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「着いちゃった……」
馬車から降りた私は呆然と呟いた。
あの人が……キヨハル様が死んだって聞いたのは半年前の話だった。
最初、私はそれが何かの冗談だと思った。だってキヨハル様だ。死ぬはずがないもん。
でも一週間経っても、一カ月経っても、キヨハル様は帰ってこなかった。
セルグラッド王国にあるキヨハル様の屋敷で待っていた仲間たちも、時間が経つとともに一人減り、二人減り、最後に私とスーリエとナナンだけが残った。それが二カ月前のこと。
キヨハル様はセルグラッド王国から領地ももらってたんだけど、あの方が死んだとき領地を相続出来る人がいなかった。だってキヨハル様は誰とも結婚していない。私たちは結局のところ恋人に過ぎないのだ。
領地経営はスーリエとナナンが回してくれてたから問題なかったんだけど、彼女たちの立場はあくまで代官であり、領主の代理に過ぎない。スーリエもナナンも、王国から派遣された新しい領主に従うのが嫌だったんで屋敷を出て行ってしまった。
私は……本当は残っても良かったのだけど、スーリエとナナンと違って、実務なんて何もこなせない。何にも出来なくても下働きか何かで雇ってもらうことも出来たかもしれないけど、前領主の恋人が下働きなんて、周囲からどんな目で見られるか分からない。私はそういうのには、きっと耐えられない。だからそのまま屋敷を出た。
幸い私にはキヨハル様が生前に渡してくれていたお金と、魔王討伐の間に身に着けた高いレベルがある。だから冒険者の仕事をすれば、何とかなると思っていた。だけど一人でやってみて、それが甘い考えだったと痛感した。
キヨハル様のパーティで一番最後に仲間になった私は、経験が圧倒的に不足していたのだ。私が加入したときにはキヨハル様はもう圧倒的に強くて、お金も沢山持っていて、おおよそ旅で困るなんて事態はなかったからだ。
戦闘ではニーナや、リンネ、シャルル、サザリネがいれば十分だった。お金の管理はナナンが引き受けていて、外部との交渉はスーリエが担当していた。雑務はミニーが誰よりも効率よくこなしていた。
私はそういう出来上がっていたパーティの後ろにちょこんと乗っかって、楽しくやっていただけだったのだ。
ランクだけはA級なんだけど、実力に見合わないせいでクエストを受けることも出来ない。本当はもう冒険者なんて諦めて故郷に帰りたいけど、どの面を下げて帰ればいいのか分からない。一人では何も出来ない精霊使い。それが私、アクアという女なのだ。
「さぁ……これからどうしよ……」
今、私は迷っている。キヨハル様と一緒にいるときは良かった。魔王討伐という分かりやすい目標もあったし、その後もキヨハル様や皆についていくだけで楽しかったからだ。
だけどキヨハル様がいなくなって、屋敷もなくなって、みんなも去っていって、私は何をすればいいのか分からなくなった。
……いや、本当は解っている。結局、一人では何も出来ない私には実家に帰って家業を継ぐくらいしかやれることはないのだ。この街に来たのも、ここで何か見つかると思ったからじゃない。未練たらしくキヨハル様の幻影を追うことで不安を紛らわすためだ。
◇
私はまず、ニーナに会うことにした。キヨハル様が亡くなったことを伝えたのは彼女だった。あの時の私達は、彼女に何度も何度も状況を聞いたんだけど、ニーナの答えは「分からない」だった。ただ直前のキヨハル様の様子がおかしかったことは一緒にいたリンネも感じていたらしい。
彼女はもともとこの国の人間で最後に彼女は「魔王討伐の功績を認められて王宮勤めになった」って、言っていた。王宮に務めているような人間に、私みたいな小娘がふらっと会ってあえるのか、分からないが私はまず王宮の門の脇にある兵士の詰め所で問い合わせてみる。
正直、これで会えるなんて思ってなくて、ニーナの家だけでもわかったらラッキーのつもりだったんだけど、しばらく待つと兵士のおじさんの対応が急に丁寧になって、私は王宮の中にある一室へと通された。
案内された部屋は立派な執務室だった。革張りの椅子の前にはどっかりとした机が置かれていて、いかにも偉い人が使うような部屋だ。そこにいた赤毛の女騎士を見て私は緊張していた表情を綻ばせた。
「ニーナ久しぶり」
「ああ、久しぶりだね、アクア」
ニーナと会うのは半年ぶり。キヨハル様の死を告げられたとき以来のことだった。
「急にアクアの名を聞いてびっくりしたよ」
「私もまさかいきなり会えるなんて思っていなかったからびっくりしたわ」
「第七騎士団は名誉こそあれ、閑職だからね。有事の際以外は暇なのさ。まぁ、私は考えるのが苦手だから、言われた時にだけ剣を抜けばいい今の役職が逆に性に合っているけどね」
「騎士団長か……ニーナって出世したのね」
部屋をぐるりと見渡して言う。さっき案内してくれた兵士の人がニーナのことを団長なんて言ってたから、相応の地位にいることも何となく予想できた。だって言うのに、ニーナは苦笑するのだ。
「出世か……したんだろうな」
「違うの?」
「いや、違わない。私が下級貴族の出だと言ったのは覚えているか?本来、騎士団長という地位は私くらいの家の者にはつけない役職なんだ。」
「凄いじゃない」
「ああ、そうだな。我ながらよくやったと思うよ」
そう言って、また苦笑する。そんな彼女の姿に違和感を覚えた。
私の知っているニーナは猪突猛進で、どんなときでも迷わず突き進む。悪く言うと考え無しなんだけど、うじうじ悩んだりしない無頼漢で、一緒にパーティを組んでいたときの私は、そんな彼女の行動力を羨ましく思ったものだ。だって言うのに、今のニーナは当時はまず浮かべなかったであろう複雑な笑顔を浮かべているのだ。
「それにしては嬉しそうじゃないわね」
「そう見えるか?」
「うん」
「そうだな……」
そうしてやっぱりニーナは苦笑する。その後、思ってもいなかった言葉を口にした。
「そう見えるのは、きっと今の私がキヨハルと同じだからかもしれない」
「キヨハル様と?」
「ああ、そうだ。キヨハルの資産が国庫に返されたと言う話は聞いていた。それと同じさ。私が手にした地位や名誉。それが継がれることはないからだ。私の家は……私でもうおしまいなんだ」
家がおしまい??
「どういう意味?」
「簡単なことさ。この国の貴族の中で私と結婚して家を継ごうとか、興そうなんて考える者は一人もいないってことだ」
「それってニーナが結婚出来ないってこと?」
「ありていに言うとね」
「どうしてよ?」
私から見てもニーナは美人だ。本人は身長が高いことを気にしているけど、燃えるような情熱的な赤毛に抜群のプロポーションを持つ彼女の身体を、月並みな体型の私は常々羨ましく思っていた。やっぱり地位が高く、美人過ぎると、周囲の男性は腰が引けてしまうのだろうか?
それとも……
「キヨハル様のことが忘れられないの?」
あれだけ凄い男性を知ってしまったのだから、他の男なんて物足りなく感じてしまうのかもしれない。かく言う私も……だいぶ引きずっている。本当なら故郷に帰りたいのに帰れないのは、その辺りがとても大きい。
だと言うのに、ニーナはまるで予想外の質問を聞いたかのように目を丸くした。
「え? 違うの?」
「あ、いや……違わないことはない。確かにあんな経験をしてしまえば、キヨハル以外の男と付き合っても物足りなさを感じるだろうな。だけど貴族の家同士の結婚というのは、そういうものじゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ、互いに想い合っているなら、もちろんそれは素晴らしいことなんだが、それ以上に家を継いでいくというのが大切になってくるからね」
「家同士?」
「そうだ。貴族の家にはそれぞれ家風というものがあって、それが貴族たらしめている。私の家であるトラッド家なら、武門の家風というようにね。同じくらいの格の家の者同士が結婚して、その家風を受け継ぐ。そういうものなんだ。この辺りはスーリエなら解ってくれると思うんだけど」
確かに田舎の農家の子である私には家風とか言われてもピンとこない。そうなると、どうしてニーナが結婚出来ない話になるのだろう?
「この国の貴族は皆、私がキヨハルの情婦だったことを知っているからね。まともな神経なら私みたいな女を、結婚相手になんて選ばないよ」
え? 情婦?
「情婦って、私達はキヨハル様の恋人でしょ!」
「ああ、そうだ。キヨハルは死んだが、私は今でもそう思っている。だけどな、私達はもっとキヨハルと付き合うという意味を考えるべきだったんだ」
「意味?」
「そうさ。意味だ。まったくどうしてあの時は何も考えなかったんだらうな……何もかもが輝いていて、眩しくて、何よりも楽しすぎた。だからそれがどういう意味を持つかなんて、疑問にすら思わなかった」
「どういうこと?」
「簡単さ。キヨハルには何人の恋人がいた?」
キヨハル様の恋人、リンネに、ニーナ、ミニー、シャルル、スーリエ、サザリネ、ナナン、そして私。ひょっとしたら他にも関係のあった相手はいるかもしれないけど、明確に恋人だと言い張れるのは私達のパーティだけだ。
「7人よ」
「そうだな7人だ。だから7人も女を侍らせている男がどう見られているか、侍っている女がどう見られているか。それを考えるべきだったんだと……私は思う」
「キヨハル様のことを悪く言うの」
「勘違いするなよ。私は今でもキヨハルのことが好きだ。だけどもう少し考えるべきだったというだけの話だ。そうだな……キヨハルは勇者だ。特別な人間だ。だからそういうことをしても許される立場の男だったんだ。だけど私たちは普通の女だ。それが解っていなかった。キヨハルの周りにいることで、自分は特別な人間だと勘違いしてしまったんだ」
「そんなことは……」
ないとは言い切れない。何しろ私は自分が一人では何も出来ないということを、ここ最近で嫌というほど知らされたからだ。そんな私に気づいたニーナは「それに……」と前置きしてから、さらに私達にとって痛い言葉を言い放った。
「それにね、キヨハルが特別な男だと言ったけど、実は普通の男にも同じように振る舞えるやり方があったんだ」
「キヨハル様と同じって……そんなこと出来ないわよ」
「いいや。あったんだ。まぁ、かく言う私も他人に言われるまで思いつかなかったんだけどね」
ニーナは自虐的に笑う。ちょっと嫌な笑い方だ。そして出てきた答えも嫌なものだった。
「大金をばら撒いて娼婦にやらせるのさ」
「し、娼婦!?」
「そうだ。そして当時の私達は実際にそういうことを自分から望んでやっていた。普通の女なら、やらないようなことも含めてね」
「そ、それは……」
言葉が突き刺さる。私が呑気にこの国までやって来れたのも、キヨハル様からもらっていたお金があったからだ。そんな内心をニーナ自身も痛いほど解るのか「皆でするのは楽しかったからね」と自虐的に微笑む。その笑顔がまた痛い。
「だからね、私はもう、この国の男達からは、そういう風に見られているのさ。そのせいか一夜の相手にならよく誘われるよ」
「まさか……受けてないわよね?」
私の問いにニーナは答えず、苦笑するだけだ。
正直、これ以上は追及するのが怖かった。
それにしても、まさか自分がそんな目で見られているなんて考えたことがなかった。
「私達が魔王を倒したおかげで、みんな平和に暮らせるようになったっていうのに……」
「この国は魔王の被害が少ない国でね。生活にも余裕があるから、臣民も貴族も皆娯楽に飢えていた。だからキヨハルの活躍も醜聞も、新聞で面白おかしく書き立てられて、いい暇つぶしにされていたのさ」
「醜聞って、こんなに遠い国に何が伝わるっていうのよ?」
「だから醜聞さ。勇者パーティにまた新しい女が入ったとか、誰がキヨハルの心を射止めるかとかね。的ハズレの内容も多いが、時おり芯を食った記事があったんで驚いたよ」
どういうことが書かれていたのか私は聞き返せなかった。もしもそんな風聞が故郷にまで伝わっていたら、そう考えると気分が余計に重くなる。
「ニーナはキヨハル様の恋人だったことを後悔してるの?」
「まさか、そんなことはないよ。あの頃は本当に楽しかったしね。そもそも私がキヨハルについて行ったのはトラッド家の勇名を知らしめるためだ。そのおかげで私は今の地位を手に入れた訳だし、十分な報酬はもらっているよ。家のことだって、いざとなれば親戚から養子をもらうなりすれば、どうにかなることだしね」
笑って答えるが、その顔はとても満足している顔じゃない。
「噂なんて、そのうち消えるわよ」
それは自分に向けての言葉だったのかもしれない。けど、そうは思わずにはいられなかった。
「そうだな。でも私はパーティの中じゃあ最年長で、ただでさえ行き遅れだったからな。そのときには何歳になっているかな」
「えっと……今年で」
「26才だよ。貴族の家でこの年で嫁にも行かず、婿も取っていない女というのは、それだけで問題ありとみなされても仕方がないね。まぁ、アクアは私よりも9つも若いから、まだ気にしなくてもいい話さ」
「以前言ってた男の人は……ほら、ちょっと良い仲だったていう」
「ああ、ランスのことか。アイツなら他の女と結婚したよ」
「け、結婚!」
「ああ、別に男女の仲だったわけでもないし、将来を誓い合っていたわけでもない。2年以上も放っておけば結婚もするさ。アイツもいい年なわけだしね」
「そ、そうなんだ……」
どうしよう。胸がドキリとする。それと同時に不安になった。
「何だ? アクアは故郷に待たせている人でもいるのか?」
「そ、それは……」
「すまない、意地悪な質問だったな」
「ううん、いいの。私……幼馴染がいるの。村で同い年はその男の子だけで……」
「幼馴染か、憧れるな……ひょっとして結婚の約束でもしてたのか?」
「その……子どもの頃の約束だけど」
「それは帰りにくいな」
「うん……」
最初はキヨハル様に精霊使いの才能を見出されて、ちょっと学ぶだけでどんどん強くなっていって、都会での生活にも憧れて、それでちょっと冒険してくるくらいのつもりで、村を出てしまったんだ。もちろん最初は帰ってくるつもりだったけど、キヨハル様やみんなとの生活は楽しくて、1年以上、放ったらかしだ。その間にキヨハル様とは恋人同士になっちゃって、その……アイツの前じゃあ死んでもいえないようなことも沢山してしまったのだ。
ヤバい。改めて思い出したら、泣きたくなってきた。
「幼馴染が娼婦になって帰って来ても……許してくれるかな?」
「おいおい、娼婦は言葉のあやだ。別に私たちは娼婦をやっていた訳じゃない」
「でも、でも……」
そっちの方が質が悪い。だって娼婦は生活のためにお金をもらって、そういうことをするんだけど、私達は好き好んでやっていたのだ。
「まぁ、その辺りは幼馴染の度量とか器によるが……どうだろうな?」
「うぅ……」
何の慰めにもなっていない。
裏切ったのは私で、これで許してくれとか虫が良すぎる。
「あの時は私もアクアも、本当に何もかもが楽しすぎて……ああいうことがいつまでも続くものだと無条件に思い込んでいたからな」
「キヨハル様が急にいなくなるなんて思わないわよ」
「それはそうなんだが……アクア。あの子の……マリーのことは覚えているか?」
「マリー? もちろん覚えているわ」
それは私がキヨハル様のパーティに入ったのとほとんど同時期にパーティを抜けた女の子だった。底抜けに明るくて、私と同い年なのに子どもみたいに無邪気で、いつも笑顔の女の子だ。ちょっとお馬鹿な娘だなって印象だったんだけど、最後につき合いの短い私に「キヨハルくんのことお願いね」って頼んできて、後で聞いたらシャルルや、ミニーも聞いたって言っていた。だから馬鹿だけど悪い娘じゃないんだろうなって最後にちょっとだけ見直したんだけど、そのマリーがどうしたんだろう?
「あの子はね、パーティを抜けるときにこう言ったんだ『楽しくないからやめる』ってね。今に思えば、マリーが抜けた辺りかもしれないな。パーティの雰囲気が変わっていったのは」
「そうなの?」
「それまでもみんなとの旅は楽しかったんだが、それから何と言うか……パーティ全体が享楽的になっていったんだ。今だからこそだが、あの時のマリーの言葉をもっとよく考えれば良かった……そう思う時があるよ。まぁ、マリーの言葉に限らず、人生ってのはそういうものだけどね」
浮かべる笑顔はやっぱり彼女らしくない苦笑だ。
「まぁ、以前は『考えるのはナナンに任せる』なんて言ってた私が少しはものを考えるようになった。そういう意味ではキヨハルの死は私を成長させてくれたのかもしれないな」
そう言って、彼女はやっぱり苦笑した。




