第6話 賢者ソフィアは調査報告する
「むっ、この個体は状態が良さそうだの。勇者、こことここの、腱のところを斬ってくれ」
「あいよ」
紫の体皮を剥がれ、むき出しとなったダークオークの筋肉に聖剣が走る。
ソフィアは比較的構造が保存されていそうな部位を一房選び取ると、特製の器具に括り付けた。天秤と滑車を組み合わせたもので、物体の収縮力を測定することが出来る。
「さて、冷暗所に保管してあったとはいえ、さすがに死後に時間が経ち過ぎておるが、上手くいくかの」
帝都から馬車で飛ばしてきたが、ソフィア達が王都に帰還したのはオークキング達に遅れること五日だった。
各地で替え馬の補給を受け、時には馬にも人にも聖女の回復魔法を行使しながらの移動だ。本来ならこれ以上はないと言って良い強行軍である。しかしオークキングは人間三人を抱えてその倍の速さで駆け戻ったというのだから、つくづく化け物離れしている。
「これは、いったい何をしようってんだ?」
「まあ見ておれ。――――。―――――。“雷鞭”」
指先から有るか無きかのか細い一筋の稲妻が発し、吊るした筋肉の一端に触れた。
「―――っ! な、何だ? 肉だけになっても生きてるのか?」
筋肉がびくんと収縮すると、勇者もびくっと身構えた。
「予言者でもあるまいに、そんなわけがなかろう。雷には筋肉を動かす力がある。いや、筋肉が動く本態は雷にこそある、というのが正しいかの」
天秤の皿に分銅を置き、収縮力と釣り合わせながらソフィアは言う。
説明しつつも、実はソフィア自身も完全に理解しているとは言い難い。オークキングから教わった概念だった。
「ふむ、筋肉自体が他の生物よりも強い力を生むわけではなさそうだの」
生物種や個体の違いで筋肉の“質”が異なりそうなものだが、こうして実際に組織単位で取り出してしまうとほぼサイズに比例する。
今回釣り合いが取れたのは、採取した筋量から十分予想される範疇だった。いや、むしろいくらか軽い―――つまり弱いくらいだ。保管中に筋組織の分解が進んだためだろう。
「次は―――」
稲妻は出し続けながら、筋肉に杖の先端で触れる。
魔物の体内には魔力が流れる経脈が走行しており、それが魔術構成を形成している。経脈を探り当て、そこへ魔力を送り込んだ。
「むっ」
「なんだなんだ?」
筋肉が一際激しく収縮し、一瞬で天秤皿が跳ね上がって分銅をまき散らした。
「これは。―――勇者、そこの皿の上に分銅を乗せていってくれるかの? ああ、素手で触るでない、そこの道具を使え。もっとだ、もっともっと。―――ああ、良いぞ、そこまで」
天秤皿には先刻釣り合わせた際の五倍近い数の分銅が乗せられている。
「で、これで何が分かるってんだよ?」
「うむ、それはの―――」
「―――勇者様、賢者様、王様がお呼びだよ」
「おう、二番か」
「うぐっ、こいつは」
二番は冷暗所―――城の地下の一室の有り様を見て、ぶるっと身を震わせた。
辺りには四肢を断裂されたダークオーク達の亡骸がいくつも転がっている。
すっかりオークと馴れ合った今となっては、実行犯である当のソフィアにとってもぞっとしない光景だ。―――我ながららしくもない感慨だとは思うのだが。
「ふむ、それではオークキングにもまとめて話すとするか。あやつは玉座の間かの?」
「ああ。捕虜の尋問が終わったので、お二人にも一緒に報告を聞いて欲しいってさ」
「では行くか」
最上階までの五階分の階段を勇者と二番は軽快に、ソフィアは息を切らしながら登る。
最近はオークキングのせいで研究や開発が面白く、冒険者としては由々しきことに少々運動不足がちだ。
玉座の間へ辿り着くと、部屋の真ん中に数体のオーク―――ハイオークではなく本当にただのオークだ―――が跪いていた。
玉座にはオークキング。
玉座のある一段高くなった壇上にメイド三人に聖女、予言者、リアン、ケイの姉のジョーが並び、部屋の片隅には一番が控えている。いつものメンバーにジョーが加わった形だ。
「おう、呼び出しちまって悪いな。調査の方はどうだ?」
「ちょうど終えたところよ。オーク達の話を聞いたら、儂からも報告しよう」
「そうか。じゃあ、まずはお前ら―――」
「へいっ」
水を向けられ、オーク達が顔を上げる。
「三体のダークオークのヤロウをいためつけてやったら、三体ともが“魔王様”と口にしました」
「なに、魔王だと?」
その単語に、オークキングではなく勇者が食いついた。
「へいっ、へへへ」
オークはいやらしい笑みを浮かべながら首肯する。
「それで、その“魔王様”が何だと言っているんだ?」
オークキングがきつい詰問調で先を促す。
「あう、そ、それが、それ以外は何を言ってるんだかさっぱりで。ヤツらの言葉、どうもおかしいんでさ」
「……そうか。―――分かった、下がれ」
「へいっ。へへっ」
オーク達は最後に女達に一瞥をくれると、玉座の間を出て行った。
視線に嫌なものを感じたのは、古いオーク達だからだろう。つまりは人間やエルフの女を監禁凌辱していた連中である。
尋問―――拷問と言い換えても良い―――を任せるには打って付けの者達ではある。それにオークキングとしては、まともな感性を育みつつある若手にはやらせたくない仕事でもあったのだろう。
「そういえば戦闘中も、あのダークオーク達は意味の取れない掛け声のようなものを掛け合っていましたね」
オークの態度に嫌な記憶が思い出されたのか、ジョーが青い顔で、しかし気丈に発言した。
「ワタシが最初にやり合った連中も、確かにおかしな言葉混じりで喋っていました。それでも言葉が通じない、と言うほどのことはなかったのですが」
「一番が最初にやり合った敵と言うのは、つまりは斥候であろう。人間界に出す斥候であるから、比較的人語を介する者が選ばれたのであろうよ。そもオークやオーガなど人類圏近くに生息する魔物達の言語は、人間から得たものだからの。魔界の奥深く、―――例えば魔王がいるような界層で生まれ育ったなら、別の言語を話しても不思議はないの」
ソフィアは知識と見解を開陳する。
「そういえばオーク語なんてものは聞いたことがないな」
「オークが人類圏に進出した際に、古巣である魔界の浅い界層に人間の言葉が伝わったとされておるの。一応それ以前にはオーク語だのオーガ語だのも存在しておったそうだが、かなり原始的かつ部族ごとの多様性も強く、使い勝手は最悪であったらしいの」
「へえ、知らなかった。そういえばティア達もいつも人語を話しているが、エルフ語とかドワーフ語ってのはあるのか?」
オークキングがティアとリアンに目を向ける。
「あるよ、エルフ語。ボクもあんまり得意じゃないけど。エルフの里でも最近の若い人は人間の言葉で話すことが多いんだって。エルフ語ってすっごく回りくどいから」
「回りくどいって言うと?」
「例えば“こんにちは”って一言いうのに、“本日この素晴らしい日に貴方という人に出会えた奇跡を山と森と父祖、そして貴方を生み育んだご両親に感謝いたします”みたいに言うの」
「ああ、そいつは確かに面倒だな」
「でしょ」
「ドワーフ語は逆に朴訥過ぎて表現力に欠ける感じだったらしい。エルフ語よりもさらに廃れちまって、もう年寄りの中にもドワーフ語が分かるやつはほとんどいねえ。エルフよりも古くから人間と交易しているし、寿命も短いせいだろうな」
リアンが言う。
「だから今ではドワーフ語を使う必要に迫られた時には、人間が大昔に作った辞書を調べるくらいさ」
「へえ、面白いもんだな。よしっ、ちょっとドロシーも呼んで、リトルフット語についても―――」
「―――陛下、雑談はそれくらいに」
「あ、ああ、すまん」
ジョーに掣肘され、オークキングが浮かし掛けた腰を玉座に沈めた。
この男にはこういう学者肌なところがある。自分と気が合う所以である。
「えーと、話をまとめると、あのダークオーク達の群れは何かしら魔王と関係している、ということが分かっただけか。じゃあ、次は―――」
「うむ、儂の番だの。―――ダークオークの亡骸を調べた結果、二つ分かったことがある」
オーク城帰還より半日、地下室に籠って切った張ったを繰り返した結果をソフィアは口にする。
「まずは一つ目。保管されていた十体はいずれも雄であった。これについてはオークキングや一番に聞きたいのだが、何か意図あってのことかの?」
「むっ、いや、別にあえて雄を選んだってわけじゃねえ。そういえば、あいつらの中に雌を見た覚えがないな。一番とジョー殿はどうだ?」
「そういえば、確かに」
「私にはオークの雌雄というのは見分けにくいのですが、二番さんのように胸当てをしていたり、そうでなくても胸のふくれたダークオークということですよね? それなら確かに見ませんでしたわね」
「とすると、雄だけで構成された軍勢であったということかの」
オークには雌雄間でそれほど体格や膂力に差はない。オーク王国でも上位二十体が選ばれる近衛こそ長らく二番が紅一点であったが、今は他に三体の雌が加わっている。オーク兵全体で言えば三分の一は雌だった。
人間の場合は勇者やケイとジョーのようなのは例外中の例外であり、優れた戦士にはやはり男の方が圧倒的に多い。
「ふむ、何か意味がありそうじゃが、……情報不足だの。ひとまず次に行くか」
ソフィアは小さく頭を振って話を進める。
「二つ目、やつらの強さの秘密が分かった」
「おう、それが気になっていた」
「うむ。魔物、―――魔力的生物は筋力と同時に魔力を利用して肉体を動かす、という話は以前したの?」
「ああ」
「例えばドラゴンならば飛翔の際に翼に風の魔法が発動するし、トレントなど植物系の魔物は関節部の硬化と軟化を魔力によって制御しておる。そしてオークの場合は、単純に身体能力の向上だの。この辺りは先日発表した論文に詳しいのだが、簡潔に言えば普通のオークは平均して百三十パーセント、ハイオークは百五十パーセント、オークキングにいたっては五百パーセントの強化を受けておるの」
「……百五十パーセント、……五百パーセント」
生真面目な一番がぶつぶつと復唱する。
「そしてあのダークオークだがの、死体からでは正確な値は算出出来ぬが、恐らくオークキングと同等の四百から五百パーセントの強化を受けておるの」
「それはつまり、ダークオークの方が我々ハイオークよりも身体能力が高い、ということでしょうか?」
一番がおずおずと質問する。
「うむ。以前の調査ではハイオークの筋量はオークのおおよそ二倍であった。つまりオークを一とするとハイオークは二。ハイオークはこれに百五十パーセントの魔力補正が加わるため、最終的な身体能力は三となる。そしてダークオークの筋量はオークと同等であるから一、それに五百パーセントの補正が掛かると五だの」
「……ハイオークが三、……ダークオークが五」
「つまり二倍とまではいかないまでも、それに近い差がハイオークとダークオークの間にはあるわけってわけか」
「な、なるほど。……二倍近くですか」
ソフィアの説明にいまいち理解が追い付かない顔の一番のために、オークキングが話をまとめた。
「まあ、あくまでこれは平均の話よ。鍛錬によって筋力は言うまでも無く、肉体に刻まれた魔術構成も魔力が流れる度に強化される。一番と二番はまさにその典型だの」
一番の少々落ち込んだ顔―――同腹兄弟だけに他のオークよりもオークキングと似ている気がする、錯覚かもしれないが―――に、賢者は言い足す。
「はっ、さらなる鍛錬に励みます」
一番が力強く答えた。
「さて、問題はあれらがまだ他にいるのか、いるとして再度侵攻してくるのか、と言うことです。魔王の名が出ましたし、侵攻の経緯からしても魔界に住まう魔物なのは間違いないと思うのですが。―――何か心当たりは?」
ジョーが全員に問い掛ける。
「紫のオークなんてのは父さん、―――先代のオークキングからも聞いた覚えがねえ。三十年生きた、オークとしては長命な方だったのだが。そうだ、予言者殿は何か知らないか? 魔界を踏破し、魔王城にまで行ったこともあるんだろう?」
「紫の体色のオークか。……いやぁ、見た覚えがねえな。そもそも魔界を踏破したって言っても、私の場合はドラゴンの腹の中に入ったまま移動した時間も長げえしな。五百年も前の話だし」
「手掛かりなしか。……そうなると、やるか」
オークキングはちらと勇者に視線をやると、言葉を続けた。
「―――国を挙げて魔界探索ってやつをよ」