第15話 オークキングは身辺整理する
「――――――――っ!! ―――――っ!!!」
王都の郊外に仮設した練兵場に鬨の声が響く。
近衛兵を中心としたハイオークの精鋭達とグランレイズの兵士が熱心に調練に明け暮れていた。
近衛兵、なかでも一番や二番の動きはダークオークにかなり近い。仮想ダークオークと言うわけだ。
初めは一方的に追い散らされていた人間達だが、何日か繰り返すうちに対応を覚えた。
とはいえ劇的に優れた戦術などがすぐに生まれるはずもない。
一体に対して五人以上で盾を並べて対峙する。後方から弓兵や魔導兵が絶えず援護する。騎兵が敵後方に回って牽制する。
そうした基本的な立ち回りも徹底されると、身体能力だけで易々と崩せはしない。
「わあっ」
悲鳴とも歓呼ともつかない声が上がった。
もちろん、時として布陣を崩されることはある。
一番が盾兵を押し退け、内部へ侵入を果たしていた。棍棒―――厚く布が巻かれている―――で歩兵を蹴散らしていく。
「これでも喰らいな、アニキっ!」
「一番殿、そこまでですっ」
二番とレオンハルトが一番の元へ駆け寄った。
「ぬっ、はっ、ぐぬっ。―――くうっ、ま、まいった」
棍棒と戦棍で左右から打ちかかられ、一番は一時奮戦するも得物を下ろした。
盾兵が突破された場合は、陣形内部に配置された強者が対応する。近衛のハイオークや聖堂騎士なら二人から三人掛かりで安定してダークオークを討ち果たせる。
「おい、よそ見してないで前を見ろ、いくらお前でもあぶねえぞ。―――おしっ、そこだ。そこに置いてくれ」
王は小山のような巨石を、リアンの指示で大地へゆっくりと降ろす。
調練を横目に、グランレイズ兵三万の駐屯地の建造も進められている。王はそちらに尽力していた。
現状は周辺の村々―――魔界から程近いということで住民は王都へ避難させている―――に仮住まいしてもらっているのだ。
勇者がスパスパと木材や石材を切り出し、ハイオーク達がそれを運び、人間の兵士や工人たちが組み上げていく。
駐屯地であり、王都の住民を守護する防衛砦でもある。強固な防塁が築かれていた。
王は駆け回り、あらゆる工程にその剛力を振るった。
「よしっ。この調子なら数日中には完成しそうだな」
リアンが満足げに頷きながら言う。
「そうか。調練の方も、ほぼ仕上がったと見て良さそうだ」
少なくとも防衛という面においては、ほぼ万全な体制が出来上がりつつある。
―――となると頃合いか。
あまりぐずぐずしていてはダークオークの戦力が増強されるばかりだ。どこかでこちらから討って出る必要がある。
「―――おい、オークキングっ、ぼさっとしている暇があったらさっさと次の資材を取りに行けっ」
物思いにふけっていると、石積みの上からディートリヒが顔を覗かせた。王に対してこんな口を利くのはこの少年くらい、―――でもないか。
今日は一介の冒険者、というより日雇いの人夫として城壁造りに参加していた。軍に混じれば当然お飾りの総大将扱いになる。それを嫌ったのだろう。
「……そう言えば、最近あまり勝負を挑んで来なくなったな、お前」
「そりゃあ、仮にも王がこんな状況で勝負なんかしている場合じゃないだろう」
「はぁっ、なんだかんだ言っても、結局は良いとこのお坊ちゃんだな。憧れの勇者なら、そんな弱みにこそ付け込んでくるぞ」
「むっ」
わざとらしく肩を竦めて言うと、ディートリヒは気色ばむ。
「―――おいおい、何を勝手なことほざいてやがる」
勇者がこちらへやって来た。本日分の資材の裁断を終えたのだろう。
「おう、ちょうど良かった。久しぶりに勇者を賭けての勝負の“続き”とやらをやろうって話になってな」
「待て待て、僕は受けるとは一言も―――」
「続きなんだろう? 受けるも受けないもねえだろう、今だって勝負の真っ最中じゃないのか?」
「むむっ、口の減らないオークめっ。良いだろう、受けてやるっ!」
「だから受けるも何も―――」
「とうっ」
ディートリヒが五ワンド以上(5m超)もある防塁から躊躇なく飛び降りた。
亜神器ナーゲルリングを空中で抜き放ち、振り下ろしてくる。
王は難なく躱し―――
「おわあぁぁっっ」
ぐいっとディートリヒの肩を押しやった。まだ宙に浮いたままだった小柄な身体は、ほとんど何の抵抗もなく真横へすっ飛んでいく。
「―――っ、まだまだあっ!」
つんのめりながらも何とか無事大地に降り立つと、ディートリヒはすぐさま突っ込んでくる。
今日は工人に混じっての仕事だから、剣こそ佩いていても板金鎧を着込んでいない。いつも以上に俊敏な動きだった。
王もベルトから棍棒を抜き放ち、迎え撃つ。
まずは突きかかって来たところを半身になって躱し、手首に棍棒を落とした。
「つっ」
それなりに強く打ったつもりが、ディートリヒは剣を取り落とすことなく王の横を駆け抜け、距離を取って向き直った。ちょっと涙目になっている。
「はあっっ!」
上段からの斬り下ろし。今度は棍棒で強く弾いて体勢を崩させ、足払いで転ばせた。
立ち上がりながら斬り上げにくる。手首を掴み取って止め、放り投げた。
デコピンで吹っ飛ばし、投げ打ち、打ち据える。
見事な金髪が土にまみれ、露出した肌にいくつも擦り傷が刻まれる頃になると、人夫や兵士達が集まってきて遠巻きに観戦を始めた。
「ちょうど良かった。一度回復してやってくれるか」
「はい、陛下」
観衆の中に聖女の姿を見つけ、頭を下げる。
救護班として調練に付き添ってもらっていたから、騒ぎを聞き付けてこちらへやって来たのだろう。
「――――。―――。“回復”」
「せっかくだ、肉体強化の奇跡もかけてやってくれるか」
「どういうつもりだ?」
大人しく回復は受け入れたディートリヒが、王をきっと睨む。
「どうもこうも、このままじゃあんまりに退屈なんでな。ちょっとは俺を楽しませてくれよ」
「貴様ぁっ」
恨めし気に歯噛みしながらも、そこは勇者に倣った抜け目なさでディートリヒは奇跡の発動をじっと待つ。
「――――。“肉体強化”」
「おおおおっっ!!」
聖女の杖から発した光が身体に乗り移るや、叫び、飛び掛かって来た。速い。
奇跡は受け手側の感受性や使い手との相性によっても効果が増減すると聞くが、ほとんど勇者と変わらない恩恵を受けている。さすがは初代聖女の相方の血筋と言ったところか。
「ぬっ、はっ、くそっ、こんのっ」
突き、横へ回り込みつつ下段、さらに回り込んで上段、くるっと踵を返して中段。
目まぐるしい連撃を王は巨体を屈めてすべて弾き落とす。
勇者が王の脅威足り得たのは速さに加えて聖剣という絶対の攻撃力と、予想の付かない奇想の剣技があったればこそだ。ディートリヒは憧れの勇者の剣筋を多分に取り入れてはいるが、根っこにあるのは皇族らしく至極真っ当な剣術だ。亜神器ナーゲルリングも種が割れた今では対処に困らない。
「ぬっ、ぐあっ」
肉の厚い肩や太腿に棍棒を落とす。手加減はしているが、手を抜き過ぎもしなかった。
「ま、負けるかっ」
しかし、諦めない。四半鐘(15分)ほども、なぶるような戦いが続いた。
肉体強化の効果もすでに切れ、両足を痛みに震わせている。それでも健気に立っている。倒れてもすぐに立ち上がる。
「―――っ、があああーーっっ!!」
ディートリヒは雄叫びを上げ、跳躍した。勇者お得意の大上段だ。
同時に王も巨体を躍らせていた。跳び上がったディートリヒの頭上を軽々と越え、大地へ打ち落とす。
「―――聖女、回復をっ」
「は、はいっ、陛下」
大の字になって地面に倒れ伏す姿にさすがにやり過ぎたと不安になるも、―――ディートリヒはむくりと自力で起き上がった。
「……くそっ、やはり戦のことが気になって、今の貴様相手には全力が出せないな。勝負はしばらくお預けだっ」
そして、なおもそんな減らず口を利いた。
「あっ、お待ちください、殿下っ。お傷を癒しますっ」
見物人の中から飛び出してきた仲間二人に肩を借りると、ディートリヒはその場をそそくさと去っていく。聖女が慌てて後を追った。
「らしくねえなぁ、ずいぶんといじめたじゃないか。―――って、お前ひでえ顔してるぞ。そんな顔するくらいなら、いつも通り適当にあしらえば良いだろうに」
「ここまでやれば負けを認めると思ったんだがな。まったく困った奴、―――いや、大した奴だ」
あきれ顔の勇者に答える。
―――上手くいかないもんだな。
心残りと言うほどでもないが、やり残したことを一つ片付けて置きたかったのだが。
もっとも勇者達からこっち、城に押しかけて来た連中が王の思惑通りに動いてくれたことなどほとんどない。―――いや、それは王自ら巣穴に引き込んだクローリス以来ずっとか。
「勇者。お前、そろそろ結婚してやっても良いかって気にはならないもんか?」
「はあっ!? とっ、突然何を言い出しやがる?」
「元々そういう約束だったじゃないか。ディートリヒのやつが俺に勝てたら結婚してやるんだろ?」
最悪、自分の不戦敗もあり得る。心の中でそう付け足す。
「あ、ああ、何だ、ディートリヒとか。……ちっ、紛らわしいこと言いやがって」
「?」
勇者はぶつくさと不平を漏らす。
「で、どうなんだ?」
「ぜんぜんまったく、これっぽっちもそんな気はねえよっ」
「あっ、おいっ」
苛立たし気に吐き捨てた勇者は、ぷりぷりとその場を去っていく。
「……あの、陛下。よろしければ私にも一手御指南いただけないでしょうか?」
「あっ、レオンハルト殿、抜け駆けはずるい。王様、オレにもお願いします」
後を追おうにも、調練を終えた聖堂騎士や近衛兵に王はいつの間にかすっかり取り囲まれていた。