第20話 角折れのドラゴンは火を吐き暴れ回る
「おいおい、どうなってんだよ? 今、お前なんかしたか?」
勇者が斜面を滑り降りてきた。
「いやぁ、俺にもさっぱり」
ドラゴンの足音と呻き声は洞窟に反響し、そして次第にそれは遠ざかっていく。
「どれどれ。……ふむふむ、ほう」
賢者が隠れていた木陰から出て来ると、洞窟の入り口へ耳を向けてうんうんとうなずき始めた。
「……もしかして魔界語が分かるのか、賢者?」
「うむ。地下牢に繋がれておるダークオーク達から覚えての。まあ相手が相手であるから、得られた語彙は貧弱な上に偏りがあるがの」
「で、あのドラゴンは何て言ってるんだ、賢者様?」
「ふむ。“敵対する気はない”だとか“人間の村にはもう近付いていない”だのと言っておるの。察するに―――」
「お前が前にボコったってドラゴンかっ」
勇者が手を打ち、王を見上げてくる。
「う~ん、俺が追い払ったやつよりもでかかった気がするぞ? あーでも、そう言えば丸太でぶん殴った時に角が折れてた気はするなぁ」
「大きさは、成長したのであろう。見たところまだ子供のドラゴンだからの」
「あれで子供? 頭だけで俺の身体くらいはあったぞ」
「今のやつは尻尾まで入れてもせいぜい十五ワンド(15メートル)ほどであろう。年経たドラゴンは三十ワンドを超えると言う。のう、聖女?」
「聖ジークフリート様の竜退治の逸話ですね。確かに伝承ではそのように伝わっております」
「―――で、どうするよ? もっかい燻すか?」
「いや、あれだけ怯えてくれているなら、少し脅しつけてやれば十分であろう。オークキングよ、儂を真似て叫べ。“―――、―、――、―――”」
「お、おう。……―――っ!、―っ、――っ、―――っ!!」」
洞窟内へ向けて声を張った。
やがてずりずりと巨大な存在が這う音が聞こえてきた。先刻の様に始終悪態を付くでもないが、確かに音は段々と大きくなっていく。
「来てる来てる。簡単すぎて拍子抜けだが、まっ、労せず竜騎士になれるんだ、悪くねえ。ところで賢者様、さっきのは具体的に何て言ったんだ?」
「うむ。“こっちに来い。さもないとひん剥いて俺のモノを突っ込むぞ”とな」
「……ひょっとしなくてもその“俺”って俺のことなんだよなぁ」
確かにダークオーク仕込みの語彙だ。大方、地下牢で賢者自身に投げかけられた言葉そのままなのだろう。
ドラゴンにしてみれば意味の分からない脅し文句だろうが、―――それはのっそりと姿を現した。
「…………っ」
でかい。
先刻の威勢はどこへやら、悄然と頭を垂れている。それでもなお“角折れ”は圧倒的な威圧感をまとっていた。
以前より、やはり一回り大きい。
それは一見するとさしたる違いとも思えないが、体長の変化に対して体重は三乗で増減する。体長が三割も伸びれば、体重は二倍以上も増えるのだ。
前回とは全くの別物と考えるべきだろう。戦うなら相応の覚悟が必要だが―――
「――――、――――――、―――――。――――――」
角折れは何事か言うと、垂れた頭をさらに下げ、鼻先を地面にこすりつけた。
「……賢者、こいつは何て?」
「ふうむ。“―――”は約束、あるいは誓いの意かの。となると意訳すれば“約束した通り人間を襲っていないのに、何をしに来た”であろうか」
「約束? そんなものをした覚えはないが」
「逃げ回るこいつを見逃してやったんだろ? 命乞いを受け入れられたとでも思ってんじゃねえか。小物の盗賊やゴブリンなんかは追い詰められるとよく言うぜ。“もう二度と悪事は働かないので見逃してください”ってよ」
「そういや確かにわめいていたな」
あれも魔界語だとすれば打ちまくられ逃げまどいながら口にする言葉など、確かに命乞いくらいのものだろう。ドラゴンをその辺の小悪党やゴブリンと同列に扱うのもどうかと思うが。
「何にしても、これだけオークキングにビビってくれてるならあとは簡単だ。賢者様、あたしらを魔王城まで乗せてけって言ってくれよ」
「うむ。―――。―。―――。――」
さしもの賢者も幾分たどたどしい口調で言う。
「っっ!?」
角折れは伏せていた顔を上げ、巨大な目をさらに大きく見開いた。
「――――――。―――――。」
「“そんなところに何しに行くつもりだ。オークにボコられるのはもうたくさんだ”」
賢者がすかさず訳す。
どうやら予想通り、ダークオーク達によって魔界最深部を追われたドラゴンのようだ。
賢者の同時通訳で会話はつつがなく進行した。
「近くまで連れてってくれるだけでいい」
「“嫌だ。そんなこと言って、あの黒いオーク達といじめるつもりだろう”」
「あの連中を退治しに行くんだ。お前にとっても故郷を取り戻す良い機会のはずだ」
「“嘘だ。俺をだますつもりだなっ”」
「―――っ! 全員、下がれっ! 俺の後ろにっ」
角折れの喉が一瞬膨れ上がり、そしてすぼまった。
ドラゴンの息吹。鋼鉄をも溶かし、氷すら燃やすと言われる炎の吐息だ。
「―――ぬんっ!!」
至近距離で吹きかけられる寸前、角折れの頭部―――上顎の中程に思いきり丸太ん棒を叩き落とした。
そのまま、力任せに大地に押さえつける。
―――思った通り。
この長く大きな顎の咬筋力は、この世界のあらゆる生物、魔物に類を見ないものだろう。
しかし一方で顎を開く力は、オークキング一頭で抑え込める程度には弱い。ワニと同じである。
行き場を失った炎の吐息は、別の出口より勢いよくほとばしった。鼻の孔だ。
二筋に分かれた息吹は王の両脇を掠めて、長く長く尾を引き、―――やがて途絶えた。
「そのまま抑えてろっ!」
背後から声。直後、丸太の上に飛び乗る人影が一つ。
言うまでもなく勇者だ。そのまま丸太伝いにドラゴンの頭へ駆け上がり、聖剣を横薙ぎにした。
「―――――――っっっ!!!」
角折れは悲鳴を上げ、身をのたうち回らせる。
全身を使って転げ回られては、さすがに王も丸太一本で抑え付けてなどいられない。数歩、いや数十歩も下がって様子を見守る。
「へへんっ、どんなもんだっ。名前に相応しい頭にしてやったぜ」
危な気無く頭部から跳び下りた勇者も、暴れる角折れを避けて合流してくる。
「ひでえことするな。あれじゃあ本当に馬鹿でかいワニみたいじゃねえか」
「片方はお前だろう」
勇者の聖剣は角折れの残ったもう一本の角を斬り飛ばしていた。それも根元から肉ごと抉るように。
「しっかし、でかい図体してさすがにちょっと騒ぎ過ぎじゃねえか?」
「……そうか、ドラゴンってのは痛みに慣れてないんだな。防御力が高過ぎるってのも考えもんだ」
ドラゴンの鱗はどんな利剣も跳ね返し、熱にも極寒にも稲妻にも耐えると言われている。
つまり強固過ぎる板金鎧を全身にまとって暮らしているようなものなのだ。
そして板金鎧に対して一般に最も有効とされるのは打撃武器である。つまりオークの得手だ。ダークオークに故郷を追われ、王の丸太を前に逃げ回った所以だろう。
しかしそれも、所詮は鎧越しの疼痛でしかない。直接骨身を切り裂かれる痛みは今回の聖剣が初めてのはずだ。
故に、この反応と言うわけだ。
「陛下、回復いたします」
「ああ、頼む」
聖女が詠唱を始める。
王の両肩と腹の側面はプスプスと良い感じに焼き上がっていた。
不本意ながら燃やされるのはすっかり慣れっこになりつつあるが、痛いものは痛い。
「なんか、腹減ってきたなぁ」
「こっち見て言うな、勇者。怖えよ」
確かに我ながら食欲をそそる匂いをしているが。
「ところでお主、よくドラゴンが息吹を放つ瞬間が分かったの」
「ああ、喉を上下させていただろう。あれが息吹の前兆さ。前に戦った時に覚えた」
「ふむ。すると完全に魔力による炎というわけではなく、何か燃料のようなものを同時に吐き出しておるのかもしれんの。興味深い」
話している間も、小山にこだまするドラゴンの悲鳴は止まない。
結局その後、半鐘(30分)近くも角折れが落ち着くのを待つこととなった。そして―――
「―――それじゃあ、これからはあたしの言うことに従うんだな?」
「“はい、主”」
聖剣を突き付け上機嫌に言う勇者に、角折れは深々と頭を垂れた。