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第17話 オークキングは本当に精を出す

「お、お情けって、それはつまり」


「はい。ご主人様の御寵愛を、―――御子種をお授け下さい」


「なっ、何だって急に?」


 ぎゅっと胸元で握りしめられたクローリスの手の内に、賢者謹製の媚薬の小瓶を認めた。

 つまるところ、王の不能が改善されたことを察したわけではないらしい。いくらか安堵しながら言葉を続ける。


「ああ、そうか、マリーの懐妊の話になったからか? すまないが、俺はオークの子を産ませる気は―――」


「戦いに向かわれるおつもりですよね。それも、またどうせ御一人で」


「―――っ、なっ、何の話だっ? せっかくグランレイズから援軍に来てもらったってのに、何だって俺が一人で」


「私がご主人様の御心を読み違えるとお思いですか。ずっと貴方様だけを見つめて生きてきた、この私が」


「…………兵を引き連れて魔界の最深部まで行くってのは、さすがに無理があるからな」


 誤魔化しは効かないと観念し、王は今度は言い訳を並べ立てる。

 魔界の深部は鬱蒼と茂る道無き森であり、大軍でまとまっての進軍は不可能に近い。そして道中には単体での戦闘力であればダークオークを凌ぐ魔物がいくらでも潜んでいるのだ。第五界層に到達するまでに兵の大部分を失い、残った兵も疲弊しきっていることだろう。


「それで御一人で?」


「ああ、下手に小隊なんて組んだら大軍に押し包まれかねないしな。それなら俺一人でひっそり乗り込んで、頭を潰しちまう方が勝算は立つ」


 言うなれば王がかつて生きた世界のロールプレイングゲームの乗りである。

 ゲームならその役を担うのは勇者一行と相場が決まっているが、当然そんなことを頼めるものではない。

 結局のところ、王のやる事は一つ。いつも通りの単騎駆けだ。


―――それに最悪、俺の首一つで事足りる。


 口には出さず、心の中だけで付け加えた。

 負けるつもりはないが、相手が相手―――オークキングと魔王のタッグ―――だ。玉座にある者として自分の死後も考えておかねばならない。

 そもそも何故、ダークオーク達はオーク王国を襲ったのか。

 オーク王国は南方諸国最大の軍事力を有する。単に略奪だけが目的であれば、他国に向かった方がはるかに容易いのだ。

 いたずらに北上し、偶々ぶつかった先がオーク王国だったのか。しかしそれなら、王都で強硬な反攻を受け、半数近くも数を減らした時点で目先を変えたはずだ。

 ダークオークは明らかに意図をもってオーク王国を襲っている。

 理由は考えるまでもない。今や魔王の后ともいえる立場にある姉の怨恨だろう。

 ならば王が倒れることになったなら、恨みの対象が消えたオーク王国を襲う理由も無くなる。

 あるいは国そのものまで憎しみの対象とし、これを好機と襲い来るかもしれない。それならそれも良い。今の戦力ならまだハイオーク達とグランレイズからの援兵で対処し得る。

 最悪の事態は、憎悪を抱えたまま魔界の奥深くに籠り、戦力の拡大―――ダークハイオークの出産に励まれることだった。


「―――っ、…………」


 クローリスは何度も口を開きかけては口籠り、やがてかぶりを振ると溜息交じりに喉を震わせた。


「分かってはいたことですが、やはり御覚悟は固いのですよね?」


「ああ」


「戦えもしない私を、足手まといにしかなれないこの身を、お供にお連れ下さいだなんて申せません。ですがっ」


 栗色の豊かな髪を振り乱し、クローリスは叫ぶ。


「怖いんですっ、今日この一時がご主人様と過ごす最後の瞬間になるのではないかと。許せないのです、ただ待つことしか出来ない我が身がっ。ですから―――」


 一端言葉を切ると、クローリスは王を真っ直ぐ見つめて繰り返す。


「お子種をいただけませんか?」


「……それは俺が戻らなかった時のために、忘れ形見が欲しいってことか?」


「いいえ、違います」


 クローリスはきっぱりと否定した。


「だったら何で?」


「女にとってお産は命がけの戦いです。そんな時、ご主人様は決して私を一人にはしておきません。必ず生きて帰って、出産の瞬間には私の隣で手を握っておいでです」


 クローリスはそうして欲しいと乞うのではなく、王ならそうすると断言した。


「……俺のことなんか忘れて、誰か人間の男を捕まえて幸せになることだって出来るんだぜ」


「本気で仰っているのなら、さすがに怒ります」


「すまん。口にしておいてなんだが、そんなの俺だって嫌だ」


「ええ、そうでしょうとも」


「……俺との子は、もれなくオークだぞ」


「ご主人様似の子ですねっ」


「―――っ」


 クローリスは声を弾ませた。


―――敵わないな。


 本当に嬉しそうに微笑む彼女に、王は胸中で諸手をあげた。降参だ。完膚なきまでの全面降伏だ。


「……いつだって、先に覚悟を決めてくれるのは君だな、クローリス。俺は君に背中を押されてばっかりだ」


「その大きなお背中が、いつも私を守ってくださいました」


 クローリスが小瓶のふたへ指を伸ばす。―――王は大きな手で小さくたおやかな両手を掴み取り、それを阻んだ。


「必要ない」


 一瞬悲しげに顔をゆがめたクローリスにそう告げると、そっと抱き寄せる。


「あっ」


 腕の中で漏れた切なげな声が理性を溶かす。もうそれに抗わなかった。

 小さな体は限りなく柔らかく、王の巨体をどこまでも飲み込み、溺れさせた。

 初めての夜は静かに、いや、激しく猛々しく更けていった。




 翌朝である。

 いつも通り屋上庭園に設けられた朝食の席には、おおよそいつも通りの面々が揃っていた。

 王とメイド三人に勇者一行である。

 あとはリアンとアニエスとトリッシュが加わったり加わらなかったりするが、今日のところは三人とも欠席だった。昨日の宴席での飲み過ぎと夜更かしが原因だ。

 勇者とケイも―――後者に関しては顔色には一切出していないが―――調子が悪そうだ。


「あのさ、なんか今日のお母さん、歩き方変じゃない?」


 真っ先に食事を終え、手早く後片付けを始めたクローリスにティアが言った。


「お怪我でもなさいましたか? それなら私が奇跡を―――」


「大丈夫です、カタリナさん、ティア。……ただ、何だかまだご主人様が中にいるみたいで」


「ん? ……えっ、えっ? それって!?」


 一瞬で場は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。


「むむう、さては最後の思い出にとか何とか言って誘ったな。……まあっ、一番手はクローリスだろうさ、それはしかたがない。ご主人様、次は私にっ」


「ちょっとケイっ、何言ってるの!? 二番目はボクに決まってるじゃないっ。ご主人様っ、まだ魔界には行かないよねっ、今夜はボクとっ」


「ふっ、ふんっ。この期に及んで、ついに人間の女に手を出す気になりやがったか。へえ、ふーん、ほー」


「聖心教では異種交配を奨励してはおりませんが、まあ、陛下のなさることでしたら。出陣を前に、万一のために御血筋は残しておくべきでしょうし」


 押し合いへし合い、女達は代わる代わる王の前に詰め寄っては騒ぎ立てる。

 各々の台詞から察するに、どうやらクローリスのみならず彼女達には王の覚悟などバレバレであったらしい。


「クローリスっ、クローリスっ、約束していた、例のブツは?」


 そんな中、賢者一人はクローリスに迫っていた。

 ブツというのは、以前にも要求された王の子種のことだろう。そのいつも通りの姿勢がむしろ今は好ましい。


「ございませんよ。お作りいただいたお薬は使いませんでしたので。ですから申し訳ありませんが、対価の方も今回はお預けです」


「何っ、儂の媚薬を用いず性交渉を行えたのか?」


「はい。二人の愛のなせる業でしょうか」


 賢者が、どういうことかと視線で問うてくる。


「いやまあ、そういうことなんじゃないか? 愛の力?」


 王はひとまずのところ惚気に乗っておいた。


「…………きっと、うまく愛の結晶を宿せたと思います」


 クローリスがぼそりと、されどこれ見よがしに口にする。


「―――っ、い、いやでも、そんな昨日今日で分かるようなものではないんじゃないか?」


 昨日今日というか、正確に言うなら盛り上がり過ぎてほんの数鍾(数時間)前だ。


「ええ、ですからきっとです。だけど間違いない。こういう時の私の勘は当たるんです」


 クローリスは慈しむように自らの下腹部に手を当てた。


「―――っ」


「きゃっ」


 どうしようもないほどの愛おしさがこみ上げ、駆け寄り、抱き上げた。

 クローリスが我が子を宿している。頭に思い描く“それ”はオークの形をしているが、もう気にはならなかった。


「愛しい君の中に、愛しい存在がいる。倍々ゲームで愛がヤバい」


「うふふ」


 我ながら訳の分からないことを口走る王に、クローリスはくすぐったそうに微笑んだ。



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