第22話 伝説の冒険者達(+一頭)は魔王城に潜入する
魔王城は大方のイメージ通り草木一つない岩山の頂に鎮座していた。
空には決して晴れることがない厚い暗雲が立ち込め、昼日中にも関わらず周囲は薄暗い。
城の正面―――人間の世界を望む北面―――は比較的なだらかな傾斜で、粗末な長屋のような建物がびっしりと並んでいる。ダークオーク達の住居だろう。
裏面は断崖となっており、その谷底に王達はいた。
ダークオーク達の目を避けるため、道中は雲よりも高い上空を飛行し、最後は逆に這うように低く、霞がかった谷間を縫うようにして背後へ回り込んだ。
未明から正午までのおおよそ半日掛かりの移動で、ドラゴンの飛行速度を思えば二つの魔王城は直線距離にして六百ミレワンド(600キロメートル)ほども離れていることになるか。
「我が案内するのはここまでだ」
飛竜の背に跨ると、女魔王が言った。
「何だ、弟の顔は見ていかないのか?」
「ふんっ、我は配下の魔物が魔王城までの道を知りたいと言うから、案内したまでよ。後のことは、好きにするが良い」
「ああ、そういう体でいくのか。まあ、男取り返すためにあたしらを送り込んだ何て知れたら、格好付かねえもんな」
女魔王にギロっと睨まれ、勇者は肩を竦めた。
「ではな」
風を巻いて、飛竜が飛び立った。
魔力だけに依存しない確かな羽ばたき。軽量な体躯と相まって、飛翔速度はドラゴンよりも上である。
あっという間に女魔王と飛竜の姿は霧の中へと消えていった。
「あたしらも早速行くか、―――と言いたいところだが」
勇者は青い顔をしている聖女と賢者に視線を向ける。
「ちょっくら休むとするか」
「そ、そうして頂けると」
「う、うむ」
「オークキングの乗り心地と比べりゃ、こいつはずいぶん快適だったんだけどな。ほとんど揺れないし、矢を射掛けられたりもしねえし」
言いながら勇者が喉を撫でると、角折れは威厳も無くグルルと気持ち良さそうに鳴く。本物のドラゴンの喉元には触れてはいけない鱗と言うようなものは特に存在しないらしい。
「…………そんじゃあ、作戦のおさらいといくか」
蛇女達が持たせてくれた弁当を頂き、食後に賢者の淹れたきついコーヒーで―――聖女はそれを嫌って白湯で―――、一服していると、勇者が切り出した。
「第一目標は何をおいても女オークキングだ。これを説得するか、―――無理なようなら仕留める」
“本当に姉を殺しちまって良いんだな”と視線で問う勇者に、王はこっくりと頷き返した。
説得の機会を設けてくれるだけでも、勇者はずいぶんと譲歩してくれている。
せっかくこっそりと潜入するのだから、ひっそりさっくりと始末したいと言うのが本音だろう。
「で、次の標的は女オークキングと行動を共にしている女ハイオーク達三十数頭。女オークキングを始末した場合、残ったこいつらが意思を継がないとも限らねえ。まとめて片付けないといけない」
またも視線を向けてくる勇者に再び首肯で返す。
同じく王にとっては姉に当たるが、ここまで来て中途半端な真似は出来ない。
「最後に男魔王。こいつは最悪ほうって置いても良い。が、妃を数十頭も始末しようってんだ、妨害に来るだろう。まあ女魔王には世話になったし、殺さねえ程度にあしらうとしよう」
「ずいぶんと簡単に言うなぁ」
「準備は万端、面子もこれ以上はねえ。後はもう難しく考えたって仕方ねえだろう。冒険者たる者、用意は周到に、行動は大胆に、だ」
「おっ、またディートリヒのやつが喜びそうな名言が出たな」
「うっせ。―――続けるぞ」
こほんと咳ばらいを一つして、勇者は話を再開する。
「女オークキングと男魔王は出来れば各個撃破と行きたいところだが、こればっかりは城内の様子が分からないことにはな。もし一緒にいるところに出くわしたなら―――」
「まず俺が姉を」
「で、あたしが魔王をやる。そんで早く片付いた方がもう一方を助けると」
「了解だ」
「賢者様は極力魔力を温存してくれ。ダークオークの大軍を相手にすることになりゃ、賢者様の火力が頼みだ」
「うむ」
「聖女様はいつも通りサポートを」
「はい」
「聖女、いざとなったら俺にも肉体強化を掛けてくれ」
「それは……」
「おいおい、“二度掛け”はやめとけって。あたしも試してみたことはあるけど、あれマジで良いことねえぞ」
二度掛け。要するに身体能力を強化する神聖魔法を重ねて掛けることだ。
肉体だけでなく、一度目の奇跡で注がれた術者の魔力にも魔法が作用することで累乗的に効果が引き上げられる。が、同時に猛烈な勢いで駆け巡る魔力が身体を内部からずたずたに破壊するという。その激痛でせっかく得られた爆発的な身体能力も結局は満足に発揮することが出来ず、かえって重傷だけ負ってしまうのだ。
そして魔物は、初めから体内を魔力が巡る生き物だ。言うなればすでに肉体強化の奇跡を受けているようなものである。一度目の強化で二度掛けと同様の副作用が引き起こされる。
「だから、いざとなったらさ。幸いお前たちのお陰で痛みには慣れてるしな」
「ちっ、本当にヤバくなった時だけだぞ。聖女様、いよいよとなったら掛けてやってくれ」
「……分かりました。陛下の御身を傷付けるなど許されることではありませんが、御意思に従います。―――神よっ、神罰は我が一身にお下しください」
「あ、あまり大袈裟に受け取られても困るが、……よろしく頼む」
T字を切って祈りを捧げる聖女に戸惑いながらも頭を下げる。
「こんなもんか。何か質問はあるか?」
「……ふむ、では儂から一つ良いか?」
「おう、何だ、賢者様?」
「うむ。昨夜はずいぶんと長い時間部屋を留守にしておったが、どこで何をしていたのだ、勇者?」
「っ、そっ、それは。―――い、いや、作戦と関係ないじゃねえかっ。答える義理はねえっ」
「しかし気になって戦闘中に集中を欠いては問題ではないかの?」
「そんな繊細なタマじゃねえだろうっ」
こうして最後の休憩時間もにぎやかに過ぎていった。
「ゆっくり上昇しろ」
賢者が勇者の命令を魔界語に訳して、角折れに伝える。
王達を乗せ、断崖すれすれをドラゴンが浮上する。
「……この辺りまでか。止まれ」
三十ワンド(30メートル)ほど上昇したところで、勇者は角折れを制止した。
まだ断崖の半ばと言ったところだが、これ以上近付けば城からドラゴンの巨体が露わとなってしまう。ここからは―――
「とうっ」
勇者がほぼ垂直に切り立った岩肌に飛び移る。そのままするする―――とまでは行かないまでも、着実に断崖を登っていく。
「おお、すげえな」
「こういうのはあやつに任せておけば間違いないの」
「ああっ、また聖剣をあのように」
バターのように岩を斬り裂き、足掛かりを作る。あるいは聖剣を突き立て、それ自体を足掛かりとして登っていく。
危険なので自分が代わると王も言ったのだが、自信満々に却下されている。確かにこれは真似出来ない。
やがて崖上から縄が降ろされた。
王の役目はここからだ。
賢者と聖女をやはり縄で体に縛り付けると、一息に登っていく。角折れには、賢者が谷底で待機するように命じている。
登り詰めた先は、ほとんど足の踏み場も無くすぐに城の壁だった。
「…………」
「…………」
一つ目配せをし合うと、勇者が聖剣を振るった。
内へ向けて倒れる“切り取られた壁”を、王は素早く城内へ駈け込んで受け止めた。
音を鳴らさないようにそっと壁に壁を立てかけると、室内を見渡す。
「よし、予定通りだな」
後に続いた勇者が小声で囁いた。
宝物庫として使われている一室で、人―――この場合はオークだが―――がいる可能性が日中最も低いと当たりを付けた部屋だった。事実、生き物の気配はない。
本来なら困難極まる城への侵入も、城内の十分な情報と聖剣があれば容易かった。そんな条件が揃うこと自体が稀有過ぎる事例であるが。
「ほうほう、これはなかなか」
自ら縛を解くと、賢者が興味深そうに室内を見渡す。
魔王城の宝物庫だけあって、確かに目移りするものがいくつも並んでいた。
四本腕の全身甲冑。一抱えほどもある巨大な水晶。金色に輝く毛皮。
ドラゴンや飛竜の角や鱗。瓶詰された臓器のようなもの。
とりわけ目を引くのは、丸太とは異なり本当にドラゴンくらい断頭出来てしまいそうな大剣だ。長大で幅広な刀身は王の身の丈ほどもある。
「おっ、こいつなんてお前に良さそうじゃねえか。もらってったらどうだ?」
同じものに目を付けたらしく、勇者が言う。
「これから強敵と戦闘って時に、慣れた得物を持ち変えたくはねえな。そいつで一回斬り付ける間に、棍棒なら五回は殴れそうだし」
「まっ、それもそうか」
「それによ、ここにある物って半分は女魔王様のものだろう? あんだけ世話になっておいて、コソ泥みたいな真似はまずいだろう」
「…………」
視界の端で賢者が無言でローブから何かを取り出し、棚に戻した。
「そんじゃあ行動を開始するか。オークキング、廊下の様子が探ってくれ」
「ああ」
扉に豚耳を押し当てて、耳を澄ます。
「…………少なくとも、動いてる奴はいなそうだ。立ち止まって警戒しているようなのは分からねえが」
「よし。こういうのは構え過ぎても良くねえ。普通に行くぞ、普通に」
勇者は無造作に扉を開けると飛び出―――さずに、散歩にでも出掛けるようなゆるい足取りで廊下へ出た。やはり気負いない動きできょろきょろと左右を伺うと、王達に手招きをする。
廊下に歩哨の姿はなかった。
「おおよそ予想していたことではあるが、張り合いねえな」
人間に倣ったオーク城は例外として、魔物の棲家というのはどこもこんなものだ。
せいぜい洞窟の入り口に見張りを立たせておくくらいで、内部の警備にまで気を回したりはしない。
集団の主がすなわち最強の戦士でもあると言う文化がそうさせるのだろう。女魔王など、当たり前のように敵前―――と思っていた王達の前―――まで自ら足を運んでいる。
「まっ、ここは乗じさせてもらって、次へ行くぞ」
二階、三階と駆け上がり、そこから棟を移動した。城主や妃の居住区だ。
棟と棟を結ぶ廊下にも、やはり見張りの姿はない。あまりのひと気―――オーク気の無さに逆に不安になって、いくつか部屋の中を覗き見るももぬけの殻だった。
「…………」
もしかするととんでもない陥穽にはめられようとしているのではないか。
そんな漠とした不安に襲われながらも、最初の目標としていた部屋が近付いてきた。―――女魔王の城で王が宿泊した部屋。女オークキングの居室である。
「おいおい、まだ真っ昼間だぞ」
「魔王とオークキングの営みか。興味深い」
「……神よ」
扉の前に立つと、王の聴覚に頼るまでもなく人間の耳にもそれは明らかだった。
室内からは肉と肉が絡み合いぶつかり合う音と野太い喘ぎが盛大に漏れている。それも一人二人ではなく数十人分。たぶん正確には雌オーク三十数頭と男魔王一人分の。
「…………」
何も言えず、王は頭を抱えた。




