幼年期1
厳しい仕事が終わり、何とか家に帰るころにはもうすでに10時を回っている。
親に金がなく、大学へ行けず、高卒から働き、恋愛にうつつを抜かすことなく、というよりうつつを抜かすことができなかったのかもしれないが、友人の誘いも断り疎遠になっていった。
幼いころに感じた貧困の苦しみから抜け出すために20歳から投資に手を出し、三千万ほどの金融資産を作ることができた。
しかしそれで私は若さを失った。もうすでに年齢は40代後半。お金をためてから女遊びをしようと思っていたが、この歳になると生殖器に元気がなくなってしまった。
関節痛に悩まされ。それでも金のために働かざる負えない。
これでは何のために生きているのかわからないではないか。
別に金のために生きたことが間違っていたとは思わない。
ただ絶望的にバランス感覚がなかったと今にして思う。
もっと友人を大切にしておけばよかった。
もっと女性と話せばよかった。
風俗に行けばよかった。
その他もろもろの後悔が毎日のように湧き上がる。
そんな後悔から逃れるために体は眠りにつく。
それ以外絶望の無限ループ的思考から逃れるすべを知らないのだ。
気が付くと真っ暗な闇の中にいた。
とても狭い壺のような入れ物に押し込められた窮屈感がある。
ただし壺は暖かく柔軟である。
暗闇を手を動かしてみるものの、身動きは取れない。
不思議な感覚ではあるが恐怖心はない。
むしろ安心する。
これは何かの夢なのだろうか。
すぐに安らぎはまどろみとなり眠った。
何度も同じ夢を見て(いやもうこちらが現実なのだろう)分かったことがいくつかある。
暗闇で何も見えない代わりに、音は聞こえるのだ。
足を動かしたりすると外で弾んだ音が聞こえる。
音というより声のようにも感じる。
また、外をなでる振動が内側に伝わってくる。
おへそをなでると何か管のようなものがつながっている。
状況から考えると女性の中にいるのではないかと、年の割に突飛な発想をする。
もしそうであれば、この上なくうれしいものである。
もう一度人生をやり直す機会を与えられたのだから。
私は今か今かと出産を心待ちにしていた。
声の特徴から両親を予想したりするのは楽しいものである。
父親の声は野太く、おなかをさする感じをかんがみるに不器用である。
母親の声は優しく、妊娠しているためかあまり動かない。
父は武骨な男であろうか。
母親は優雅で美しい女性であろうか。
しばらく安寧の時を過ごしたのちに暗闇の容器に変化が起きた穴が開いたのだ。
体中を満たしていた液体が頭から抜け出していった。
外側でお騒ぎをしている音を感じた。
誰かが甲高い声で叫んでいるようであった。
しばらくして体が上へ上へと押しだされる。
頭がつっかえて苦しかったが、何者かが頭をつかんでかなり強引に引きずり出したおかげで難なく初めて外の光を見た。
外の光景は、いうならログハウスのような感じである。
私は体をすっぽりと覆うほど大きな手でぬるま湯につけられ、体についたいろいろな液体を落としてもらう。
私はその優しい手にゆだねられ目を動かすと、複数人の顔が心配そうにのぞき込んできた。
それと同時にだんだん苦しくなってくる。
私は「ぐふぇ」と言って呼吸を始める。
人生最初の大仕事といってよいだろう。
母親に保護されていた安寧の時期から初めて自分で生命維持装置を起動するのだから。
それからふー、ふーと呼吸をするも周りは今も不安そうな顔をしている。
しばらく考えて、彼らが自分が鳴き声を上げないことを心配しているのだと分かった。
私は「おギャーおギャー」と小さい声で唱える。
もう50近いおっさんがこんなことをするのは正直恥ずかしい。
私の鳴き声を聞きひとまず彼らは安心し、そして大騒ぎをした。
彼らの言葉は何もわからないのだが、大喜びしているようである。
私はその様子に安心し、私が出てきた場所を凝視しておく。
私はベテラン童貞なので現実では初めての女性の花園を目にする。
あ~、たまらねぇぜ。
男としてこの感覚はおっさんになっても中学生のままである。
いまきっと自分の顔はふやけているだろう。
ま、赤ちゃんだし、スケベな顔をしていても誰も気にならないでしょ。
私はこの世界でもう一度やり直すのだ。という決意と不安で満ちた不思議な気分であった。