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ゴブリン討伐のクエストはあっさりと終了した。結果だけ言うと、ゴブリンロードは魔王に進化していた。
だがそんなことはどうでもいい。
もうどうでもいい。
本当にどうでもいい。
王都に戻った後の、王様や、王女様や、ギルドマスターの労いや褒美でさえも、どうでもよかった。
ボクは焦りを隠し切れないまま宿に戻る。帰りの道中、明らかにリンネもニーナもボクの様子がおかしいことには気づいていたが、ボクにはその心遣いを受け止める余裕がなかった。だから正直、彼女たちが教会や実家から呼び出されていないことに、ほっとしていた。
ボクらはこの後、いくらでも王都に滞在出来るが、マリーとトールは明日にはもう次のクエストへと旅立ってしまうからだ。
別に今生の別れという訳ではない。会おうと思えばまた会える。だがボクには余裕がなかった。時間的な余裕じゃない。精神的な余裕だ。
あの時、マリーを仲間から外すべきじゃなかった。
正直な話、彼女がパーティを抜けるとき、それほど引き留めようとは思わなかった。いちおう「一緒に旅を続けよう」とは言ったけど、彼女の戦力としての価値はイマイチで、序盤の仲間が力不足になってパーティから抜けるなんてゲームじゃよくある話だったからだ。
だからそこまで考えていなかった。
だけど違った。
『勇者を導く加護』
彼女こそが必要だったのだ。
今のボクは迷っている。
ボクは最強無敵の勇者様だ。貴族の地位だってもっている。お金だって持っている。女の子にだってモテモテで、ボクがすることは何でも肯定してくれる。
だから迷っている。
何でも出来るから迷っている。
何でも出来るから、何をしていいのか分からない。
魔王を倒して、ボクは自分が何をすればいいのか分からなくなった。
息苦しいんだ。
だからボクは自分を導いてくれる何かを求めていた。
◇
「それにしても今回のクエストは得るものが多かったよ」
マリーが饗じてくれた場で、黄金色の液体が入ったグラスを燻らしてボクは言う。以前と同じお酒だけど味なんて分からない。量もいつもより多いかもしれない。
「別に……俺は得るものなんてなかったよ」
「わたしは楽しかったよ。久しぶりにキヨハルくんと一緒に戦えたし」
「そ、そう……なら、良かったよ」
「うん。トールもやっぱりキヨハルはスゴイヤツだって、あの後言ってたしね」
「おい!」
「もう、トールったら、素直じゃないんだから」
マリーはニコニコと笑う。トールも不愛想だが、ボクを部屋に迎えてくれる程度には、何だかんだ言って別れを惜しむ気持ちは多少あるのだろう。今日はラウンジではなく彼の部屋に酒と料理を運ばせて飲んでいるのだ。
ボクはマリーとトールが再会してからの話、S級冒険者に任命された時の話、一緒にクエストを受けてあちこちを一緒に旅をしていた話をする。逆にボクはマリーがいなくなってから魔王を倒したときまでの話をした。
敵の強さに関係なくても冒険譚ってのは楽しいもので、マリー達の話はそれになり面白かったし、ボクの話にマリーも身を乗り出して耳を傾けていた。トールも相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らしていたが、ボクの話自体は大人しく聞いてくれていた。
これならいけるかもしれない。
「ねぇ、マリー」
ボクは切り出した。
「また一緒に旅をしないかい?」
「ん? 何で?」
「何でって……楽しそうじゃないか」
「う~ん、そうかなぁ?」
彼女は腕を組んで考える。
ボクは心の中で神様に祈った。トラックで轢かれたボクを異世界につれて来た女神様だ。
「ねぇ、トール。どうする?」
「俺はいいよ」
「じゃあ、わたしもいいや」
マリーは即答した。
そしてさらに続ける。
「楽しくなさそうだもん」
それはかつてマリーがボクのもとを去る時に放った言葉と同じものだった。
そうだ。彼女はこういう女の子なんだ。
「そ、そうか……」
「ごめんね」
「いや……いいんだ」
失望を隠しきれているか自信がない。それを誤魔化すようにしてグラスの中身を呷る。普段は体内に入ったアルコールは解毒魔法で自動的に分解させるんだけど、今はその機能はOFFだ。じゃないと顔に出てしまいそうだから。
ボクはその後、これからフォーラ王国に行く話をしたりして、何とかその場を乗り切った。
そしてトールの前に置かれている空瓶の数が増え、同時に欠伸の数が増えたときだった。
「そろそろお開きだね」
「ああ、そうだな」
「ああ……そうだね」
ボクもかなり飲んでいる。だけど、まだこの場を離れたくなかった。
だが仕方ない。
そう思ったときだ。
「じゃあ、もう寝るわ」
そう言って、最初に立ち上がったのはトールだった。
「トール、片付けは?」
「明日、宿の人間に頼めばいいさ。いい宿なんだからさ」
「え~っ、手伝ってよ」
「もうフラフラで出来ないよ」
「も〜う、片付けしたくないだけでしょ〜」
マリーは不満顔だが、トールは気にした様子もなく千鳥足で出ていく。ボクはその光景を呆然と眺めていた。声が出たのはトールが部屋から出て、扉が閉まったときだった。
「ねぇ、マリー……ここはトールの部屋じゃないのかい?」
「ううん、ここ、わたしの部屋だよ。もう、わたしの部屋でお酒を飲みたいって言い出したんだけど、片付けるのが面倒くさかったんだね」
「ああ、うん……」
それもあるんだけど、ボクが驚いたのはそれよりも……
「ねぇ、マリー」
「ん? なに?」
「トールとは別の部屋なのかい?」
「うん」
「えっと……二人は恋人同士なんだよね?」
「うん、そうだよ♪」
確かにボクもみんなと別の部屋を取るときはあるけど、必ず仲間の内の誰かは同じ部屋に泊まる。だから完全にそういう発想がなくなってしまっていたのだ。そんなボクにマリーはさらにとんでもないことを口にする。
「トールってば、なかなか、わたしに手を出してくれないんだよね」
「え!? あの……それってその……マリーとトールはまだ清い関係だってことかい?」
「うん、そうなんだ。トールってば、こういう所が意気地なしだよね。わたしはいつでも大丈夫なのにさ」
マリーは不満そうに言う。
だけどボクの頭の中はそれどころじゃない。
マリーとトールが、まだそういう関係ではない。その事実を前にボクの中の悪魔が囁いた。
そうだ。
マリーがついて来てくれないなら、彼女をボクのものにしてしまおう。
音も気配も発せずに、ボクは彼女の隣に移動する。
「キヨハルくん?」
彼女は無防備にボクの接近を許す。
大丈夫、これまで何度もやって来た。彼女だって、あのままボクのもとにいれば、こういう関係になっていた筈なんだ。だから大した違いはない。
ボクはマリーの腰にそっと手を伸ばすと、そのまま優しく抱き寄せる。まつ毛の先までよく見える位置に彼女に顔を近づけた。
本当にまだ男を知らないのだろう。青い瞳はきょとんとしたままで、ボクのことを見つめている。
いつもトールのことを追っていたこの目を、ボクだけを見るように変えてやる。ボクの色に染めてやる。
彼女の息遣いを感じながら、その唇を奪ってやろうと、腰に回した手にもう少しだけ力を込める。
乱暴にしてはいけない。
最初の頃は加減が分からなくて、リンネやニーナに少しばかり痛い思いもさせたけど、ナナンやサザリネを相手にする頃にはもうすっかり上達していた。
そういう意味ではマリーは運がいい。
「キヨハルくん」
そんなボクに彼女はいつもの無垢な瞳のままで言った。
「駄目だよ。そういうことは本当に好きな人としないと」
「!」
それは当たり前の言葉だった。
いや、当たり前かどうかは個人の趣味や嗜好にもよるけど、世間一般では当たり前と呼ばれる言葉。実に陳腐で、含蓄もなく、特別でも、何でもないひと言。言っちゃ悪いが、彼女はあまり頭が良くないから、難しいことは言わない。それくらいありふれた言葉なのに、そのひと言はボクの胸をざわつかせる。
その後、マリーが「わたしはトールが好き」だとか「初めては好きな人と」なんて、やっぱりつまらない事を言うんだけど、ボクはもうその話をまともに聞いてはいなかった。
呆然自失
どれくらい時間が経ったのだろう。マリーに拒絶され、すごすごと引き下がったボクは自室に戻り、ベッドの上で天井を眺めていた。
どうしてマリーがボクの物にならなかったのか? そのことばかり考える。
彼女のつまらない言葉を聞くと、ボクの胸はざわつく。それがボクの手を止めてしまった。
ああ、クソ……何でこんなことに。
ガルネリアに召喚されてから、今まで何でも思い通りになっていたのに。どうして思い通りにならないんだ。マリーさえ手に入れば、この息苦しさから解放されるのに!
ああ、胸が苦しい。
この苦しみから解放されたい。そのためには――
再び悪魔がボクに囁く。
その考えはあまりに甘美なアイデアだった。
そうだ。
力づくで彼女を自分を物にしてしまおう。
さっきとは違う。彼女の意思なんて関係ない。ボクはレベル63の勇者で、魔王でさえもボクには敵わない。もちろんマリーが抵抗したって無駄だ。むしろそういうのは、今までやったことがないから、逆に楽しいかもしれない。トールのことが好きなんだったら、アイツの前で見せつけてやってもいい。
ヤバい。考えたら本当に楽しくなってきた。
頭の中が暗い悦びで満ちていく。
何でさっきはやらなかったんだ。悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
マリーが嫌がろうと、無理やり自分の物にする。
それだけでいいのだ。
そうすれば、この胸の痛みも――
あれ?
おかしいぞ?
胸が痛い??
それは先ほどまで感じていた胸のざわつきとは違う。明確な痛みだった。
しかもそれだけじゃない。眩暈と吐き気がして、酷く頭も痛む。
飲み過ぎたか?
そういえば途中から解毒魔法を使うのは止めていた。
しまったな。本当に動揺していたようだ。すぐに解毒しないと。
ボクは身体の魔力を循環させ解毒魔法を発動させる……おかしい? 頭痛が、吐き気が、眩暈が、胸の痛みがなくならない?
「やっと効いてきたか」
男の声がした。
口元をマスクで覆っているが、まだ幼さの残る若い男だ。
誰だ、コイツ? どこかで見た気がするけど思い出せない。
それにしても胸が痛い。息が苦しい。
「サンソ……異世界の勇者がもたらした勇者殺しの毒だ」
毒?
馬鹿な!?
ボクは勇者だ。毒なんて効かないはずだ。
動こうとするが、四肢には力が入らずビクビクと痙攣するだけだ。
「サンソは毒であって毒ではない。だから勇者の持つ自動回復スキルも反応しない。もちろん解毒魔法でも解毒は出来ない。水から毒を造るのだから、異世界の知識というのは本当に恐ろしいな」
水から造る?……サンソ?……さんそ……酸素か!?
そういえばこの部屋は風魔法で……まさか、最初から!??
「ボ、ボクは……世界を救った勇者……だぞ、こんな……ことをして……」
「まだ、喋れるか。大したものだな」
尊大だが、どこか無理をしているような言葉遣いだ。そんな男がボクに言い放った。
「安心しろ。お前が殺されるのは周辺諸国の合意の上だ」
「う……そだ……」
「本当だ。鑑定スキルを最大まで上げた者がお前のステータスを見たが、侵食率が80%を超えていた。お前はこのままだと魔王になる。だから殺されるんだ」
「し……?」
侵食率!?
何だ、その数値? そんな表記、ボクは知らないぞ。
その時、思い出す。マリーの加護に閲覧制限がかかっていた事をだ。
マスクデータ。
勇者の『解析』のエクストラスキルでも見れない数字がステータスには隠されている。
「それだけじゃない。お前が行った貿易ごっこは物流を乱し、市場をいたずらに混乱させた」
アイテムボックスを利用した、商売のことか。
「セルグラッド王国から貴族の位を与えられていながら、無造作に国境を行き来して傍若無人に振舞った」
ボクは冒険者だ。好きに冒険して、何が悪い。
「生命を操る魔法で命の尊厳を冒涜した」
可愛い女の子を助けて何が悪いんだ。
「お前が……お前がフォーラ王国の勇者のように、みんなを幸せにする勇者なら良かったんだ」
そんなこと知るか!
そいつだって鉄道を敷いたり、回復魔法を利用して植物の命を操っていたんだろ。
そいつとボクの何が違うって言うんだ!!
ああ、クソッ、頭に来た……だって言うのに、ちっとも頭が回らない。
「……ところで、どうして僕が懇切丁寧にお前にこんなことを教えてやっていると思う?」
「?」
「お前の脳味噌にたっぷりとサンソが回るのを待つためだ」
「???」
何を言っている? サンソ?? ああ、駄目だ、頭が回らない。
頭が朦朧として、胸の痛みも感じなくなってきている。
そうして男は懐からガラスの容器を取り出す。
あれは……注射器?
「これも昔の勇者が伝えてくれた、勇者殺しの方法だ。勇者は回復スキルは強力で、場合によっては首を跳ねても回復する。だからこれを使う」
注射器の中身は見たところ何も入っていない。空っぽだ。
「空気さえも毒になるのだから、異世界の知識は本当に恐ろしい」
そう言って針の先端をボクの腕に当てる。レベル63であろうと、防御を意識していなければ針の先くらいは簡単に刺さる。
「これは、怪我でも、毒でも、病気でもない。だから自動回復スキルも反応しない。魔法でも治らない」
血管の中に空気が注入されていった。
ああ、駄目だ。これはいけない。理屈はわからないが、これは危険だ。なのにもう動こうという意識が動かない。頭がちっとも働かない。
どうしてこんな事になった?
何がいけなかったんだ??
ボクは勇者なのに。
世界を救ったのに。
ああ、ちくしょう。
ちくしょう。
「リンネは、あんな子じゃなかったんだ。あんな淫蕩なことを口にする子じゃ……それをお前が……ちくしょう、ちくしょう」
リンネ?
何を言ってるんだ?
「絶対に帰ってくるって言ったのに……約束したのに……」
泣きながらマスクを外した男の顔はやっぱりどこかで見た気がするんだけど、ちっとも思い出すことが出来なかった。
「死にやがれ!」
ゆっくりと殺意を込めて、最後の一押しが注射器に込められる。
だけどもう何も考えられなくなった脳味噌は恐怖すら感じない。
そのうち意識が完全に遠のいて
ボクは死んだ。
女神様にはもう二度と会えなかった。
Side-キヨハル/了