第26話 姉オークキングは凶悪に嘲笑う
「―――っ、これでもまだ、負けを認めないというのですか、姉さん?」
「ははッ、そういうことじゃないよ。確かにアンタらはこのアタイを、いや、アタイだけじゃなく魔王様までも見事打ち倒したさッ。たいしたもんだよ」
姉は寝台へちらと目を向ける。
すでに聖女の奇跡で男魔王の目に見える外傷は癒されていた。
今はさらに“誘眠”の奇跡で深い眠りに落とすことで、無力化が図られていた。
自前の魔力が体内を巡る魔物には、元来この手の魔術に対する強い抵抗力がある。まして魔王ともなればほぼ完全に無効だろう。しかし戦闘で魔力の大半を消費し尽くし、意識も失った今の状態なら抗えないはずだ。
もはや生かすも殺すもこちらの思うがままである。
「でもねぇ、アタイらの首を取ったくらいじゃ、この戦は終わりゃしないよッ」
「大将首が落ちようと、最後の一兵になるまで戦い続ける覚悟だとでも言うのですか?」
「はッ、もちろんそれくらいは覚悟のうえだけどね、そういうことじゃないのさ。―――アタイらが大将だなんて、はなから言った覚えはないよッ」
「―――っ、そんなはずが……」
オークはオークキングに付き従う。それはオークに繁栄をもたらした初代オークキング以来八百年以上も続く伝統である。
いや、それも魔界奥深くで誕生した新種“ダークオーク”には関係のない話なのか。
しかしだとしても、魔物は基本的に強い個体に従うものだ。いくらダークハイオークが生まれたと言っても、さすがにオークキングや魔王を凌ぐとは思えない。ましてまだ二歳やそこら、人間で言えば十歳前後に過ぎないのだ。そんな子供に、オークキングである姉が地位を譲るとは―――
「―――まさか」
以前にも一度、王の脳裏を過った最悪の可能性が蘇る。
「おや、気付いたようだねッ。そうさ、このアタイが後を譲る相手なんてオークキングしかいないッ。いや、アンタらの呼び方を借りるなら“ダークオークキング”さッ!」
「―――っっ!」
「まだガキだが、アンタともアタイとも違う本当の王さ。アタイはただのダークオークなんて、ダークハイオークと比べれば無駄飯食らいみたいなもんだし、間引いちまえば良いと思ってアンタのところにけしかけたけどね。アノ子は全部救うんだそうだよ」
「全部救う?」
「ああッ。ガキから腹のでかいメスまで、ダークオークのお仲間みーんな引き連れて、―――アンタの国へ向かったよッ」
「なっ」
姉はさらに凶悪に口の端をつり上げた。
「魔王様がこの城を離れたくはないと言うんで、アタイら妃だけは一緒に残ることにしたけどね。ククッ、おかしいとは思わなかったのかいッ? これだけ暴れ回って、いまだに部下の一人も駆け付けないのを?」
はっと息を呑んだ。
確かに男魔王が魔力の柱で床や天井を叩く音は城内中に響き渡ったであろうし、縦一文字に走った魔力の斬撃の爪痕は、恐らくこの部屋だけに留まらず城の外壁にまで至っているはずだ。
だと言うのに、まるでオーク達が迫る気配が感じられない。
「勇者っ」
「おうっ」
勇者が寝台の奥、閉ざされていたぶ厚いカーテンを斬り払った。
魔王城の中でも特に上等な一室であり、窓からは城下が一望出来る。
時刻は正午を大きく回っている。如何に怠惰なオークと言っても、とっくに起き出して活動しているはずの時間だ。
「ダメだ、いねえ。人っ子一人、オークのガキの一頭だって見当たりゃしねえっ」
「入れ違った、と言うことかの」
「そんなっ。それではダークオークの大集団が、今まさに王国に迫っているということですかっ?」
王と顔を合わせた直後、姉は“国を空けて来たのか”とか“どうやってこの場所を知ったのか”とか、重要ではあるが本題とは言い難い問いをぶつけてきた。
今にして思えば、あれはダークオークの大移動に気が付いているのか、探りを入れていたのだろう。
「姉さんっ、彼らがこの地を旅立ったのはいつのことですっ!?」
「はッ、答えると思うのかい? ―――と言いたいところだが、教えてやるよ。十何日か前ってところかねぇ。ガキどももいるとは言え、並みのオークとは比較にならないアノ子達の足だ。そろそろアンタの国へ着く頃だろうよッ、ハハッ」
「くっ、勇者、賢者、聖女っ」
「おうっ」
「おや、帰るのかい?」
「我が国の民に手出しはさせませんっ」
言って、踵を返し掛けるも―――
「―――良いのか? 放っておいて?」
王をその場に踏み留めたのは、賢者の言葉だった。
「……そうだな、その通りだ」
何の事を言っているのかは、すぐに理解出来た。
男魔王と姉を放っておけば、今回のことが片付いたとしても結局振り出しに戻るだけだ。
実際、姉達が昼間から乱交に及んでいたのも、つまりは食い扶持が減った分だけ再び“産めや増やせや”を実践していたということだ。―――魔力の触手などを使っているあたり、半分はオークの旺盛な性欲を満たすためだろうが。
女魔王の手前、男魔王に手を下すことは出来ない。ならば―――
王は一旦ベルトに戻した棍棒を抜き放ち、振り被る。
察するところがあったのか、姉が叫ぶ。
「最後にひとつ教えてやるよッ。どうしてアタイが、オークの裏切り者であるアンタにアノ子らがいつ旅立ったかなんてわざわざ教えてやったと思う? どうせアンタじゃあ、アタイの孫には絶対に勝てやしないからだよッ! ククッ、アーハッハッハッ!!」
もはや腹はくくったということだろう。姉は命乞いをするでもなく、まるで王達を蔑むように哄笑した。
棍棒を振り下ろしてしまえば、これ以上この不快な声も聞かず、醜悪な笑みも見ずにすむ。―――だから、すぐにも実行すべきだ。
「アンタをブッ殺してッ、アノ子が真のオークの王となるッ。いいや、初代のダークオークキングとなるッ! そして、この大陸を支配し、人間どもを家畜に落としてやるのさッ!! なんて言ったかい、アンタの可愛がっていた人間の女もッ、そこのお仲間の三人も、みーんなねッ、オークの―――」
醜く歪んだ凶相が、そのまま凍りついた。
ややあって、“それ”はずるりとゆっくり肩の上を滑り、ぽろりと転げ落ちた。
「実の姉なんて、何も進んで手に掛けるもんじゃねえだろう」
勇者が聖剣を鞘に収める。
「……すまん」
「へっ、むしろ手柄を譲ってくれてありがとうってなもんだぜ。―――あたしは南へ来るとき、二つ目標を立てた。ひとつ、人類に仇なすオークキングを討つ。ふたつ、ついでに魔界を踏破して魔王を倒す。これで晴れて悲願達成ってわけだっ」
勇者は指二本をぴっと立てておどけて見せる。
ピースサイン―――はこの世界に存在しないので、目標を“二つ”達成したという意だろう。
「勇者よ、こちらのハイオークもまだ息がある。とどめを頼めるかの」
「あいよっ」
そうして姉達全員をきっちり仕留め、昏倒した男魔王だけを残して王達は急ぎ魔王城を後にした。
ドラゴンの背から一度振り返ると、ちょうど城へ降りていく飛竜の姿が見えた。女魔王だ。
男魔王にとってはある意味ここからが本当の修羅場と言えるのかもしれない。そしてそれは、恐らく王にしても同じだった。




