第18話 メイド長クローリスは勝者の余裕を見せる
「聖心のままに」
「―――聖心のままに」
聖女に続いて皆が聖句を唱和すると、教会の落成式は閉式となった。
王は伏せていた顔を上げる。
祭壇には厚手の布で完全に覆われた巨大な鏡と柄杓―――聖杓の形代―――が安置されている。精巧な救世主の像が磔にされたT字架も掲げられ、最奥の天窓にはいくつかの宗教画が組み合わされた色彩豊かなステンドグラス。
グランレイズの援軍が駐屯する城塞内に建てられた教会である。
つまりは兵士達の日々の礼拝のためのものだが、仮設建設ではなく調度も建物も荘厳な作りだった。二百人の聖堂騎士が所属する、聖女カタリナの聖堂を兼ねているためだ。
「うにゅ? あ、あれ、式、終わっちゃった?」
王は自身に寄りかかって眠りこける少女の頭を撫で、起こした。
城からは王とメイドを代表してティアが参加している。
今日はやや堅苦しい集まりということで、華やかな金髪をいつもより低い位置でまとめ、上品な装いだ。
ハーフエルフである彼女は当然聖心教徒ではないのだが、だからこそと聖女が出席を望んだ。亜人や混血種を嫌う聖職者も少なくない中、自身とこの聖堂の立場を内外に示すためだ。
ティアは途中まで頑張って目を開いていたのだが、レオンハルトが教皇からの祝辞を代読した辺りでうつらうつらし始め、周辺地域の司祭が順繰りに祝いの言葉を述べる段で完全に落ちた。
「さってと、これでもういつでも魔界に旅立てるってわけだな、聖女様?」
集まってくれた人々が三々五々に解散していくと、勇者が切り出した。
「はい。後のことはアニエス様とレオンハルト君にお願いしておきましたし、何も問題はありません」
「賢者様は?」
「うむ、儂も抜かりはない」
「……本当に付いて来るのか、三人とも?」
「また不満か? 散々話し合ったじゃねえか」
「話し合った、かなぁ?」
“あの騒動”によって、メイド達や勇者一行が漠と感じ取っていた王の真意が白日の下に晒された。以来数日、何度も“話し合い”の場が持たれていた。
同じく同行を主張したケイはジョーと共に残された軍の指揮を命じることで引き下がってくれたが、元々が客人でしかない勇者達にはそれも通用しない。こちらの意見は全て聞き流され、一方的な主張と脅し文句を聞かされるばかりであった。
“魔王を倒すのは勇者の使命だ”とか“一人で行っても良いが、それならこっちはこっちで魔王城に突撃かますぞ”とか。
「何だよ、文句でもあるのかよ」
勇者はどんっと王の腹に胸をぶつけると、顎をしゃくって下からねめつけてくる。相変わらず柄が悪い。完全にチンピラのそれだ。
「いやまあ、助かるっちゃ助かるんだけどな」
クローリスと結ばれ、自身の命と引き換えに幕引きと言うわけにはいかなくなった。
となると、実に理想的な同行者ではあるのだ。
勇者がいれば、魔王の魔力の鎧を斬り裂くことが出来る。賢者がいれば、ダークオークの群れを一掃出来る。聖女がいれば、仮に致命傷を負っても回復出来る。
保険として手配しておいた“奥の手”も、持ち出す必要がなくなるだろう。
「だったら構わねえだろうが」
「命の保証はねえぞ」
「こちとら冒険者だぜ。準備万端整えて、慎重に慎重を期したところで死ぬときゃ死ぬのが冒険だ。命が保証された冒険なんてもんがいったいどこにあるよ?」
「……わかった、よろしく頼む」
「おうっ。初めから素直にそう言やいいんだよ。―――さっ、城に戻って荷造りといこうぜ。出発は予定通り明日の朝っ。見張りの兵士に物資を届ける馬車が出ているだろう。魔界まではあれに乗ってくぞ」
勇者が方針を示す。
いつの間にかすっかり主導権を握られているが、王の方が勇者パーティに加わるようなものだから、異論は挟まないでおく。
王はちらと祭壇を一瞥し、勇者達に続いて教会を後にした。
「ねーねー、ご主人様、ボクも一緒に行っちゃダメ?」
「駄目」
帰路、ティアが腕にまとわり付きながら甘えた声を出すも、きっぱりと退ける。
「ちぇー、ボクだって元は冒険者なのに」
「お前、確か最初の冒険でオークキングに取っ捕まったって言ってたよな? 一回も冒険に成功してないってことじゃねえか。そんなもんは半人前も半人前、一端の冒険者とはとても言えねえな」
勇者が先輩風を吹かせる。
「ふんだっ。ボクは一人でご主人様のところまで辿り着いたんだからねっ。アシュレイ達なんて、城に入るなり速攻で捕まったじゃない」
「いや、あれはそういう作戦でだな」
「どうだか。口では何とでも言えるよねー」
「お前なぁっ」
ティアと勇者がぐるぐると王の周りで追いかけっこを始める。
ティアは小柄な体躯とエルフ譲りの身軽さを活かして、王の股座を潜り抜けたり、肩に跳び乗るも―――
「あいたたたっ、ちょっと、耳を引っ張らないでっ」
さすがに大陸最高峰の斥候が相手では分が悪過ぎた。
「へっ、こんな程度じゃとてもじゃねえがあたしらの冒険には付いてこれねえな。足引っ張って大切なご主人様を危ない目に合わせたくねえなら、大人しくお城でお留守番してなっ」
「……ほほう、いつの間にかお主もずいぶんとティアを気に掛けるようになったものだな、勇者。わざわざ憎まれ役を買って出てまで危険から遠ざけようとはの」
「なっ、べっ、べべっ、別にそんなつもりじゃねえよ、賢者様!」
「わ、わかったから、耳をはなしてーっ」
悲壮感も無く、最後の一日は暮れていく。こういうのも、一流冒険者なりの身の処し方と言うやつなのかもしれない。
やがて日は落ち、最後の晩餐を済ませ、明日に備えて早めに寝台に入った。
「失礼致します」
「いたしまーすっ」
メイド二人が王の私室に足を踏み入れる。
「あれ、ケイとティア? 今日の添い寝当番は確か―――」
例の夜があって、次の日がティアで、その次がケイと来て、一回りした今日は―――
「―――はい、本来私が当番なのですが」
二人の後ろからクローリスが姿を現した。
「ご主人様は明朝ご出立なのでしょう? クローリスと二人きりなどにしては、明日に疲れを残すことになりかねません」
「それにそれに、しばらく会えないのに最後の夜までお母さんとだなんて、ずるいもん。ボク達は“まだ”なのにっ」
「と、言うことになりまして」
「えへへっ、じゃあボクはご主人様のお腹の上ね」
ティアは早速布団にもぐり込むと、もぞもぞと王の身体の上を這いまわり、ばあっと胸元から顔を出した。
「むっ、出遅れたか。では私は右腕を。―――はぁ、相変わらず、何とたくましい」
ケイは王の右肩に頭を乗せ、両手両足を回して全身で腕に絡み付く。
「もう、仕方がありませんね」
クローリスは勝者の余裕という感じで呟くと、残った左腕に身を寄せる。
「んふふー、戦いが終わったら、まずはボクの番だよねっ」
すりすりと胸に頬ずりしながら、ティアが言う。
「待て待て、私が先だ」
「ボクだよっ。ボクの方がケイより先にご主人様を好きになったんだから」
「さ、先とか後とか関係なかろう。要はどれだけ深くご主人様を愛しているかだ」
「へへーん、だったらやっぱりボクだね」
「私だっ」
右肩と胸の上で言い争いが始まった。
こんな時にメイドが三人とも懐妊しては大変、という言い訳で昨夜も一昨日の夜も行為は先延ばしにしていた。
かつて暮らした世界と、この世界では常識が異なる。まして自分は王でもあるのだから、複数の妻を娶ったところで誰も文句を付けない。違和感すら覚えないだろう。
オークの掟は否定しておいて都合の良い話かもしれないが、かつての倫理観を持ち出してこの世界に異を唱えるほど傲慢なつもりはない。
とはいえクローリスと結ばれて、翌日にティアと、翌々日にケイと、などと言うのはさすがに節操が無さ過ぎるだろう。―――無いのは覚悟と根性と言われてしまえば、否定出来ないが。
「正妃は私だ、そこは譲れん。何より姉上が納得せん」
「では私はご主人様の一番目の女ですから、第一夫人ですね」
クローリスも参戦し、枕語りはいつのまにか後々の女達の立場についてへと切り替わった。
「第一夫人とは、すなわち正妃のことではないか」
「知りません。何とかジョーさんを騙くらかしてください」
「ぬう」
「ちょっとちょっと、ボクは?」
「ティアは、……第二夫人でしょうか?」
「えー、二番目? まあでも、お母さんの次ならいっかぁ」
「待て待てっ、それでは私が第三夫人のようではないかっ」
「正妃を名乗らせてあげるのですから、それくらいは我慢してください。良いじゃないですか、第三夫人にして正妃で」
「いかんいかん、そんな妙な話があるか。ティアの肩書きは私が考える。…………そうだな、ご主人様から深く愛された者という意味で“愛人”と言うのはどうだ?」
「へー、ケイにしては良い感じ、―――じゃないよっ。それじゃあボクだけお妾さんみたいじゃないっ」
「むっ、気付いたか。しかたない、では寵妃とでも名乗ると良い。ご主人様の御寵愛を受けた妃と言うことだ」
「……寵妃ね。うんっ、悪くない」
「ふふんっ、正妻というニュアンスは薄いがな」
「別にそんな肩書きいらないもん。いっちばんご主人様に愛されてるってことが一番だもんね」
「ぬぬっ」
「ティア、それは違いますよ。ご主人様が一番愛しているのは、第一夫人の私と決まっています」
今度は三人して誰が王に一番愛されているかで揉め始める。
巻き込まれては堪らない。王は目をつぶって狸寝入りを決め込んだ。
―――そもそも、問われたところで答えも無い。
三人を平等に愛する自信が、王にはある。でなければ彼女達を娶る資格などないだろう。
一人一人から向けられる愛情がそれぞれに嬉しく、今はちゃんと答えたいと思っていた。
それに下世話な言い方になるが、三人が三人とも綺麗で可愛いし、それぞれにタイプも違うから優劣を付けようという気にもならないのだ。
目を閉じたままそんなことを考えていると、次第に本当の眠気が襲ってきた。
「一番は私ですが、この二人と、……そうですね、あとお三方くらいなら。第六夫人くらいまでなら私は認めますよ、ご主人様」
まどろみの中で、クローリスが小さく囁くのが聞こえた。