地獄ジェットコースターと戦乙女
無限に続くかと思った時間は終わった。
ボトボトとまだ何かが落ちている音が聞こえていたが、何とか大きな音は止まったようだ。
『だいじょうぶ?』
案ずるような声が聞こえたが、僕はまだ目を開くことが出来ない。
「無理……」
音は止まった。
臭いは再びわからなくなった。
でも、恐怖は微塵も薄まらない。
背後から何者かに抱きかかえられたままの身体はガタガタと震えて力が入らない。
『ここから、だっしゅつする』
「え!? 出れる……ひぃっ!」
その言葉に思わず目を開いたが、その瞬間視界に飛び込んできたものに僕は再び悲鳴を上げた。
あたり一面赤黒い泥にまみれた死体、死体、死体。
明らかに人間の死体が、奇妙に捻じくれて積み重なっている。
その光景はあまりにも凄惨すぎて、現実味が薄くすら感じる。
『ここにいるのは、よくない』
声はそう言うと、ゆっくりと僕の身体を下へと下ろし始めた。
「やっ、やめろ! し、し、死体! 死体があるってっ!」
『だいじょうぶ』
何が大丈夫なのかわからないが、死体の上に下ろされたくなくてジタバタ暴れる僕を抱えたまま下に下ろされた。
そして、僕は、初めて自分を抱えていたものの姿を見た。
「しょ、触手!?」
僕の背後からにゅるんと見えるのは、青い色の透明な人間の腕ほどの太さの触手だった。
よく見れば、僕の胴を支えているのも、同じような青い触手だ。
「ひぃっ、え、やば、これヤバ」
触手に捕らわれているという状況に気がついて、とてもじゃないけどジタバタできず。
今度は逆に固まって、じわじわと自分の身体を拘束している触手の様子を探った。
どうやら触手は僕の背中にペッタリとくっついた状態のようで、目の前で触手が動くたびに背中の方までもぞもぞする。
しかも、さっきから聞こえているこのボワンと響く変な声は、この触手の声らしかった。
『みつけた』
さっきから僕の前をゆらゆらしていた触手が、まるで釣竿でルアーを放ったときのようにヒュンと音を立てて伸びる。
「え?」
僕から少し離れた死体の山の上の中に勢いよくもぐりこみ、しばらくもぞもぞとしていたが、やがて何かを見つけたのか、他の触手も次々と伸ばして、なんと目の前の死体の山をあさり始めた。
『これ』
何本もの触手が、死体の山の中から大きな何かを掘り出した。
「え、ええ、え……」
その大きなものが僕の前に引きずり寄せられる。
それはかなり大柄な若い男の死体だった。
「ちょ、ま、それ、どうすんだ……よ……」
『つかう』
僕の問いに触手は簡潔に答えた。
つかうって、使う!?
この死体を!?
触手はゆっくりと大男の死体の表面を検分するかのように撫で回す。
「うぇ……」
大男の死体は上半身裸で、下はズボンをはいている。
顔は汚れて良く分からない。髪は少し長いようだ。
そして、上半身が裸なので、大男の死因はすぐにわかった。
素人が見てもコレが致命傷だろうという大きな傷が、男の胸の真ん中を貫いている。
触手たちはその傷を中心に死体を撫で回していたが、次第に傷の中へと入り込み始めた。
「ひ、ぃ、い、ひぃっ」
僕はもう悲鳴だか嗚咽だかわからない声をただひたすら漏らしている。
声を出していないと、頭がおかしくなるような気がする。
殺人鬼に刃物を突きつけられたときに、殺される奴がベラベラと喋り始める気持ちが初めてわかったような気がした。
「ちょ、ま、やめっ、ひぃっ、い、ああ、あああ、ぅげ……」
ジュクジュクと音を立てて、触手が傷の中へ入って行く。
僕はそれを目を閉じることも出来ずに見ている。
そして、身体の中にある程度触手が入り込むと、今度はぷちっと音を立てて触手が千切れた。
「え……?」
触手は次々と千切れて、身体の中に入り込んだ分だけ残して僕の後ろへと戻り始める。
千切れて死体に残された触手は、完全に傷口の中へと入り込んでしまった。
「何するんだ……ひっ!」
触手が入り込んだ傷口と胸が、内側から何かに押されるようにびくんっと大きく波打った。
その震えが胸から身体全体へと広がって行く。
死んでいるはずの身体の内側で何かが蠢くように死体は震え続けた。
「な、何してるんだよぅ……」
死体が身体を震わせている様子はまるでゾンビ映画だ。
赤黒く汚れて、胸に大きな傷のある大男の死体が、僕の目の前で奇妙な音を立てて震えている。
凍りついたようにそれから目が離せなくて、僕はその蠢く死体を凝視し続けた。
どのくらい時間がたっただろう。
気がつくと僕の身体を支えていた触手はいなくなり、目の前にはさっきまでビクビクと震えていた大男の死体だけが横たわっていた。
奇妙なことに、大男の死体は、震えが治まった辺りから、胸の辺りが規則正しく上下し始めた。
痛々しく開いていた傷口はいつの間にかふさがり、火傷痕のようになっている。
泥まみれで汚れて、顔も良く分からないが、かろうじて汚れていない部分の肌の色が変わってきたような気がする。
本格的にゾンビというよりは……これは……
「生きかえ……た……?」
大男の死体が、ゆっくりと起き上がった。
――――――――――――――――――――
「やめーっ! ちょ、無理いいいいっ!」
僕は大男に抱えられ、地獄のジェットコースターを体験させられていた。
「むりむりむりむりむりむり!」
「黙らないと舌を噛むぞ!」
そんなことを言われても悲鳴を抑えることはできない。
大男に荷物のように肩に担がれ、滑り落ちる先ではなく遠ざかって行く外壁と凄まじい勢いですっ飛んで行く景色しか目に入らないが、内臓がひっくり返るような浮遊感は絶え間なく僕を襲っている。
「やめてええええええっ!!」
生き返った大男の死体はめちゃくちゃ思い切りの良い奴だった。
生き返るなり、目の前にいた僕を無言で抱え上げ、目の前のコンクリートの絶壁を登り始めたのだ。
何がなんだか分からないけど、とにかく今抵抗して下に落ちたら確実に僕は死ぬ事だけは分かったので、大男の肩の上で男の背中にしがみついてギュッと目を閉じていた。
恐ろしい事に僕を肩に担いだまま、大男は何の手掛かりもなさそうなコンクリートの壁を登りきり、あの頭上にあった穴にまで到達した。
そこは下から見ていたよりも大きな穴で、四方をコンクリートで加工されていた。
大男の背から下ろされて、穴の奥を見ると、非常灯のような小さな明かりがついた通路がずっと奥へと続いている。
コンクリートは天井まで黒く染まり、じっとりと湿った足元は脂でぬめっている。
そして、麻痺しそうなほどの悪臭。
僕はここをゴミ箱と呼んだけど、実際にそういう施設の中なのかもしれない。
「ここ、何処なんだよ……」
病室みたいな部屋からいきなり落とされた場所。
あのままあそこにいたら、僕はただ死ぬだけだっただろう。
大量の死体が投げ込まれてきたところを見ても、あそこはそういう場所なんだと思う。
「なぁ、これからどうするの?」
僕をここまで連れてきた大男の顔を見上げた。
この大男、本当に大きい。
身長は2メートル近くあり、僕を担いだ肩も胸の厚みも僕とは比べ物にならない。
顔は真っ黒く血で汚れているために表情が読めないが、その隙間に白く見える目がじろっと僕の方を見た。
「ここから逃げる」
「逃げるって、何処へ? どうやって!?」
言葉が足りなすぎてわからない事だらけの大男にイラッとして言葉を返すと、大男はまた無言で僕を肩に担ぎ上げた。
「行くあてがなくても、あそこで死にたくはないだろう」
「そりゃ、まあ、そうだけど……」
荷物のように僕を担いだまま、大男はずんずんと穴の中を進んで行く。
穴はアリの巣のようにいくつも分岐があり、その分岐の度に大男は立ち止まりキョロキョロと辺りを見回しては先に進んでいった。
「道が分かるのか?」
「とにかく先ずは外に出る」
「そりゃそうなんだけど……」
しかし、大男の野生の勘に頼りきった移動は、30分ほど進んで終わりを告げた。
「ここって……」
大男と僕がたどり着いたのは、外への出口には間違いなかった。
ただし、地上から100メートル近く離れた場所に開かれた換気口のような出口だった。
肩から下ろされた僕は、その高さを確かめるために一度下を覗き込んでみたが、すぐに後悔して出口から離れた。
大男はこの高さにも怖気づくことなく穴から身体を乗り出し、周囲の様子を探っているようだ。
「こんな高いところからどうするんだよ……」
自分は何もできないのに、大男を責める様な口調になってしまう。
それはいけないと分かっているが、怒涛の展開に僕もいっぱいいっぱいだ。
「あれを伝って下りれそうだ」
「え?」
大男が指差すものを恐る恐る覗き込む。
覗いた先、3メートルほど下に、太いケーブルが繋がっていた。
「え? え?」
外壁から生えたケーブルは、外壁の真下にあるお堀のような川を越えて、森の中へと吸い込まれている。
「ちょっと待って。あれって、アレ?」
「そうだ」
「マジで!? 正気!?」
ケーブルの太さはそれなりに太いが、それでもこの大男と僕がぶら下がって無事でいられるかはかなり怪しい。
途中で切れた場合、大男と僕は100メートルを真っ逆さまだ。
いや、切れなくても、ここからあのケーブルにつかまり損ねた場合、問答無用で真っ逆さまだ。
「ほ、他に道を探そう。ここまで来る途中に分岐が結構あったじゃないか、もっと別に通じる通路もあると思うんだけど……」
僕は床に伏せたまま、大男を振り返って言った。
大男は無情にも首を横に振る。
「無理だな。ここ以外の分岐はすべて外の気配がなかった」
「とりあえずこの穴を出て、建物の中から脱出するのは?」
「捨てられた俺たちが、この建物の中をうろついて、すんなり外に出れると思うか?」
「でもっ……えっ? ちょっ……」
大男は僕の抗議をまるっと無視して、再び僕を担ぎ上げた。
「待て! 待って! 待ってください! お願いします!」
「黙っていろ、舌を噛むぞ」
僕を担ぎ上げた大男は、躊躇いもせずにケーブルに向かって飛び降りた。
その行動はあまりにも計算なく行き当たりばったりで、案の定、僕らはロープを掠るようにして落ちそうになった。
「ヒィッ!」
しかし、落ちそうになった僕たちを支えた存在があった。
「……え?」
ビョンッと弾むようにして空中に停止したのを感じて恐る恐る目を開くと、男の腕にはあの触手が何本も絡みつき、ケーブルと僕たちをしっかりと繋いでいた。
「下りるぞ」
その言葉を合図に、僕は地獄のジェットコースターライドに突入した。
「やめてええええええっ!!」
びゅんびゅんと風を切りながら、滑空というにはあまりにも落下に近い速度で、僕たちはケーブルを滑り落ちて行く。
大男の両腕は触手とケーブルにつながれ、僕はその肩に引っ掛けるように担がれている。
少しでも動いたら、少しでもぶれたら、少しでも揺れたら、僕は間違いなく真っ逆さまだ。
「嫌だああああ……んぎゅっ!」
絶叫の限りを尽くしていた僕の口の中に、不意に触手が飛び込んできて口を塞がれた。
「んっ! うぐ!」
「黙れ。何か来る」
大男と触手はそう言うといきなりケーブルから手を放した!
あと少しではあったものの、まだ地面までは5メートル以上ある。
緑の茂る木の中へ、僕たちは勢いよく突っ込んだ。
「っ!」
男にギュッと抱えられたまま、再び強いバウンドを感じて落下は止まった。
それとほぼ同時に、頭上に大きな黒い影が現れる。
それはその大きさにまるで見合わぬ静かな滑空で、優雅に空を横切って行く。
(えええっ!?)
口を塞がれたままの僕は、心の中で絶叫する。
今、目に映っているものが信じられない。
いや、触手や死体や地獄ジェットコースターも信じられないけど、その目に映るのはかなり異質な存在だ。
(人型の……ロボット……)
それはとても優美で美しい姿をしていた。
北欧神話にある戦乙女たちが空を駆けて行くようだった。
しかし、明らかに金属と分かる外殻に包まれ、わずかではあるがモーターを回すような音も確認できる。
そんな機械の戦乙女が3機も上空を横切り、僕たちが逃げてきた建物の向こうへと消えていった。
「なんなんだ……あれ……」
いつの間にか口に詰まっていた触手はいなくなり、僕は呆然とそれが消えていった空を眺めていた。
「わからん。だが、俺たちの味方ではあるまい」
大男は僕の独り言のような呟きに素っ気なく答えた。
だが、何が何だかわからない状況の中、更に僕は混乱に追い込まれてしまった。
――― 続




