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私がリンネにも会っておきたいと言ったとき、ニーナは何とも言えない表情で遠くを見た。その表情が引っかかってはいたんだけど、結局彼女は私にリンネの家の場所を教えてくれた。そのまま行くと会えないだろうからと、ニーナから一報入れてくれるらしい。


リンネの家は王都の外れに位置していた。今、結婚して彼女は教会から離れているらしく、だからこそ私は彼女に会いたかった。何しろ、その相手というのが、彼女の幼馴染だというのだ。


「どうやって許してもらったんだろ?」


その秘訣が知りたかった。幼馴染を放っといて他の男に浮気した駄目な女が、どうやって迎え入れてもらったんだろう?……これが本当に器とか度量とかの話だったら、どうしようもないんだけど。

私は期待半分、不安半分で、リンネの家を訪れる。

人通りの少ないところにポツンとあったその家は、魔王殺しの勇者パーティの一人が住んでるにしては地味な家だ。昨日、ニーナの栄達を見た後なので、余計にその印象が強かった。


「久しぶりですね、アクア」

「うん、久しぶりね、リンネ」


彼女に会うのは半年ぶりだ。久しぶりに出会ったリンネは綺麗になっていた。もともと小柄で可愛らしい女の子だったんだけど、結婚したからだろうか。今は以前にはなかった色気のようなものが漂っていた。長い黒髪はより艶やかに、黒い瞳には以前にはなかった影のようなものがあり、それがまた大人の色気のようなものを醸し出していた。


「結婚したんだって」

「ええ、4カ月前に」

「へぇ……」


ということは、キヨハル様が亡くなって2カ月後か……私たちはまだ喪に服してたかな。早い気もするけど、もともと知り合いだったことを考えたら、そういうのもありなのかな。


「幼馴染の男の子と結婚したんだよね?」

「ええ、そうよ。ニーナに聞いたの?」

「うん」

「そう……」


リンネは嫋やかに微笑む。その笑みもどこか寒気がするほど綺麗だった。

やっぱりどこか前の彼女と雰囲気が違う。そんな彼女の赤い唇が開き、艶のある声を奏でる。


「そういえば、ごめんなさいね」

「どうしたの?」

「キヨハルが死んだときのことですわ。私はあのとき教会から命を受けていて、みんなの所に戻れなかったから」

「?」


あれ? 何だろう。違和感を感じた。


「本当はミニーやシャルル達にも謝りたいんだけど」

「大丈夫よ。ニーナから聞いてたから」


リンネがキヨハル様が亡くなった前の日から教会に呼び出されていたことはニーナからも聞いている。訃報を聞いた当時の彼女は泣き崩れて大変だったらしい。


「それでアクアはどうしてこの国に? 貴女は特にこの国に縁はなかったと思うけど?」

「うん、別に用事とかそういうのがある訳じゃないんだ。本当は故郷に帰りたいんだけど、どうにも踏ん切りがつかなくて、キヨハル様が亡くなった街を訪れたら、何か区切りがつく気がして……恥ずかしい話なんだけどね」

「そんなことありませんわ。私もキヨハルが死んだときはしばらく引きずっていましたもの。でもね……そんな私をセッタが助けてくれたのよ」

「?」


あれ?

おかしい?

また違和感が?


「えっと……セッタって旦那さんのこと?」

「ええ、そうですわ。私の最愛の人よ」

「いいなぁ、そういうの」

「まぁ、ニーナみたいなことを言うのね。でもアクアにも幼馴染がいるのよね?」

「うん、まぁね……」

「だったら早く帰ってあげるといいわ。その人もきっと待ってくれているから」

「まだ待っててくれてるか分からないけどね……そもそもどんな顔して帰ったらいいのかも分からないし」


ニーナの後輩は2年近く放ったらかしにしたせいで結婚してしまった。私もそこまでじゃないけど、1年以上も音沙汰なし。しかもその間、他の男に浮気してしまっている。多分、幼馴染にもバレているだろう。そんな女を待っていてくれているのか、正直自信がない。


「大丈夫よ。きっと待っていてくれるから」

「そう、かなぁ……」

「ええ、きっと大丈夫よ」


確信を持ってリンネは言う。凄い自信だった。


「でも……私がキヨハル様に浮気したこと、アイツにもきっとバレている」

「そんなこと関係ないわ」

「そんなことあるよ……」


リンネと幼馴染の関係がどんなだったかは知らないが、私とアイツは恋人って言っても差し支えない関係だった。初めてキスしたのはアイツだし、故郷を出る時も「絶対に帰ってくるから、待っててね」って言って別れたのだ。その時も約束の証みたいにキスをした……………………どうしよう、客観的に見て私って、やっぱり完全にクズの尻軽女だ。

そんな過去を赤裸々に語るのだが、リンネはそれでも笑顔で首を横に振る。


「大丈夫よ。アクアの幼馴染は、そんなことでアクアを嫌いになったりはしないから」

「いいな……ハッキリ言い切れるんだ」

「ええ、もちろんよ、幼馴染ですもの」


ちっとも理由になっていない言葉を自信満々に言い放つ。

あれ? リンネってこんな勢い任せのことを言う娘だったかな? どちらかと言うと理屈っぽいイメージだったんだけど……


「ねぇ、アクア、貴女はすぐに故郷に帰るべきよ。待ってる人がいるんでしょ?」

「うん、帰りたいんだけど、問題は本当に待っててくれるかなんだよね」

「待ってるに決まってるわ。だって幼馴染なんですもの」

「え?……あ、うん。リンネの旦那さんはそうなんだろうけど……」


幼馴染だからって無条件に待ってくれていると考えるのはあまりに都合が良すぎる。


「アクアは解っていませんわね。幼馴染というのは絶対に切れない運命の赤い糸で結ばれているものなのですわ」

「あ、赤い糸??」

「そうですわ。私がキヨハルに捨てられて途方に暮れていたときに手を差し伸べてくれたのはセッタでしたわ」

「いや、キヨハル様は別に……」

「私は愚かにもセッタを裏切ってキヨハルの玩具に成り下がりました。にも関わらず、彼は優しく迎え入れてくれたのですわ。このような薄汚れてしまった女をです。解りますか、アクア?」

「え……えっと……」

「以前の私は本当に愚かでしたわ。あのような卑劣なゴミクズにセッタのための身体を触らせてしまったのですから。しかし私は穢れたこの身をセッタに捧げることで清められたのです。ですからアクア、貴女もすぐにそうするべきですわ。私達はあのくだらない男にかどわかされて堕落しました。しかし今に思えばそれさえも幼馴染の素晴らしさを再確認するための試練だったのです」

「ちょっ、ちょっと……リンネ……??」

「貴方の身体にもまだ、あのゴミに触れられた感触が残っているでしょう? 私にもまだ少しですが残っています。でも大丈夫ですわ。幼馴染に全てを捧げなさい、そうすればそれは少しずつ消えていきます。キヨハルのようなクズに、騙され、汚された罪深い肉体も、真実の愛の力があれば浄化されるのです。愛を全て受け入れるのです。彼から注がれる愛を全て受け入れれば、罪は(そそ)がれるのです。だからアクアも、幼馴染がいるのでしたら、その愛を受け入れなさい。そうすればキヨハルに穢された身体も魂も全て清めてもらえるのですわ」

「……………………」


黒い瞳に情熱の炎を(たぎ)らせ、リンネは熱っぽく語る。その眼差しは真剣そのもので嘘はない。嘘はないのだが……明らかに彼女は私のことなどこれっぽちも見ていないのだ。

まるで虚空に浮かぶ何かに祈るようにリンネは告げる。

ヤバい。

明らかに彼女は普通じゃない。彼女はもともと聖堂教会の敬虔な信徒だったのだが、今の目は完全に狂信者のそれだ。しかも彼女の信じているのは、もはや神様じゃない。

それは恐らく……


「あら? どうかしたの?」

「えっと……いや、ほら、ちょっと驚いてさ」

「驚いた?」

「ほら、あれよ……リンネって、以前はキヨハル様って呼んでたのに、呼び捨てになってるから、ちょっと驚いたの……」


本当はそれどころじゃないけど、何とか言葉を選んで返す。


「ああ、それね。私もキヨハルに騙されていた頃は、そう呼んでいましたわ。だけど今の私は真実の愛に目覚めましたの」

「し、真実の愛ね……」


素敵な言葉のはずなんだけど、今の彼女が口にすると途端にヤバい雰囲気が溢れ出す。そうして続けて出た言葉はやっぱり危険の色を秘めたものだった。


「そうね、告白しますわ。実は最初はセッタも凄く怒っていたの。最近は暴力を振るうことも少なくなってきたけど、キヨハルが死んだすぐの頃は頻繁に叩かれましたわ」

「叩かれ?え?」


漠然と優しい青年を思い浮かべていた私はその事実にぎょっとする。しかも最近は少ないって、今でも!?


「最初に叩かれた時は驚きましたわ。だってセッタのことは子どもの頃から知っているけど、彼が暴力を振るうところなんて、今まで見たことがなかったんですもの。でもそれは仕方ないことですわ。最初に裏切っておいて一方的に許してもらおうなんて、虫が良すぎるでしょ?」

「それはそうだけど……」

「それにね、セッタはとても優しいの。私を叩いた後も必ず泣きながら謝ってくれて、最後に私だけを愛してるって言ってくれるのよ。キヨハルはそんなこと言ってくれなかったでしょ?」

「まぁ、それは……」


キヨハル様は私達、恋人のことを平等に愛してくれたから、自分だけを愛しているとは言ってくれなかった。少なくとも私には言わなかった。それでもニーナとリンネには思い入れが強そうだったから、ひょっとしたらと思ってたけど、やっぱりそれもなかったらしい。


「真実の愛を知った私にはキヨハルがとてもくだらない人間に思えましたわ。あんな下劣な男に身体を許していたなんて、かつての私の目は節穴でしたわ」


それは心底の言葉なのか、リンネが本気で憤慨していることは見て取れた。

これはさすがに暴言だとは思ったけど、今のリンネに反論するのは危険なことのように思えた。それくらい今の彼女は普通とは言い難い。そしてひとしきりキヨハル様への暴言を言い尽くしたのか、リンネは我に返ったように私に向き直った。


「ああ、ごめんなさい、アクア。少し興奮してしまいましたわ」

「あ、うん……別にいいよ」

「でもキヨハルの愚かさを明確にすることで、セッタはとても喜ぶの。特に彼に愛されているときにキヨハルを罵倒すると、セッタはより深く私を愛してくれるのですわ。身体の中に愛を注がれる感覚……あぁ、アクアも早く愛を受け入れるべきですわ」


お腹の下にそっと手を当ててうっとりとした顔で言う。

端々に狂気を感じさせる言葉だからだろうか、彼女の顔はぞくぞくするほど美しい。それがまた私を困惑させる。

そうして下腹から手を離し、妙案を思いついたかのように言う。


「そうだわ、アクア。貴女には同じ幼馴染を持つ者として、特別に見せてあげるわ」

「え?」


何だろう?

はっきし言って、あんまり見たくない気がする。

だけどリンネの表情があまりに誇らしく嬉しそうなせいで、拒絶の言葉が出しにくい。だけど()()を見た瞬間、私は無理やりにでも止めさせれば良かったと後悔した。

死ぬほど後悔した。

彼女は薄く微笑みながら来ているシャツの(すそ)をたくし上げる。すると細い腰と綺麗なおへそが現れる。シミひとつない綺麗な白い肌だ。だが()()()()()()()を見て、私の表情は凍りついた。


「どう? 素敵でしょ?」

「あっ……あ?………………………う、うん」


たっぷりと間をおいて私は頷く。そこには何と言いったらいいのだろう。彼女の美しい肌。そのおへその下の部分には入れ墨か何かだろうか、文字が刻まれていた。内容はとても口には出せない。正視するのも恥ずかしい……そうだな、控えめに言って『愛の言葉』が綴られていた。

愛らしい唇からドロリとした笑みを(こぼ)してリンネは言う。


「アクアも故郷に帰ったら刻んでもらうといいわ。こうすることで自分が彼の所有物になったと実感出来るの」

「そ……そう」


もう言葉が出てこない。これ以上、ここにいたくない。

リンネももう出し尽くしただろうし、これ以上のものはさすがにないだろうし……と考えた私はとことん甘かった。本当の衝撃はここからだったのだ。


「じゃあ、私そろそろ――」

「そうだわ、アクア。セッタに会っていって、彼ってば人見知りであまり顔を見せたがらないの、せっかくお客様が来ているのに」

「え!?……い、今いるの??旦那さんが!?」

「もちろんですわ。私がセッタ以外の人と会うのに、セッタがいないはずありませんもの」

「え? どういうこと??」

「私がセッタ以外の人間に会うには彼の許可が必要なのですわ」


ん?……え?……何?

意味が分からないんだけど???


「いや、そんなの無理じゃない。いくら夫婦でもずっと一緒ってわけにもいかないし……」

「ああ、それなら簡単ですわ。私が家から出なければ良いだけの話なのですから」


は?

家から出ない?

家から出ないって言ったよね?


「えっと……家から出ない?」

「ええ、そうですわ。私はセッタの許可がなければ、家から出てはいけないの」

「そ……それって旦那さんに言われたの?」

「もちろんですわ。私は愚かにも一度セッタの前から2年近く姿を消してしまいましたわ。だからもう二度と彼の目の届かない所には行ってはいけないの。じゃないと、セッタが心配してしまうじゃない」


聞けば彼女はここ2カ月ほど外に出ていないらしい。買い物やら何やらの所要は全て旦那さんがやってくれているようだった。

そう言えば、と思い出す。ニーナはリンネに会う前に一報入れないと会えないと言っていた。恐らくリンネは自主的に外部からの接触を遮断しているのだろう。


「それじゃあ、私の主人を紹介するわね」

「あ、はい……」


もう主人という言葉が別の言葉にしか聞こえない。

紹介された彼女の旦那さんは人当たりの良さそうな青年で、最初に私が漠然と想像していた優しそうな幼馴染そのままだった。リンネの隣に並べば見るからに初々しい若夫婦といった様子だ。私にも丁寧にあいさつして接してくれている。とても奥さんに暴力を振るうような男性には見えない。

だけど私はすぐに理解した。


この人はキヨハル様のことを憎んでいる。

私やニーナのことを憎んでいる。

そして恐らくリンネのことさえも憎んでいる。

ただあまりにも彼女のことを愛しすぎたせいで、おかしくなってしまったんだろう。


顔は笑っているけど、瞳の奥にドロドロとした感情が(たた)えられていた。

お茶を出されたんだけど、味なんてしない。

セッタは……リンネの旦那さんはにこやかな笑顔を浮かべながら「リンネは駄目な女だから」と(おとし)める。何度も何度も貶める。

恐らくはもう何度も何度も繰り返されているのだろう。「リンネは僕がいないと駄目だからね」と彼が言うと、彼女は陶酔した表情で「私はセッタがいないと駄目なの」と追従する。


何度も何度も、何度も何度も……





リンネの家から出た私は重い足取りで宿へと向かっていた。


「あそこまでしないと許してもらえないのかな……」


脳裏に浮かぶのはリンネとセッタの姿だ。

一度裏切った女はあそこまでしないと許してもらえないんだろうか?

確かに悪いことをしたという気持ちはあるし、だからこそ私は故郷に帰るのを迷っている。償いたい気持ちももちろんあるのだけど、あそこまで全てを捨てて幼馴染のために尽くすことが出来るかとなると、ちょっと違う気もする。

ああ、でも……


「リンネ……すごく幸せそうだったし……」


そう。セッタに尽くす彼女は心の底から幸せそうだった。

明らかに何か間違っているとは思うのだけど、あそこまで幸せそうな顔を見せつけれると、ひょっとしたら、ああいうのもアリなのかもしれない……なんて馬鹿な考えが一瞬頭をもたげてしまう。


「もし、アイツがあんなになってたら、どうしよう……」


故郷に帰ればアイツがいるものだと漠然と考えていたけど、アイツが昔のままだとは限らないのだ。

もしもあんな風に病んで……ああ、いや、変わってしまっていたら、どうしよう。

ああ、でも……もしもあんな風になってしまっていたら責任とらないといけないかもしれないし……


「ああ、どうしよう……」


帰りたくなくなったし、帰らなければいけない気がしてきた。


「あぁ……明日が見えないよ」

「ん? どうしたの?」

「え?」


どこかで聞いたことがある声に振り替える。

するとそこには見覚えのある金髪の女の子。かつて短い間だけど一緒にパーティにいた仲間。

マリーの姿がそこにあった。



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