第23話 オークキングは姉と対面する
「ま、まあ、手間が省けたとも言えるな。一度に全部相手するのはきつくはあるが、三十頭を一々探し出して始末していくのもそれはそれでしんどいからな」
女オークキングの居室から一端距離を取ると、勇者が気を取り直した様子で言った。
「ふうむ、しかし男魔王はいったいどうやってそれほどの数の女オークを、それこそ“一度に全部”相手にしているのかの?」
「そりゃああれだ、例の魔力を使ってどうにかしてんじゃねえか?」
「なるほどの。例えば自身のモノをかたどった触手のようなものでも作れば良いのか」
「ゆ、勇者様、賢者様、おかしな想像をさせないでくださいっ」
「…………」
弟の身としては、黙って巨体を縮こまらせることしか出来ない。
「何にせよ、とりあえず説得するんだろ、オークキング?」
「あ、あそこに入ってけってのか? 俺にとっちゃあ、姉が乱交真っ最中の現場だぞ」
「頑張れ」
勇者は他人事の様に言い、王の肩を叩いた。いや、実際他人事で間違いはないのだが。
「……しかたねえ、行くか」
三人をその場に残し、渋々ながら件の部屋の前に立った。嬌声―――というよりもほとんど獣の唸り声は、当然まだ中から洩れ聞こえてくる。
覚悟を決めて、ガンガンガンっと扉を強くノックした。
オークには無い習慣だが、ややあって騒ぎは静まった。
「……失礼します」
室内は偽の魔王城のものと比べると相当に広い。
しかし予想通り三十数頭が集まったオーク達にはさすがに手狭だった。室内の八割方が緑の肉に覆われている。
特に寝台では巨体がひしめき合い、小山を形成していた。
「―――ッ、アンタかい」
その頂から声が上がった。
いったい何をどうしたらそんな体勢になるのか分からないが、山頂に座しているのは一際大きな個体―――雌のオークキングだった。
「ほら、アンタたち、しゃんとしな。懐かしいお客さんだよ」
小山から飛び降りて姉が言うと、のそのそと他の姉達も動き出す。
折り重なった緑の巨体が退くと、現れたのは紫の肌だ。
漆黒の二本角に赤い瞳、男魔王である。
女魔王を凌ぐ二ワンド(2メートル)を超える長身だが、ハイオーク達に囲まれているため小さく見える。
痩せぎすで、どこか神経質そうな顔付きをしていた。目の下には濃い隈が刻まれ、紫で分り難いが女魔王と比べてかなり血色が悪い。寝不足とやり過ぎが原因だろうか。
寝台の上には女オークキングと男魔王だけが残り、三十数体のハイオーク達はそこへ向き合う位置に整列した。
「…………」
女オークキングに視線で促され、寝台の正面へ進む。―――体液に濡れた床を、ぬちゃぬちゃと音を立てながら。不快感が顔に出ないように努めて。
「お初にお目にかかります、魔王様。それに姉さん達、ご無沙汰しております」
「こんなところまでどうやって? “アノ子達”はどうしたんだい?」
男魔王は軽く首肯するのみで、口を開いたのは姉だった。
アノ子達、というのは城下の長屋に暮らすダークオーク達のことだろう。姉達にとっては子供や孫に当たる。
「城の裏手から回り込ませて頂きました」
和平を望むなら、こんなところで嘘を付いても仕方がない。王は正直に答えた。
「そういうことを聞いているわけじゃ、―――いいや、何でもない」
「?」
姉は何かを口にしかけ、頭を振って言いさした。
「で、何をしに来たんだい? 今さらアタイの身体が欲しくでもなったかい?」
姉は挑発的に胸を突き出し、片乳がポロリしていることに気付いていそいそと胸当てに収め直した。
「オーク嫌いは相変わらずのようだね」
思わずげんなりした王を姉は見咎める。
「な、何のことでしょう?」
「ふんっ、気付かれてないとでも思ったかい? あれだけアタイらのことを拒絶しておいて」
「それは、……その、申し訳ありません」
彼女たちにしてみれば王は生まれながらの番いなのだ。そんな相手に逃げ回られ、遂には掟を書き換えてまで完全に拒絶された。
考えてみれば、ずいぶん酷いことをしたものだ。
特に正面に居るこの姉だ。
同じオークキングと言うことで、強く世継ぎを望まれた。あの頃、父王以外で唯一王が存在を個体認識していたオークがこの姉だった。何度も迫られ、その度に逃走し、時には言い争いになることもあった。最後は掟を賭けて決闘を挑まれ、投げ飛ばし、出奔する彼女を止めもしなかった。
相手がオークと言うことで、何ら心を痛めもしなかったのだ。もし今、例えば妹が同じような扱いを受ければ、王はその相手を決して許しはしないだろう。
しかし―――
「だからって、何も戦を仕掛けることはないではないですか。我々の諍いと民は無関係なのですから」
「アンタ、そんなことを言いにこんなところまで来たのかい? わざわざ国を空けてまで」
「はい。姉さん、どうか我が国にダークオークをけしかけるのはおやめ下さい」
「ダークオーク? ……ああ、アノ子らのことかい。へえ、なかなかぴったしくる呼び名じゃないか」
姉はうんうんと長い鼻梁を揺らす。
「ところで、アタイらがここにいるってどうやって知ったんだい?」
「魔王様、―――女の魔王様にお聞きしました」
男魔王の眉がぴくりと動いた。何か言いたげにしているが―――
「そうかいそうかい、あのお方がねえ」
姉が口を開くと、押し黙ってしまった。完全に尻に敷かれている様子だ。
「とにかく、姉さん。過去の俺の過ちは謝ります。ですから何卒、私怨は水に流し、同じオーク同士手を取り合っては頂けませんか?」
王は体液にまみれた床にひざまずいて、頭を下げた。
「ふっ、“過ち”、それに“私怨”ね。言っておくけど、これでもアタイはアンタを買ってるんだよ。あのちっぽけな巣穴一つに追いやられていたオークを、再び人間の国を乗っ取るまでに強く育てあげたんだからね」
姉から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「“オークはオークと子を作れ”って新しい掟も、ああ、まったく正しかったさ。それだけでハイオークがじゃんじゃん生まれてくるんだからね。―――もっとも“王はオーク以外と子を作れ”って掟は、やっぱりアンタがオーク嫌いだからってだけの理由なんだろうけどさ」
ぎろりと睨まれ、王はもう一度深々と頭を下げた。
同時に、頭の中では別のことも考えている。今の姉の口振りからして、やはりこの地ではダークハイオークの繁殖が進められている。
「だからね、別に私怨でどうこうしようなんてつもりはないんだよ。ここには魔物達が色々な噂を運んできてくれるけどね、アンタの活躍にむしろ胸を躍らせていたくらいさ」
「だったらどうして」
「一つは、食い物がないのさ。ちょっと調子に乗って数を増やしすぎちまってね。ここらのドラゴンやグリフォンなんかは食い尽くしちまったし、トレントなんかはまだ残ってるけど、食えたもんじゃないしね」
「そういうことでしたら、我が国には援助の余裕がございます。オークには食い慣れない米が中心ですが、うちの部下たちも今では好んで食しております。調理法をお教えしますから、それを―――」
「―――もう一つは」
光明を見出しまくし立てるも、強引に遮り姉は言う。
「アンタがしたのと同じことさね。アタシらも人間の土地を奪い、アンタと同じように人間どもを従わせてやるのさ。再び大陸をオークのものにして、初代様の時代を取り戻す。―――それには、アンタのやり方だと少々手ぬるいみたいだからね。アタイの孫が代わりにやってくれるさ」
「……では、俺がいくら頭を下げようと、侵略をやめるつもりはないと?」
「ああ。せっかくすでにオークに支配されてる国があるんだ。新しく人間どもに言うこと聞かせるより、まずはアンタの国をそのままいただいちまった方が面倒が省けるってもんだろう?」
「…………」
王は無言で立ち上がる。
室内の空気が代わっていた。元々歓迎の雰囲気ではなかったが、今ははっきりと突き刺さるような敵意が感じられる。
正面に女オークキングと男魔王。背後には三十数体のハイオーク。
「―――ここでアンタを片付けちまえば、さらに面倒が省けるってもんさねッ!」
叫び、女オークキングが跳躍した。どこから取り出したのか、手にはすでに棍棒が握られている。
こちらもベルトから棍棒を引き抜き、構える。
上段から叩きつけに来たのを受け止め、そのまま鍔迫り合いに。跳躍の勢い分だけ、押し込まれた。体重を乗せて圧し掛かる姉に抗う形となる。
「アンタらは外にいる連中を片付けなッ!」
姉が叫ぶ。
同じオークキング、聴覚も嗅覚も王と同等に鋭い。身を潜める勇者達の存在を感じ取っていたようだ。
「……?」
とはいえハイオークの姉達はそうはいかない。
何頭かは背後から王に打ちかかろうとしていたが、自分達の頭の言葉に訳も分からず戸惑っている。
「廊下だよッ! 二人か三人いるねッ。早く行って捕まえてきなッ!」
追加の命令でようやく理解し、扉に殺到する。
「へんっ、甘ちゃんのアンタには、まずは部下の死体から拝ませてやろうかね」
姉がニヤリと笑う。
―――何が私怨じゃないだ、相当根に持っているじゃないか。
とはいえハイオーク三十数頭。
姉は王が従えるのは同じくハイオークか、従属させた普通の人間の戦士程度に思っているのだろう。
数が数だけに多少の苦戦はするかもしれないが、勇者達なら―――
「―――“三十六重火焔砲”」
部屋の扉が火を噴き、そして崩壊した。
すでに廊下に出ていた姉達は火だるまになって室内に転がり込み、まだ部屋に留まっていた二十数頭も業火に飲まれていく。
王の全身にも熱風が吹く付け、足元をちろちろと炎が舐める。
熱い。滅茶苦茶に熱くて痛いが―――
「クソッ」
こちらは慣れている。姉の方が先に棍棒を引き後退した。
追いすがって反撃する。
「―――っ!?」
見えない何かに棍棒を弾かれた。
嫌な予感がして跳び退ると、寸前まで王がいた場所にその何かは打ち下ろされ、石造りの床にひびを走らせた。
「おいおい、マジで賢者の予想通りかよ」
火砲によって巻き上げられた粉塵や蒸気が、、“それ”の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
あえて言葉を選べば、極太の鞭である。
目を凝らせば、うねうねと自らのたくる鞭は、寝台の男魔王の背後から数十本と生えていた。いや、やはりそれも三十数本と言うことになるのか。
「おおっ、見事な触手だの」
室内に足を踏み入れた賢者が、言葉を選ばず言った。




