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スライム(種族)とスライム(名前)

「あー……もうダメ。頭狂いそう……」


 無事地面にたどり着いた僕の第一声は当然ボヤキだった。


 いきなり訳わからない場所に連れて来られ、何が何だかわからないうちに処分が決定。

 死体だらけの穴の中で、にょろにょろと死体を漁る触手と生き返った死体。

 何とか脱出してみれば、地獄ジェットコースターと――人型の空飛ぶロボット。


 あの機械はなんだったんだろう。


 間違いなく生き物ではなく機械だった。

 でも、あんな巨大なものが空を飛ぶなんてありえない。

 飛行機のような翼もなく、音がほとんどしない動力源、そして巨大な人型の機体。

 夢でも見てるならまだしも、あんなものは僕のいる世界にはない。


 でも、頭のどこかで薄々考えてもいた。


 ここは僕が生きてきた世界とは違う世界なんじゃないか?


 あのスーツの女が言っていた言葉。


『ショウカンタイショウを個別に選択できない』


 ショウカンタイショウ。

 僕の考えが間違っていなければ、その文字は「召喚対象」だろう。

 あの時、部屋にいた連中に、僕は僕の世界から召喚された。

 どうやってされたかなんてのはわからない。

 でも、あんな人型のロボットを空に飛ばすような連中なら、違う世界から人間一人を呼び寄せる事ができるかもしれない。

 物質の転送とか、タイムマシンとか、僕のいた世界でも話だけはいくらでも出ていた。


 そういう発想があって、技術力があったら、それを叶えている世界があっても不思議じゃない。


「大丈夫か?」


 座り込んで頭を抱えている僕の顔を、大男が覗き込んでくる。


(こいつとも平気にこうしているけれど、こいつこそ僕の常識を遥かにぶっ飛んだ存在なんだよな……)


 確かにこの大男は死んでいた。

 明らかに致命傷と思われる胸の傷。

 今はふさがって傷跡になっているが、その大きさを見ても即死だったと言われても何の疑問もない。

 そこに入り込んで大男を生き返らせた触手。

 青い透明な水の塊のような触手。


「あっ!」


 スライム!


「お前っ! もしかしてスライム!?」


 あの触手はジャム瓶の中にどろんとしていたスライムに見た目はそっくりだった。


「今更か?」


 大男は相変わらず顔は血で汚れて表情がわかりづらいが、白目がすっと細まったので目を眇めたようだ。

 そして、すっと僕の方へ手を差し伸べると、背後からにゅるっと触手が腕に巻きつくようにして姿を見せる。


「それって……」


 大男の背後から姿を見せた触手は、その先に金色の丸いものを持っていた。


「あの瓶の蓋……」


 これを開いたときに僕の世界は一転した。


「お前がこちらの世界に引き込まれたときに、お前が手に持っていた俺も一緒に巻き込まれたんだ」

「やっぱり、ここは違う世界なのか?」

「そうだな。俺とお前がいた世界と同じ世界ではない」

「マジか……」


 僕は再び頭を抱え込む。

 すぐに理解するには情報量が多すぎる。

 それに比べて、大男改めスライムは落ち着き払った様子で、僕の隣に腰を下ろした。


「……なんでお前そんなに落ち着いてるわけ?」

「慌てても仕方ないからだ」

「なんだよ、スライム、男前かよ……」


 スライムって生き物はもうちょっと可愛げのあるものじゃないのか?

 最初の町で初心者勇者の経験値の種だったり、異世界ラノベでだって最弱生物だろ。

 丸くてコロコロしてて可愛いのがスライムじゃないのかよ!


「スライムが入ると死体が生き返るとか知らなかったんだけど」

「生き返ってないぞ?」

「え?」

「この身体の持ち主は死んだままだ。この身体の中に俺がいるから動いたり喋ったりするだけで、記憶もなければ、この身体の元々の能力なんかも全く使えない」


 そう言うと、大男は座ったまま大きく伸びをした。


「身体が大きければハッタリが効くかと、あそこにあった死体の中で一番大きな奴に入り込んだんだが、ここから先は大きい体が不便そうなら、別の死体に住み替えるだけだ」


 お前はヤドカリか!

 つか、その倫理感どうなんだよ!


 僕はそこまで思ったが、それを言葉にはしなかった。


 こいつ、スライムなんだよな。

 なんか頭良さそうだけど。

 スライムに倫理観もとめてもどうしようもなさそうだ。

 頭良さそうなのはムカつくけど。


「そんなにホイホイ住み替える死体があってたまるか……って、まさか! お前、僕を狙ってないよな!?」


 ちょっと八つ当たり気味に怒鳴り散らすと、大男は目を瞠って僕を見た。


「お前を?」


 血で汚れて表情の読めない顔がじっとこっちを見る。

 え? それ、どういう感情?

 死んでるより生きてる方が居心地良いとか……ないよな?


「俺はお前には入れない」

「……え?」

「だから、死んでくれるなよ」


 大男は目を逸らしてそう言うと、立ち上がった。


「スライム……お前……」

「あと、スライムと呼ぶのは止めてくれ。お前は最初から俺をスライムって呼んでいたが、俺はそれとは似て非なるものだ」


 一瞬でもきゅんとして損した。


「……メンドクサイな。名前とかないのか?」

「名前はないな。俺は気がついたらあの瓶の中に居たんだ。もしかしたら本体には名前がついてたかもしれないが、俺にはその記憶はない」


 瓶詰めされる前の記憶がないのか。

 どうしてあんな瓶に詰められてダークウェブで売られていたのか聞いてみたかったが、それを聞き出すことはできなそうだ。


「……スライム」

「は?」

「お前の名前はスライム! マスターの僕が決めた!」


 僕は徐に立ち上がり、びしっとスライム(種族)改めスライム(名前)を指差して宣言した。

 買ったのは僕! 飼い主も僕! ペットなら名前はオーセンティックでシンプルに!


「お前は僕がなけなしの10万円で買ったんだ。命名権くらい僕にある!」

「……名前か? それ」

「拒否権はない! スライムかポチ! どっちか!」


 ちなみにメスだったら「たま」と付け加えると、大男は軽く肩をすくめて「スライムでかまわん」と言った。


「さて、このままって訳にも行かない。そろそろ移動するぞ」


 スライムと名付けられた事はあまり気にならないのか、スライムは話題をすぐに切り替える。


「移動って何処へ?」

「食料があるところ、睡眠が取れるところだ」

「そんな場所あるのかよ……」


 脱出する前、高い場所からこの辺りを見回したが、街や集落らしきものは何も見えなかった。

 見渡す限りの樹木の緑が広がるばかりで、何でこんなところにこんな高い建造物があるのかわからないと思ったくらいだ。


「人間がいる気配はあるんだがな……」


 スライムは森の奥を眺めて言う。


「ここで座っていても腹は膨れない。森の中ならば食えるものもあるかもしれないから移動するぞ」

「わかったよ。それは同意だ」


 僕も立ち上がって、尻の埃を払い落とす。

 埃を払っていたら、自分たちが汚れている事を思い出した。


「どこか、川とか池とかないかな?」

「魚でも取る気か?」

「違うよ。顔と身体が洗いたい。スライムも酷いぞ、お前の顔も真っ黒だ」

「ああ、そう言えばそうだな」


 スライムは自分の顔を拭ってみるが、汚れは落ちずに塗り広がるばかりだ。


「臭いも酷い」


 大分、薄れはしたが、お互いにあの血と腐敗したものの悪臭が付きまとっている。

 僕のボヤキを聞きながら、スライムは何かを探るようにじっと目を閉じて、しばらくしてから辺りを見回した。


「水の音がするから、近くに水場があると思う」

「とりあえずそこに言って体を洗おう。このままじゃもしこの世界の人に出会えたとしても、不審者極まりないからな」


 スライムというのは感覚が鋭いのか、それとも器の死体が超感覚の持ち主なのかわからないが、スライムは再び迷わず歩き始める。

 その足取りには、まるで目的地がわかっているかのような確信感じられる。


(よくわからない生き物だな……)


 そして僕は、スライムの後に続いて異世界の森の中を歩き始めた。



――――――――――――――――――――



 スライムの言った通り、水場はすぐに見つかった。

 しばらく歩くと、森の中にぽっかりと木々が途切れた場所が現れ、その真ん中が大きく窪んだ岩場になっていた。

 岩場の縁から下を見ると、2メートルほど下りたところに透明度の高い綺麗な水が滾々と湧き出ている。

 水場の底は砂地になっていて、もうもうと水が湧き出しているのがよく見えた。

 僕は早速下りようと岩場から身を乗り出すが、それはスライムの腕によって引き止められた。


「何すんだよ」

「水は確認してからだ」


 そう言って、スライムだけが岩場を下りる。

 この岩場の岩は、溶岩の塊のような岩なので、多少無理な姿勢でも滑ることなくつかまっていられる。

 スライムは水の中に入らないように、腕を伸ばして手に水を掬い取る。

 そして、鼻に近づけて匂いを嗅いでから、ゆっくりと口に含んだ。


「……大丈夫だ。飲める」

「わかった!」


 安全が確認できたと呼ばれて、岩場を下りようとすると、スライムは水の中に入って両腕を広げ僕を待ち構えるようなポーズをとっている。


「……何それ」

「落下対策」


 満面のドヤ顔。

 顔が見えなくてもわかる。

 こいつのオーラが全身でドヤ顔をしていると語っている。


「飛び降りてやるから、受け止めろよ!」


 僕はそう言うなり、ドヤ顔で腕を広げているスライムにとび蹴りを食らわす要領で岩場の上から飛び降りた。


「食らえっ!」

「おう」


 自分的には渾身のとび蹴りのつもりだったが、スライムに難なく受け止められた。

 勢いつけて飛び込んだ僕の腰をすばやく捕らえ、そのまま水の方へとぐるんと振り回して放り込まれる。


「ぎゃっ! わ、ぶぅっ」


 ザバンッと大きな音を立てて水没した僕を見て、スライムは笑いながら言った。


「さっさと洗え。日が暮れたら濡れたまま野宿だぞ」

「うるさい! お前もその汚い顔を洗え!」


 僕は負けじと怒鳴り返すが迫力も何もない。

 頭の天辺までずぶ濡れで汚れが溶けて黒い水を滴らせている僕を見て、「汚いのはお互い様だろう」と軽く目を眇めると、スライムは両手でザブザブと水を掬い顔と身体を洗い始めた。


 水場の水は程よく深く、僕は腰まで水につかり、着ていたシャツを脱いで洗いながら、ついでに顔や髪も洗った。

 濯いだり絞ったりする度に周囲の水が赤黒く濁ったが、水には流れがあって濁りは速やかに消えてゆく。

 運よく外気は夏くらいの暑さだ。

 森の中の木陰は涼しいが、日陰のないこの岩場なら服もすぐに乾くだろう。


「石鹸がなくても割と落ちるんだな……」


 染みもなく綺麗さっぱりとは行かないが、染みの模様がつきつつも真っ黒だったデニムシャツは青みを取り戻した。


「そういえば、お前の上着を何とかしな……って、何だそれ」


 ズボンしか履いていないスライムをどうするかと、近くで水しぶきを上げて水を浴びているスライムの方を見て僕は目を瞠った。


 血泥で汚れきっていて、髪の色も肌の色も良く分からない有様だったスライムだが、水で洗い流したところ、どうやら黒髪に褐色の肌の主だったようだ。

 髪は肩にかかる位長く、褐色の肌にはなんと複雑な模様が描かれている。


「刺青を入れていたようだな」


 スライムも綺麗になった自分の身体を見て言った。

 褐色の肌に更に黒い墨で、幾何学的な模様が背中と腕、胸から腹にかけて彫られている。

 それだけじゃない。こっちを向いた顔を見ると、顔にも刺青が入っていた。

 年齢は僕より少し上かもしれない、青年然とした落ち着きのある顔。

 鼻梁は高く整っていて、唇はやや厚いが男らしく印象は悪くない。

 そして、目元から頬にかけてその顔を飾るように刺青が彫られている。


 所謂、イケメン男前という奴だ。


「スライムの癖に!」

「これはこの身体の持ち主が生前入れていたもので、俺が好んで入れたわけじゃない」


 スライムなのに僕より頭が良さそうで、僕より背も高くて、僕よりイケメンとは何たる事か!


「イケメン滅べ!」

「おいっ、こらっ」


 ふざけてスライムの腹にパンチを入れる振りをして、スライムの方へ一歩踏み出した時、ずるっと滑るように踏み出した足が砂に埋まった。


「えっ?」


 ずるっ、ずずっ……と、僕の両足が砂に埋まって行く。


「……どうした?」


 僕の異変に気づいたスライムが僕の方へ近付こうとしたが、僕はそれを制止するために声を上げた。


「来るなっ!」


 その声に一瞬身を竦ませるように立ち止まったが、その間にもどんどん水に沈んで行く僕を見て、スライムは僕に何が起こったのか察したようだ。


「つかまれ! ニシキ!」

「放せ! お前まで沈むっ……」


 ずるずると砂に埋まりながら、スライムが来ないように腕を振って威嚇するが、スライムは僕の腕をしっかりとつかんだ。

 そして、引き寄せようと力を入れたが、すでに僕の身体は膝の上まで砂に埋まり、引き込まれるスピードは上がっている。


「ニシキっ!!」



 スライムが僕の名を呼んだのを最後に、僕は水に完全に沈んだ。



――― 続

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