大きさが丁度いい。色は何色でもいいのだが、白だけは拾わない。何となくムカつくからだ。
「手伝おうか?」
「別にいい」
「そう? でも、それ何に使うの?」
「何って……お守りみたいなもんだよ」
「ふ~ん、あの時と一緒だね」
適当に答えた俺の言葉にマリーは納得したのか、しないのか。ただいつものように能天気な笑顔だけを俺に向ける。悪気はないと分かっていても、イラっとした。
気に入らない。
本当はもう2~3日のんびりする予定だったが、こんな仕事はさっさと終わらせて、さっさと王都に行こう。
そう決める。
ただこういう時にイライラするのは良くない。冷静さを欠くと熟練の冒険者でもあっさり死ぬ。そんなマークに教わる間でもなく当たり前なことを、その時の俺は忘れていた。そしてそんな時に限って危機というのは訪れるものなのだ。
目的の洞窟の近くに来た時だ。
マリーが俺の名を叫ぶ。反射的にイラっとする。それが良くなかった。颶風が薙いだかと思うと俺の側面を巨大な何が叩きつけられると同時に俺は派手に吹んだ。
背後から右わき腹にかけて激痛が走る。明らかに内臓を痛めたのか苦鳴とともに血の味がした。
見上げた所に立っていたのは頭部に2本の角が生えた鋼のような巨躯、オーガだった。
握った粗雑な棍棒で俺を派手に叩き飛ばせたのがよほど嬉しかったのか、オーガは乱杭歯の並んだ口で笑みを描く。
「クソ……」
完全に不意をつかれた。オーガはゴブリンよりも数段強い。コイツを一人で倒せるかが1流と2流の境い目だと言われている魔物だ。俺もオーガと何度か戦ったことがあるが、一対一で戦ったことはない。
俺のレベルは23。ひょっとしたらオーガに勝てるかもというレベルだ。なのだが俺も含めてほとんどのレベル23はオーガと一対一で戦ったりはしない。なにしろ試合じゃないんだから、オーガみたいな強い魔物と一対一で戦う意味がない。
そんな馬鹿なことが出来る時点で、そいつは完全にぶっ千切った実力の持ち主だということだ。例えばキヨハルのような。
間合いを取って剣を抜くと傷んだ肋骨や内臓がズキリと痛む。万全の状態でも勝てるかどうか分からない相手だというのにいきなり手傷を負ってしまった。
心の中で悪態を吐き剣を構える。
その時だ。
ゴキリッ
鈍い音が鳴った。
聞こえてきたのはオーガの頭からだ。見ればオーガの右の角が折れ、頭の右半分が陥没している。巨躯はそのまま地面に伏し、幾度の痙攣の後に動かなくなった。その傍らには戦槌を携えたマリーの姿だ。
「トール大丈夫?」
「あ、ああ……」
悪態を吐くことも忘れて俺はマリーの姿に見入る。
俺が死を覚悟して挑もうとした相手。それを彼女は一瞬で屠った。俺はほとんど反応出来なかった。何とか目では追えてはいたが、それだけだ。
レベル47
A級冒険者
勇者のパーティにいた女
それはこれほどまでの差なのだと、まざまざと見せつけられる。
「動かないでね」
「ああ……」
俺が頷いている間に、マリーは俺の鎧の上から手をかざすと治癒魔法を発動させる。すると数秒と待たずに、腹の中に感じていたはずの痛みが綺麗さっぱりなくなっていた。明らかに内臓や肋骨をやられていたにも関わらずだ。
ハマジリの街にいたんじゃあ、まずお目にかかれないような高等治癒魔法。これでキヨハルのパーティじゃあ役立たずだって言うんだから、勇者パーティというのが如何に桁外れなのかが推し量られる。
「トール、一度帰ろうか」
「いや……いい。このまま進む」
「でも……」
「いいから行くんだよ」
拙いな。
自分でも意地になっているのが分かる。こういう冒険者は早死にするんだ。
解っているのに足が進む。なるほどこれまで引き際を間違えて死んだ冒険者を馬鹿だと思っていたが、アイツらもこういう気持ちだったのかもしれない。
だが一応はちゃんとした理由もある。
「あのオーガ……変だった」
「変って?」
「一体で行動していた」
さっきミノタウロスがゴブリンを引き連れていたって話があったが、ゴブリンってのは社会性を構築出来る魔物なんで別種の魔物と共生している場合も多い。その場合、大抵はオーガのような強い魔物の手下としている場合が多いのだが、そうなると疑問が残る。
「ゴブリンを従えているオーガが一体で行動するっていうのは違和感がある。これだけの数のゴブリンがいるのにだ」
「そうなの?」
「そういうときは逆のパターンが多い……らしい」
実際に見たことはないが、聞いた話ではそういうことが多々あるらしい。つまり上位種の強力なゴブリンがオークを使役している場合だ。
「へぇ〜、詳しいんだ」
「ゴブ専だからな」
俺はキヨハルみたいな天才じゃない。たまたまゴブリンに強いっていうだけで、他は並みの冒険者だ。だからなるべくゴブリン以外とは戦わない。ゴブリンのことを出来るだけ調べる。用意する。そうすればキヨハルほどではないにしても無敵の冒険者でいられる。もちろんそれは幻想で、こんなアクシデントが起きればあっさり崩れてしまう脆いものだが、冒険者にとって『負けない』ってのは、何よりも大切なことなんだ。
幸いマリーがいるからゴブリン以外の敵がいても問題ない。
「……何だよ?」
「トールと冒険するのって楽しいね」
「ああ?」
人が真面目に作戦を練っているっていうのに、マリーのヤツが俺の顔を覗き込む。その口元は楽し気に緩んでいた。
「だってさ、キヨハルくんと一緒だと何でも勝手に解決されちゃうからつまんないんだもん」
「勝手にって……何だよ、それ?」
「何って、勝手に何でも解決するんだよ。ダンジョンで落とし穴に落ちたらそこに宝箱が置いてあったり」
「はぁ? 宝箱? 何だよ、そりゃ??」
「だから宝箱だよ」
「だから何でダンジョンに宝箱があるんだよ」
宝箱ってアレか? おとぎ話とかに出てくるヤツか? それが何でダンジョンに?
「しかもさ、その中に武器が入ってて――」
「はぁ!?? 武器? 何で?」
「だから知らないよ」
「誰が入れてるんだよ」
「だから分かんないよ」
さらに聞いてみると、入っている武器は大抵そのダンジョンに生息している魔物に有効打を与えられる武器らしい。俺が二年間使い続けていた剣を最近ようやく買い替えたっていうのに、何とも羨ましい話だ。
「キヨハルくんはよく『ゲームみたいだよね~』って、言ってたんだけどさ」
「ああ……そういえば、そんなこと言ってたな」
アイツが俺と初めて会った時に何度か聞いた言葉で、印象的だったからよく覚えている。確か『ステータスとか、レベルとか、ゲームみたいだ』だったか。俺には逆にそれが意味が解らなかった。レベルはレベルだし、ステータスはステータスだ。何がおかしいのか解らない。
「だからさ、トールと冒険出来て、私は楽しいな」
「だったら――」
どうしてあの時いなくなったんだ。
その一言を必死に飲み込んだ。だって恰好悪いだろ。
「ん? 何?」
「な……なんでもないよ」
大きな青い瞳が俺を映す。小さい頃から何度も俺を映してきた瞳だ。皆が言うに人相が悪くなったそうだが、それでも以前と同じ眼差しを俺に向ける。
「行くぞ」
「うん」
結局、俺は何も言い出せず尻尾を巻いて動き出す。対してマリーはそれに尻尾を振るようについてくるのだ。