第7話 メイド達は主人と戯れる
「失礼しますっ、ご主人様」
「失礼致します」
コンコンッと軽快にノック音を響かせると、ティアは弾む足取りで王の居室へと足を踏み入れた。後にはケイも続いている。
「どうした?」
王が眠たげな目を擦りながら尋ねる。
時刻はまだ宵の口であるが、王はそろそろ御眠の時間だった。オークキングの身体というのは非常に燃費が悪いらしく、膨大な量の食事と長時間の睡眠を欲する。
「添い寝に参りました」
「ましたー!」
視線を合わせて一つ肯き合うと、すまし顔のケイに続いてティアは元気に答えた。
「今日の当番は確かクローリスじゃなかったか?」
添い寝当番。
メイド三人の間で取り決めた持ち回りのお勤め――というよりも命じられたわけではないから単に日課というべきだろうか―――である。王に少しでも“元気”を出してもらいたいがための御役目だが、今のところ文字通り同衾するだけに留まっている。
「ご主人様、安静にってことで、昨日のボクの添い寝当番はお休みだったでしょ。だから今日はその分ボクも」
「私は昨夜の不寝番のご褒美として、お情けを頂けないかと思いまして」
「……俺は構わないが、クローリスの許可は得たのか?」
「まあまあ、良いから良いから」
「さっ、こちらへどうぞ」
あらかじめの打ち合わせ通り、多くは語らず勢いで押し切ると、寝台に王を寝かしつける。すぐさまその左右を二人で固めた。
「……それで、肝心のクローリスがまだのようだが、何をしているんだ?」
これ以上許可の有無を尋ねてもはぐらかされるだけと察したのだろう。王が呆れた顔で質問を変えた。額にしわを寄せて目を細めた表情は、メイドの三人以外には“呆れ”ではなく“憤怒”の発露に見えるだろうが。
「お母さんなら、“御先輩方”のお相手をしてるよ」
ティアは王の左の耳元で囁き、ついでに軽くキスをする。あの冒険者達に燃やされ体毛が焼け落ちているから、唇で触れた耳はいつもよりもひんやりとしていた。
「何かあったのか?」
「昨日の戦闘の際に、皆様のお部屋まで爆発音などが届いたようで、少々不安定な状態だったらしいです。ですがご心配なく、今はもうだいぶ落ち着かれたそうですから」
王を挟んでティアの対面で、ケイが答える。やはり口付けたようで、ちゅっと唇が鳴る音がした。
この後宮に上下の区別はない。王の子を産んだとか、何度閨に招かれたとか、そういった格付けになるものが何もないのだから、全員が等しくただの後宮の住人でしかない。しかしそんな中にあって例外的に厚く保護されている対象が、他の者が“御先輩方”だとか“あの方たち”などと呼ぶ女性達だった。
故あってオークのみならず人間も含めたあらゆる生物に対して強い拒否感を抱いており、クローリスにだけは唯一わずかに心を開いているため、世話役を一人に押し付ける格好となってしまっている。
「……そうか。昼にクローリスと話した時は、特に何も言っていなかったんだけどな。……気を遣わせてしまったなぁ」
王が眉間の辺りをひそめながらこぼす。先ほどの呆れ顔にも似ているが、それが悲哀の表情であることがティア達にはやはり理解出来る。
「ご主人様っ。―――んっ」
切なさが込み上げてきて、耳と言わず頬と言わず首筋と言わず、とにかく目に付いた場所についばむように口付けを落とす。ケイも気持ちは同じようで、王の右手側からもちゅっちゅちゅっちゅと音が聞こえてくる。
―――もうっ、いけずなんだから。
ティアの唇が下顎に触れ、やがて口元まで迫ると王が鼻面を仰け反らせた。
この主人は、口と口のキスは惚れた男に取って置け、などと乙女のようなことを言う。自身は未通娘ながらも娼館で生まれ育ったティアにとっては、実に微笑ましい純情さだ。そんなところが何より愛おしく、そして愛おしいから口と口のキスをしたくもなる。
避ける王の唇と求めるティアの唇で追いかけっこがしばし続いた。追う側にはいつしかケイも参戦し、あと一歩と言うところまで差し迫った時だった。
「―――失礼致します、ご主人様」
こんこんと控え目なノック音がし、クローリスが静々と入室してきた。
「……貴方達、今日の当番は私でしょう」
クローリスが誰の目にも明らかな呆れ顔で言う。
「だ、だって昨日、当番休みだったから」
「……ぐぅ」
「あっ、ずるい。ケイ、協定違反っ」
しどろもどろになりながらも言い訳を試みるティアを残して、ケイが狸寝入りを決め込んでいた。一人ではクローリスに太刀打ち出来ないため、二人で足並みを揃えて王の寝室を訪ねたのだから、明確な裏切り行為である。
「……はぁ、仕方ありませんね」
そんな二人の様子にクローリスは一つ溜息をこぼすと、そそと寝台へと歩み寄る。
引き剥がされてなるものかとティアはがばりと大胆に、ケイはこの期に及んで寝返りを装いつつ、王の両腕にぎゅっと強く抱きついた。
「失礼致しますね、ご主人様」
クローリスはそんな二人を尻目に、仰向けで寝る王の身体の上に身を横たえると、突き出た腹に両腕を回し、胸板にそっと頬を寄せた。
「あー、良いなぁ、お母さん」
「クローリス、それはさすがに」
「あら、ケイさん。お目覚めですか?」
「ぐっ」
「うふふ、二人がご主人様の左右を占領しているのだから、仕方がないでしょう?」
ケイを一言で黙らせると、クローリスは嬉しそうに微笑んだ。
「クローリス、牙に気を付けてくれよ」
「寝相は良い方ですし、このように、しっかりと抱き付かせて頂きますので、ご心配なく」
クローリスが両腕に力が込めると、王の腹の上で豊か過ぎる胸がぐにゅぐにゅと形を二転三転させる。それはティアにもケイにも欠けるものだ。少しでも対抗しようとティアは王の腕に頬をすり付けた。
「あの三人、本当にここに留まるつもりでしょうか?」
クローリスが多幸感に包まれた蕩けきった表情で問う。
「……みたいだなぁ」
王が疲れた声で答える。
ティアが寝入っている間に王との面会を済ませた三人の冒険者達は、後宮に留まることを選んでいた。
オークに犯された者、犯されたと噂を立てられた者の末路は悲惨である。“留まるも自由、去るも自由”とは言うが、去れるなら去るべきだった。王は例によって再三忠告したようだが、それを王の弱気と取った赤髪の女戦士―――勇者は、再戦を期していよいよ後宮に居座る構えでいるらしい。
「ボク、あいつら嫌い。ふんだ、早く出ていけば良いのに。―――わわっ」
王に頭をわしゃわしゃと撫でられる。両腕がふさがっているから、器用に鼻先を使ってだ。
「もうっ、ご主人様、何か勘違いしているでしょ」
「ふふっ、どうだろうな」
早く出ていけば良いというティアの言葉を、顔も見たくないという意味ではなく、三人の未来を案じての発言と王は受け取ったようだ。そんなつもりは毛頭なかったが、王に優しく微笑みかけられてしまうと、自分の隠された本心はそうであったと思えてくるから不思議だ。
「もうっ、ご主人様ったら良い子製造機なんだから」
「?」
発言の意図が取れず、王が小首を傾げる。気持ちがほっこりする愛らしい仕草だった。少なくともティアの目には。
「グランレイズから来た方々でしょうから、話には聞いていても実際のところには理解が及ばないのでしょう」
ケイが言う。微笑みをかみ殺したような声なのは、ティアと同じ気持ちだったからだろう。
グランレイズは大陸中央部に位置する人間の大国、いや超大国である。大陸南部に位置するこの土地のように“魔界”に隣接していない。領内には迷宮や古代遺跡など魔物が巣食う土地が点在しているらしいが、オークの被害者など滅多に出るものではないだろう。
故にそれがどれほどの悲劇を生むのか、あの冒険者達は本当のところを理解していない。
「ねっ、難しい話はこれくらいにして、今日のところはもう寝ようよ」
「そうですね」
「そうしましょう」
「……ああ」
ティアの提案にケイとクローリスがすかさず賛同し、わずかに遅れて王も首肯した。
こうした話題は、結局のところ考えれば考えた分だけ王を悲しませるだけだ。いつだって王には元気でいて欲しいというのが、ティアだけでなくメイド三人の偽らざる本心である。
―――あっちのほうも“元気”になってくれると、なお言うことなしなんだけど。
ティアはちらと王の股間に視線を走らせるも、やはりそこに“元気”は見い出せなかった。