第16話 オークキングはさらに身辺整理する
「ご主人様、二人を連れて来たよーっ」
ティアに連れられて、トマと二番が玉座の間におずおずと足を踏み入れる。
「おう、二人とも呼び立てちまってすまなかったな」
二人は、特にトマは緊張した様子でひざまずいた。
わざわざこんな所へ呼び付けるなど滅多にやる事ではない。近衛も下がらせ、室内には王とメイド達だけだ。
「…………」
「……ご主人様、何か言ってあげませんと。お二人がお困りです」
「あ、ああ、そうだな。あー、とりあえず二人とも、楽にしてくれ」
何と言って切り出したものか思い悩んでいると、クローリスにたしなめられた。
二番とトマはちょっと視線を絡ませると、二人そろって立ち上がった。気脈の通じたやり取りだ。
「それで王様、アタイ達にいったい何の御用ですか?」
「う~ん、何と言えばいいものか」
「?」
かなり無粋な真似をしようとしている自覚があるだけに、言葉に悩む。
「……えっとだな、ほら、オークの掟に特例を設けてから、だいたい一年が過ぎたわけだけどよ」
「ああ、陛下もお気付きになられましたか」
「なるほど、マリーとアニキへの出産祝いの相談ですか」
二人は同時に相好を崩した。
「…………」
動揺を隠しメイド達に視線を送ると、クローリスににっこりと微笑み返された。
どうやらマリーの懐妊に気付いていなかったのはこの場で王だけらしい。
「アタイらオークにはない風習だからね。トマによると、この辺りの人間は一生食いっぱぐれないようにって意味で、食器なんかを贈るらしいんだけど」
「木を彫ってスプーンやカップなどを作ったりするのです」
「アタイは不器用だから、簡単に出来そうなスプーンかね。カップは難しそうだから、トマが作ってよ」
「それじゃあまず大枠を二番さんが削ってくれませんか? 細かい細工は僕がやりますから」
二人がわいわいと盛り上がり始める。
「……あー、祝いの品に関しては、無事出産を見届けてから用意した方が良いんじゃないか? あまり周りが盛り上がっても、マリーに余計な重圧を掛けかねないだろう。それに生真面目な一番のことだから、こんな時期に、なんて気に病むかもしれないしな」
「ああ、たしかに王様の言う通りかもしれないね。アニキ、面倒な性格してるから」
「そうですね。マリーもこの大変な時期に城内のことを手伝えなくなるのを、あれで気にするかもしれません」
「うむ」
「陛下の御高配に感謝いたします」
「さすがアニキ。けーがんだね」
二人そろって頭を下げる。
二番が口にした“アニキ”は一番ではなく王のことだろう。
お堅い弟と比べると割と頻繁に漏れる妹の気安さが、王には快かった。
「それでは陛下、私たちはこれで」
「おう」
「―――ご主人様、大切なご用件をお忘れではありませんか?」
上機嫌で二人を退室させかけたところで、クローリスが口をはさんだ。
「おおっ、そうだった。二人とも、もうちょっと待ってくれ」
マリー懐妊の衝撃が強過ぎて、肝心の本題を忘れていた。
「王様、まだ何か?」
「うむ。話を戻すが、掟に特例を設けてすでに一年が過ぎた」
「うん」
「はい」
神妙な顔で二人は頷いた。
「そのだな。……そろそろ、二組目の夫婦が生まれても良いとは思わないか?」
「…………? ―――っ」
怪訝な顔で首を傾げた後、二人同時にはっと顔を赤らめた。正確には二番に関してはもう少しどす黒い色調だが。
「な、何を言いたいんだい、アニキっ!? そっ、そんなことを、アタイらに言われたって困るよ。まさか、アタイと、その、……トマに」
最初大きかった二番の声は徐々に勢いを失い、“トマに”の部分は蚊の鳴くようになった。
「陛下っ!」
代わって声を張り上げたのはトマだ。
「いいえ、ここはお義兄さんと呼ばせて頂きます。お義兄さんっ、妹さんを私に下さいっ」
柔和でいつも物静かな男が、一世一代の意気込みを見せる。
「ちょっ、ちょっとちょっと、トマっ。アタイら別に、まだそこまでの関係には―――」
「そっ、そうでした。先に二番さんに言うべきことでした。―――二番さんっ、僕と結婚してくださいっ!」
一世一代の意気込みは、相手を変えてすぐに再び繰り返された。
「その、ア、アタイで本当に良いのかい?」
「あなた“が”良いんです」
「ほ、本当に……」
「はい」
「……あー、その続きは一応特例の申請を済ませてからにしてもらえるか?」
「あっ」
「すっ、すいませんっ」
見つめ合う二人に水を差す。
申し訳ないとは思うが、妹のこんな場面はさすがに見ていられない。
「ケイ、書類一式を」
「はっ。―――二人とも、こちらに署名を」
すすめられた羽ペンを手に取り、トマがまず署名する。
そして二番はトマに手を添えられ、導かれるままに羽ペンを動かす。“トマの伴侶”と。
近衛を例外としてオークには名前が無いし、文字も無い。そのためこのような形式が取られる。
個体名でもなければ自著とも言い難く、本人確認の用をなしていない。しかし重要なのは異種族側が協力して署名することだった。
今回や前回―――二番と一番に関してはそんな懸念は必要ないが、オークが人間やエルフ達を脅して婚姻を迫らないとも限らない。言うなれば異種族側の最後の意思表示の場なのだ。
「―――これで良しっと」
署名された書類を受け取ると、ぽんっと王の印章を押した。
「トマ、妹をよろしく頼む。二番、兄らしいことなんて何もしてやったことのない不出来な兄貴だが、祝わせてくれ。おめでとう。―――二人とも、一番とマリーにも負けない幸せな家庭を作ってくれ」
「はいっ」
二人が声を揃えた。
「さあ、一番とマリー、御母上にもご報告差し上げよう。実は城の中庭に宴の用意をしてあってな。三人もそこへ呼んでいるんだ」
「ははっ、用意が良いね、アニキは。アタイがトマに振られたらどうするつもりだったんだい?」
「いえいえ、結婚を申し込んだのは僕なのですから、振られるとしたら二番さんではなく僕の方でしょう」
「ああ、そう言えばそうか。でもアタイがトマの申し出を断るはずがないじゃないのさ」
「そんなことは分からないでしょう。もし立場が逆なら、僕の方から断るはずはありませんが」
「いいや、振られるとしたらアタイの方さ」
「僕の方ですよ」
「―――あははっ!」
ティアが手を打って笑い声をあげた。二番とトマは意味も分からず、憮然とした顔だ。
「お二人とも、そういうところですよ、ご主人様が宴の用意をしてしまって問題無いと判断した理由は。本当に、息がぴったり」
「―――っ」
クローリスの台詞で、二人の顔がまた赤く染まった。
その後の宴は大盛り上がりとなった。
主だった者達だけでなく城下の住民や兵士にも声を掛け、さながら祭りの様相だ。
雌オークを娶ったトマも、人間の男を物にした二番もちょっとした英雄扱いである。
聖女と、ここぞとばかりに賢者様のエールを飲みまくるアニエスからも祝福の言葉を贈られた。人間同士の夫婦でも授かれるものではない栄誉だった。
王都での避難生活が続く民には良い気晴らしになったようだし、兵には良い発奮材料となったようだ。オークの兵達は“戦で活躍してオレ達も人間にモテるぞっ”と拳を突き上げ気勢をあげていた。
「…………」
王は宴もたけなわの中庭を後にし、後宮の自室へ戻った。
遠く、祭りの喧騒が聞こえてくる。
寝台の端に腰掛け、作業を開始する。一心不乱に手を上下に動かしていると、いつしか扉を叩く音がした。
ノックにも個性が出る。
軽快に、一回目よりも二回目が、二回目よりも三回目が大きくなるのがティア。機械のように正確に同じ強さと同じ調子で叩くのがケイ。
そしてこの控えめで、まるで室内をそっと窺うようなノックは―――
「失礼致します、ご主人様」
「クローリス。宴は終わったのか?」
「まだアシュレイさんやアニエス様に何人か捕まっておりますが、粗方は。―――それでご主人様は、一人でこっそり抜け出して何をなさっていらっしゃるのですか?」
「ああ、いや、これは―――」
「二番さん達には生まれるのを待つように仰っておりましたのに」
咄嗟に背後に隠すも、クローリスは目聡く見とがめた。
「二人には俺が抜け駆けしてることは内緒だぜ」
観念し、ナイフと削り掛けの木材を枕元の卓に置く。
マリー達に贈る出産祝いである。二人には悪いが、王に限っては今のうちに仕上げてしまいたい。
「お箸、ですか?」
「ああ。簡単に作れると思ったんだが、二本の形をぴったりそろえるのが意外に難しい」
当然、この世界では一般的な道具ではない。王と、それを真似して小器用なティアが上手に使って見せるくらいだ。
最期になるかもしれないのだから、甥だか姪だかにちょっとした爪痕を残すくらいは許されるだろう。
「続きは明日にして、今日のところは寝るとするか」
王は寝台に寝転んだ。
今日もトマ達と会うまでは忙しく駆け回っていたし、宴で多少酒も入っている。目をつぶればすぐにも眠りに落ちることが出来そうだ。
「クローリス、入らないのか? 添い寝に来たんだろう?」
「……はい」
クローリスは小さく返答するも、寝台の横に立ち尽くしている。
宴の喧騒はすでに王の耳にも届かない。
静寂の室内で、彼女は削り掛けの箸にじっと視線を落としている。
ひどく張り詰めた表情は、時折妖しく揺れた。
「―――お情けを、いただけませんか?」
ごくりと息を呑む音は、果たして王が発したものであったか、クローリスが発したものであったか。