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第1話 オークキングはそっと腰を引く

「…………」


 寝ぼけ眼が捉えたのは見慣れぬ天井ならぬ、見慣れぬ天蓋だった。

 王はのっそりと起き出し、天蓋付き寝台の端へ腰掛けた。

 広々とした室内には色彩豊かな羊毛の敷き物。燭台や絵画と言った調度も間違いなく上等、いや最上等品だ。

 当然、この数日の定宿である教皇庁の宿泊所ではありえない。グランレイズ王宮の賓客用の一室である。

 昨日、ディートリヒ―――王に付き合って、というよりは勇者に付き“まとって”、彼もグランレイズに一時帰還している―――に皆で晩餐会へ招かれ、誘われるままに一泊することとなったのだ。


「ご主人様、起きて―――るね」


 控えめなノック音に続いて、扉からそろりと顔を覗かせたのはティアだ。

 目が合うと、ティアはほっとした様子で微笑み、真っ直ぐこちらへ向けて駆ける。そのままとんっと踏み切り、股座に飛び乗った。

 ハーフエルフの彼女にとって、人間の王宮と言うのはあまり落ち着くものではないらしい。内弁慶なところがあるから、ケイの実家に当たるエルドランドでは我が物顔で振舞っていたが、昨夜は借りてきた猫のようであった。


「うふふー」


 一転、人懐っこい子猫のようにティアは王の腹部にすりすりと頬をこすりつける。

 今日は珍しく髪の毛を結ったりお団子にまとめたりせず、下ろしている。入念に櫛を入れられた―――ティア自身の労ではなくクローリスだろうが―――金髪は、動く度に異なる表情を見せる。

 いつものティアより、少しだけ大人っぽい雰囲気だ。


「―――っ」


「ご主人様?」


「な、何でもない」


 王はすすっと腰を引きながら答えた。

 先日、聖鏡みかがみにその身を映し取られて以来、王の身体にとある変化が生じていた。

 それは抱え続けてきたコンプレックスの解消という形で表に現れた。本来なら喜ぶべきところなのかもしれないが、それよりも戸惑いが大きい。この数日は出先ということでメイド達とは寝所を別にしているため露見していないが、気付かれると面倒なことになりそうでもある。


 ―――救世主様ってのは、俺と同じ異世界人なのかもしれないなぁ。


 王は考え事に意識を向けて、下半身に淀んだ熱を散らす作戦に出た。

 聖心教。

 王がかつて暮らした世界に存在した宗教とどこか似た教義、そしてシンボルには十字架ならぬT字架。その時点で多少思うところはあったのだが、極めつけは救世主もまた聖鏡にその身を晒して生き長らえたという逸話だった。

 聖鏡を覆う布が取り払われ、そこにオークキングのこの身が映された瞬間、確かに何か大きく熱い塊のようなものが吸い出されるのを感じた。今はむしろすっきり爽快とした気分だが、直後は半身を割かれたような喪失感に襲われたものだ。

 そして再び視線を向けた鏡の中には、一人の人間の姿があった。

 オークの脳味噌の容量のせいか、前世の記憶を鮮明に思い出すことの出来ない王であるが、間違いない。人間であった頃の自分の姿だった。

 そこからはそれ以上何かを吸われるという感覚もなく、教皇が絶命するという一幕を挟みながらも、聖鏡を再び布で覆って人目から隔離することが出来た。

 天地創造の伝説を信じるなら、もともとこの世界の生命は聖鏡を通して造物主より分け与えられたものらしい。それゆえに、聖鏡が作用するのはこの世界の住人だけなのだろう。

 だから今回も、自分の中にあったオークの身体由来の精神や魂魄だけが抜き取られた。そしてかつての救世主も恐らくは―――


「……よし」


 王は“目的”を遂げ、すっくと立ち上がった。


「あんっ、もうちょっとくっ付いてたいのにっ」


 腹にへばりついたまま、ティアは唇を尖らせる。


「俺を呼びに来たってことは、朝食の時間だろ。早く行かないと―――」


「―――ティア、ご主人様はまだお起きになりませんか? まさか抜け駆けでもしているわけではありませんよね?」


「何っ」


 廊下からクローリスとケイの声がして、直後に勢いよく扉が開け放たれた。


「ティアっ、旅先では控えると、約定を交わしたではないかっ」


「いや、これは、……って、なんでアシュレイまで一緒なわけ?」


 飛び込んで来たのはケイと、それに勇者の二人だった。


「あ、あたしはそのっ、はっ、早くしねえと飯が冷めちまうだろっ、それでだ」


「勇者っ、貴様、やはり」


「な、なんだよ、やはりって」


「―――さっ、ご主人様、ご飯行こ」


 ケイの標的を勇者へ逸らすことに成功したティアは王の腹から離れ、代わりに手を取って歩き出した。


「朝からずいぶんと賑やかだったようではないか、オークキング殿」


 朝食の席には、グランレイズ皇帝の姿があった。

 豪放磊落とでも言えば良いのか。この人類最大の権力者は教皇に願われるままにオークキングを帝都に迎え入れ、息子に乞われるままに宮殿内にまで招いてみせた。

 教皇の取り成しで顔合わせは過日済ませ、昨晩も同席している。

 晩餐会には王妃や王子、王女ら皇族一同が参加していたが、朝食の席にはディートリヒの他にもう一人、皇太子を連れているだけだ。


「アニエス様もいるし、この方が良いかと思ってな」


 王の視線に気付いたのか、皇帝が言った。

 アニエスの正体を知る人間だけにとどめた、ということだろう。


「ほう、私に気を利かせるたぁ、ジーク坊やもずいぶんと大人になったな」


 上機嫌で言うアニエスの手にはすでに酒杯が握られている。


「いえ、アニエス様に、ではなく。同じ年頃の娘がバカバカ酒を煽る姿を見せるのは、娘や孫の教育によろしくありませんからな」


「むっ、坊やが言うじゃねえか」


 ちくりと皮肉で返されながらも、やはりアニエスは上機嫌で酒を煽った。

 グランレイズ皇帝、ジークヴァルト。

 獅子を思わせる堂々たる風貌の持ち主なのだが、八百年の長きに渡って皇室を見守り続けてきたアニエスの眼には、可愛らしい甥っ子程度の認識のようだ。


「さあ、食事にしようか」


 クローリスがそっと王の椅子を引く。皇帝の対面、主客の席だ。

 食卓には朝から骨付き肉や十数種類の腸詰ソーセージ、塊肉のワイン煮や魚介の焼き物が並んでいた。申し訳程度に雑穀入りのパンと蒸かしたイモが添えられている。


「オークキング殿には量が足りぬか? いくらでも持って来させるから、好きなだけ食べてくれ」


「では遠慮なく頂きます」


 朝から重い料理の数々は、どうやら皇帝のはからいらしい。

 聖心教の宿泊所で供される食事はつつましいものが多いし、昨夜の晩餐会も主賓としてオークながらに上品な振る舞いが必要だった。この数日の食事は、オークキングの肉体を維持するには少々不足しがちだった。

 お言葉に甘え、たんまりと食わせてもらうことにする。


「さて、昨夜はあまり勇者殿やアニエス様の今後について話を聞くことが出来なかったが」


 朝食がひと段落すると、皇帝が切り出した。


「あたしは―――」


 勇者はそこで一旦言葉を止め、左右―――賢者と聖女―――と目語し言い直す。


「あたし達は、しばしオーク王国を拠点とするつもりです」


「魔界探索に挑もうというわけだな」


「はい」


 皇帝を前に、さすがの勇者もかしこまった様子だ。


「アニエス様は?」


「私ももう少し厄介になるつもりだぜ。“賢者様のエール”は、他国じゃ飲めねえからな」


「贈り物で頂いたエールか。―――どうやら、予言者アニエス様に我が国へお帰り頂くには、オーク王国との交易を実現させねばならないらしい」


「おう、やれやれっ。最低でも一日一樽は私がありつけるようにしてくれよ」


 そこからはいくらか堅苦しい話し合いとなった。

 といってもすでに一部の商人は両国を行き来しているし、旧エルドランドとグランレイズは友好関係にあった。それほど難しい話にはならない。

 正式に国交を開くとなると“関税”を巡って議論が紛糾しそうなものだが、この世界、この時代にはその概念自体が存在しない。


「面白い考えです。そのやり方なら、我が国の農民やエール職人達を保護することが出来ますし、互いに国庫も潤いますね」


 ぽつりと漏らすと、皇帝よりも皇太子の方が興味を引かれたようだった。

 二十代半ばだろうか。豪放な父親や快活な弟とは異なり、実に真面目そうな青年だ。父祖レオンハルト譲りという金髪緑眼が少々不釣り合いなくらいだ。

 朝食と話し合いの後は、ディートリヒに誘われて中庭におもむいた。


「―――さあっ、勝負の続きだっ!」


 と、言うことらしい。

 困ったことに少なくない観衆に囲まれていた。


「……すげえやり難いんだが」


「ふふんっ、お前ならそうだろうな」


「分かった上でかよ」


「“使えるものは何でも使え”、アシュレイ殿のお言葉だ」


「まったく、あのチンピラ勇者は」


「おいっ、何か言ったか、ブタ陛下」


 観衆の輪から勇者がやじる。

 元を糺せばこの勝負は勇者の口車で始まったものだが、すでにすっかり第三者、ただの観客の立ち位置だ。

 輪には他に皇帝、王子達、近衛騎士団の面々。そこまではまあ良い。極めつけは王妃や王女達だった。

 女達は当然はらはらと心配げな様子だ。彼女達の面前でというのはいささか、いやかなり気が引ける。

 勝負自体断ってしまいたいところだが、観衆の一部―――主に皇帝だ―――が、実に期待に満ちた顔をしている。今さっき正式に交易を結んだ相手を、実の息子が斬り伏せようとしているわけだが。


「……しかし、お前は母親や姉妹達の前で負けても良いのか? 恥ずかしいって気持ちはねえのか?」


「むっ、それは―――」


 ディートリヒは言葉を詰まらせた。頬が少しずつ紅潮していく。

 恥ずかしくない、訳はなく、単にそこまで考えが及んでいなかっただけらしい。


「かっ、勝てば良いのだ、勝てばっ! ―――いくぞっ」


 ディートリヒは自身を奮い立たたせるように叫ぶと、亜神器ナーゲルリングを抜き放つ。が、いつもなら調子良く攻め立ててくるところが、今日は勢いが無い。

 衆人環視の中、化け物離れした化け物と紅顔の少年が見つめ合うだけの時が続いた。


「―――陛下っ、陛下っ!」


 有り難いことに中庭に人が駆け込み、珍妙な時間は終わりを告げた。

 侍従に案内され、肥満体をゆすっているのは教皇だ。


「いかがした、猊下?」


「あ、ああっ、失礼。グランレイズの皇帝陛下ではなくっ」


 荒い息を整える間も惜しむように、教皇はあえぎながら言う。


「私ですか?」


「え、ええっ、オーク王国の陛下っ。御国より使者が参っております。何やら火急の用件とのことですから、私がご一緒した方が話が早かろうと、連れてまいりました」


「それは、ご足労まことにありがとうございます」


「いえいえ、では彼を―――」


 教皇が指し示す。中庭に駆け込んで来たのは侍従と教皇の他にもう一人。どこか見覚えのある男だった。


「お前は確かケイの―――」


「はっ、いまは代官様の元で働かせて頂いております」


 ケイの子飼いの兵の一人だった。

 ソルガムの王宮地下で行われた悪魔の所業を調べ上げ、オークの巣穴まで報告に来てくれた男である。


「お前が来るとは、いったい何事だ。代官からは今ではもっとも頼みとする者の一人と聞かされているが」


 ケイが観衆の輪から抜け出て、王の隣に並ぶ。


「ケイ様、陛下、お耳を。……オーク城が魔物の、―――“オーク”の軍勢の襲撃を受けております」


 耳元でひっそりと囁かれたのは、耳を疑う報せだった。



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