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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼女は知らずに世界の破滅を握ってしまっている

作者: 鴉ぴえろ

 おかしい、どうしてこうなったのだろう。

 最近はそればかりが脳裏を過る日々だ。悩める私こと、イヴリス・フィアランテ。溜息の数は既に数えるのも億劫な程に増えていた。


 私、イヴリス・フィアランテには秘密があります。

 それは私がイヴリス・フィアランテに“転生”した者であるという事。

 前世は日本という国で過ごしていたごく普通の平民。平民とはいっても、我が国の文明とは制度の水準が桁違いなのですが。

 そんな高度に発達した日本では娯楽もまた発達しており、“前世”の私は架空の物語を書き綴った小説やゲームといったものをよく好んでいました。


 その記憶の中にイヴリス・フィアランテという名前は鮮烈までに記憶に焼き付いていました。えぇ、それは私の名前だからでもあるのですが、“前世”の私にとってはそれは架空の登場人物の名だったからです。

 それも悪い方向で。イヴリス・フィアランテはゲームに登場する主人公のライバルキャラ、そして悉くヒロインの邪魔をした挙げ句、断末魔を上げて散っていく悪役だったのです。


 イヴリス・フィアランテとはどのような人物だったのか。彼女はフィアランテ公爵家の娘であり、その出自から傲慢稚気に育った残酷なご令嬢。そして同じぐらいに虚しくも悲哀に満ちあふれた人生を送った悲劇の少女でもあります。

 運命に翻弄されて育ったイヴリスは物語の主人公である腹違いの妹に嫉妬し、妹を溺愛する父を見限り、殺めて、妹が愛した人を奪い去ろうとする。そんな絵に描いたような悪役でした。


 イヴリスがそこまで歪んで凶行に走った理由。それは冷え切った家族関係にありました。

 イヴリスの両親は政略結婚で結ばれた父と母。母はお役目と言わんばかりに娘であるイヴリスを産んだものの、産後に天に召されてしまい、元から妻に愛などなかった父はイヴリスを娘として見る事はありませんでした。

 父はこれ幸いと言わんばかりに後妻を迎え、妹である主人公を産み順風満帆といった人生を歩む父。そんな中で私は留学という体で国から出される事となりました。


 表向きは他国との関係を強く結ぶ為の友好的な結婚として。隠された本音はフィアランテ公爵家に私がいるのは不都合だったから。

 実の父からの愛情を求めて努力し続け、他国へ嫁げば父の期待に応えられると異国の文化に翻弄されながらも努力したイヴリスの期待は、イヴリスを顧みる事が無くなった実の父によって砕かれる事となります。


 国交を祝う祝賀祭。そのパーティに出席したイヴリスは父に会いたくて、会場の中で父の姿を探します。

 そうして彼女が見たのは、そこで初めて見る異母姉妹である主人公、母ではない妻と楽しげに談笑し、見た事のない表情で笑う父。

 そこに自分の居場所などないと悟ったイヴリスは徹底的に歪み、愛を嗤い、憎み、虐げるようになりました。


 そうして彼女の物語が再び大きく動き出したのは、主人公が成人を迎えていざ婚約者を決めるとなった時です。

 ゲームの主役である妹には数多くの美しくも魅力的な男性達との恋への道が用意されています。その全てに悉く邪魔をしに現れるのがイヴリスです。

 イヴリスはフィアランテ公爵家に戻ってきたのです。それも、ゲームの後半で明かされる真実として、嫁いだ国を混乱の真っ直中に叩き落とし、婚約した男すらもその手にかけて。

 国が荒れ、夫も失った悲しみを癒したいと嘯きながら実家に戻って来たイヴリスはフィアランテ公爵への復讐を誓い、父の大事にする家族、家名、名誉、その全てを破壊する為に悪行の限りを尽くします。


 最後は主人公に己の思いをぶちまけて滅びていくイヴリス。その隣には、主人公が結ばれた男性が隣にいるのです。先程も言った通り、恋の道が多き妹、その相手は数多くおりました。

 共通してイヴリスは叫ぶのです。どうして私が貴方じゃいられなかったのか、私だって愛されたかった。私だってフィアランテ公爵家の娘なのに、どうして貴方ばかり、と。

 最後は主人公が手を伸ばそうとし、それを押し留めた恋仲となった男性が見る中、イヴリスは主人公に驚きながらも、凄惨な最後の時を迎える事になった……。


 イヴリスは最後にこう語る。もしも、何かの歯車が異なっていれば、貴方を愛する事が出来たのでしょうか、と。


 私は、イヴリス・フィアランテのやった事を許せないとは思いつつも、彼女の境遇に酷く同情し、言ってしまえばファンでした。

 そんな私が彼女自身になっている事に気付いたのは、厳しい公爵家の娘として躾けられていた時の事故によるものでした。頭部に受けた強い衝撃、そして暗転する意識、白昼夢のように駆け巡った私自身の記憶。


 イヴリス・フィアランテの記憶を受け継いだ別人なのが、今の私であり、イヴリス・フィアランテその人なのです。


 私自身、驚きはあったもののなってしまったのでは仕方が無いと諦めを覚えました。

 本来のイヴリス・フィアランテの人生を知る私が、彼女の二の舞を演じるわけにはいかない。彼女は不幸になったけれど、私だって幸せになりたい。ならなければならない。

 その為に私は前世の記憶を生かし、物語に沿いながら私の幸せを勝ち取る為の方針を決めたのです。えぇ、何故かというとですね。


 下手をするとこの世界、滅びるんですよ。


 私の住まう世界には魔法がごく当たり前として存在し、凶悪な魔物や人々の助けとなる精霊、それから本当に神様すらも実在する世界なのです。

 イヴリス・フィアランテが単独で謀略を張り巡らせ、物語を引っ掻き回したのも邪神による囁きがあったからなのです。

 そして世界を守ろうとする善き神々の使徒となる主人公と、邪神の手先となって尖兵である主人公を滅ぼそうとするイヴリスという構図になるのです。


 誰が、そんな事に、なって、たまるものですか!


 かといって邪神の暗躍は確定、私の嫁ぐ先の国では邪神信仰が密かに蔓延っていて焦臭さが留まる事を知りません。

 そこに本来のイヴリスも引っかかったのでしょうが。それは閑話休題(さておき)、私は世界を滅ぼさないように立ち回りつつ、私自身の幸せを勝ち取らなければなりません。

 目指せ、幸せな第二の人生。イヴリス、貴方の未練は私が代わりに引き受けました!


 ……と、意気込んだのは良いのですが。


 私ことイヴリス・フィアランテ、本来であれば既に他国へと嫁ぐ為に家を出された10歳。そんな私は、何故か、妹に、軟禁されている。



 ……何故、どうして……?



 フィアランテ公爵家は、神々に愛された約束の地にして繁栄の先駆けとなったバルベル王国の筆頭貴族。

 バルベル王国の貴族達は、神に連なる一族で神の血を引くと伝承に伝えられる。王国の最初の繁栄から数百年、今もまだその栄光は留まる事は知らない。

 さて、そんな国で筆頭貴族であるフィアランテ公爵家の住まいはこの国でトップクラスに裕福な生活を送っている。その屋敷も城と見間違うがの如く、立派な佇まいである。


 そんなお城に、私は、軟禁されている。



「イヴ姉様、何か不便はないかしら?」



 思考に耽っていた私はノックと共に部屋の中へと入ってきた少女へと視線を向ける。

 愛くるしい。彼女を一言で言い表すのであれば、この言葉が似合う。明るく陽だまりのような蕩ける笑顔、その瞳に深い愛情を秘めて私を見つめている。

 エヴァ・フィアランテ。彼女こそがこの世界の主人公であり、神々に愛された乙女、世界を救う救世主となり、数多の恋物語を描いた可憐な子である。

 太陽の色を閉じこめたようなプラチナの髪色。蒼穹を思わせるような空色の瞳。血色の良い唇は艶めきで眩くさえ見える。

 そして、何故か、今、本来出会う筈のない私を軟禁している張本人である。


「え、えぇ、不便はないわ……あの、エヴァ……?」

「はい! なんですか!」

「私、お勉強や稽古とかしなくて良いのかしら……? お父様は何か仰っていない?」

「いえ、何も」

「……私はいつまでここにいればいいのかしら?」

「時が来るまで、ですわ。大丈夫です、イヴ姉様。何も不安に思う事はないのです。その、今までの我が家のイヴ姉様の扱いを思えば信用はないと思うのですが……」


 エヴァが表情を歪めて、声を暗く落とす。確かにイヴリスの環境は教育という名の虐待と何も変わらなかった。実際に受けてみると苦痛で仕方が無かった。

 詰め込まれる勉強、礼儀作法、知識、魔法の訓練から、その、閨の秘め事まで。あの、まだ年齢が一桁ですよ!? あれには流石に驚きましたね。そこに込められた意図を思えば遠い目になったものです。


 毎日が勉強、食事、稽古、睡眠というサイクルで、プライベートの時間もないまま過ごしていた私なのですが、突然私を拉致ったエヴァによってその生活は終わりました。

 そして本来は他国へと送り出されてる筈の私はこうして軟禁生活を続けている。わからない、何がどうしてこうなったのか。


 ここは本来はエヴァの私室だった筈の部屋。けれど、今はその部屋は私とエヴァの共通の私室になっているといっても過言ではありません。但し、私は屋敷の中はともかく、屋敷の外へと出る事は叶わないのですが。

 それに部屋の外には必ず、二人以上の侍女か護衛がつくのです。明らかに監視されています。一度、逃げだそうとした事もありましたが阻止されました。まだ小さい体が憎い。


 さて、異母妹であるエヴァですが。彼女と私の年の差は前世で言う年子という奴ですね。私が年の始まりに、彼女は年の終わりの際に産まれているので誕生日はほぼ一緒。

 なのでゲームの舞台となる学園での学年も一緒なのですが。それは今となってはどうでも良い知識ですね。私、学園に通えるんでしょうか……? そもそも、外に出れそうにないのですが……?


「イヴ姉様はたくさん頑張ったので、休んでも大丈夫なのです。それにまったく勉強してない訳ではないじゃないですか。ほら」


 机を示されれば、確かに勉強の名残が残っている。だってやる事がないですし……。


「エヴァ……あの、私の他国に嫁がされるという話は……」

「あぁ、イヴ姉様! 私、お父様にお話があったのですわ! ここで失礼致しますわね!」

「ちょっと、あの」

「それでは御免遊ばせ、イヴ姉様!」


 無理矢理話題を切られ、エヴァは扉へと向かっていく。毎回これだ、私の嫁ぎ話は一体どうなってしまったのでしょうか。確かにイヴリスと同じ人生を歩まないとは決めましたが、そもそも根底から覆っているのですが!?

 ばたん、と無情にも締められた扉に手を伸ばしてしまう。はぁ、と溜息を吐いて力なく腕を下ろしてしまう。



「……どうしてこうなったのかしら」



 私の妹は何かがおかしい、この世界もおかしい。

 いや、おかしいのは私もなのだけど。おかしいだらけの世界で、けれど何も出来ずにいる。

 決意した未来はなく、どうしようもない現実だけが続いていく。本当に、どうしてこうなったのだろう。ただ、今はそれを考える事しか私には出来なかった。



 * * *



 丁寧に整えられた我が家の廊下を歩きながらエヴァ・フィアランテは追想する。

 齢9歳。けれど、エヴァの中には身の年齢と合わぬ記憶が存在していた。

 その記憶が、この魂を焼き尽くし、知る筈ないものを会得したのは数年前の事。

 気を抜けば脳裏に浮かぶ光景を振り払うように首を振る。そして思い返すのは、先程まで顔を合わせていた“異母姉”の事だ。


「……イヴ姉様」


 声が震える。強く歯を噛んでなければ泣き出してしまいそうだった。

 月の色を溶かし込んだような柔らかな銀髪、月を思わせるような金色の瞳。日の光に晒す事など考えられない程に白い肌。溶けて消えてしまいそうなイヴリス。


 そして、実際に“溶けるように消えてしまった最愛の姉”だった。


 エヴァが“初めて”イヴリスと出会ったのは隣国であるデモリア帝国との国交を祝した祝賀祭で席での事。

 デモリア帝国の皇子の婚約者として、フィアランテ公爵家に挨拶に来たイヴリスにエヴァは自然と目を奪われた。


『イヴリスと申します。フィアランテ公爵家の方々につきましてはご息災で何よりでございます。両国の発展を願い、これからも良き関係をよろしくお願い致します』


 優雅な人だった。振る舞いが完璧で、祝賀会で緊張していたエヴァは優しく、柔らかなイヴリスにすぐ心を開いた。

 会話を交わしたのは一瞬の事だった。それでも憧れるべき淑女としてイヴリスの姿はエヴァの心にしっかりと焼き付いていた。


 その後、貴族学院に入学して婚約者探しを言いつけられたエヴァは偶然、イヴリスと再会する事となる。

 邪神を崇めるカルト集団。その足取りを追って極秘裏に動いていたイヴリスと鉢合わせ、なし崩し的に協力をする事になったエヴァ。

 憧れた女性の足手纏いになりたくなくて必死に食らい付くように頑張って、事が終わった後にはよく頑張りました、と頭を撫でてもらった時の感動は筆舌に尽くしがたい。


 それからエヴァはイヴリスと是非お近づきになりたい、とイヴリスをお茶会に誘おうとするも他国のお姫様を招くなどとんでもない、と父に反対される。

 ならば自分が訪問はダメなのか、と言えばデモリア帝国は国勢が不安定だから、と反対される。それを酷く残念に思うエヴァ。


 その裏に隠された真実を、父の本音を知ったのは偶然の事だった。


 貴族学院に通い、婚約者を探しているエヴァは嫌でも噂になる。その身分から寄ってくる人間もまた相応に身分が高い。

 それ故に、イヴリスについての真実を知る者がいた。そしてエヴァは知ったのだ。イヴリスが自分の異母姉だと言う真実を。


 イヴリスはデモリア帝国との国交の為に嫁いだのが表向きの理由。その裏の理由にはフィアランテ公爵家からの事実上の追放だった。


 エヴァは愕然とした。尊敬すべき、自分を愛してくれていた父の所業に。敬愛していた女性が自分と同じ血を引いていた事に。そして、彼女は実の家族に愛される事もなく国を追い出された。

 デモリア帝国でもイヴリスは愛されていた訳ではなかった。有能で優秀、下手をすれば婚約相手であった皇子ですら霞む程に。それ故の嫉妬で、関係は冷めていた。

 清廉にして優美。他者の為に奔走し、国の為の礎となる。そこに彼女自身が見られる事はない。ただ、イヴリスが為した功績と、彼女を讃える声と疎む声があるだけ。


 イヴリスは全てを知っているのだろう。知っていて尚、エヴァに微笑みかけてくれた。

 エヴァは真実を知って泣いた。そして願った。イヴリスの心が知りたかった。だって、彼女の目にはいつだって自分を慈しむ色が見えていたから。

 けれど聞くに聞けなかった。秘密裏にバルベル王国で活動していたので頻繁に出会える訳でもない。それでも接点が欲しくて、エヴァは邪神を崇めるカルト集団の足取りを自分でも追い始めた。


 エヴァを心配するものは皆、エヴァを諫めた。真実を知る者の中にはイヴリスには近づくな、とすら警告をする人もいた。そう、父だ。自分を愛してくれていた父その人だ。

 父はイヴリスを恐ろしいと言った。理解が出来ないと。我が子だと思いたくないと。だから遠ざけて、彼女は他国の姫となった。それで良いのだと。


 ふざけるな、と。エヴァはそう思い、反発するように諫める声を無視してイヴリスを求めた。


 彼女を姉と呼ぶ日は来ないだろう。呼べば迷惑だから。けれど、力になりたい。名乗り出る事は出来なくても、妹として彼女の力になりたかった。心の底から誰かの為に力になりたいと願った。

 そうしている内にイヴリスと遭遇する回数は増えて、イヴリスも距離を取ろうとして、けれど諦めたのか、困ったようにエヴァを受け入れてくれた。


『イヴ姉様って、呼んでも良いですか?』


 仲の良い女子生徒が先輩をそう呼ぶと噂で聞いた。そんな気まぐれと、内に秘めていた願いが絡み合って弱音のようにエヴァは聞いてしまった。

 しまった、と口を抑えるエヴァに驚きながらも、イヴリスは困ったように笑っていた。仕方ない子、と言うように頭に手を置いて。


『貴方が、そう呼びたいのであれば』


 柔らかく微笑むイヴリスが大好きだった。大好きでした。大好きと言いたかった。

 普通の姉妹らしく、貴方を慕えたら。そう願って止まずにはいられなかった。

 周囲の反対を振り切って邪神の足取りを追って。姉の力になりたいと、そう願って。


 ――その姉を失った。


 神々に愛されたエヴァには、愛し合った者と心を通わせた時、神々が残した遺産を蘇らせる事が出来た。

 邪神を打ち倒し、封じるにはその遺産の力が必要だとイヴリスは語った。いい人はいないのか、とイヴリスにはからかわれた。今思えば、イヴリスは焦っていたのだとエヴァは思う。

 遺産を蘇らせられなくて、窮地に追い込まれるまで気付けなかった。気付きたくなかった。気付いても、口に出せなかった。



 ――貴方なんです、イヴ姉様。



 真実を知って、人の醜さと弱さを知ってしまった。その全てを愛せる程、エヴァは強くなかった。

 その中で輝くイヴリスに心を奪われていた。姉として、女として、尊敬も親愛も恋情も複雑に絡まった愛情は自分ではどうしようもない程に心に巣くう程に大きくなってしまった。

 絶体絶命の最後でもイヴリスは諦めずにエヴァを守ろうとしてくれた。その身が傷つき、見るに堪えない姿になっても。



『貴方が、私の希望なのだから』



 そして、溢れた心は神々の遺産を起動させた。邪神を倒す術はここに、世界は救われてハッピーエンドになる。

 そうなるには、全てが遅すぎた。遺産は起動し、邪神は倒された。けれど、姉は還らなかった。


『……どうしてこうなったのかしら。本当に、困った子』


 血塗れで、命の灯火が消えそうになって、遺産の使用の反動に耐えられないと悟りながらあの人は笑っていた。


『未練は果たされたわ。貴方を愛せて良かった。愛されて良かった。……幸せになりなさい、エヴァ。駄目な姉からの最後のお願いよ』


 行かないで、行かないで。ごめんなさい、私がいたから。私が愛してしまったから。

 叫んで、手を伸ばして、掴んで。……その全てが、エヴァの手からすり抜けて行った。

 残されたのは光。明日という希望、世界を繋いで守った姉は永遠の過去となった。


 イヴリスの死に世界は悲しみ、けれど、そこで終わった。


 悲しんだだけだ。讃えただけだ。まるで世界を救う為に生まれてきたような聖女だと。

 エヴァは理解した。イヴリスは世界の為の生贄とされたのだ。運命によって、人々によって、彼女をとりまく全てによって。その中に自分自身すらもいたと。


 幸せになれ、と言った。だから幸せについてエヴァは考えた。

 もう落ち着いたらどうだ、と父が縁談を持ってきた。全て断った。

 学院で共に過ごし、私に是非婚約してくれと迫った友達を全て振り払った。

 公爵家の娘として情けない、いつになったら責務を果たすのかと母が泣いた。

 煩わしい、煩わしい。全てが煩わしい、姉がいない世界なんて醜くくて仕方が無かった。



『本当にダメなのは私です、イヴ姉様。私、幸せだったの、とっくの昔に幸せだったの。幸せだった事に気付いちゃったから、もう貴方がいた幸せしかわからないの』



 家を出よう。神に仕えよう、修道女となって世界を救った姉を思い続けよう。

 そうして全てを諦め、過去に思いを馳せて祈りを捧げる人生を心に決めた。

 反対を押し切って家を飛び出し、教会で祈りを捧げる日々を送っていた、ある日のこと。


『やり直したくないかね?』


 倒して、封じた筈の邪神がそこにいた。力を失い、けれど遺産の担い手の片割れである姉が消滅していた事で封印が完璧ではなかった忌むべき邪神が。

 やり直せる。姉と、イヴリスとまた出会う事が出来る。その誘惑に心をどうしようもなく惹かれた。

 もしも、やり直せるなら。今度は最初から間違わない。全てを知った上で始められるなら、姉を世界に渡したりなどしない。生贄になんてさせるつもりはない。むしろ、世界が生贄になってしまえば良い。


『ふ、ふははは! そうだ、全てを無かった事にするというのはある意味でこの世界を滅ぼすという事だ! 君は良い、実に良い! 気分が良い! 君が私の願いを叶えるというのならば、代価として君が生きている内は君に従おう。神々が愛した乙女、君が私に祈り、私を信仰するならば現在を破壊する事で君の願いは叶う!』


 あぁ、滅ぼして良い。姉が犠牲になって生み出された世界なんて。

 貴方達に未来なんてない。姉が産みだした明日への光は私のものだ。私の姉様で、私だけの姉様で、誰にも渡しなんかしない。

 代価が世界だから、私は世界を滅ぼした。家族も、友達も、国も、世界も、神々ですら砕いて、滅ぼして、焼き払って、何も残らなかった大地を代価に願いを叶えた。


『時を嗤う神、“ダンダリアン”。約束は果たしたよ』

『あぁ、約束だとも。全てを滅ぼしたら君の願いを叶えようと! 代価のエネルギーは全て整った、過去に戻り、君の願いを叶えたまえ!』

『叶えるよ。だから――』



 ――お前も、滅びて私の力になれ。



 姉がいてこそ起動が叶った遺産は、数多の生贄を喰らって姉がいなくても起動していた。

 あの日、イヴリスが完全には届かなかった滅びが来たる。今度こそ完全に食らいつくし、滅ぼし尽くす為に。


『な、にを! 貴様、貴様ぁッ!? 正気か、正気で神を喰らうつもりか!?』

『イヴ姉様を殺して、なんでお前にまで未来があると思ってたの?』

『馬鹿な、たかが人間が、あり得ない、この私が、惑わされる者如きに!?』

『惑ってなんかいない。――ずっと、イヴ姉様の幸せだけを願ってる。ただ、のこのことお前が出てきただけ』


 これ以上の御託は聞きたくない。願えば叶う、なら叶えて貰う。

 断末魔すら引き裂いて、力を奪い尽くした。神の力と親和性がある体に仇の神の力はよく馴染んだ。

 1回だけで良い。もう1回だけ、あの人に微笑んで貰いたい。だから、巻き戻れ、巻き戻れ――。



 ――記憶にある、懐かしい天井を見た。

 体も戻っていた。狙った過去の瞬間である事を確認して、すぐさま部屋を飛び出した。

 屋敷の中で走るのははしたないと咎める声を置き去りにして、ただ走った。


 ――そして、かつて光に溶け込んで失ったその姿を目にした。

 月光をとかしこんだかのような銀髪、月を入れ込んだような金色の瞳、日の下に晒すのも惜しまれる白い肌。

 叫び声を上げて、抱きついて、泣きじゃくりたかった。あそこにイヴ姉様がいると。それだけで自分の心が壊れてしまいそうだった。いや、もうとっくに壊れてしまっているのかもしれない。けれど、もう些細な事だ。

 エヴァにとって、それは本当にただ些細な事だった。


 改めてイヴリスの過ごしていた生活を知ったエヴァは激怒した。

 溢れんばかりの力を以てして父親を黙らせ、イヴリスを自分の部屋へと軟禁した。

 本当は監禁したかった。けれど、それは思い留まった。やるとしても時期ではないと。

 デモリア帝国に渡すなどさせるつもりもなかった。これから普通の姉妹としての時間を取り戻すのだ。


「あぁ、イヴ姉様! イヴ姉様! 愛しています、愛しています!!」


 だから、離しません。どこにも、行かせません。光の中になんて連れていかせない。

 今、手が届く範囲にイヴリスがいる。この感動をどのように言い表せば良いのかエヴァにはわからなかった。


「あぁ、なんて幸せ! でも、これからの事を考えると……まずはあのダンダリアン……アレを始末しなければなりませんね。しかし、アレの始末には神々の遺産が必要……つまり、またイヴ姉様と心を通わせなければ……!」


 失ったものは戻らない。それは胸が引き裂かれる程に辛く、苦しい。自分の罪が無かった事にはならない。

 だからこそ、そう、だからこそ。今度は間違ってはいけないのだとエヴァは己の魂を強く震わせ、闘志を燃やす。


「今世でもお慕いしております、イヴ姉様! あぁ、貴方の為なら世界の1つや2つ! 思うがままに!」


 全ては、幸せになりなさいと言われたその想いの為に。

 本来、この世界では神々に愛されたヒロインは世界を破滅させかねない特異点へと変貌した。

 世界の破滅の引き金は、知らずの内にこの物語のヒロインであるイヴリスへと託されたのであった。



「へっぶし! ……今の、お嬢様らしくないくしゃみでしたね。うーん、一人だと気が抜けますね……」



 * * *



 ――後の世、バルベル王国史に“新しき神々”の名が記されている。

 それはバルベル王国を発展させ、神々の遺産をも操り、その功績から新しき神々として迎え入れられた二人の神。

 その片割れは王国をその叡智で発展させ、人の心を繋いだ賢神イヴリス。そんな彼女の傍に控えるのは、妹神であるエヴァ。

 不思議な事にイヴリスの逸話は事欠かず、エヴァの活躍は描かれる事は少ない。だが、イヴリスが活躍する傍らには常にエヴァがいて、後の研究者達はこの謎を追っている。

 別の話ではあるが、イヴリスが生きた時代は激動の時代であり、彼女には様々な困難が押し寄せていると語られている。

 そこに必ずエヴァの名前が記されているのは、果たしてどのような意味を持つのか。



 ただ言えるのは、最後には“めでたし、めでたし”で終わるのだ。



「私とイヴ姉様の結婚が許されないなら人間なんか止めましょう、イヴ姉様!」

「人間を辞めさせられるーーー!? 誰か、誰か助けてーーーっ!!」



 あぁ、それは誰が為のハッピーエンド。

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[良い点] 時を巻き戻す程の愛とは、とても良いものですね! [一言] なん回と読み直して、ようやく一つの可能性に行き着いた。 このエヴァがかつて経験した世界こそが、イブリス(転生者)がどうにかこうにか…
[良い点] (グーグル翻訳で作成) テーブルがどのように変わったかは本当に面白かった 百合のために悪魔に捧げるお姉さんは本当に素晴らしくて面白かった 私はこれがどのようにねじれたワイルドなのが好…
[良い点] 面白かったです! [一言] ヤンデレは神をも殺す(白目)
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