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ふたりぼっち。

 ニシキが再び目覚めると、ロッタレーベンの居るあのビルに戻ってきていた。

 明かりのついたエントランスのベンチで横になっている僕をスライムが見つめていた。


「スライム……」

「大丈夫か?」

 よろけながら身体を起こす僕をスライムがすっと肩を抱いて支える。

「気を失ってたのか……?」

「ああ」

 スライムは簡潔に答えたが、僕は気を失う前までのことを忘れていない。

「スライムが気絶させたの?」

「……違う」

「本当に?」

 そろそろ黙って話が進む状態ではなくなっている。

「……まだ、お前の身体に組織が適合していないんだ」

「え?」

 スライムは僕の肩を支えたまま、目を伏せて視線を外す。

「お前はあの処分場で一度死にかけた。俺が、この体に入ったように……俺の組織の一部をお前の中に入れて……甦生した」

「な、なにそれ……」


 一度死んだ?

 それをスライムが助けた?

 僕の中に入って?

 スライムが今入っている死体のように!?


「僕、死んだの?」

「死んではいない! 瀕死の状態だったが、何とか持ち直したんだ」

「スライムが僕の中に入って!?」


 僕はヒステリックに声を上げた。

 そんなのが受け入れられるわけがないじゃないか!?

 僕の中に! 僕の中に僕以外のものが居るなんて!


「錦っ!?」


 パニックになってその腕振りほどこうとする僕の肩をスライムは強く強く抱きしめる。


「俺がお前の中に居るのは一時的なものだ! お前の身体が回復したらそれを取り出すこともできる! お前はお前のまま何も変わらない。ここに来るまでと同じ飯島 錦のままだ!」

「そ、そんなのっ、わからないじゃないかっ! 気を失ったり、こんな世界に来てっ、こんな目にあってるのに……僕はっ、僕は……」

「ニシキ……」


 ぎゅうっと抱きしめる腕の中で僕はジタバタと暴れるが、スライムの力は強すぎて僕の身体は彼の胸を突き放すこともできない。


「お前ってホントなんなの!? スライムって、本当になんなの!?」


 ボロボロと涙がこぼれる眼で見上げると、スライムは酷く苦しそうな顔で僕を見ていた。

 そんなのずるいじゃん。苦しいのは僕じゃん。なんで、なんでお前が……。

 そう思うが、ここまで来る間の事も思い出す。

 基本的にスライムは僕に隠し事をしていたけど、僕のことを危険に晒したりはしなかった。

 あの死体処分場からも自分ひとりだけではなく、明らかに足手まといな僕を連れて脱出した。

 その後も、水場でも僕を庇い、さっきの男たちに襲撃されたときも僕を庇っていた。

 それはわかる。わかるけど……。


「あのまま、お前を死なせることはできなかった……」


 勝手に召喚されて、用無しだと切り捨てられて、ゴミのように捨てられて、何もわからぬまま死ぬはずだった。

 スライム一人が生き残ってもこの世界では何も困らないだろう。


「俺を……一人にしないでくれ……」


 スライムは僕をギュッとより強く抱きしめて、消えそうなくらい微かな声で零した。


「俺は……おれは、うまれたときからひとりだった』


 スライムの声が高く幼く変わる。

 ぼわんと何か反響するような不思議な声。


「スライム?」


 スライムの腕から顔を上げると、スライムは深くうなだれていて、その背からは前に見た青い触手が何本も這い出てきていた。

 透明なゼリーのような青い触手は、その穂先を全て僕のほうに向けている。


『もとのせかいで、なかまからひきはなされ、じっけんたいとしてくりかえしじっけんをうけた。ひとりで、ずっと、にんげんたちは、おれをけんきゅうしていた』

「え……?」

『せんそうがおきて、けんきゅうしせつがはかいされるまで、ずっとひとりで、けんきゅうじょがなくなっても、ずっとひとりだった』


 研究所がなくなっても居るだろう仲間の記憶は遠く、行くあてもなかったために廃墟となった研究施設に残っていた。

 ガラスケースの中で、どんどん朽ちてゆく建物を眺めていたら、ある時廃墟探検に来た青年たちに見つかった。

 彼らはスライムをただのゲル状の薬品か何かとしか認識できなかったので、探検の記念品として瓶にすくって持ち帰ったが、すぐに面白半分でダークウェブのショップで売りに出された。

 その後は僕の記憶にも新しい。10万も出してスライムを購入した僕のところに、スライムは郵送されてきた。


『まさか、ちがうせかいにくることになるとはおもわなかったけど、ここならばおれは、どこにでもいけるようなきがした。あたらしいせかいだとおもった』


 しかし、新しい世界は僕に用無しだと切り捨てた。


『したいしょりじょうで、しにそうになっているニシキをみて、あのはいきょのけんきゅうじょで、がらすのなかにいたおれをおもいだした』


 成す術もなく、絶望して、朽ちて行くのを待つばかりの……。


『おれは、おまえを、すくうことができる』


 それは本能的にわかったのだそうだ。

 人間の研究が何処まで進んでいたかわからないが、実験を繰り返される中、スライムは自分の解析を続けた。

 何が出来て、何が出来ないか。

 その中の一つとして、スライムは自分の細胞を人の細胞と融合させて補完したり強制的に支配下に置いたりすることが出来た。


『おれはじぶんのそしきを、ニシキにあたえた』


 ニシキは瀕死の状態から息を吹き返し、あの死体処分場の底で目が覚めたのだ。


「スライム……」


 僕がそっと手を伸ばすとスライムの背から這い出していた触手がゆっくりと擦り寄るように手に腕に巻きつく。

 それは決して締め付けるような強さではなく、恐る恐る確かめるような仕草だと思った。

 僕がどうして、そんな風にスライムに触れたいと思ったのかわからない。


『おれはにんげんじゃない……ニシキとはちがういきものだ。でも、それでも、おれがおれであるとしってもおそれなかったのは、ニシキだけなんだ……』


 この人間でもない生き物は一人ぼっちになることがどういう事かを知っている。

 だから、この世界に召喚されて一人ぼっちになったニシキを見捨てて置けなかったのか。


 じゃあ、もういいかなと思った。


 自分が人間ではないことを内緒にしていた。僕の中に組織を混ぜ込んでいたことを内緒にしていた。僕が今感じている体調の悪さはその組織が融合しきるまでの副作用。

 言い出しづらかったんだろうなと思った。

 なんて人間臭い。人間じゃないのに。

 スライムなのに。


「お前さー、本当はなんて名前なの?」

『……あーる、じゅう』


 番号か。


「R10……RIOって読めるな」

『りお?』

「名前だよ。スライムは種族の名前だろ」

『ほんとうに、すらいむなのかはわからない……』

「本当は何かなんて研究者たちだってわかってなかっただろうし、この世界に来ちゃったらそれどころじゃないよな」


 世界が変わると、全てのコミュニティから切り離され孤立する。

 今、この世界で僕とスライムは何にも属していない存在だ。

 もう、アイデンティティを補償してくれる社会はない。

 飯島 錦と言う名前だけが僕のアイデンティティ。


「お前の名前はリオだ。R・I・アールアイオーでリオ」


 僕たちが元いた世界の言葉でつけた名前。R10と言う番号からもじったものだけど、RIOは獅子を意味する名前。


『りお……』

「スライムより良いだろ!」


 何だか、色んなことがありすぎて目が回りそうだけど。

 こいつが僕を助けてくれたのは確かで、こいつは僕と一緒に居たいと言ってくれた。


 それでいいんじゃないかなって思えたから。


 にゅるにゅると大量に溢れ出てきた触手に、ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、僕は言葉が通じれば人間じゃなくても平気なんだなとか、ぼんやりとそんなことを考えていた。



――――――――――――――――――――



 これからどうするか?


 正直なところ、まったく何も思いつかない。


 地下に居るだろう人間たちに会いに行くというのは一旦止めることにした。

 スライム――リオの姿を見るなり襲い掛かってきたのを見ると、友好的に話し合える相手とも思いづらい。


「情報が圧倒的に足りてないよね」

「…………」


 リオの背中から生えていた触手はすべて体の中に戻って、元の通り何もなかったような顔で隣に座っている。


「……何か知ってるの?」

「俺たちを襲った連中が、俺を見てサブヒューマンだと言った」

「ああ、そう言ってた! サブってことは補佐だけど、トランスヒューマン以外にも種族が居るのかな?」


 しかも人工的な。

 ロッタレーベンはトランスヒューマンはヒューマンに作られたと言っていた。

 そのトランスヒューマンと戦争になった後に、トランスヒューマンに敵対させるための新たな存在を作り出していてもおかしくはない。


「この身体の記憶が読み取れればよかったんだが、この身体は脳の破損が酷くて記憶が殆どないんだ。読み取れたのはわずかにあの死体処理施設の中のことくらいで。あとは俺を襲った連中がサブヒューマンである俺を異常に恐れていたことくらいだ」

「恐れていた?」

「ああ、連中は明らかにサブヒューマンである俺に対する恐怖でいっぱいだった」

「あいつら、人間……ってことはヒューマンだよな? それがサブヒューマンを恐れる?」


 サブヒューマンはヒューマン側のものではないのか?


 そう言う事も含めて、ちゃんと状況がわからないとリスクが増すばかりだ。

 先刻の襲撃はもしかしたらやり過ごせたかもしれないが、ここで生きて行く以上、ここの連中と無接触で過ごすことはできない。

 色々あって混乱していたがいつまでもそんな状態ではいられない。


「もう少し情報がほしいなぁ……」

「もしかすると、もう一度、あの死体処理施設に戻るべきなのかもしれない」


 リオが重い声で言った。

 あんなところに……と思ったが、確かにあそこならば情報がある。

 でも、どうやって?


「ロッタレーベンに触れてこの世界の文化水準は何となくわかった。多分、あの施設のコンピューターのようなものにアクセスできれば俺ならば情報が引き出せると思う」


 僕は思わず目を瞠る。

 この生き物が色々と芸達者だとわかっていたが、そんなことまでできるのか。


「お前って、ホントに何者なの!?」

「……わからない。ただ、ニシキたちが単体のユニットとして成立した生命体ならば、俺は多分ニューロンのような存在なんだろうと思う」

神経細胞ニューロン?」

「の、ようなもの、だ。基本的には生命体や機械の中に入り込んでその情報を得る、それを利用してその身体やシステムを補完する事もできる。それに加えて、ニシキと別の生命体を繋いで、ニシキに情報を与えることもできる。その時は俺が仲介するから色々と変換することもできる……」


 リオができることをズラズラと並べてくるが、僕には半分もそれがどんなことかなんてわからない。

 とにかく中に入り込んで色々できるんだということはわかった。


「確かに研究対象になるのはわかるなぁ。お前ホントに良くわかんないもん」


 半分理解を諦めて、まあそんな存在なんだと飲み込んだ。

 僕にわかっていれば良いのは、リオは僕の味方だと言うことだけでいいんじゃないかな。


「それよりさ、情報って言ったら、情報の塊みたいな人いるじゃん!」


 リオはロッタレーベンに触れた時にこの世界の文化水準がわかったと言っていた。

 今、ロッタレーベンは比較的安全に意思の疎通が出来るこの世界の存在。


「先ずは、ロッタレーベンにもう一度話し聞いてみたほうがよくない?」


 少し情報は古いかもしれないけど、多分、僕たちよりは遥かにいろんなことを知っているはずだ。

 僕は閉ざされた通路の奥のドアを見ながら、もう一度あそこを潜ることをリオに提案した。



――― 続


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