第24話 男魔王は猛威を振るう
「我が妃を手に掛けたのは貴様か、人間の魔術師」
男魔王が寝台の上で立ち上がった。いや、不自然にその体を浮上させた。
手足ではなく、魔力で形成された触手を床についている。
「うむ。いきなり襲ってきたのでな、正当防衛と言うやつだの。―――許せ」
最後の言葉は、ほんのわずかに語気が弱められた。
男魔王ではなく王に向けられたものだろう。
「…………」
床に転がる姉達に、ちらと視線を向ける。
直撃を受けた扉周辺の半数はすでに焼死体であり、残る半数もまだ息はあるというだけで、大半は生き長らえはしないだろう。
王ですら、神官の回復の奇跡を重ね掛けしてもらわねば危うかった魔術だ。
焼け焦げた肉は、すでに元の面影をそこに残していない。そうでなくとも王にとって、彼女達はずっと“その他大勢”でしかなかった。顔を見て誰と判る者など初めからそこにはいない。
―――俺がもう少しうまくやっていれば
彼女達とも一番や二番と同じような関係を築けたのだろうか。
「―――っ!」
詮無いことを考えていると、男魔王の触手が勢い良く賢者に迫った。
王は咄嗟に横合いからそれを叩き落とす。見た目の印象通りに、柔らかくも強靭な肉の塊を打つ感触。
触手は逸れ、賢者の足元を抉っていった。
「さすがは我が妃と同じオークキング、剛力だな。ならば―――」
触手が十本余りも絡み合い、巨大な柱の形状を取った。
「くっ」
賢者と―――隣に並ぶ聖女を抱え上げ、振り下ろされた魔力の柱を横っ飛びでかわす。
「陛下、あ、ありがとうございます」
「“お主と聖女の”指示通り、儂はここから魔力を温存するからの。しっかり守るのだぞ」
「―――っ! ああっ!!」
縦横に振るわれる柱を避ける。身を竦め、跳び上がり、すり抜ける。
幸いなのはその度に天井を割り、床を砕き、壁を削りと、周囲を破壊していくことだ。そのため室内には粉塵が舞い上がり、本来不可視の攻撃がぼんやりとだが視認出来た。
小脇に抱えた聖女が回復の奇跡で先ほどの火傷を癒し、息吹の奇跡で乱れた呼吸も楽にしてくれる。
これならいつまででも避け続けることが出来る―――
「アタイを忘れてるんじゃないかいッ!」
横薙ぎを跳び越えた、その着地地点で姉が待ち受けていた。すでに棍棒を思いきり振りかぶり、フルスイングの構えだ。
こちらは中空にあって避けることもかなわず、両脇に賢者と聖女を抱え、棍棒はベルトに戻してしまっている。
「喰らいなッ!」
「―――くっそ」
姉の棍棒が振るわれる先は、―――賢者の頭部だ。
打つ手なしだ。やむなく王は賢者の身体を片手で頭上に差し上げた。
「がはぁっ」
むき出しの脇腹に棍棒が食い込んだ。
これがオークキングの本気の一撃。かつてない衝撃に、王の巨体が空中で錐揉み状に舞った。
「……もしかしたらかばうんじゃないかと思ったけど、まさか本当にやるとはね。―――おっ、まだ動けるのかい」
着地し、距離を取る。よたよたと頼りない足取りで。
「――――。――――――。―――」
聖女が呪文を唱え始める。完全回復の詠唱だろう。
「逃がさぬ」
触手が十数本も王の周囲を掠め、背後の壁に突き立った。―――つまり、触手はトンネル状に王と魔王とを結びつけた。
そしてそのトンネルを魔力の柱―――いや、ここは電車とでも言うべきか―――が王へ向けて走る。
「ちいっ」
賢者と聖女をその場に降ろすと、王は前へ踏み出した。なけなしの力を振り絞って、こちらからもぶちかます。
「――――っっ!! ぬっ、ぐぐぐっ」
鼻先と胸を突き出し、何とか組み止めた。
オークの肉体の中でも取り分け頑丈な鼻が歪み血を噴き、棍棒を受けた脇腹を中心に全身が軋みを上げている。
「ほう、これを受けるか。―――ではもう一度」
魔力の塊がすっと後退した。思わずたたらを踏んだところへ、再び迫る。
「―――――。――――。“完全回復”」
聖女の奇跡が間に合った。
不十分な体勢ながらも肩口で受け止め、何とかその場に踏み止まることが出来た。
「人間の神聖魔法というやつか。では、根競べと行こう」
魔力で形成されたトンネルを、魔力で形成された電車が繰り返し繰り返し前後する。
「―――ぐうっ、―――がはっ、―――ぶひっ!」
その都度、どこかしらの皮膚が避け、筋肉は断裂し、骨もひび割れる。
だが王が崩れれば、後ろにいる賢者と聖女もろともに壁に打ち付けられ、ぺちゃんこに潰されることになる。
「――――。“回復”」
聖女も連続で奇跡を行使するが、詠唱が間に合わず完全回復ではなくただの回復だ。
少しずつ、王の肉体に損傷が蓄積していく。が、耐えられる。耐えてさえいれば―――
「……?」
ふっと、攻撃が止んだ。
「まったく、オークキングと言うのは呆れた頑健さだな」
男魔王が何もない虚空で両手をコネコネこねくり回す。―――想像を補完しているのだ。
賢者の考察によると、魔王の魔力操作は“脳”に刻まれた魔力構成によるらしい。ドラゴンが羽ばたくことで飛翔魔術を発動させるように、魔王族は思い描くだけで魔力操作を実現する。
つまり本来なら座して考えるだけで良いわけだが、精密な操作を行うには想像にも精密さが求められる。例えば大木をまとめて薙ぎ払う斬撃なら、同時に手刀を振るうことで女魔王は想像を増強していた。
そして今、男魔王が両掌をもてあそんだ結果は―――
「こんなものか」
柱の先端が鋭利に尖り、巨大な杭と化した。さすがにこんなものは一発だって耐えられない。
「―――っ」
男魔王がくいっと右手を引くと、連動してトンネルの中の杭もぐぐっと後退し、“溜め”を作った。あちらもこの一撃で終わらせるつもりだ。
男魔王の右手が振り下ろ―――
「っ!? 何だっ?」
その瞬間、宙に浮いていた男魔王がの身体がぐらりと傾き、そのまま寝台の上に倒れた。
身体を支えていた触手を両断されたためだ。
「魔王様ッ、後ろッ!」
姉が叫び、男魔王が背後を振り返る。
咄嗟に掲げた右腕は、当然魔力の鎧をまとっているのだろう。
「うっ、ぐあぁぁっっ!!」
しかし袈裟懸けに振り下ろされた剣は易々とその手首を落とし、右の肩口から入って―――
「おっと、心臓まで斬っちまうとさすがの魔王も死んじまうか」
胸元間際で引き抜かれた。
「せっ、聖剣、だとっ」
男魔王は苦しげに言った。コヒューコヒューと絞り出すような呼吸音が聞こえてくる。
首を飛ばされかけた時の女魔王と同じく、すぐに傷口を魔力で抑え込んだようだ。手首からも肩からも出血はほとんど見られない。しかし右の肺は完全に潰れているだろう。
「魔王様ッ、無事かいッ!?」
「―――っと」
姉が駆け寄り、棍棒を振るって勇者を牽制する。
相手をせず、勇者は寝台から飛び降りて王達と合流を果たした。
「いったいどこから? 何かするって分かっていた俺でも気付かなかったぞ」
賢者が、勇者が立てた作戦を殊更に“王と聖女の指示”と言った。それで、勇者が隠れて何かしようとしていることには察しが付いた。
てっきりまた壁でも斬って奇襲してくるのかと身構えていたのだが、いつの間にか勇者は室内にいた。
「下の階に降りて、天井を繰り抜いてやったのさ。寝台の位置があっちの魔王城と一緒で助かったぜ」
「なるほど。寝台の下からこっそり侵入していたわけか。相変わらず、まったくもって勇者らしくない戦い方をするな」
「―――勇者だって?」
王の言葉に反応したのは、寝台の上で男魔王に寄り添う姉だった。
「そりゃあ、アタイらオークの仇敵、あのレオンハルトと同じ勇者ってことかい? ええ、弟よ?」
「……この聖剣に選ばれた者を、人間の世界では勇者と呼ぶのです。レオンハルトは最初の勇者で、―――そして彼女が今代の勇者です」
「~~~ッッ! アンタ、オークの宿敵を引き連れて、のこのこアタイに会いに来たってのかいッ!? 勇者といっしょになって、このアタイを殺ろうってのかいッ!?」
姉は緑の顔を深緑に染めて―――つまり頭に血を上らせて、叫んだ。