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第9話 賢者ソフィアはさらに散策する

 ソフィアは城門を抜けて、城外へと足を進めた。

 後宮に暮らし始めてからこれで何度目かになるので、門番のオークとは軽く会釈を交わすだけだ。


「―――っ」


 陽光に目を細め、とんがり帽子を目深に被り直す。グランレイズ育ちには、南の日差しは少々強過ぎる。

 グランレイズは、北にアウランティ、南にロンガムと言う二つの大河に挟まれた肥沃な河内平原が国土の大部分を占め、人口は大陸に住まう人類総数の8割を超える完全なる覇権国家である。残りの一割強の人々が、ロンガム河を挟んだ南岸に十数の小国を形成して暮らしているが、半ば属国のようなものだ。グランレイズにその気があれば、小国はすぐにも併呑されるだろう。

 何故、すでに実質的に成立している人類の統一国家という理想を現実化しないのか。それは小国群よりもさらに南方、大陸最南部に位置する“魔界”あるいは“魔物の森”と呼ばれる土地が原因だった。つまりは魔物達の領分である。

 グランレイズはこの魔物の森との緩衝地帯として、小国群を存続させているのだ。併呑してしまえば自国の損害だが、現状は文字通り対岸の火事である。オークに支配される以前は、この辺りもそんな小国の一つだった。それも小国群の中でも南端に位置し、魔界と隣接していた。故に魔物との小競り合いが絶えず、ついにはこうしてオークの支配するところとなったわけだ。

 オークによる人間国家の滅亡、そして占拠。その人類を揺るがす大事件は、3年前の出来事である。ソフィアらは冒険者としてはまだ駆け出しで、これほどの大事を扱う立ち位置になかった。とはいえ多くのベテラン冒険者達がこの南方の小国を目指して動き始めていたし、グランレイズも軍の派遣を検討していた。事態はすぐに収拾されるものと誰もが確信していた。

 太古、オークは最も強勢を誇ったヒト型魔物であり、しばしば人間の国家を脅かすこともあったという。しかし3年前の時点において、オーガやキュクロプスといったより大型で強靭なヒト型魔物に勢力を追われ、人間やエルフ達からも狩り尽すべき仇敵として狙われ続け、オークは衰亡に際していたのだ。

 だが予想に反して冒険者たちはことごとくが返り討ちにあい、グランレイズの派兵も軍事介入を恐れた周辺諸国の反対を受け、実現されないままに時が過ぎた。


「……ふむ」


 そして現在、ソフィアの目の前には実に当たり前の街並みが広がっていた。

 通りには露店が並んでいて、呼び込みを掛ける男女の声が喧しい。オークに支配された街だというのに、看板娘を置いている店まであった。初めてこの光景を目の当たりにした時―――オークの支配から人々を救おうと意気揚々と足を踏み入れた時―――には、ひどく困惑させられたものだ。

 街の住人の中には、ソフィアの姿に気付いて微笑み掛けてくる者もあれば、眉をひそめる者もいた。後者の方が多いが、後者もすぐに誤魔化すように笑みを浮かべる。杖の先に鈴を付けたままだし、こうした普通の街並みの中ではとかく目立つ格好をしているから、城の珍客としてすでにソフィアの存在は知れ渡っているのだろう。


「魔法使いのお嬢さん、お一ついかがですか?」


 愛想の良い笑顔で、露店の女店主が薄焼きしたパンに砂糖をたっぷりとまぶした菓子を差し出してくる。砂糖は大陸南方の名産の一つだ。原料となる砂糖黍さとうきびは中央では生育せず、国家財政が良いとは言えない南方諸国の貴重な交易品である。


「うむ、頂こうか。いくらだ?」


「とんでもない、お城の方からお代なんて頂けませんよ。ご試食ということで、どうぞ」


 女店主は鈴にちらと視線を向けて言った。


「そうか。ではお言葉に甘えて」


 受け取り、口に入れた。パン生地がさっくりと解け、砂糖の甘さが口一杯に広がる。


「……うまいな」


「ありがとうございますっ。宜しければクローリス様達にも、お土産でいくつかお包みしましょうか?」


「良いのか? ではまた帰りに寄らせてもらおう」


「はいっ、お待ちしています」


 上機嫌で言う女店主に背を向け、散策を再開する。


「……ふむ、面白いな」


 歩きながら、ソフィアは今のやり取りを咀嚼する。

 単に城の人間へのご機嫌取りというわけではなく、メイド長であるクローリスとの繋ぎに使われたようだ。もしクローリスがこの菓子を気に入れば、100人余りいる後宮の女達に供されることとなる。まいないの一種とも言えるが、ただの菓子の差し入れであり試食のようなものだ。極めて真っ当な経済活動と言えよう。

 このように城の周囲にはいまだ人の街が残っていて、城の住人をも交えて変わらぬ人の営みが続いていた。それどころか、貴族連中が一掃され支配者層がオークに置き換わったことで、民の暮らし向きは向上しているという。

 極論を言ってしまえば、国家と国民を結びつけるものは力だ。権力も法もそして平和ですらも―――聖女に聞かれれば激しく否定されるだろうが―――、力を背景として成り立つのだ。しかしそう考えれば、時に奢侈に耽る人間の貴族階級というのは力の源泉としては甚だ効率の悪い金食い虫だった。引き比べてオークは、人間やドラゴンのように金銀財宝を愛でる趣味を持たないし、金銭を浪費する文化的活動にも興味を示さない。腹と性欲さえ満たされていればそれで事足りる連中なのだから、安いものだ。オークは人間の貴族よりもはるかに安価で、はるかに強力な戦力の供給源であった。


「……加えてこれか」


 街を抜け郊外まで出ると、そこには大陸南部では滅多にお目に掛かれない広大な田園地帯が続いていた。やはり初めは目を疑った風景だ。


「“遠見”」


 左手を筒状に丸め、そこに魔力で形成した膜を張る。左目にあてがい、遠く田畑の果てに点々と見受けられる緑色の何かに視線を向けた。

 開墾に従事させられるオーク達である。作業を監督しているのは人間の農夫だが、オークキングの命令は絶対のようでオーク達は今日も真面目に指示に従っている。

 性質的に田畑を耕し、種をまき、植物の成長を見守るといった地道な農耕には不向きのオークだが、木を切り、根を掘り起こして土地を拓くという単純で破壊的な力の行使なら得意とするところだ。そうして切り拓かれた土地は人間の農家に二束三文の値で下げ渡されているらしい。

 結果、この国―――オーク王国という語呂が良いんだか悪いんだか分からない名前が一応付いている―――の租税は、大陸の他のどの国と比べても格段に安く設定されていた。当然懸念されるオークによる強姦の類も、当代のオークキングが布いた掟とやらのお陰で少なくとも表面上は確認されていない。もはや民にとって地上の楽園と言っても言い過ぎではなかった。

 そう理屈では納得出来ても、やはりオークに支配された国の民が平穏無事に暮らしているなど、どうにも信じ難い話である。しかしソフィア自身の目で幾度も確認したことだ。否定のしようはない。最近では近隣諸国を抜けて移住してくる人間まで現れ始めているという。


「そろそろ戻るとするか」


 何度見直したところで、目の前の光景は嘘にはならない。城を目指して、再び城下の街並みを行く。


―――しかし、これでは以前とまるで反対だな。


 雑踏を独り歩きながら、ソフィアはひとりごちた。

 三人で城に留まると決めたものの、勇者と聖女の二人は与えられた部屋や教会にほとんど籠り切りの生活を送っている。一方のソフィアはこれ幸いと、国を得て変貌したオーク達の生態や住まう人々の様子を観察して回っていた。

 冒険者らしい冒険者でいつだって荒野を駆け迷宮に潜っていた勇者と、愛と信仰を説き奇跡を持って人々の傷や病を癒して回っていた聖女。対してソフィアは塔に籠り、書に食い付いて魔術の真理を探究するだけの生活を送っていた。


―――こんな黴臭い部屋に籠っていないで、外に出ようぜっ!


 そう言ってソフィアを強引に冒険の旅に誘い出したのが勇者だった。彼女が聖剣に選ばれ勇者の称号を手にする数年も前の話であり、当時まだ駆け出しの冒険者の一人に過ぎなかった。しかし強い正義感と冒険心、それにほんの少しの功名心を持ち合わせた赤髪の少女はソフィアの目に実に魅力的に映ったものだ。

 勇者に手を引かれ導かれた世界は、それはもうキラキラと輝いて見えた。塔に所属する魔術師の両親から生まれ、幼くしてその才能を花開かせたソフィアにとって、塔の中だけが全てだった。十代で賢者の称号を授かり、自分は魔術にしか興味がないものだと決めつけていたのだ。しかしそれは単に、魔術以外を何も知らないというだけの話だった。

 元来旺盛だったソフィアの知的好奇心は、以来魔術だけでなくあらゆるものに向けられるようになる。特にこのオーク王国の不可思議な有り様など、激しく彼女の探究心をかき立てるものがある。


「魔法使いのお嬢さん、こっちこっち」


 手招きする露店の女店主にから袋―――想像していたより大きい―――を受け取ると、ソフィアは城への道を歩く。


「そろそろ仕事は終わった頃だろうか?」


 自然と足が早まるのは、向かう先に興味の尽きないオーク王国にあってなお一際好奇心を刺激するオークキングその人がいるからだ。


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