第2話 異種婚夫婦は奮戦する
「アニキっ、西側の壁がそろそろヤバいよっ」
「ちっ、オレが行く。オマエはここを頼むっ」
「あいよ」
一番は城塔を駆け下りる。
城壁の四隅に設置された防衛設備で、ここは南と西の壁を繋ぐ位置にある。
「おうっ、一番っ。追加を持ってきてやったぞ」
途中、数体のオークを引き連れたリアンとすれ違った。
坑道から切り出した投石用の岩石を運んできてくれたのだ。
攻城兵器と言うほどのものではないが、“敵”の中には丸太や大岩を使って城門や城壁を破ろうとするもの達がいる。城壁よりわずかに外へ張り出した塔からなら、横合いからそんな連中を狙うことが出来た。
「―――妹に、ニバンに渡してやってくださいっ」
足を止めずにそれだけ言い、さらに階段を降りると、警備の兵が多数詰める場所へ出た。
城壁の上部、歩廊となっている部分へ繋がる扉のある階層だ。
城壁に登った敵は、負傷覚悟で対面に飛び降りるか、あるいはこの塔を制圧し城内に入り込むことになる。
「西の城壁に出るっ、扉を開けろ」
「はっ」
扉は二つあり、当然もう一方は南の壁へ繋がっている。城門があり、故にもっとも攻撃が激しいが、近衛兵の大半と兵力の過半を投入している。
次いで激しい攻撃に曝されているのが西の壁だった。
東と北はほぼ手付かずに近い。たいした意味があるわけではなく、“敵”が陣を布く城下町からだと南壁に次いで近いのが西壁だからだろう。
「―――っ」
軋みをあげて扉が開くと、一番は歩廊へ飛び出した。
守備に当たるオーク兵の緑がずらりと並んだ先に、紫色の影が見えた。“敵”だ。二体がすでに城壁の上まで登ってきている。
「ちっ。―――オマエらっ、オレを通せ!」
人間なら三人並んで歩ける広さの歩廊も、オークならせいぜい一頭半分だ。
城壁から身を乗り出すようにしてオーク兵の脇をすり抜ける。オークながらに身軽が身上の一番だから出来る芸当だ。
しかしそうしている間にも、“敵”に向かっていったオーク兵達が次々に城壁から叩き落されていく。
“敵”の個体での戦闘力は味方の兵を上回る。一対一で戦わざるを得ないこの足場では勝負にならなかった。
「はあっ!」
“敵”と打ち合うオーク兵の背後から飛び出すと同時に、棍棒を振るった。
“敵”は跳び退いて避けるも、―――すぐ後ろにはもう一体の“敵”がいた。ぶつかり、もつれ合ったところに頭部へ一撃。
ふらついた“敵”にすぐさま詰め寄り―――
「ふんっ!」
城外へ向けて投げを打った。城壁に手を掛けていた数体の“敵”と一緒に、紫の巨体が落ちていく。
背後にいたもう一体。
油断なく構えるも、一番が手を出すまでも無く、こちらへ気を取られた隙にさらに背後にいたオーク兵に後ろから滅多打ちにされていた。
―――何とかしのげたか。
一番は胸を撫で下ろした。自分でも確実に勝てるとは言えない相手だ。
「……よし、それぐらいで良い。下の奴らに喰らわせてやるぞ」
「はいっ」
「―――せーのっ」
ぐったりとした“敵”の両足を掴み、両腕は兵に持たせ、勢いを付けて投げ飛ばした。
今度は他の“敵”だけでなく材木―――攻城用の梯子代わりで、城下の家屋を崩して用意したものらしい―――を巻き込んで落ちていった。
城壁から下を覗き込む。
寄せ掛けた“敵”はいくらか気勢を殺がれた様子だ。顔を見れば表情で分かる。―――体色こそ異常な紫だが、“敵”は同じオークなのだ。
結局その日はそれ以上の危険も無く、日が沈むと共に紫のオーク達は引き上げていった。
「篝を絶やすなよっ」
夜、一番は城壁沿いを見回りながら、兵たちに声をかけていく。
王もケイも不在である以上は、少なくとも軍事面での指揮官は自分が果たさねばならない。
「王様には、もう報せが届いた頃かね?」
横に並んだ二番が言う。
王に使者を送ってからすでに十日が経過している。
正確に言うなら、エルドランド領の代官に王へ使者を送るように連絡をしてから、だ。直接オークの兵など走らせても、グランレイズにいる王の元へ辿り着けるとは思えない。勝手を知る人間に頼るしかなかった。
「……どうだろうな。グランレイズでの状況が分からないから、何ともいえん」
初め、角狼やゴブリンなど魔物の目撃情報が相次いで寄せられた。この時点では異常といえるほどの事態でもなく、王に連絡を試みることもなかった。
今にして思えば予兆だったのだろう。魔物達は紫のオークの進軍に追い立てられたのだ。
それでもすぐに一番自ら兵を率いて向かったのは、多少私情混じりの判断だった。魔物が目撃された土地はマリーの村に近かったのだ。
結果的に初動はそれで大正解だった。
調査のために魔界に踏み入るや、偵察部隊と見られる一団と遭遇した。
こちらは百体、敵は二十体余りの軍勢だった。体格でもこちらが勝っていた。
王国のオーク兵は今ではハイオークが中心である。つまりは王による掟改正後に、オーク同士の交合で生まれた者達だ。
対して敵は体色こそ異常だが、体格は常のオークと変わりなかった。ハイオークと比すれば一回り小さい。
むろん、それで甘く見たつもりはない。一番とてハイオークの中では小兵である。
紫のオーク達は目を剥き牙を剥き、明確な敵意を示していた。オーク同士といって対話もなく、すぐに戦闘となった。
一対一で勝負になるのは一番だけだった。
技こそないが、一番に劣らず俊敏だ。小柄な体のいったいどこから出しているのか、膂力はハイオークに勝る。一番以外の者達は二体、三体掛かりでも押されていた。
それでも数の差で囲い込み、十数体を倒し、五体余りに包囲を突破され逃げられた。こちらの犠牲は半数の五十体近くである。辛勝だった。
まだ息のあった敵から、五百体による本隊の存在を聞き出すと―――というより死に際にべらべらと勝手に喋ってくれた―――、すぐに周囲の村々の住人を退避させた。
王ならまず、人々の命を優先すると思ったからだ。
兵や農場で働くオークに老人や子供を担がせ、何とか城まで逃げ延びた時にはすでに背後に敵軍が迫っていた。
城下町の人間達も王城に避難させ、一番と二番に次いで俊足のハイオーク三頭をエルドランドへの使いとして送り出すと、すぐに城門を閉ざし防衛戦の構えを取った。
それが十日前である。
以来一進一退―――いや、今日は城壁にまで上がられたから一進二退くらいか―――、の攻防が続いていた。
果たして王が戻るまで持つのか―――
「―――あなた、お食事を持ってきました」
篝の照らす空間へ、妻を先頭に十数人の人間の女達がやって来た。手に手に大きな竹籠を抱えている。
避難中の住人達で、炊き出しなどに協力してくれていた。
「マリー、こんなところまで来ちゃいけない。城の中へ戻るんだ」
「でも、皆さんお腹が空いてるでしょう? 夜襲もないみたいだし」
現在までのところ、敵は昼近くに城へ攻め寄せ、日暮れと共に去って行く。
本来、オークは洞窟の暗がりを住処とし、目よりも鼻と耳に優れた種族である。夜戦も苦手とはしない。
何か考えがあるのか疑いたくなるところだが、恐らくオークらしく何も考えていないだけだろう。戦らしい体裁に沿って動いているだけだ。
「しかしな、いつ敵が夜襲を始めるか分からん」
考え無しなだけに、誰か一頭が思い至ればすぐにも実行される可能性がある。
「その時は、あなたが守ってくれるでしょう?」
「そう言う問題では―――」
「―――ほらっ、みんなっ、アニキは無視してさっさと配っちまいなよ。ここでもたもたしている方が危ない」
二番が言うと、女達はぱっと散開した。その言葉に利を認め、一番は口をつぐむ。
「おおっ、こいつはありがてぇ」
「感謝します、ご婦人方」
方々から、兵の感謝の声が聞こえる。
大半はオーク兵だが、人間も極一部混じっている。元々の兵士もいるが、義勇兵として名乗りを上げた村人も少なくなかった。王の人徳の賜物だろう。
「はい、あなたも」
「あ、ああ。―――おにぎりか」
「ええ、あなたの好きな魔界菜の酢漬けとチーズのやつもあるわよ」
おにぎり。
炊いた―――適量の水で煮た―――米を丸く握っただけの料理だ。
人間の世界ではグランレイズの北部では麦が、グランレイズの南部と南方諸国では米が食事の中心だと聞く。オークは元来煮炊きをしないため、かつては米を略奪しても生のまま貪るか、あるいは打ち捨てることもあったらしい。それが籠城中の今は非常に心強い食材だった。
味も良いが、それだけではなく長期保存が可能なのだ。ちょうど作物の刈り入れ時期だったこともあり、城内には大量の米が備蓄されていた。
そしてこのおにぎりというのは王の発案した料理だ。
調理法は単純だが携行性に優れ、食べやすい。中身の具材を変えれば様々な味も楽しめる。
「うん、うまい。……良いと思うんだがなぁ、魔界菜の酢漬けとチーズ」
「ふふっ、お義兄さんだって美味しいとは言ってくれたじゃない」
「でも邪道とも仰っていただろう。魔界菜をやめて、他の菜っ葉にしてみるか?」
「もうっ、本当にあなたはお義兄さんのことばかりなんだから」
「それは―――」
当たり前と答えようとして、言外の“もう少し私のことも”という含みを感じ取り、一番は言葉を詰まらせた。
「あっ、ちょっとあなた」
マリーがちょいちょいと手招きした。
「な、なんだ?」
恐る恐る顔を寄せる。
これで負けん気の強いところもある女で、夫婦喧嘩になると手を出してくることもある。当然あの予言者アニエスとは違い見た目通りの細腕であるから痛くはないが、それだけにどうしたものか困ってしまうのだ。
「―――はむっ」
唇の端に柔らかいものが触れた。
「ふふっ、ご飯粒ついてた。お義兄さんならもっときれいに食べるよ。憧れるならそういうところも真似しないとね」
からかわれていたのに気付いて、ぶふぅと鼻息を漏らす。
「……あのさ、そういうのは二人っきりの時にしてくれないかい? アタイもいるんだけど」
妹がじとっとした視線を向けてくる。
「ああっ、ごめんなさいっ、二番さん。そのっ、二番さんもおにぎり食べますよね? これっ、プラムの塩漬けのやつです。兄さんが二番さんの好物だからって作りました」
料理上手の義兄には、炊き出し班の責任者のようなことをしてもらっている。
ちなみにプラムの塩漬けのおにぎりは、王に言わせれば王道も王道らしい。
「そうかい、トマがね。それじゃあ頂こうかね」
二番は大振りのおにぎりを手の平に乗せると、ちらっとこちらに目をやってからその場を離れて行った。
一番とマリーに気を使った、というよりは一人で食事を満喫したいのだろう。
「……後宮の皆様のご様子はどうだ?」
「不安そうにしている人も少し。でも大抵みんな平気そうにしているよ。お義兄さんや勇者様たちを見慣れてるから、肝が据わってるのかも」
数ヶ月前から、マリーは一巡(七日)のうちの幾日かをオーク城の内向きの仕事に当てている。メイド長クローリスのたっての希望によるもので、少なくない給金をいただいていた。
今は王と共にメイド達も不在であるから、後宮に関してはマリーに任せきりだった。あるいは一番以上の忙しさだろう。
「おまえの方はちゃんと休めているか?」
「大丈夫。それに、お義兄さんが帰ってくるまでの辛抱だもん。でしょ?」
「ああ、王様がお戻りになれば、あんな連中はすぐに追い散らしてくれるさ」
いざとなったらマリーと人間達だけは逃げ延びさせねば。胸を張って答えながらも、一番は密かに思いを巡らせた。
翌日も、開戦後ほどなくして西壁に敵の侵入を許した。一番は歩廊の上を駆け回ることとなった。
―――こいつら、学習してやがるな。
昨日より目に見えて手際が良くなっている。一箇所で追い払っても、すぐに次の場所から入り込んでくる。
「それでも、一対一で戦えるならっ」
自分は王に認められた“一番”だ。
勇者やケイやアニエスにこそ今は敵わないが、王を除けばオークの中では一番強い。強くなければならない。
「―――ふっ、はあっ!」
踏み込む、と見せてその場で足踏み。敵の迎撃が空を切ったところで、今度こそ思い切り踏み込んで顔面を棍棒で突き上げた。
これは稽古という名の喧嘩で、ケイが勇者をやり込めるのに使った技。
「むっ、―――ぬぬぬっ」
次の敵。
身体ごとぶつかって来た。棍棒と棍棒がかち合い、押し合いになった。小さいが、膂力は一番よりも上だ。逆らわず身を仰け反らせ、その反動も使って右膝を跳ね上げた。狙い過たず金的に直撃する。
これは稽古で勇者から一番自身が喰らった技。―――そしてその後ひどく謝られた。
「―――っ」
三体目。
打ちに来たところを、手首を狙った。こちらからは振りかぶる様なことはせず、軌道上に棍棒を“置いておく”イメージだ。
これは王の技。
骨を砕くほどの威力はないが、棍棒を取り落とさせるには十分。
さらに王の得意技。苦悶の表情を浮かべる敵の喉へ手を伸ばした。締め上げる。
王のように一瞬で失神とはいかない。しかし棍棒を失い、そして一番よりも小兵の相手の攻撃は、ピンと腕を伸ばしてしまえばもうこちらへは届かない。やがて泡を吹き、ただでさえ悪い顔色をさらに悪くして意識を失った。
「よし、捕虜を取ったぞ。縛り上げて―――」
兵に押し付けようとした瞬間、足元が揺れた。
「しまったっ。―――総員、退避っ!」
城壁に巨大な亀裂が走っていた。
一番が抜けて城塔からの効果的な投石が減り、城壁上の兵も次々に侵入する敵の対処に追われた。結果、城壁を崩しに掛かる敵の妨害が疎かになった。
亀裂は連鎖状に拡がり、そしてついには崩れた。
「くっ」
一番は咄嗟に城内へ向けて身を投げ出した。