桐里夏芽 その3
ーーーPiーーーーーーーーーーーー・・・・・・
「・・・・・っつ、なっつ!」
ーーーむぅ。だれ?
「なっつ!やばいって!」
ーーーなにが?
今何時だっけ。何日?
首が痛い。今、何してて・・・ーーー
ーーーPiーーーーーーーーーーーー・・・・・・
アラームうるさい。て、うちの目覚ましじゃないな。どこのだろ?でも、めちゃくちゃ聞き覚えがあるような。
「起きなって!あー・・・。きた」
隣から聞こえるのは、聞き慣れたくりこさんの声だ。
「桐里さん!!!」
「は、はいいいいいいっ!?」
聞き慣れたかん高い怒声に、思わず直立しながら返事をする。
周囲からクスクスと笑う声が、エラー音に紛れるようにして、聞こえてきた。周囲をそっと見回すと、みんな自分達の仕事をしながら、時々こちらをチラ見してくる。
その瞬間、ここが会社のオフィスで、今が勤務時間で、仕事の最中だった事に気がついた。いや、思い出した。
ーーーって、まさか私、寝てた?
マジで?いやいや、ないっしょ。誰か、嘘だと言って欲しい。
仕事中に寝るとか、あり得ないし。
そりゃ、昨日は色々あって一睡もしていなかったけど。
けど、居眠りなんて、社会人になってから今まで一度もない。
でも、状況的に考えるとーーー。
斜め後方にそっと視線をずらす。
怒声はお局様こと西山主任だった。腰に手を当てて、にこやかな表情でこめかみに青筋を立てているお局様がいる。目がコワイ。
「まずはエラーを止めなさい」
「は、はいっ!」
慌てて座り直し、パソコンに向き直る。キーボードに手を置いたはいいが、どこが原因でエラーが発生しているのか、さっぱり分からない。エラー音が鳴りっぱなしで焦るし、どうしていいか解らなくて、横で睨み降ろしてくるお局様を、横目でチラリと見上げた。
「あのぉ・・・」
言外に助けを求めてみる。
お局様が笑顔を消して、大きく溜め息をついた。この瞬間も、エラーの音が大きく鳴り響き続けている。
お局様が、手でちょいちょいっと、『どけ』とジェスチャーした。すかさずワークチェアごと横にずれる。半身でずいっと身を乗り出してきたお局様が、カチャカチャとキーボードを打ち、エンターを5回ほど叩いたところでエラー音が掻き消える。その間、僅か30秒。
・・・さすがだ。
お局様が身体を起こし、再び腰に手を当てる。『怒ってます』の意思表示に、私は身を固くした。
「桐里さん。あなたの生活態度や体調管理に口出しする気は毛頭ないけど」
出してんじゃん。
頭に浮かんだ突っ込みは、心の中に留める。
「今が何の時間か、分かるわよね?」
「・・・仕事中、です」
できるだけ素直に、簡潔に返答する。潔さに免じて、お局様の表情が若干和らいだ。
「だったら、居眠りしてエラー音を鳴らしっぱなしにすることが迷惑に繋がることも、分かるわよね」
「はい。すみませんでした」
大人しく謝る。ここで言い訳をすると、お局様の機嫌を損ねかねない。
お局様はもう一度溜め息を吐き出した。腰から手を下ろす。
「今日の昼、12時に面談を行いますから。そのつもりで」
「う、えええええ?」
「何よ、その返事は。昨日もだけど、態度悪いわよ」
「あの、お昼ご飯・・・」
「終わったら食べられるから。私も一緒だから」
「うええええ」
「返事は・・・」
「はぁい」
「伸ばさないの」
「ぅあい」
お局様はまだ何か言いたそうにしながら、諦めて溜め息をついた。
しかし、昨日に続いてランチ抜きって、どんなイヂメーーーいやいや、悪いのは私か。そんなつもりはなかったけど、居眠りしてたっぽいし。
ああ・・・やらかした。
「桐里さん」
「はい?」
まだ何かあるんだろうか?
お局様が、私の顔をじっと見て、呆れたような顔をする。・・・何ですか、その残念な物を見るような目は。
「あなた、一応女の子でしょう?大口開けて、イビキかいているのは、どうかと思うわ」
「ーーーっ!?」
慌てて隣のくりこさんを振り返る。無言で是正を問うと、彼女は無言で深く頷いた。肯定だ。
何それ、はずいっ。
「それと、顔、洗ってらっしゃい。よだれ、ついてるわよ」
「ーーーっ!!?」
口許に手を当てる。乾きかけた水気を確認して、私の顔はかっと熱くなった。
超はずっ!
私は急いで立ち上がると、「いってきます!」と叫んで、トイレに走ったのだった。
お局様の面談が、またしても長引いて、またしてもお昼ご飯を食べ損なった、午後1時30分過ぎ。
「桐里さん、コレ今日中だから」
コピー機を回している私の所へお局様が持ってきたのは、昨日纏めたコンペの資料の、仮予算書だった。但し、大量の赤が入っている。直して提出しろ、と言うことらしい。
「私が、ですか?」
「そうよ。別に意地悪じゃないから。昨日あなたが纏めた資料の中で、訂正が入った部分だから。頼んだわよ」
やる、なんて言っていない。
だが、やるしかない。
くそう。
仕方なく、仮予算書の赤を眺めていたら、後ろから声を掛けられた。
「大変だね。なつめちゃん」
声の主は元山くんだ。すぐに分かる。うちの部署で馴れ馴れしくちゃん付け呼びしてくるのは、彼だけだ。
ウザいの来たなーと思っていたら、彼はすぐに席に向かわず、私の隣に立ち止まった。
「コピー機待ち?」
「やだなあ。コミュニケーションを取りに来たんだよ」
「それ、要らない。早くお帰り」
しっしっと、手で払う。
大卒で一応同期の元山くんは、爽やかイケメンで、女子に人気が高い。顔が良くて、背が高く、痩せ型で、いつもにこにこしている。仕事もそつなくこなす、将来有望株だ。そんなだから、人気があるのも頷ける。ただ、理解はできるが、私の趣味でない。それに、元山くんが私に構うと、他の女の子が睨んでくるのだ。そっちの方がメンドクサイ。
「労いに来たのにー」
「じゃあ、代わってくれる?」
「それは西山さんに怒られるからダメ」
「役に立たないな」
舌打ちすると、気分を悪くするどころか、笑い出す元山くん。笑いのツボが解らない。
手前の機械から電子音がして、コピーが終了した。
私は手早く印刷した用紙を回収すると、自分のデスクに向かう。
「なつめちゃん、忘れ物」
元山くんに呼び止められて、軽く振り返るのと、コピー用紙の束の上に原紙が乗せられるのとは同時だった。さらにその上に、小さなチョコレート菓子が乗る。
「コレ、あげる」
「・・・ありがと」
実に爽やかに、彼はおやつを貢いでくれたのだった。
***********************
午後9時ーーー。
オフィスフロアには、私以外誰もいない。みんな定時で帰ってしまった。私は残業だ。
自分の分の日課と、娘さんの入院で有給休暇を取っている新田さんの分の日課。そして、月末の仕様書。さらに、お局様が持ってきた、コンペ資料の仮予算書の直し作業。結局終わらなくて、残業するはめになってしまったのだがーーー。
「お腹空いたよーーーぉ」
腹の虫が自己主張する。
それもそのはず。今日の社食のエビチリ定食を食べ損ない、代わりに食べたのは、元山くんが貢いでくれたチョコ1個だけ。お腹も空こうというものだ。
「早く帰りたーい」
ぼやいていても終わらないので、手だけは休めないようにしているが、もう限界だ。
それにーーー。
ライムが気になる。
あの子、大丈夫かな。一人で、何してるかな。
家を出てくる時には、部屋から出ないように言っておいたけどーーーお腹空かせてないかな。・・・勝手に家具食べてたりして。
ーーー笑えない。と言うか、あり得る。
「っしゃーーーーーーっ!!おわったぁーーーー!!」
漸く作業を終わらせて、パソコンの電源を落とした。
施錠を確認して、フロアをダッシュで後にする。守衛さんに挨拶をして、急いで帰った。
昨夜は、ライムがゴミ袋に取り付いている間にシャワーを浴びて、出てきたら《補食》と《解析》が丁度終わった所だった。
『《解析》けっか、はっぴょうなのー』
ライムにお願いして、解析結果を聞いてみた。本当はもっと細かかったのだが、大雑把にくくると、こんな感じだった。
プラスチック、63%。
植物、14%。
樹脂、8%。
加工肉、5%
水分、3%。
生物、7%。
・・・生物、いたんだ。
『むし、おいしかったー』
ライムが嬉しそうにのたまう。
うん、良かったね。ご主人様は、複雑なんだけどね?
スライムには、やはり味覚はないらしい。なので、食べて『つよくなる』物を、便宜上『おいしい』と表現する事に、2人で決めた。
私が食べさせたゴミ袋の中には、虫が沸いていたようだ。良かった。あのまま3日も置いておいたら、どうなっていたことか・・・!
そして、ゴミ袋を《補食》したことで、ライムのレベルが上がったらしい。
Lv.1から、Lv.2になったとの事。驚きである。
その後も、ライムがあちこちから『おいしい』物を探してきて、付き合っている内に朝になった。
『おいしい』物の内訳としては、普段は気付かないベッドのシーツのダニとか。なんと、ダニと一緒に埃も《補食》してくれた。ベッドをスライムが覆い尽くした時には、うわぁとか思ったが、後で触ってみても、何ともなっていなくて、普通にサラサラしていたのには、驚いた。
それから、窓のサッシの黒い汚れ。カビが混ざっていたらしく、意外と『おいしい』らしかった。
台所の排水口に嵌まり込もうとした時には、流石にぎょっとした。
他にもあったが、そんなこんなで朝になり、出社する時間になった。ライムも沢山《補食》して、沢山《解析》したせいで疲れたらしく。
『ぼく、もうねるー』
と言って動かなくなったので、部屋から出ないようにだけ言って、出てきたのである。
早く帰るつもりだったのに、こんなに遅くなってしまった。
ライム、寂しくなってないかな?
漸くマンションに辿り着く。
焦りながら鍵を開けーーー。
「ライム!ただいま!!」
扉を引き開けると同時に、ライムを探す。
「ライム?」
玄関を閉めて、鍵を掛ける。独り暮らし歴半年で身に付けたスキルのひとつだ。
それはともかくーーー。
ライムが返事をしない。
「ライムー。ライム?」
待てども呼べども、出てこない。返事もない。
部屋から出ちゃダメって言ったけど、ライムは眠ってしまって聞こえなかったかも知れない。
外へ行った?
私を探しに行った・・・とか?
ーーーどうしよう。
「ライム!」
『ごしゅじんさまー』
漸くのんきな声が聞こえて、と同時に上からライムが降ってきた。床の上にポヨンと着地する。
「ライム!どこ行って・・・ひぃいいいっ!?」
思わず悲鳴をあげる。
ライムのお腹の中には、『G』がびっしり収まっていた。そう、本当に、びっしりと。
思わず後退る私を、ライムがきょとんと見上げる。
『ごしゅじんさま?どうしたの?』
「う・・・っ、いやっ、その・・・っ」
『?』
私が固まったままでいると、ライムがポヨンと1歩分寄ってきて、私はさらに固まる。ど、どうしよう。逃げたい・・・。
『《補食》!』
唐突に、ライムが叫んだ。
すると、ライムの身体が発光して、身体の中に入っていた『G』が一瞬にして消える。
そして、またライムの身体が光った。
『れべる、あがったー』
嬉しそうなライムを、じっと見つめーーー私はその場にペッタリと座り込んでしまった。
「ライムぅー」
『ごしゅじんさま、どうしたの?』
ライムの身体が、不安そうに揺れる。
「ライムの返事がなかったから、心配して・・・。お腹の中のアレにも、ビックリした」
ライムはまだきょとんとしている。
そんなライムを見て、私は苦笑した。元気なら、それでいいか。
私はそっと手を伸ばして、ちょっと躊躇した。じっとライムのお腹を見るけど、アレはすでに影も形も見当たらない。大丈夫、大丈夫。
プルンとした身体を撫でる。
ライムがくすぐったそうに、身をよじった。
あー、可愛いなあ。癒されるわー。
「ライムはずっと虫を《補食》してたの?」
『してたのー。いっぱいたべたー』
「それってどのくらい?」
『えっとー、』
「タンマ!!やっぱり、言わなくていい!!」
ライムが正確な数を読み上げる前に、止めさせた。リアルな数字は聞きたくない。代わりに、別の形に質問を変える。
「まだいるの?」
『いるー。いっぱい!』
「・・・そっか、いっぱいか。」
ちょっとへこむ。そんなにアレが棲んでいるなんて。そこまでダメな汚し方はしてないつもりだったんだけどな。
『ごしゅじんさま。むし、もっとたべていい?』
ライムが身体を揺すりながら尋ねてきた。・・・てか、何故今さら尋ねるか。もうすでに、ガッツリ《補食》しに行っているというのに。
「別にいいよー。こうなったら、とことん食っておいで。あいつら、根絶やしにしていいから」
『やったー。あいあいさー』
可愛らしく跳び跳ねながらの返事。は良いのだが、それ、どこで覚えたんだ、ライムよ。
・・・まあ、いいか。可愛いし。
『じゃあ、さっそく』
「明日から、ね」
飛び出して行こうとするライムを、私はガッシリと捕まえた。
「今日は私に付き合いなさい!まずはお風呂行こう」
『えー?』
「おっと、はじめて反抗したね?ダメだよ。もう決めたから」
ライムを抱えて、お風呂場へと向かう。
給湯器を確認して、シャワーのコックを捻る。暫くすると、水がお湯に変わって、蒸気が立ち込めた。
「さあ、ライム。洗ってあげるよー」
薄緑色のスライムボディに、シャワーのお湯を当てた。
シャワーの温度は42度で設定してある。熱いお湯にざっと当たるのが、私の好みだ。
石鹸をつけたスポンジを泡を立てて、振り返る。
「う・・・っ」
スライムボディを軽く擦ろうと思っていた私は、次の瞬間に驚いて固まり、次の瞬間に悲鳴を上げ、さらに次の瞬間に、慌ててライムからシャワーを遠ざけた。
「ギャーーーっ!?ライムが溶けてるーーーっ!!」
『・・・あついー・・・』
お湯を当てたライムの身体が、デローーーンと溶けていた。
どうやら熱には弱いらしく、デロデロと液状化が進んでいる。
「だ、大丈夫!?そうだ!!」
私はシャワーを水に切り替え、ライムに掛けた。ライムの身体が、徐々に元の水滴型に戻っていく。
「へくちっ」
くしゃみが出て、私は鼻水をすすった。手で裸の二の腕をさする。流石に10月も終わりのこの時期に、水のシャワーは冷たすぎだ。でも、ライムを元の状態に戻すまでは頑張らないと。
暫くすると、漸くライムの身体が水滴型を取り戻して、
『ごしゅじんさま、もどったー』
と、元気にぽよぽよ跳ねた。
良かった。うっかり流されたらどうしようと思った。
「もう!熱いのダメならダメって言っておいてよ」
文句を言うと、ライムは眉を下げ(たように見えた)、小さく震えた。
『ごめんなさい。ぼく、しらなかったー』
「え、そうなの?」
『なのー』
シャワーを止め、プルプルしているライムに手を伸ばす。ゼリーみたいにつるんぷるんとしたライムの身体は、すっかり冷たくなっていた。夏場には重宝するだろうが、今は冬直前で、しかも裸で水浴びした所だ。すんごく寒い。
「まあ、いいか。とにかく、ライムは先に出ていて。タオルタオル・・・」
私がタオルを掴むより早く、ライムがポヨンと跳ねた。
『だいじょうぶー』
空中でくるんと回転し、ピカッと光るライム。ポヨヨンと着地すると同時に、ライムは振り向いた。
『《補食》したー。もうぬれてないー』
ようく見てみたが、確かに濡れてはいないようだった。身体の表面についていた水滴を《補食》したらしい。よくよく考えると、《補食》ってすごく便利な能力なんじゃあ・・・?
「へくちっ!!」
くしゃみが出た。寒さに震えながら、鼻水をすする。
『ごしゅじんさま、ぬれたー』
「え?あ、ごめん!」
唾が飛んだらしい。私が謝ると、ライムはもう一度《補食》してくれたのだった。
改めてシャワーを浴び直し、風呂場を後にする。ていうか、ライムの《補食》、いいなあ。髪もドライヤーなしで乾かせるんじゃないか?身体もタオルで拭かなくてもいいし、そもそも身体の表面の汚れや老廃物なんかを《補食》してしまえば、シャワーを浴びる必要すらなくなる。便利だ。
リビングに戻ると、お腹が空いていたことを思い出した。ぐううううぅぅと、腹の虫が合唱する。
冷蔵庫を開けると、卵が2つと、パックゼリー、小さいパックの牛乳、ソーセージが入っているきりである。独り暮らしの成人女性の冷蔵庫の中身が、こんなでいいのだろうか?ーーーいや、大丈夫。きっとセーフに違いない。
「でも、晩御飯にできそうなものは、なあ」
うーーーん。卵でも焼くか。
卵ポケットから、1個を取り出しーーー。
「あっ」
卵が滑って、落下する。がしょんと破砕する卵さん。ああー、もったいない。
「あーあ」
ため息をついて、卵を片付けようとーーー。
「ライムー。ちょっとおいで」
『なあにー?』
呼ぶと、ライムはすぐに来てくれる。マジ、いい子だ。
私は、足元の卵の残骸を指差した。
「コレ、食べる?」
そう、調子に乗って、落下した卵をライムに《補食》させて、片付けようとしたのだ。手が汚れることも、床を拭く必要もない。ライムも補給ができて、一石二鳥。若干、良心の呵責を感じなくもないが、便利なんだから、使わない手はない。
そしてライムは、
『たべるー』
と、嬉しそうに、殻ごとの卵をお腹の中に取り込んだ。よしよし。
ライムが《補食》するのを見ながら、私は最後の1個の卵を取り出す。
ボウルを出して、卵を割り入れ、塩を軽く振ってかき混ぜる。フライパンを出し、火を点けて、油を垂らした。ーーー調理するなんて、何日ぶりだろう?
フライパンが温まってきたのを確認して、卵液を落とす。ジュワンといい音がして、卵の焼ける匂いが立ち込めた。手早く巻き取り、簡単な卵焼きを完成させる。本当は出汁とか入れるんだろうけど、メンドクサイからね。
焼き上がったばかりの卵焼きを、皿に移す。
もう一度冷蔵庫を開けて、牛乳とソーセージを取り出した。ゼリーは明日の朝御飯なので、手をつけないでおく。
・・・ちょいと足んないな。そこで、電子ケトルでお湯を沸かし、同時にカップ麺を用意する。今日はシーフードにしよう。防災用に、幾つか買い貯めてあるのだ。
蓋を開けたタイミングで、お湯が沸く。今日も電子ケトルは、お役立ちだ。
お湯を入れて、諸々と一緒に運ぶ。
昨日ライムが《補食》したので、リビングのガラステーブルは何も乗っていない。キレイだ。
ご飯を置いて。
「いただきまーす」
まずは卵焼き。
一口分、千切って口に運ぶ。
うん。まあまあだな。味付けが塩だけだから、かえってさっぱりと食べられる。
『ごしゅじんさま、それ、なあに?』
ライムがポヨンと寄ってきた。
匂いに釣られたのだろうか。だとしたら、嗅覚はあるのか?
まあ、いいや。
「食べてみる?私が作った、卵焼きだよ」
『たべるー』
あーんと口を開けた(ように見える)ライムに、卵焼きを一欠片食べさせる。
黄色い卵焼きが、ライムのお腹に収まった。
外から見えるそれが、一瞬でジュワッと消える。
「!?」
驚いている私の横で、ライムがプルプル震えた。
『おいしーーー!』
そして、ペカッと光る。レベルアップだ。
って、早くない?さっき、『G』を《補食》して、レベルアップしてたよね?
ここで、私はひとつの可能性に気が付いた。
昨日食べさせたゴミ袋ーーーあの中には虫もいたが、人間が作った食べ物も若干入っていた。まあ、食べかすなんだけど。
要するにーーー無機物、つまり食べ物でない物は、《補食》しても大してエネルギーを摂取できない。生きた虫なんかだと、無機物よりもエネルギーを摂取できる。そして、きちんと調理された物ーーー料理だと、虫を《補食》するよりも多くのエネルギーを摂取できるのかも知れない。これは、確かめる必要がありそうだ。
「ライム、こっちもいる?」
ソーセージを差し出す。
『いるーーー!』
ピンク色のソーセージの半分が、ライムのお腹にとぷんと浮かぶ。とほぼ同時に、それは消えた。
『おいしーーー』
幸せそうなライムの声に、私まで嬉しくなる。
しかし、レベルアップには至らない。そこで、今度はカップ麺を与えてみる事にした。
箸で一筋掬い、ライムに「あーん」とする。ライムの中に白い麺が一本浮かび、それも一瞬にして溶け消えた。
「どう?」
『おいしー』
ポヨヨンと揺れながら、ライムはご機嫌な様子だ。でも、まだレベルアップには遠いようだった。
んー、勘違いだったのかな?
その時、ライムがテーブルの上をやたらと気にしている事に気付いた。思い付いて、ライムを膝に抱き上げる。
「どれがいい?」
『これー!たまごやき!』
ライムが選んだのは、私が作った、塩しか入っていない卵焼きだった。そして、机にポヨンと乗り上がると、卵焼きを皿ごと身体に取り込む。
「あっ!ライム!お皿はだめっ!!」
うっかり皿まで《補食》してしまったライムが、慌てて皿だけ《復元》する。カランとガラスの天板に音を立てて皿が落ちる。そして、ピカッと光を放つスライムボディ。
『レベル、上がったー』
「おおーーー!」
見事レベルアップを果たすライムに、拍手を送る。心なしか、ライムの口調も流暢になったような気がする。
「やっぱり、ご飯の方が『強くなる』のかな」
独り言のように呟いた私を、ライムがきょとんと見上げる。
『ご主人様のご飯、おいしいのー』
「そ、そっかな」
嬉しいこと言ってくれるじゃないか。
それにしても、塩を入れただけの卵焼きをあんなに喜んでくれるなんて・・・今度、もっとちゃんとした卵焼きをーーーいや、ちゃんとした料理を作れるように、練習しようかな。うん、そうしよう。
ぽよぽよしているライムを撫でながら、私は密かに一念発起してみるのだった。
「へっくち!!」
くしゃみが出て、身体がふるっと震えた。今夜はちょっと冷えるみたい。早く寝よう。