第14話 オークキングは手と手をたずさえる
「―――――っ! ―――――――っっ!!」
河岸に集まった数千人の見物客から、割れんばかりの喚声が巻き起こった。
以前支流に設置したゴーレム仕込みの橋を、規模を数百倍にもして本流のロンガム河に渡していた。幅三十ワンド(30メートル)、長さ実に十ミレワンド超(10キロメートル以上)という理外の巨大建造物である。
橋の建設は、過日のグランレイズでの交渉で決められたことの一つだ。
オーク王国とグランレイズ双方の職人達が集結した一大事業である。
グランレイズの自治区に居住するドワーフ達も興味を持ち、協力を買って出てくれた。お陰で工期は規模を考えれば異例の三ヶ月。その間、王も大いに力仕事に“精を出した”。
「おい、あれが?」
「らしいな」
職人に混じって、魔術師達が王を遠巻きに観察し、喧騒の中ヒソヒソと囁き合っている。
今回建造されたゴーレムは千体を数える。さすがにその全てに賢者一人で術式を刻めるわけも無く、“塔”の魔術師達に協力を仰いだのだ。
参集した魔術師達は王の存在に興味津々の様子だった。
王自身も知らされずにいたことだが、実は賢者が塔に提出していた論文のいくつかはオークキングが共著とされていた。なかには王のほうが筆頭著者の論文まであった。
そして先日、塔より“論文魔術師”なる称号を授けられ、外部研究員という籍まで与えられていた。
オークである王は魔術を使えないわけだが、そういった例自体は珍しくもないらしい。
魔力の強弱と魔術式構成のセンスはまた別のもので、非魔術師が既存の魔術の効率化や効果増強に成功することもあるという。そういった人間は研究機関である塔にとっては貴重な人材であり、囲い込みのために籍が与えられる。
もちろん魔物というのはさすがに前例がなく、こうして好奇の対象とされているわけだが。
「賢者様の論文に共著がいるのは初めてだろう?」
「いや、確か幼い頃にご両親と共著で何本か書かれているはずだ」
「ああ、そうだったそうだった。……しかし、ご両親以来か」
「あっ、お前まさか、あの噂を信じているのか?」
「いやいや、そういうわけじゃないが」
「だよな。いくらあの変人とはいえ、オークの女になって研究業績を貢いでいるなんて、さすがにあり得ねえよ」
―――丸聞こえなんだがなぁ。
あの魔術師達は賢者が著したオーク、ハイオーク、オークキングの能力比較―――聴力も含まれる―――の論文は読んでいないようだ。
あと、賢者は同じ魔術師の中でもやっぱり変人扱いらしい。
「橋の出来を確認したい。儂とリアンを運んでくれんかの?」
賢者がそんな状況を知ってか知らずでか、近寄って来てそんなことを頼んできた。
賢者とリアンには当然この現場の監督をお願いしている。
「どこまで行きたいんだ?」
出来れば他の方法を、と思って尋ねる。
「むろん対岸まで行って帰ってよ」
「……他の方法じゃ日が暮れちまうか。―――わかった」
王は賢者とリアンを抱き上げた。
「おっ、おい」
魔術師達の声がにわかに大きくなった。それこそ賢者にも聞こえるほどに。
「……」
「おおーっ」
賢者が煽るように王にぎゅっとしがみ付くと、魔術師達は声を潜めるのも忘れて騒ぎ立てた。王は逃げるように駆け出す。
何にせよ、橋は王の巨体が飛んでも跳ねてもびくともしない完璧な出来だった。
そしてそのわずか三日後、予定通りグランレイズから三万の軍勢が派遣されて来た。落成されたばかりの橋を渡って。
騎兵なら十騎、歩兵なら二十人が横並びして十分な余裕が橋にはある。まずは先駆けとして二千騎が駆け抜け、安全が確認されると本隊が整然と続いた。
ある意味ではこの進軍が国家による橋の最終確認というわけだ。いざという時のために、ロンガム河の川面には救助用の船が幾艘も浮かんでいる。
橋の袂で王が本隊を待ち受けていると、全軍を停止させて一騎だけが進み出た。
「……ちょっと腰が軽すぎやしないか? ここはオークの国で、しかもいつ戦場になるとも知れないんだぜ」
三万を率いて来たのは何と皇帝自らだ。
「宰相達と同じような事を言う。単騎駆けが十八番の男の台詞とも思えんぞ」
連銭葦毛の見事な馬体から身軽に跳び下り、皇帝が続ける。
「俺が軍を率いてロンガム河を超える。それもお前と手と手をたずさえて。これは我が国にとってなかなか意味のあることなのだ」
「ああ、そういえばグランレイズの開祖は―――」
「知っていたか。そうだ、ロンガム河の北岸で当時のオークキングを討ち、そして次代のオークキングを取り逃がしてもいる。それ以来レオンハルト様も、歴代の皇帝もこの河を超えたという記録はない」
「なるほど。ならこれは実に象徴的な出来事ってわけだ」
「後の歴史書にも記されるだろうな」
「挿絵付きかもしれないな。せっかくだ、それらしいポーズを取らないか?」
「おう、俺もそのつもりであった」
どちらからともなく手を差し出し、握り合う。
人間にしてはがっちりとした手だ。王様なんかをしているよりも冒険者の方がよほど似合いそうだ。
「……」
わずかに身を引いて、皇帝を橋の縁から陸地へと招き入れる。文字通り手と手をたずさえて。
「―――――っっ!!! ―――――――――っっ!!」
わっと喚声が上がった。
まずは橋の上のグランレイズの兵から。そして陸上のオーク兵や集まっていた観衆にも波及し、耳をつんざく大喚声となった。
「おおっ、―――はっはっはっ!! さすがにでかいなっ」
握り絞めた拳をぐいっと天に突き上げると、身長差ゆえに―――皇帝も人間としては十分偉丈夫の類なのだが―――、体ごと引き上げる格好になった。
皇帝が大笑する。よく笑い、それが妙に様になる男だった。
「―――そちらがリアン殿かな?」
三万の兵の上陸を待ちながら―――それだけで半日がかりとなる―――、皇帝に主だった者達を引き合わせる。
と言っても帝都で顔を合わせている者ばかりだが、皇帝は初対面のはずのリアンに目を止めた。
「どうしてグランレイズの皇帝陛下が俺のことを?」
「ああ、オークキング殿がずいぶんと誉めていたのでな。ロンガム河に橋を渡すなど、正直俺には絵空事としか思えなかったのだが、うちの建築士は滅茶苦茶優秀だから大丈夫だと」
「そ、そうですか。―――ああ、賢者、さっそくアレを陛下にお渡ししようぜ」
リアンは珍しく照れた表情で、誤魔化すように賢者を手招きした。
「うむ。……陛下、こちらを」
「おう、これが」
「“崩壊の鍵”です」
皇帝に手渡されたのは、一握りほどもある鉄杭だ。複雑な紋様が描かれている。
こんな大掛りな橋をわざわざ突貫工事で作り上げたのは、何もグランレイズからの兵員輸送を容易にするためではない。
第一に、いざと言う時の民の避難路である。数千のダークオークが国土に雪崩れ込む可能性もあるのだ。そうなってから、いちいち船で国民を北岸に渡している時間はない。
第二に、ダークオークの軍勢に対する武器だった。
オーク達にも丸太船を作って川を渡るくらいの知恵はあるが、そこに橋があるならわざわざそんな面倒な真似はしない。当然、この橋を使う。
術式を刻んだ魔術師達にも秘密にしていることだが、この千体のゴーレムから成る橋は、組み上がった時点で一体のゴーレムと化す。
さすがに常識外れの巨体を暴れ回らせることは賢者にも不可能だが、自ら崩壊させる程度なら可能だという。
皇帝に手渡された鉄杭は、そのための術式が刻まれた魔導具である。橋のしかるべき位置に挿入されて、鉄杭とゴーレムに刻まれた二つの術式がかみ合った瞬間、それは発動する。つまり文字通りの“崩壊の鍵”なのだ。
使いどころ次第で、ダークオークを一網打尽にすることも可能だろう。
「これを使うような事態だけは避けたいものだがな」
懐に鉄杭をしまいながら皇帝が言う。
せっかく完成したこの橋を崩壊させるということは、つまりはロンガム河南岸を人類が放棄することに等しい。そうならないための援軍であり、戦準備だった。
皇帝と三万の兵がやって来た翌日には、グランレイズ中の聖堂から集められた聖堂騎士二百人が橋を渡って現れた。
「御無沙汰しております、陛下、カタリナ様、それに皆様も」
聖堂騎士には序列というものが無いらしいが、ここでは代表してレオンハルトが挨拶に進み出た。
「よく来てくれた。精強と名高い聖堂騎士の援軍、実に頼もしいぜ」
「いえ、当然の任務に当たるだけです。陛下のお膝元で、カタリナ様の聖堂を守れるなど望外の喜びです」
聖堂騎士は読んで字のごとく、聖堂を守護する務めを持った騎士団である。もちろん必要に応じて派兵する例も無いではないが、今回は長期間となる可能性も高く、通常任務と言う形式が取られた。
つまりはオーク王国に新たにカタリナを司祭とする聖堂を設け、二百人をそこへ所属させるという方法だ。
ずいぶんと思い切ったものだが、反教皇派であるソルガムとエルドランドの司教に対する牽制の意味もあるらしい。
何度か文のやり取りを繰り返したが、あの教皇は抜け目ない男のようだ。ややもすると、王も言質を取られそうになることがある。
「なんだか少し、身体が大きくなったのではありませんか? 無茶な鍛錬などしていませんよね?」
聖女が気遣わしげに問う。
「いえ、これは陛下のお陰なのです」
「俺の?」
「はい、超回復、―――筋肉が鍛えられる理由をお教えくださいましたので、それに沿って訓練をするようにしたのです」
「そうですか、陛下の御言葉に従って。それは素晴らしい事ですね」
「はいっ」
「……」
もともと回復魔法が筋肉痛を和らげ、鍛錬効果を増幅させることは知られていたらしい。
それをあえて“陛下のお陰”とか“超回復”と口にするからには、アニエスにならって―――当然彼女ほどは不可能にしても―――通常の鍛錬以上の筋肉負担を掛けたということだろう。自傷して癒すというやり方だ。
聖女は気付いていない様子だが、十二分に無茶な鍛錬である。後でそれとなく注意して置くべきだろう。
「そうだ、トリッシュ殿を見ませんでしたか?」
王のもの言いたげな視線に気付いたのか、レオンハルトが話題を変える。
「ああ、数日前にあたしんところに挨拶に来て、そのままアニエスとダラダラしてるぞ。今日も今頃は酒場じゃねえかな?」
勇者が久しぶりと軽く手を上げながら答えた。
「そうですか、それなら良かった」
「何かあったのですか?」
「いえ、一緒にアシュレイ様達に協力しようと誘われたのですが、私は今回は聖堂騎士の同僚と行動を共にしないといけませんから、お断りさせて頂いたのです。それで、何やら機嫌を損ねてしまいまして。アニエス様とご一緒なら、良い気晴らしになるでしょう」
「それって―――」
「あらあら」
「へえっ」
思うところが無いではないが、勇者と聖女と顔を見合わせて口をつぐんだ。
幸い、聖堂騎士と言うのは妻帯に制限はないと聞いている。
「ああ。それとあちらの馬車に猊下から陛下宛のお荷物を預かっております。かなり大きなものですが、いかがいたしましょうか?」
「そうだな、城まで運んじまってもらえるか? 積み下ろしはこっちでする」
「はっ」
「ちなみ中身が何か聞いているか?」
「いえ、何も」
「そうか。……いったい何を送って来たんだろうなぁ」
ちらと馬車に視線をやって、王は殊更首をひねって見せた。