地下に眠るモノ
暖かな何かがゆるゆると頬を撫でるのを感じて、僕は意識を取り戻した。
目を開けるとそこは薄暗く、再びあの処分場に戻ってしまったのかと勘違いしたほどだ。
「目が覚めたか」
声がする方を見ると、スライムが心配そうに僕を見ていた。
「こ、こは……?」
スライムに手を貸してもらって身体を起こすと、そこには不思議な光景が広がっていた。
頭上には天井があり、わずかに開いた亀裂から、光と水が降り注いでいる。
僕の寝ている横を透明な水が流れを作って、暗がりの奥のほうへと消えてゆく。
その水と一緒に差し込む光は、酷く幻想的な光景を照らし出していた。
「廃墟……」
崩れたコンクリートの壁と割れたガラスの廃墟。
僕がこの世界に来る前に街の中で見ていたような近代的な建物が、崩れて朽ちて地に埋まっている。
「向こうから人間の気配がする」
スライムが指差す一点は、暗闇の向こう。
砂に埋もれかけてはいるが、元はアスファルトの道路だったようなものが続いているのがわかった。
「人って言っても味方とは限らないよなぁ……」
「そうだな、さすがに気配だけではそこまではわからない」
スライムは僕の呟きに真面目な顔で答えた。
「ただ、一人二人の気配じゃない。集落……のようなものがあるのかもしれない」
「集落? こんな地下に?」
僕らの頭上は真っ黒い天井で覆われている。
その天井には所々亀裂が走り、そこから水や砂が細い滝のように降り注いでいる。
多分、僕たちは見えている亀裂のどれかから水と一緒に落ちてきたのだろう。
ただ、どの亀裂へも足がかりになるようなものは何もなく、そこまで上るのは無理そうだった。
「外に出る方法がないってことか……」
こんな地下の廃墟に本当に集落があるのなら、落ちてきた人間が地上に戻る術がない可能性がある。
「外に出るなら出られるぞ?」
スライムはそう言うと、見えないロープを投げるように亀裂の方へと腕を振った。
途端、その手の先から青いロープが音を立てて伸び、亀裂の傍の天井にへばりつく。
スライムを見ると、背中の辺りから何本もの触手が生えて、腕を絡めるようにして伝ってから、天井へとその先を伸ばしている。
良くあの高さから落ちて助かったなと思っていたが、もしかしたら落ちるときも同じようにして助けてくれたのかもしれない。
くそっ! イケメン滅べ! と思うと同時に、こいつがいたから色々助かってる現実も実感する。
あの得体の知れない処分場からここまで、こいつがいなかったら僕はとっくに死んでいただろう。
「出るか?」
そう問うスライムに、僕は首を横に振った
「いや、出れるのがわかっていれば、人を探す方が良いと思う」
「同意見だ。ここに関する情報が少しでも欲しい」
スライムはそう言いながら手を引き寄せるように軽く振った。
しゅるんと音を立てて触手が元に戻る。
「めっちゃ便利だな、それ」
「そうか? 俺には当たり前の事なのでよくわからないが、お前が嫌でなければ良い」
自分を否定されなかったのが嬉しかったのか、スライムは僕に向かってにこっと微笑む。
それは本当に微かな笑みだったが、今まで仏頂面かシニカルな笑みしか見せなかったクール系キャラのギャップ萌えにガツンと頭を殴られた気がした。
だーかーらー! そういうところだぞ! イケメンスライム!
スライムのくせに生意気だ!
「……滅べ」
「ん? 何か言ったか?」
「いーや、何にも。とにかく先に進むしかないんだから、先に進むぞ!」
僕は立ち上がり身体についた砂を払い落とす。
せっかく水を浴びたのに、再び砂だらけになったのは最悪だが、この暗さなら汚れもそんなに気にならない。
亀裂からの光が届かなくなるとすぐに、足元の砂地はアスファルトのような加工された地面へと変わった。
ただし、状態は極めて悪い。
こんな地下では当然管理されていないのだろう、小さな起伏や亀裂が所々できていて足を取られる。
その度に、横を歩くスライムに腕をとられ身体を支えられ何とか転倒を免れていた。
「お前良くこの暗がりで見えるな」
真の暗闇ではないものの、かなり暗く先を見通せない状態でも、スライムは見えているかのように歩いている。
「多分、人間よりは感度が高いんだろう」
「……スライムってそんな万能生物だったっけ?」
「俺は自分がスライムだとは言っていないぞ?」
「じゃあ、なんなの?」
僕は立ち止まって、スライムのほうを見て言った。
暗くて顔はわからない。見えるのはぼんやりとした輪郭だけだ。
それでも、スライムがジッとこっちを見ているのがわかる。
僕たちは今、間違いなく見詰め合っている。
「……瓶に詰められるより前の記憶がないと言っただろう」
嘘だ。と直感的に感じた。
だが、僕はそれを咎めなかった。
スライムにはちょくちょくそう言うところがある気がする。
僕に敵対する気はないが、僕に全部を明らかにする気はない。
スライムの手の上で踊らされてるみたいで、正直イラッとしたが、ここでそれをごねてもスライムは何もかも明らかにはしないだろう。
そっちがそう言うつもりなら、僕の方もそれなりにするだけだ。
「……とりあえず人が居るところに行こう」
僕はしぶしぶそう言うと、スライムが示す更なる暗闇の方へと歩き始める。
スライムは黙って僕の後に続いた。
やがて天井の亀裂からの光が完全に届かなくなり、辺りが闇に包まれるとスライムがぎゅっと僕の手を握ってきた。
「お前は夜目が利かない」
それだけ言って、僕と入れ替わるように前を歩き始めた。
鼻を摘まれてもわからないような暗闇の中を、ただスライムに握られた手だけを意識して歩き続ける。
しばらくして足元の感触が変わっているのに気がついた。
あの「処分場」で靴を失ってからずっと裸足で歩いてきたが、荒れたアスファルトの道から、何かツルツルと磨かれた床の上に変わったのを感じた。
「ここ、何処?」
「建物の中に入ったな」
スライムには相変わらず辺りが見えているのか、すぐに答えが返ってきた。
「もう少し行くと下に下りる通路がある」
「下? これ以上地下に下りるのか?」
「ああ、人の気配はここから300mほど下にある」
「はぁ?」
気軽に言ったが300mも地下の様子がわかるのか?
コイツの感知能力どうなってるんだ?
改めてスライムが色々とチート過ぎる。
異世界転生ものって、普通俺がチート級になるんじゃないのかよ?
おまけで転生したスライムのほうがチート級ってどういうことだよ。
「……いいか?」
真っ暗な中でスライムにぎゅっと手を握られる。
「降りるぞ」
「え? え?」
僕が間抜けな声を出しているうちに、腕を引かれ、スライムにぐっと抱きかかえられる。
「ちょっ! 何すんだよ!」
あわあわと暴れる間もなく僕はスライムにお姫様抱っこをされて、更にそれに異議を申し立てる間もなく異様な落下感が襲ってきた。
「ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょ、ま、ま、わっ、わああああああああああああっ!」
悲鳴を上げながらスライムにしがみつくこと数秒。
落下感は始まったときと同じく唐突に消えうせた。
「着いた」
僕はスライムの首にしがみついたまま、恐る恐る目を開ける。
「…………え?」
明るい。
目に入ってきたのはコンクリートの壁。
その壁に連なる電灯のような灯り。
あの処分場のような薄汚さはほぼない。
それなりの経年は感じさせるが、掃除が行き届いていて綺麗な屋内と言う感じだ。
ゆっくりとスライムに下ろしてもらって、僕は用心深く周囲を見回した。
「これって……」
最初に目を覚ました病室に似ている。
正確には狭い一室ではなく、どこかビルのエントランスのような広い空間だったが。
「何なんだ……これ……」
何度目の疑問符だろう。
エントランス内はごく普通の小奇麗なつくりなのだが、外壁を広く切り取って本来ならば解放的に外が見えるはずのショーウィンドウは異様な状態だった。
窓の外を隙間なく鉄板が覆い、一切外の様子を伺い知ることができなくなっていた。
それも簡易的に鉄板が立てかけてあるというのではなく、封じる意思を持ってきっちりと窓に鉄板が留めつけられている。
更に目の前には多分ビルの出入り口と思われる大きなドアがあるが、これもかなり厳重に鉄板で塞がれていた。
「これじゃ、ここから出れないじゃん……」
異様な光景に途方に暮れる僕とは対照的に、スライムはそのドアとは逆の建物の奥を指差して言った。
「一番近い気配はこの奥に居る」
「外じゃないの?」
「外にもいるが少し遠い」
スライムの指差す方にはビルの内部へと続くような通路が続いている。
明かりがついているので奥まで見えるが、自分には人の気配は一切感じられない。それどころか、なんだか深夜のオフィスビルに泥棒に入ったような雰囲気で居心地が悪い。
「……敵じゃ、ないよね?」
「わからん」
「ちょっ、なんでさ!」
「生き物がいると感じるだけで、敵か味方かの判断なんぞつくか」
「お前なー……そう言う所だぞ?」
「お褒めに預かり」
「褒めてない!」
「ここでグズってもどうしようもないだろう。行くぞ」
スライムはそう言うと僕の手を掴んで再び歩き始める。
建物の中はとても廃墟とは思えないほど建物に劣化がなかった。
しかも、電灯だけでなくエアコンも生きているようで、ほこりっぽさも肌寒さもない。
この様子なら、奥にいるのはこのビルを管理している人間がいて、色々とこれからのことを何とかできるかもしれない。
全く持って何の根拠もない楽観的な考えだったが、あの血みどろの処分場でも野趣溢れる森の中でもないだけで、かなり精神的には楽になっている。
そんな調子で僕は、スライムに引かれるままに続いて、通路の最奥にあったドアをくぐったのだ。
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「…………え?」
呆然、再び。パート2。
管理人室に入るくらいの気持ちでくぐったドアの向こうには、本日一番の衝撃の光景が広がっていた。
いやもう、衝撃が続き過ぎて、ちょっと麻痺し始めたくらいだ。
悲鳴を上げずに絶句で済ませた僕を褒め称えたい。
目の前には、僕が想像していたのとは全く違うものが存在していた。
「……気配って……これ?」
「ああ、そうだ」
僕とスライムは呆然とそれを見上げている。
そう、それは見上げるほど大きい――人型の機械だった。
多分、機械なのだろう。
処分場から脱出するときに頭上を飛翔していったあの機械。
ただ、この目の前にいるのは乙女という優美さはない。
大きさは座り込んだ状態でビル一棟分くらいの大きさがある。
ジャンボジェットなんかより遥かにデカイ。
「マジか……これ、動くの?」
「生きてるな」
「生きてる?」
「ああ、これから感じるのは人間や動物と同じような有機体としての生命活動だ」
巨大な人型ロボットという、お馴染みだけど3次元でお目にかかることはないだろう代物。
しかも、これはロボットではなくて生き物だというのか?
「生きててもこれじゃ……」
巨大ロボットと意思の疎通をとるのはかなり難しいだろうと思われた。
が、ファンタジーは更に斜め上にファンタジーだった。
「有機体ならアクセスは難しくない」
スライムは僕を置いて座り込んでいるロボットに近付いて行く。
「ちょっと! 待てよ!」
後を追おうとした僕を、スライムは手で軽く制した。
「どうなるか分からない。少し離れていろ」
そう言って腕をロボットの方へ伸ばすと、水色の触手がしゅるんとロボットの方へ伸びる。
処分場で死体に入り込んだときのように、装甲の隙間から触手が中へと入り込んで行く。
「スライムっ!」
僕が呼んでも反応はない。
スライムはかなりの量の触手を機械の中へと送り込んでいる。
まさか、今度はこの機械の体に入り込むつもりなのか!?
「完了」
スライムがそう言うと同時に、巨大ロボットの目に当たる部分はゆっくりと開かれた。
青い光を湛え仄かに光るその瞳は、足元に佇んでいるスライムと僕を見た。
目が合った……?
それは確かに生命の反応だった。
――― 続




