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「トール、この人が昨日言ってた、キヨハルくんだよ」
紹介されたのはボクと同じくらいの年恰好の男の子だった。マリーに紹介され「どうも」とペコリと頭を下げる姿からは、とても昨晩聞いた獅子奮迅の活躍をした人物だとは思えない。喋って見ると印象はやっぱり気弱な少年というイメージだ。何だかなよなよした雰囲気はどことなく親近感を覚えて、それから一週間ほど行動を共にした。
一緒にクエストを受注してみるとキヨハルはとんでもなく強かった。どうやら彼は『世界を救う加護』というとてつもない加護を持っているらしい。彼は「女神様からこの力をもらったんだ」なんて嘯いていたけど、実際にそれくらい凄い力だった。そして案の定、ハマジリの街のクエストくらいじゃ、彼の力には見合わなくなり、彼は街を出ることになった。
そうして彼が街を出ると決まったその日の晩、マリーは僕にとんでもないことを口にした。
最初、ボクはマリーが何を言っているのか理解が出来なかった。
「キヨハルについていく!? 何を言ってるんだよ??」
「だって魔王をやっつけるなら、強い人のパーティーに入るのが一番じゃない」
「いや、だから、その意味が解らないよ」
いつからボクらは魔王をやっつけるなんて目標を掲げたんだ?
魔王が暴れてるなんて、どっか遠い所の話で、ボクたちには関係のない話じゃないか。
「でもトールはS級冒険者になるんでしょ?」
「え……あ、いや、それは……」
確かにそれは初めてマリーとハマジリの街についた日の晩。初めてお酒を飲んだ日にボクが言った言葉だ。最初に出会ったマークさんという冒険者のお兄さんはとっても親切ないい人で、お酒は苦いけど飲むと何だか楽しい気分になってきて、話がどんどん大きくなって、そんなことを言ってしまったんだ。
だけどそれはその場のノリというか、普通に考えたら真面目に言っているなんて思わないだろ?
そもそもボクが冒険者になるために村を出たのは、単に農家の六男坊が継げるような畑がなかったからだ。別に「世界最強の男になってやる!」なんて大志を抱いて村を出たわけじゃない。
マリーだって同じだ。人手の余った故郷の村じゃあ、彼女に仕事はない。それに言っちゃなんだが、ときおり突拍子もないことを言う彼女は村ではちょっと浮いている。
その悪癖がまさに目の前で現れていた。
「分かった。じゃあ、わたしがトールの代わりにS級冒険者になってあげるね♪」
「え?」
ちょっと待って!
何を言っているんだ??
メチャクチャなことを言って、ボクをいつも振り回して、だけどそれが楽しくて、ボクはそんなマリーが好きだった。だけど今回はメチャクチャ過ぎる。
「魔王を倒したら、S級なんて簡単よね?」
いや、別に魔王もS級もボクはどうでもいいんだ。ボクはマリーと一緒に冒険者をやっていけたら、それでいいんだ。
「じゃあ、トールもキヨハルについて来たらいいじゃない」
「キヨハルに……」
そんなこと……出来ない。キヨハルは凄いヤツだ。あんなのについて行ける訳がない。アイツなら本当に魔王だって倒せるかもしれない。だけどボクらは別だ。激しい戦いに巻き込まれれば最悪死ぬかもしれないんだ。
「大丈夫だよ。わたしヒーラーだから、怪我しても自分で治しちゃう!」
確かにマリーは駆け出しの冒険者にしてはヒーラーとして筋が良いらしい。だけどそれだけで厳しい旅が乗り切れるとは思えない。敵地に乗り込むんだから、何週間も野宿したり、飢えや寒さ熱さにだって耐えないといけないんだ。
「大丈夫。わたし料理得意だから!」
いや、そういう話じゃなくて……ああ、もう! 普段は好ましいマリーの爛漫さが恨めしい。
だけどそんな煩悶はマリーには通じない。いつものような笑顔で彼女は僕に言うのだ。
「じゃあ、わたし行ってくるね」
「あ……うん」
「魔王を倒して、S級になって帰って来るね」
「あ、ああ……うん」
「キヨハルくんと一緒ならきっと大丈夫だから」
「――――っ!」
ドキリとする。
ひょっとしてボクは何か間違いを起こそうとしているんじゃないか?
いや、そんなはずはない。
マリーが言っていることは荒唐無稽で、魔王を倒しに行くなんて意味が解らない。
大丈夫だ。いくらマリーでも、今回の話は突飛過ぎる。それに飽きっぽい彼女のことだから、出ていってもすぐに戻ってくるはずだ。そのはずだ。そう自分に言い聞かせる。
魔王が倒されたという報が国中を駆け巡ったのは、その1年後。
勇者キヨハルのパーティーメンバーの中にマリーの名前はなかった。
◇
とりあえず頭を踏んで一息ついた俺は、床の上で土下座する女を見下しながら言った。
「それでお前、何してるわけ?」
目の前にいる女はマリー。俺の幼馴染だ。
そんな彼女の前で、俺はどっかりと椅子に座り、不機嫌に腕を組み、横柄に大股を開く。
「実は……てへ♡ 実家に帰ったら追い出されちゃった♪……って、あ!?……いいい痛い、いたい、頭踏まないで~~!」
「まぁ、しょうがないんじゃないか。お前の評判、最悪だろうし」
「頭踏んどいて、あっさりと会話に戻らないでよ」
マリーが意味の分からないことを言う。
踏んでもいいんだろ? この頭は。
「アタッ、アタタタ!……ちょ、ちょっと踏むの止めてぇ~~」
「ああ悪い。いい位置にあったからつい……な」
「ヒドいよ。トールまで。お母さんなんて『アンタみたいなアバズレはうちの子じゃない』なんて言ってくるしさ」
「まぁ、その辺りは客観的な事実だけ見たらそうなるよな」
俺が村に帰るのは2年ぶりだが、その間に村の人間がハマジリの街にやって来たこともあるし、当然、一緒に出て行ったマリーの話にも触れている。俺は極力、主観を抑えて事実だけ告げたのだが、普通に考えれば、マリーは恋人同然の幼馴染を捨てて都会のイケメンに乗り換えたクソ女にしか見えないし聞こえないだろう。そもそも村でのマリーの評判は芳しくなく変り者扱いだったのだ。
「ところでお前さ。何でこんな所にいるの? S級になるまで帰ってこないんじゃなかったのかよ」
「うん、A級にまではなったんだけどね」
「なったのかよ……」
A級とかマジか!?
以前、マークから聞いた話だと国定の激ムズのクエストをクリアしないと無理だったはずだ。いや、待てよ。コイツは確かキヨハルと同じパーティだったはずだ。あの化け物と一緒ならA級くらいは楽勝のはず……
「キヨハルくんと一緒だったから」
ほらな。
「B級までは楽勝だったんだ」
ん?
「おい、B級までって言うのは?」
「ああ、何だったけな。ほら、魔王軍四天王のナンタラカンタラ? ってヤツをやっつけるまではキヨハルくんと一緒だったんだけど、その後は分かれてソロでやってたの。A級になったのは、その後だよ」
「お前……レベルいくつだよ」
「えっと、47だよ」
「…………」
マジか。オレの倍以上じゃねぇか。しかもこいつヒーラーだよな。ソロって、どういう意味だよ?
「……ステータスカード」
「え?」
「ステータスカード見せろ」
「いいよ、ほい」
マリーが取り出したのはステータスカードは俺が持っている茶色いものと色が違う。以前、マークから聞いたことがある。高位の冒険者だけが持つ白銀色のステータスカード。その表示もまごうことなきA級だ。そしてステータス値を見ると、STRとVITの数字が明らかにおかしい。INTは……相変わらずの数値だ。いや、お前回復役だよな? 職業を確認すると、その欄にはきっちり治癒術師と表示されている。
「ソロって言ったけど、何でキヨハルのパーティから離れたんだ?」
「だって私、やることないんだもん。回復魔法だって、リンネの神聖魔法の方が強力だしさ」
新聞を何度も賑やかしたせいで覚えがある。キヨハルのパーティには聖堂教会の聖女がいたはずだ。その娘のことだな。
「お前の上位互換だな」
「うぅ~、だってさ。じゃあ、攻撃に回ろうと思ったら、ニーナがどんどん前に出るんだもん」
そいつは多分、近衛騎士団の剣姫のことだな。竜殺しのとんでもなく強い女らしい。確かに少しばかりSTRが高いくらいじゃ敵わないだろう。
「お前の上位互換だな」
「言わないでよ~。せめて旅の手伝いをしようと思ったら、全部ミニーが全部やっちゃうんだもん。あの子の料理とか超おいしいんだよ」
名前じゃわからないが、消去法で多分、盗賊の女の子のことだな。盗賊ギルドの秘蔵っ子で凄腕らしい。
「お前の上位互換だな」
「ぶぅ~~っ、だって~~」
「何だよ。結局、お前ぜんぜん役にたってないじゃないか」
「でもさ~、キヨハルくんってば、魔法も剣術も、料理まで出来るからさ。結局、リンネも、ニーナも、ミニーもいらないんだよね。それでつまんなくなって出て行っちゃった♪」
「お前の完全上位互換かよ……」
やっぱりタダ者じゃなかったな、アイツ。あんな怪物の相手をしなければならなかった魔王に少しだけ同情する。
「みんなキヨハルくんが凄すぎてやることなくなってたなのに、何であんなに楽しそうだったのかな?」
「どんな感じだったんだ?」
「う~んとね、みんなはよく『さすがはキヨハルさま~♡』って言ってたかな」
「何だ、それ?」
「分かんない。キヨハルくんは、キヨハルくんで『あれ? ボク、何かやっちゃった?』って、言ってたけど」
「だから、何だよ、それ?」
「だから分かんないよ」
二人して頭の上に疑問符が浮かぶ。
だが何てことはない。判ったのは、結局、これだけ凄いマリーもキヨハルについて行くことが出来なかったっていうことだ。それにいい気味だと思う反面、安堵している自分がいる。
「ところでトール」
「何だよ?」
「いや……わたしってばいつまで土下座してればいいのかなって」
「ああ」
「え!? ちょっ! なに?? 何でさらに踏んづけるの!??」
見ればマリーは俺が部屋に入った当初からずっと土下座だ。正直まだ踏み足りなくはあるが、そろそろ許してやることにしよう。
「いや、まだ踏んでるから! けっこう痛いから!!」
「ああ、悪い。でもVITが高いから大丈夫だろ?」
「そういう問題じゃないし! 乙女の頭、踏んづけたら駄目だから」
乙女? おかしなことを言うな。ここにいるのは、俺とマリーだけなのに?
ひとしきりマリーの頭を踏み終えて、俺は後頭部から靴底を剥がすと、この2年間わだかまっていたものが少しだけ溶けた気がした。
とはいえ、この家に泊めてやるのはどうかと思う。実質マリーに捨てられたという事実は否めないし、気持ちの整理もついていないし、それに何よりこの家が2年間放置されてたせいで他人様を泊めれるような状況じゃないんだ。土下座から立ち上がったマリーの衣服にもきっちりと埃がついている。
俺はとりあえずマリーの実家についていって、親に押しつけ……いや、一緒に謝ってやることにした。
久しぶりのマリーの実家に赴くと、マリーの母親はまず俺を見て驚いた。どうにも顔つきが変わっていたせいで、すぐに俺だと分からなかったらしい。
その後、歓迎半分、申し訳なさ半分、そしてそれらを足して倍くらいの倦厭感を押し隠すことなく俺の話を聞いてくれた。マリーはもともと実家でも浮いていたし、多分キヨハルの件がなかったとしても厄介者扱いされていただろう。この2年の間に新しい家族が増えて家に泊めるところがないというのを理由に、やっぱりあっさり家を追い出された。それで結局、俺の家にとんぼ返りだ。
正直その辺に捨てて帰りたいところなのだが、マリーは相変わらず人の話なんて聞くつもりがなくて、勝手に家まで着いてくる。
「トール、こっちは片付いたよ」
埃まみれのベッドを手入れし、マリーは言った。
引き出しの中に新しいシーツが入っていて本当に助かった。3~4日だけの滞在予定とはいえ、やはり快適に過ごしたいんだ。
部屋を見渡せば、何とか寝る分には問題ない程度に片付いている。
「ご苦労……で、お前は何をしてるんだ?」
「何って? もう遅いし、寝るんだよ」
マリーは掃除でくたびれたのか、身体をベッドに投げ出しゴロリと転がる。不思議そうな顔をして首を傾げると金糸のような髪がサラリと流れた。そんなマリーに俺は諭した。
「マリー。この部屋にベッドはひとつしかないんだ。解るな?」
「?」
「お前は床だ」
「うげっ」
ゴロンと転がしてベッドから床の上に落とす。え? 別に何も間違ってないだろ?
「ちょっ、トール、これはさすがに酷くない」
「別に? お前はVITが高いんだから、別に問題ないだろ?」
「VITって、そういうんじゃないし、床で寝たら背中痛いし、寝れないし」
「贅沢な奴だな」
泊めてやるだけでも僥倖だってのに、何を文句言ってるんだ? そもそもお前、あのとき野営は大丈夫って言ってただろ? 床でくらい余裕で寝れるはずだ。
俺? 野営なんてしないよ。ゴブ専だもん。村を襲う可能性のあるゴブリンは当然、村からそれほど離れていない場所に巣を作る。だから基本的にはクエスト先の村とかに宿をとるのだ。だからベッドの優先権は俺にある。そもそも俺の家だしな。俺が良い場所を取るのは当たり前のことだ。なのに、この恩知らずは床の上に転がったまま俺に言う。
「むぅ……ベッド一個だけなら一緒に寝ればいいじゃん」
「お前、それってキヨハルの前でも言ったのかよ?」
「キヨハルくんに? 何で?」
「何でって……」
「?」
頬杖をついて不思議そうに首を傾げる。青い瞳は幼い日と同じく、オレの姿を映していた。その無垢とも言える姿を見て、俺は思わず口ごもった。何だかまるで俺の方が悪者みたいだ。悪いのはコイツだっていうのに。
そんな俺の内心が分かっているのかいないのか、マリーはニンマリと笑うと俺を見返した。
「にひひ~」
「何だよ」
「安心して、わたしまだ処女だから」
「なっ!?」
「キヨハルくんって奥手なんだ。だから結局、リンネにも、ニーナにも、ミニーにも、シャルルにも、スーリエにも、サザリネにも、ナナンにも、アクアにも、手を出さなかったんだよね」
知らない女の名前が大量に出てくる。っていうか、キヨハルのヤツ何人でパーティ組んでるんだよ。確かにこれだけ女を囲っていたら、マリー1人くらいいなくなっても気にならないだろう。マリーも見た目だけは美少女なのだが、勇者のパーティメンバーと言うと、どいつもこいつも美人ぞろいだと聞くからな。
マリーから、胸の大きなスーリエや、髪がツヤツヤのサザリエや、肌がスベスベのナナンや、瞳がつぶらなアクアとやらの話をげんなりと聞く。
まぁ、そんなハーレム染みた状況になっても手を出さないキヨハルはある意味凄いとも言える。ひょっとして男色家か? もっとも個人の趣味はそれぞれだからな。俺が文句を言う筋合いもないが……
「そんな訳だから、トールは気兼ねなく私に手を出してくれて――うげっ!?」
嬉しそうに寝転がるマリーを見るのが癪に障るんで、とりあえず頭を踏んづけた。
ちょっとだけ嬉しかったのは、俺の中だけの秘密だ。