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第8話 賢者ソフィアは散策する

「それではこちらをお持ちくださいませ、ソフィアさん」


「うむ、ありがとう」


 賢者―――ソフィアは軽く頭を下げながら、メイド長―――クローリスの姿をじっと見つめた。


「……何か?」


「お主、ティアと言ったか、あのハーフエルフの少女からお母さんなどと呼ばれておったが、そんな年にはとても見えぬな」


 長命種エルフの血を引くあの少女は、外見こそ十代前半といった幼さだが、実際にはその倍は生きているはずだ。眼前のクローリスは、どう見ても三十を過ぎているようには見えない。


「ふふっ、あだ名のようなものです。実際にお腹を痛めてあの子を産んだお母さまは、他にいらっしゃいますわ」


「ふむ、やはりそうか。まあ、あの娘がそう呼ぶ気持ちも何となく分からないでもないな」


 不思議と甘えたくなるような雰囲気を持った女性だった。まあ、たぶん豊満なおっぱいが原因だろうが。


「もう一つ尋ねても良いか?」


「ええ、私にお答え出来ることであれば」


 クローリスがにっこりと微笑みながら肯いた。

 後宮に留まってすでに十日余りが経過している。当然と言えば当然だが、他の二人のメイドはいまだにソフィアに対して敵意の籠った視線を向けてくる。しかしこのクローリスは仕事に私情を挟まないたちなのか、表面上は友好的だった。


「お主にしか答えられない問いだ。―――その恰好、恥ずかしくないのか?」


「―――っ」


 クローリスの顔が一瞬で真っ赤に染まった。

 後宮の人間の中でソフィアが最も接する機会が多いのがクローリスだ。後宮全体の取りまとめ役であり、何か困り事があれば彼女に頼むのが手っ取り早い。そうして接する内に、常に半裸同然の女中姿で生活を送る彼女が至って一般的、むしろ良識的と言って良い感性の持ち主であることが何となく分かってきた。


「オークキングに強制されておるのか?」


「まさか、ご主人様はそんな無体はなさいません」


「まあ、あの様子ではそうであろうな。では何故?」


「それはその、ご主人様には少しでも、お、お元気になって頂きたいですから」


「お元気。―――ああ、そういうことか」


 訳知り顔で首肯するソフィアに、クローリスは赤い顔をさらに赤らめた。


「……では行ってくる」


「い、いってらっしゃいませ、ソフィアさん」


 少々気の毒になって、ソフィアはそそくさと後宮を後にした。


「……ん。おう、てめえか」


 長い廊下と控え室を抜けて謁見の間に至ると、凶相に迎えられた。オークキングである。

 人間の目にはどれも同じ豚面に見えるオークの個体識別は困難であるが、玉座に座り王冠を頭に乗せているお陰で一目瞭然だ。それ以外にも王には額の古傷と大きな牙、並みのオークを二回りほど大きくした巨体、他のオークと同じように腹こそ突き出てはいるが筋肉質な肉体と、かなり特徴があった。見慣れれば他の個体との判別は難しくない。まあ、それも当然だろう。


―――オークキング。


 この言葉には二つの意味がある。一つはそのままオークの王という意味。もう一つはオーク種のキング亜種という意味だ。

 キング亜種とは、主にヒト型魔物で見られる最上級変異種である。

 群れを形成するヒト型魔物には、その集団の統率者として体格に優れた個体が見られることは古くから知られていた。オークキングであるとかゴブリンキングであるとか呼ばれるその存在は、単に歴戦を潜り抜けた古強者なのだとかつては認識されていた。しかし塔―――魔術師の集う研究機関―――でのゴブリンの繁殖実験の結果、それは極々低確率で発生する生まれついての異常個体であることが判明した。生まれたばかりのゴブリンキングは母乳を独占して同腹の兄弟達を餓死させると、生後三日にして走り回ったという。今では研究資料として剥製にされたその個体をソフィアも見学したことがあるが、小柄で貧相な魔物であるゴブリンとはとても思えないほど雄々しい姿をしていた。

 キング亜種の戦闘力は通常個体の10倍とも100倍とも言われ、ヒト型魔物の中でも最大最強を誇るキュクロプスのキングともなると、その討伐難度はドラゴンにも匹敵するとされている。オークはキュクロプスと比べるとはるかに与しやすい魔物であるが、やはりキング亜種となると規格外の化け物だった。

 そのオークキングが、明らかに不釣り合いな小さな玉座にその巨体をはめ込み、難儀そうにこちらを振り向いている。


「……仕事中であったか。邪魔をしたな」


 謁見の間には他に近衛兵のハイオーク―――キングほどではないが並みのオークより体格が良い上級種―――が数体と、普通のオークが一体、それに人間の男も一人いた。何やら報告中だったようだが、ソフィアの姿に王以外の全員が固まっている。

 先日、後宮の屋上庭園で上がった魔術の爆炎はオーク達の居住区からも視認されていて、事のあらましは王の口から説明されたらしい。ソフィアがその気になればオークキング以外の大抵の魔物を焼き尽くすことが出来る最上級の魔術師であることは、すでに知れ渡っている。


「気にすんな。そっちはまたお散歩か」


「構わんのだろう?」


「ああ、道に迷ったらそこらのオークを捕まえて案内してもらえ」


「うむ」


 オークキングはあれだけ暴れまわったソフィア達三人を特に罰するでもなく、他の後宮の女達と同じように遇した。それは意外―――でもなかったが、留まるも自由、去るも自由というものだ。ソフィア自身も含めそれなり以上に器量良しの三人であるが、組み敷き犯されるということもなかった。ティアの言う通り、本当に不能なのだろう。

 ソフィア達は話し合いの上で、後宮に留まることを決めた。勇者は、オークに支配された人々を解放するという正義感故に。聖女は、オークキングに惑わされた後宮の女達を正しい道に導くという信念故に。そして賢者であるソフィアは、この面白おかしい環境への好奇心故に。

 話し合いの結果を告げると、オークキングは最初えらく渋って見せた。しかし頑として聞かない勇者に、最後は嫌々ながらも折れることとなった。


「……ところでその椅子、作り直さんのか? 人間の王が使っていた物、そのままであろう?」


「作り直すにしてもけっこう値が張るんでね」


「そうか。―――ではな」


 いやに貧乏臭いことを言うオークキングにソフィアは小さく肯き返し、謁見の間を辞した。もう少し会話を交わしたいところだが、王としての仕事中と言うことなら後回しにした方が良さそうだ。

 先刻クローリスから渡された鈴をチリンチリンと鳴らしながら、ソフィアは城内を歩いて回る。

 ティアなどは猫のように首元に付けていたが、耳の近くで始終鈴の音がするのは煩わしく、杖の先に結び付けている。鈴の音に確かにオーク達は道を避けるが、オークキングの威光故か、そのオークキングに手傷を負わせたソフィアの杖に恐れをなしてのことなのかは判然としない。

 オークキングが住処すみかとするこの城は、元々は人間が作ったものである。オークの侵攻を受けて滅んだ小国の、まさにその王城だった。

 今では元の形状が想像も付かないほどに増築が進んでいる。謁見の間の周辺とその階下に当たる部分だけが人間が建てた城の名残で、その前面に構築されたオークの居住区域を兼ねる迷宮部分と、後方に構築された女たちの住む後宮部分は建て増したものらしい。設計を担当したのはドワーフの女だそうで、今も後宮の地下の“何処か”に住み着いて坑道を掘り進めていると言う。一度会って話を聞いてみたいものだが、坑道は複雑に入り組んでおり、本人の案内無しに足を踏み入れるのは無謀だとクローリスに制止された。

 そういうわけで、この数日ソフィアはとりあえずは足のおもむくままに城の前面の迷宮部分を探索していた。

 迷宮というだけあってそこはまさに迷路状の構造をしていて、正しい経路を辿らなければオーク達の詰め所―――というよりも溜まり場であったり、寝室であったりに踏み込むことになる。こちらが侵入者の場合は当然そこから戦闘に発展するわけだが、今は鈴をぶら下げている。何やら居心地が悪そうにしているオーク達を尻目に、ソフィアは探索を続けた。

 基本的にオーク達は、侵入者発見の報でも入らない限り特に警戒心もなく気侭に暮らしているらしい。冒険者達にとっては迷宮だが、オーク達にとっては住居でもあるのだから当たり前の話ではある。

 焚火を囲んで酒盛りをする集団と行き交うことも少なくなかった。石造りで引火の心配がないとは言え、城の床に直に火を起こしてしまう粗雑さは、実にオークらしい。本来のオークには火を使って調理をしたり暖を取るという文化がないし、住居も岩陰や洞穴、せいぜいが人間が放棄して久しい遺跡やあばら屋といったところなのだ。王の言葉を信じるなら、ここのオーク達に炎の魔法は効果が薄そうだった。

 また、交合する男女と出くわすことも少なくなかった。


「…………」


 正にちょうど目の前に現れた睦み合う男女の営みを、ソフィアは物も言わずじっと見つめた。やがて二頭のオークはどちらからともなく身体を離し、きまり悪げに去って行った。


「……ふむ、オークならば人目など気にせず励むものかと思ったが。さすがに許可を得ずに観察したのは良くなかったか」


 オークの異常と言って良い繁殖力には興味があった。

 オークには人間とも、エルフ、ドワーフ、リトルフット(小人族)などの亜人とも、そしてゴブリンやオーガなどのオーク以外のヒト型魔物とも子を生す能力がある。そして不思議なことにオークと異種族の間に生まれる子供は、例外なくオークの容貌だけを受け継ぐ。人間と亜人の間にも子は生まれるが、生まれてきた子供は個体差はあれ、両方の特性を受け継ぐものだ。いわゆるハーフエルフやハーフドワーフと呼ばれる存在だ。またオーク以外のヒト型魔物が人間や亜人を襲うこともあるが、この場合は子が生まれること自体がない。

 唯一例外的にオークのみが人間とも亜人とも他のヒト型魔物とも交配が可能な生物なのだ。それどころか、オークに強奪された牝馬が腹をふくらませて帰ってきてやがてオークの子を産んだとか、オークの子を産んだ人間の女はどんな魔物とも子を生せるようになるとか、怪しげな噂話までまことしやかに囁かれていた。


「……行くとするか」


 興味は尽きないが、いつまでも情事の痕跡を見つめていても仕方がない。ソフィアは踵を返し、散策を再開した。


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