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幼馴染のマリーはいつもと同じ笑顔でボクに言った。
「えへへ、トールはやっぱり優しいね」
村から出て、いつもの原っぱを超えて、森の奥にへとボクらは向かう。昼間ならともかく夜だと大変だ。片方の手で蝋燭を持って、もう片方の手でマリーの手を引いて進む。彼女は残った手で道なりに小石を置いていく。白い小石は月と星の光を反射して、帰るときの道しるべになるんだ。
鉱山跡の洞窟の中を抜けると星空が広がっている。帰ったら両親に怒られるかもしれない。そんな星空の下で少女は言った。金の髪と青い瞳はそんな星空よりも綺麗で、ボクの目はそれに釘付けになる。
「ねぇ、トール」
「なに?」
「聖リンドムールの日にね、お星さまの下で好きなひと同士が約束したら、ずっと幸せでいられるんだよ」
「そうなの?」
「うん、ママに聞いたの」
「じゃあ、約束しよう」
「うん、ずっとトールと一緒にいられますように」
「マリーと一緒にいられますように」
目を閉じて空で一番強く輝くお星さまに願いをかける。
マリーは幼馴染で、村で一番可愛い女の子だ。恥ずかしくって言えないけど、大きくなったらお嫁さんにしたいって思ってる。だからボクは一生懸命お星さまにお願いする。
そのときだ。
鼻先に温かいものが迫り、唇に柔らかいものが触れる。
「え?」
慌てて目を開けると、そこには悪戯っ子な笑顔を浮かべるマリーの姿があった。
「いひひ~、わたしたちずっと一緒だよ」
「う、うん……」
ボクはドギマギしながらマリーの笑顔に答える。
ボクらを祝福するように流れ星が流れた。
その日、ボクは初めての口づけをしたのだ。
そして10年後。
剣を振るう俺の隣に彼女の姿はなかった。
◇
剣を振るう。
ここ2年ほど使い続けた鋼の剣は研ぎを頼み続けた所為か最近少しちびてきている。だがその分、切れ味の方はそれなりのもので、横薙ぎの斬撃とともに魔物の首を跳ね飛ばした。
人間の腰ほどの身長に、伸びた鉤鼻、皺だらけの顔、緑色の肌の魔物はゴブリンだ。畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、とにかくウザい。
一対一なら大人なら十分に対処出来る。一対二でも武器を持てば何とかなる。一対三ならば少々厳しい。そんな魔物だ。問題はゴブリンは繁殖力が旺盛で、ちょっと放っておくと山の奥で集落を作ってしまう。そして数が十分に揃うと人間も襲い出す。しかもそのときには大抵ゴブリンシャーマンやゴブリンソーサラー、ホブゴブリンみたいな上位種が発生しているから、さらにウザい。もしもゴブリンロードなんかが発生したらもう災害級のウザさだ。
俺は切り捨てては湧いてくるゴブリンに辟易しながら10匹目になるゴブリンの首を跳ね飛ばす。
大した数の群れじゃないが、田舎の村からすれば十分な脅威だ。俺は雑な動作で剣を横に振る。すると最後になる13匹目のゴブリンの首が飛んで行った。
まさしく一刀両断。
だがこれは別に俺の剣技が特別優れているからじゃない。この世界には強さは様々な基準がある。大まかにはレベルで、細かく言えばステータス値で、特殊な技術ならばスキルで、そして生まれついての特性ならば加護だ。
レベルは戦って経験を積まなければ上がらず、ステータスも同様だ。スキルは少し違っていて基本的には使えば使うほど精度が上昇していく。これらは冒険者ギルドが発行するステータスカードで確認することが出来る。
そして加護。
神から与えられるというこいつはレベルやステータス値、スキルと違い少し特殊だ。こいつはステータスカードでも確認出来ない。レベルやステータス値のように成長したりすることもなく、スキルのように数が増えたりすることもない。そして加護は生まれついて誰でも必ず一つは持っていると言われている。何故、言われている、という表現なのかと言えば、多くの人間は自分の加護を知らないまま人生を終えるものが多いからだ。それを知るには『他人の加護を見抜く加護』を持つ人間に見てもらうか、鑑定のスキルを限界まで上げた人間に鑑定してもらう必要がある。そしてそんな能力を持っている者は本当に稀だ。
さらに加えるならこの加護。必ずしも有用なものとは限らず、中には『ジャガイモの皮を綺麗に剥く加護』『洗濯物を綺麗に畳む加護』なんてものもあるらしい。これが料理人が『ジャガイモの皮を綺麗に剥く加護』を持っていればまだ救いがあるのだが、俺の聞いた話ではこの加護を持っていたのは歴戦の戦士だったらしい。
そんなこんなでイマイチ役に立つのか立たないのか微妙な加護であるが、幸運なことに俺の加護はゴブリンを倒すことに向いている。だからこんな練度の低い一撃でもあっさりとゴブリンをぶち倒すことが出来るのだ。
◇
「おう、トール。もう仕事終わらせたんだな」
ここは始まりの街ハマジリ。
受注したクエストの完了報告をしにギルドに戻ると、併設された酒場で飲んだくれていた同僚のマークが声をかけてきた。こいつは俺と同じD級冒険者で、この街に来たときに一番最初に知り合った男の一人だ。年は俺の10歳上で万年D級冒険者。もっともこの街のギルドの半分はD級、1割はF級で、3割はE級、つまりはごく一般的な冒険者ということだ。
「いつものゴブリン退治だったしな」
「さすがはゴブ専だな」
「まぁな」
俺は空いている向かいの椅子にドッカリと腰を下ろす。マークが手を上げると置くの方からジョッキに入ったビールが運ばれてきた。こいつは奢りで、マークは年下の冒険者によくこうしてビールを一杯だけ奢っている。そいつをありがたく頂戴して喉に一気に流し込むと、仕事終わりの身体に冷えたビールが染み込んでいく。
うん、旨い。
この街にやって来てから覚えた酒の味だが、今ではすっかり気に入っている。特にマークから奢ってもらうタダ酒の味は格別だ。
俺はアルコール混じりの息を吐き出してギルドのカウンターを見ると、受付にはクエストの報告待ちで列が出来ていた。それを見てマークは呑気に言う。
「それにしても魔王が討伐されたっていうのに、俺たちの生活には何の変化もないな」
「そりゃ、そうだろ。魔王軍の侵攻とか行っても、実際に魔王軍が襲ってたのは王都とか、南の国とかだろ」
心の中ですっかり消えたはずだった怒りが燻りだす。それを押し隠しながら更に続ける。
「俺たちの生活にはもともと縁遠い話だったしな。だけど最近は強い魔物は出なくなったよな。まぁ、ゴブ専の俺には関係ない話だけどな」
実際には徴兵で人が取られたり、徴発で食料が減ったりと、それなりに大変なことはあったし、討伐軍に参加して戻ってこなかった冒険者もいたのだが、田舎町ではそこまで大きな目立った被害は見られなかった。
それでも最近、オーガだとか、オークだとか、手強い魔物の討伐クエストが減っている気はする。出てくるのはもっばらゴブリンとかコボルトと言った小物ばかりだ。いや、相対的に多く見えるだけでクエストの数だけでみればコボルトも減っているらしい。出てくるのはゴブリンばかりだ。
「お前にも影響はあると思うぞ。このまま行くと、今まではゴブリンなんて安い魔物の相手をしなかった連中が全員ゴブ専になるかもしれないんだから」
「ああ、そういう考えもあるか」
供給過多ということか。
現在の俺のレベルは23。この年にしてはかなり高い。それもこれも加護をフル活用し、寝る間も惜しんでゴブリンを狩り続けたおかげだ。そのおかげか貯金もずいぶん出来た。
そうだな。そろそろ新しい剣を買ってもいいかもしれない。ゴブリンさえ相手なら無敵の俺だが、それ以外の魔物が相手だとやっぱり苦戦する。こういう「最近、ゴブリンしか見ないよね」なんて会話の後にこそ、オーガに出くわしたりするのだ。
「そうなるとこの街もどうなるか分かんねぇな。まったく勇者も余計なことをしてくれたもんだ」
「そりゃ、勇者なんて碌なものじゃないさ」
そう、勇者なんて碌なものじゃない。魔王なんていてもいなくても生活に影響はない。少なくとも俺は大嫌いだ。
「まぁ、トールはもうすぐ王都に行くから関係ないんだろうけどよ……えっと、いつ出るんだ?」
「2カ月以内に来いって話だから、もうすぐさ。その前に故郷に寄る予定だけどさ」
「そうか、もうすぐだな」
感慨深そうにマークは言う。この街、ハマジリは始まりの街というだけあり初心者冒険者の登竜門とも言われている。周辺に出没する魔物もゴブリンやコボルトといった弱い魔物が中心だ。冒険者家業は危険が伴うので、ここで力及ばず諦める者も多い。そして現状で満足している者はこの街に残り、更なる高みを目指す者はもっと大きな街のギルドを目指す。
「手が足りなかったら言ってくれ。ただで手伝うよ。これまで奢ってもらったビール代を返さないとな」
「そうかい。ならひとつお願いしようか」
マークは笑って応える。その後、クエストをひとつ手伝う約束をして、俺は受付に並んだ。
それからの時間は瞬く間に過ぎていった。新しい剣を買って、マークと組んだ久々のオーク討伐のクエストはけっこう手こずって、クエストの成功と俺の送別会を兼ねた宴会は大いに盛り上がって、故郷への土産を買って、ギルドに挨拶して、そうして俺は帰郷する。
2年ぶりの故郷。
出た時は二人だった。だが今は一人だ。
俺の生まれた村はハマジリからは歩いて1週間かかる田舎の村で、時おりゴブリンが現れるくらい何の事件も起こらない、これといった特産品もない小さな村だ。しいて言うなら星だけは綺麗だろうか。
そんなことを考えながら俺は帰途に着く。
日は既に暮れ始めていて辺りは薄暗い。村長や兄貴たちに挨拶するのは明日でも良いだろう。
両親は3年前に死んでいるので家には誰もいない。兄弟はいるが、親の死去とともに別の家を建て移り住んだり、俺と同じように村を出ている。
放ったらかしの家はさぞかし傷んでいるだろうけど、滞在するのは3〜4日のつもりなので、雨さえ降らなければ大丈夫だろう。
見えてきた久々の実家は思っていたより形を保っていて、少しほっとする。懐かしさと寂しさ、そしてほんの少しの悔しさを感じながら、俺はドアを開ける。
そしてそこに
「お前、俺のうちで何してんの?」
土下座をした金髪の美少女がいた。
土下座をしていて顔は見えないが美少女なのは間違いない。
俺が問いかけると彼女は顔を上げる。やっぱり金髪碧眼のとびっきりの美少女だ。
そんな顔だけが取り柄の美少女が言う。
「今晩だけでいいので泊めて下さっ――うげっ!?」
だからとりあえず頭を踏んづけた。