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第21話 勇者アシュレイは勇気を振り絞る

「“―――。――”」


 賢者の魔界語に答えて、角折れは腹這いに伏せた。

 王達の目線の高さまで下げられた頭部は、聖女の奇跡で一応元通りの見た目を取り戻している。

 ただし人間で言う爪や髪と同じで、一度完全に断たれた角が“回復”によって再び生体と結合することはない。一緒に斬り落とされた幾ばくかの肉が“糊”の役割を果たして繋ぎ止めているだけだ。

 当の本人―――いや本竜は知ってか知らでか満足しているようなので、今は見て見ぬふりをしておく。


「……ええと、これ、どこに乗れば良いんだ? 羽の後ろってことはないよな? こうか?」


 悪戦苦闘の末、王が角折れの首の付け根―――翼の少し上に跨り、王の身体を背もたれ代わりに勇者が、勇者に抱き留められる形で聖女が、そして指示係として先頭に賢者が腰を下ろした。


「ちょっ、あんまり股座をけつに押し付けるんじゃねえっ。ったく、クローリスに続いてあたしまで孕ませるつもりかよ」


「ゆ、勇者様、暴れないでください」


「皆、準備は良いな。では飛び立たせるぞ。“――、――――”」


 賢者が命じると、ふわりとドラゴンの巨体が浮き上がった。

 これほどの超重量が飛び立ったというのに、ほんのわずかに砂ぼこりが舞うだけだ。重力も重量も感じさせない機動は、やはり魔力による飛翔が故だろう。

 角折れの身体は無音で五十ワンド(50メートル)ほども真っ直ぐ上昇すると、今度は大地と平行に移動を開始する。


「おおっ」


「―――ひっ」


「これは、なかなか」


 三者三様の反応が漏れた。

 足元の木立が見る間に後方へと流れていく。この世界ではこの高度をこの速度で人間が移動するなど本来あり得ない。

 さすがに王も背筋がぞわぞわと落ち着かない。

 単純な速度で言えば、かつて暮らした世界の飛行機と比べれば数段劣るのだろう。

 しかし飛翔物の背に直接腰を下ろしているのだ。五感から受ける衝撃は比ではない。

 とはいえ空気抵抗も魔力で相殺されているようで、逆風に難儀させられることは無かった。


「……この翼、羽ばたく意味あるか?」


 次第に落ち着いてくると、そんなことが気にかかる。上下する度に尻を掠め、乗り心地を大幅に損なっていた。

 パタパタと如何にも形ばかりという羽ばたきっぷりだ。翼長も、体長で言えば三分の一にも満たない女魔王の飛竜ワイバーンと大差ない。


「ふむ、意味なら大ありじゃの。羽ばたくという行為によって、翼とその周辺に刻まれた魔術構成に魔力が流れ込む。それが飛翔の魔術を発動させるわけでの。言うなれば人間の魔術の発動式に当たるものが、ドラゴンの飛翔魔術における羽ばたきというわけよ」


 角折れに代わって―――そも人語だからドラゴンには伝わりもしないが―――、賢者が答えてくれた。


「なるほど。そういうことなら我慢するしかないか」


 尻の不快感に耐えると言う程のこともなく、すぐに魔王城(偽)は見えてきた。

 徒歩では半日掛かりだった道程が、まだ飛び始めて四半鐘(15分)と経っていない。

 城門前の開けた空間に角折れは静かに降り立った。


「何だ、戻ってきたのか」


 いつからそこで待っていたのか、女魔王が腕を組んでたたずんでいた。


「返り討ちにあうとでも思っていたか?」


 ドラゴンの首から飛び降りながら勇者が言う。賢者と聖女は王が抱えて降りた。


「その可能性も当然考えてはいたさ。我が弟に挑もうと言うのだ、これくらいは余裕でこなしてもらわねば困るともな」


 女魔王からのある種の腕試しを兼ねていたらしい。

 痛がりのドラゴンと聖剣の相性の良さで、試練と言うにはあっさり遂げてしまったが。


「今夜一晩休んで、出立は明朝だ」


「おい、このドラゴンはどうすりゃ良いんだ?」


 言うだけ言って城内へ戻ろうとする女魔王に勇者が問う。


「逃げぬように言って、その辺に放して置けばよかろう。ああ、魔界語が話せぬのか―――」


「“――――。―――。―――”」


「……ほう。貴様、魔界語が話せたのか? 先日はそんな素振りは見せなかったが」


「あれから捕虜のダークオークを相手に覚えたのさ。賢者様はな、大陸で一番頭が良いんだ」


 何故か勇者が自慢げに言った。


「なるほど、ダークオークを相手にか。道理でな」


 女魔王が口元を歪める。どうやら相当に汚い言葉遣いのようだ。

 それから、例によって蛇女ラミアの作った食事を振舞われた。

 前回泊めてもらった際にアニエスに“晩餐に酒を出さないなんて”などとグチグチけちを付けられたのを気にしたのか、酒も供された。


「……変わった風味ですね」


 黄みがかった蒸留酒で、嗅ぎなれない独特の香りがする。


「蛇女の酒だ」


「―――っ、ら、蛇女ラミアを漬け込んだんですかっ!?」


「……何だってそのようなむごい真似をせねばならんのだ」


 思わず噴き出しかけたのを堪えて問うと、女魔王に呆れた顔をされた。


「いや、蛇酒みたいなものかと」


「蛇酒?」


 女魔王だけでなく、勇者と聖女も首を傾げる。


「確かドワーフの一部族が作る霊薬、であったか。効果のほどは怪しいもので、理由を付けて飲みたいだけではないかと言うのが検証した塔の魔術師の結論であったの。しかし、相変わらず妙なことを知っておるのう」


「ま、まあな。ええーと、リアンに聞いたんだったかな? それとも何かの本で読んだんだったか? ―――そ、それで、この蛇女の酒ってのは結局何なんです?」


「単に蛇女が作った酒よ。あれらは酒を好むのでな」


 大蛇うわばみだからか、と思ったが、またも藪蛇になりそうなので口にはしなかった。

 晩餐を終えると魔王城(偽)の中を歩き回らせてもらった。

 広さや天井の高さに違いはあるが、部屋の配置などは本物の魔王城そっくりそのままだと言う。明日の予習である。


「侵入するなら、やっぱりあそこだな。逃亡経路は―――」


 計画は全面的に勇者に任せた。

 正面から乗り込んで城を落とした経験はあるが、敵の親玉の元へ密かに迫った経験は王にはない。勇者はそういうことをさせたら大陸一だろう。

 計画が定まると各自与えられた部屋に戻って、就寝となった。

 王が案内されたのは前回と同じで、魔王城で姉が使っているという部屋だ。明日の襲撃候補地の一つである。


「…………」


 布団に入るも、眠気はなかなか襲って来なかった。

 さしものオークキングの強心臓も決戦を前に高ぶっている。


「おう、邪魔するぜ」


 ノックも無しに勢い良く扉を開け放ち、ずかずかと入り込んで来たのは勇者だった。意を決して飛び込んできたという感じだ。

 かなり前から彼女が部屋の前をうろうろと行き来していたのは、鋭過ぎる聴覚で当然察していた。明日に障るからいい加減寝ろと、そろそろ言いに行こうかと思っていたところだった。


「何か用か? ……まさか、夜這いじゃねえだろうな?」


「―――っ、ば、馬っ鹿じゃねえのっ。そんなわけがあるか!」


「お、おう、分かってるって、冗談だ」


 以前アニエスにからかわれたのを真似てみたが、予想外に強い反応が返ってきた。


「で、どうしたんだ?」


「ああ、ケイなんかがいると、ちょっとしにくい話だからよ。今夜くらいしか機会がねえかなってな」


 勇者は寝台の端に腰を下ろした。柄にもなくおっかなびっくりでぎこちない動きだ。


「時間なら野営の時にいくらでもあったろう」


 ここに辿り着くまでに一巡(7日)掛かっている。その間は夜になる度に野営を繰り返していた。


「賢者様達にも聞かれたくねえ話だ。分かれよ」


「そ、そうか」


「…………あー、この戦いが終わった後のことなんだけどよ」


 しばしの沈黙を挟んで勇者は何気ない口調―――を装って切り出した。


「聖女様はこっちで聖堂を持ったわけだし、グランレイズには帰らねえと思うんだ。お前のことを半ば信仰してるようなもんだしさ」


「まあ、そうなりそうだよな。病人や怪我人を無料で治療してくれるし、説法と称して子供達には教育なんかもしてくれてるし、今いなくなられると俺としてもちょっと困る」


「だろうな。―――そんで、賢者様だけどよ。まあ塔との兼ね合いもあるし、ずっとこっちってわけにはいかねえだろうけどさ、やっぱり本拠はオーク王国に移すと思うんだよ。リアンと組んで工房なんかも立ち上げようとしてるみたいだしな」


「そうらしいな。賢者様のエールみたいに国の特産品になるような物を作ってくれそうだし、正直かなり有り難いぜ」


「ああ。…………でよ、そうなるとあたしはどうするかって話なんだけどさ」


 勇者はそこで言葉を切った。

 彼女は生粋の冒険者である。本来一つ所に留まるような性ではないだろう。

 それでも一年以上も滞在してくれた理由は二つだ。

 一つは魔界探索と言う大きな目的があったからだ。しかしこの戦いで本物の魔王城で魔王に勝利を納めてしまえば、魔界の“一番美味しいところ”はそれで味わったことになる。

 もう一つは、勇者曰く王への借りを返すためだ。しかしそれも―――


「借りなら、もう十分に返してもらったぜ。それこそお釣りに困るくらいにな。―――ありがとう」


 今まさに国の窮地にこうして協力してくれている。いちばんの命を救ってもらったこともあるし、女魔王と戦った時は勇者がいなければ王も危うかっただろう。


「あん? 何を言ってやがるんだ、急に?」


 万感の思いを込めた王の感謝の言葉に、勇者は首を傾げた。


「だから、俺に命の借りがあるから、グランレイズや他の国に行きたくても行けないって話だろう?」


「…………はあぁぁ」


 勇者は盛大にため息をこぼす。


「あのなぁ、―――いや、もうそういうことで良いか」


 勇者は寝台から腰を上げると、扉へ向かう。座った時のようなぎこちなさはなく、いつも通りのきびきびと軽快な動きで。


「お前の言う通り、ちょいと返し過ぎちまったからな。今度はお前が返す番だ。戦いが終わったら、それなりの“釣り”を請求させてもらうぜ」


 振り返ってそれだけ言い残すと、勇者は弾むような足取りで部屋を出ていった。



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