第27話 ダークオークキングは穏やかに微笑む
魔界を見張る兵士から報告があったのは、三日前のことだ。
前回と同じく、初めは“何か”に追い立てられた角狼やゴブリンなどの出没情報。ただし前回とは比較にならないほど多数の。
ケイとジョーの判断で、その時点で騎兵と身軽なハイオークだけをわずかに残して、前線の拠点は放棄された。そして翌日には、その騎兵達も引き払うことになった。
彼らによって届けられた続報は、大地一面を覆う紫の侵攻である。
そして今日、ダークオークの群れはついに駐屯地―――王都を守る最終防衛線―――まで迫っていた。
「…………」
一番はオークの兵士と共に城壁の上面、歩廊部分に控えていた。
投石が得意な者達を中心に集めている。他にもケイが選りすぐった弓兵や弓使いの冒険者、魔術師達が顔を並べている。
「あまり大きいのはいないねぇ」
二番が隣りへやって来た。
彼女の言う通り、ダークオーク達の身体は総じて小さかった。
矢面に立った比較的大きな者達でも並みのオーク程度で、後方には頭二つ三つ分も小さい明らかな子供も混じっていた。どころか、最後尾には赤子を抱えている者や腹のふくれた雌まで続いているようだ。
軍と言うよりもただの集団に等しい。ただし、総勢で一万にも上ろうという大集団だ。
駐屯地の防壁までおおよそ百ワンド(100メートル)の位置で、ダークオーク達は足を止めた。
ややあって、他より一回り大きな個体が前へ進み出た。ハイオークに近いサイズだ。
集団をその場に留め置き、ただの一頭でずかずかとこちらへ近付いてくる。
「構えっ」
ジョーの号令一下、弓兵は弓を引き、魔術師は詠唱を始め、一番達ハイオークは拳大の石を握り込む。
こちらの備えに気付かぬはずもないが、ダークオークは臆した様子も無く歩を進め、十ワンドの距離でようやく前進を止めた。
今度はその距離を保ったまま右へ左へ移動し、城壁の上の兵士達に視線を巡らせる。やはり臆した様子は無い。
リアンの監督の元で完成した石積みの城壁は高さ十ワンド、厚みは五ワンド。王でさえ足掛かり無しに乗り越えることはかなわず、容易に破壊も出来ない堅固な石塁だ。
―――?
一番は自分の正面までやってきたダークオークと、一瞬目が合った気がした。
ダークオークは小さく頷くと、ぐっと身を屈める。―――直後、大地が爆ぜた。
「イチバンえらいの、アナタ、ですか?」
ぎこちない言葉が聞こえて来る。目の前から。
件のダークオークは城壁の縁、矢避けの胸壁の上に立っていた。大して厚みも無いその場所で、つま先立ちで器用にバランスを取っている。
視線をそらして眼下、―――先刻までこのダークオークが立っていたはずの場所に目を向ける。そこには、もうもうと砂煙が舞っていた。
つまりは、ひとっ飛びでここまで跳躍してきたと言うことなのか。
爆発音に聞こえたのは、このダークオークが地面を蹴った音と言うことか。
小柄で身が軽いとはいえ、王ですら不可能なことをやってのけたのか。
「…………何故オレが一番偉いと?」
「アナタが、イチバン強そうだ、です」
ニコリと人懐こい笑みを浮かべて言う。
たどたどしい発音は、普段魔界語を話しているからというだけではなく、まだかなり年若いせいでもあるのだろう。馴染みの薄い紫の肌で分かり難いが、幼いと言って良い年頃に思える。
「オレより身体が大きいのも大勢いるが?」
「身体がおおきいヤツが強い、ちがいます。もしホントウなら、オレたちはドラゴンに食いつくされてる」
ダークオークはどんと自身の胸を叩いて見せた。
確かに背丈は一番とほとんど変わりない。が、身体の厚みが違う。オークらしく腹こそ出ているが、肩や胸の筋肉は小山のようだし、骨格からして一番とは明らかに異なる。
これが王の危惧したダークハイオーク。いや、この姿はハイオークと言うよりもむしろ―――
「それなりに見る目はあるようだが、間違っているぞ、ダークオークっ! この場で一番強いのも、この場で一番偉いのも、この私だっ」
声を上げたのは、―――ケイだった。
「……ダークオークというのは、オレたちのこと、ですか?」
一瞬だけケイに目をやると―――先刻までと異なりひどく冷たい視線だ―――、ダークオークは一番に向き直り尋ねた。
「ああ。お前たち紫のオークを、オレたちはそう呼んでいる」
「ダーク、オーク。ダークオークか。うん、気にいった」
ダークオークは噛みしめるように繰り返し、にこりと笑った。
「それで、あのニンゲンのオンナが言ったこと、ホントウか? ニンゲンのオンナ、アナタより強いですか?」
「本当だ。あの方はオレよりもはるかにお強い。そして我らが王の大切なお方でもある。無礼は許さない」
言いながらじりじりと動いて、ケイとダークオークの間に位置取りする。
もしまたあの馬鹿げた跳躍をするなら、身体を張って受け止める構えだ。
「ふふっ、なかなか良い事を言うではないか、一番っ。いや、義弟よっ。そこなダークオークよ、聞けっ。我こそはこの国の正妃であるぞっ」
「セイヒ、というのは、オバアさまと同じ。王さまのキサキのこと、だな? なんだ、それならナカマだ」
ダークオークは表情を一変させると、無礼を詫びるようにぺこりとケイに頭を下げた。
「その王さまに、会いたいです。ここいるか?」
「それは……」
「王はこの場にはおりません」
言いよどんだケイに代わって答えたのは、ジョーだった。
「オマエは?」
「この子の姉で、ともにこの場の指揮を任されている者です」
「……うん、セイヒの姉なら、アナタもオークのナカマ」
ダークオークの表情がまた緩む。
どうやら“オークのナカマ”と“そうでない者”とを明確に線引きしているようだ。
ナカマに向ける顔は、色こそ違うが王が“人間達”に見せる顔とどこか似ている。
「それで王さまがいない、とは? あそこに見える、ニンゲンの巣にいるか?」
ダークオークは遠く見える王都を指差す。
「…………いいえ、所用があり、この地を離れております。今から馬を飛ばしてお呼び立てしても、すぐにはお戻りになられません」
ジョーは一瞬考え込んでから、答えた。
王の不在は、隠し通せるものではない。ならばせめて時間を稼ごうということだろう。
王都では住人や避難民たちのエルドランドへの移動が進められている。
「困った。腹を減らしたナカマ、たくさんいます。あまり待つ時間ない」
ダークオークはしょぼんと顔を伏せる。
魔界からこの駐屯地までに存在する集落はあらかじめ引き払い、食糧の類も全て運び出している。オークらしく略奪を当てにしていたなら、この数日満足に食べられていないはずだ。
「ご主じ―――、主人に何の用だ? 正妃であるこの私が代わって聞こうではないか」
「……オークのナカマなら、王さまでなくてもダイジョーブか。うん、わかった。みんなに言います」
ダークオークは一つ頷くと、豚鼻をごおっと鳴らし盛大に息を吸った。
腹に負けないぐらいまで胸をぱんぱんに膨らませ、そして叫ぶ。
「―――オークのナカマたちッ! 我がドウホーたちッ! 門を開いて、オレたちをみちびき入れてくれッ! ニンゲンたちを支配しッ、ともに再び、オークの楽園をきずこうッ!!」
「放てっ!」
「―――っ」
ダークオークががなり終え、緊張を解いた瞬間、対照的な冴えた号令が響いた。
調練で何度も繰り返した動作だ。ほとんど反射的に、一番は眼前のダークオークに向けて石を投げた。
十二分に引き絞られていた矢、すでに詠唱を終えていた魔術、無数の石がそれに続き、一斉にダークオークに迫る。
完全に虚を突いている。そして不安定な足場。これはもう防ぎようがない。
「―――なっ!?」
紫の竜巻を見た。
飛矢を巻き込み、火球や氷槍を打ち払い、投石を叩き落していく。
風が止んだ時、一番の眼前にあったのは先刻までと何も変わらぬダークオークの姿だ。いや、周囲には折れた矢や砕けた岩が大量に転がり、ダークオークの右手には棍棒が一本握られている。
竜巻の正体は、棍棒を猛烈に振りたくったダークオークの右腕だった。
「……オークのナカマとはいえ、もとはニンゲン。すぐに答えだせないの、わかります。一日、待つ」
号令の主―――ジョーに視線を向けたダークオークは詰るでもなく鷹揚に頷くと、城壁から飛び降りた。
「お待ちくださいっ。王が不在の状況で、たった一日で意見をまとめることなど出来ませんっ。こちらから幾ばくかの食糧を提供いたしますっ。それで十日っ、いえ、せめて五日だけお待ちいただけませんかっ!?」
ジョーは青い顔をしながらも、歩廊から身を乗り出すようにして叫んだ。
「…………すぐにメシ、届ける。三日だけ、待つ」
ダークオークはそれだけ言うと、来た時と同じく臆した様子も無く、のっしのっしと背中を晒して去っていった。
「な、なんなんだい、アイツは。あれじゃあまるで、―――むぐっ」
二番の口を、とっさに手で塞いだ。
一番も同じことを思ったからだ。それに気付けば、オーク兵の間に動揺が走りかねない。下手をすれば今の勧告に従い、城門を開けようとする者も現れるかもしれない。それだけは避けなければならなかった。
しかしそんな一番の思いも空しく―――
「―――まるでオークキングみたいなやつだなぁ」
冒険者達の中から、呑気な声が聞こえてきた。ディートリヒだ。
「そ、そうだ。確かに王様と同じ。いや、それ以上だ」
「まさかアイツもオークキング。いや、ダークオークキングってことなのか?」
オーク兵たちが口々に騒ぎ立て始めた。