幕間・オークが帝都にやってくる 中編 オークキングは過剰に持ち上げられる
「おうっ、こいつはすげえな」
「あははっ、ほんとに動いたっ」
地響きを上げて巨大な構造物達が動き出すと、勇者とティアが手を打ってはしゃいだ。
「うむ、どうやら上手くいきそうだの」
構造物―――小さい物でも高さ数ワンド、大きいものはその十倍もあるゴーレムは、板状の頭部から足を生やしただけのいびつな形をしている。
ゴーレムは川べりから流れの中へ次々とその身を沈めていくと、やがて一列に整列してぴたりと動きを止めた。
「おおーーーっっ」
見物人から歓声が巻き起こった。
大河―――旧エルドランド領を走るロンガム河最大の支流の一つ―――に、一本の橋が渡されていた。ゴーレムの足がそのまま橋脚で、頭部は橋桁である。
「陛下、お見事です」
「俺は力仕事が必要なところをちょこっと手伝っただけさ、聖女。見事なのはこのサイズのゴーレムを動かしてのけた賢者と、設計したリアンだろう」
貨物船の通行を邪魔しない橋脚の間隔と、自立どころか自走も可能なゴーレムの脚部の両立にはなかなか骨が折れたらしい。リアンは橋のたもとに立ち、満足気な顔だ。
「謙遜するでないわ。橋自体をゴーレムにして動かしてしまうと言う発想は儂らにはなかった。お主の手柄よ」
賢者の当初の計画は、建造予定の橋よりもはるかに巨大なゴーレムを作成し、それを重機として利用すると言うものだった。王が口にしたちょっとした思い付きによって、計画は大いに様変わりした。
「……いや、魔導薬の原料を出し渋った点を差っ引いて、“ほぼ”お主の手柄かの」
賢者は真剣な顔で言い足した。
「代わりのもんを取って来てやっただろう」
「ギガントキュクロプスの睾丸か。確かに大型ゴーレムの起動には実に相性が良かったが、お主のアレは恐らくそんなものではないと儂は踏んでおる」
「あの、賢者様。あまり陛下に無理を仰らないで下さいね」
「むう、すっかりオークキングめの忠僕になりおったの、聖女。儂や勇者が親しくすることさえ、渋っておったというに」
「己が浅慮に恥じ入るばかりです」
聖女が目を伏せる。
「―――ご主人様っ、村の代表の方がご挨拶をしたいそうです」
「そうか、こちらへ」
クローリスに連れられて来た初老の男性は、王の足下へがばっと勢い良くひざまずいた。
「陛下っ! 我らの嘆願をこんなにも早く、それもこのような御業をもってお聞き届けくださるとはっ! まことに感謝いたしますっ。陛下の御慈悲は、まさに救世主様が如くっ!」
そう言って男は、二度三度と跪拝する。
例の選定式以来、こうして大仰な礼をする者が増えた。王に対する礼ではなく、神仏に対するそれに近い。
正直困惑を禁じ得ないのだが、隣では聖女が満足げな顔で頷いている。
「あーと、とりあえず立ってくれ。元をただせば今回の件、こちらの不手際が原因だ。苦労を掛けてすまなかったな」
「不手際だなどと、陛下の御仁政のお陰を持ちまして、我らが潤った結果ではありませんか」
エルドランド領では、オークが開墾した農作地からの刈り入れが始まっていた。
従前よりも飛躍的に増加した作物は商人達が買い取り、他国へ輸送されていく。そこに国は関与しなかった。
農作物の産地表示義務などこの世界には存在しないが、国を挙げての事業となると出所は隠しようがない。オークの国で、オーク達の開墾した土地で取られた作物と知れれば、買い控えが起こるかもしれない。
と、そこまで予想したのは良かったのだが、流通路の確保にまで頭が回らなかった。
この時代、大量の物資の最も効率的な輸送は水運である。
商人たちが当地で渡し舟を使う水夫を軒並み雇用し、結果、少なくない村がエルドランド中心部から隔離されることとなった。
いくつか手は考えられたが―――渡しを国営化し水夫を囲い込む、補助金を出して貨物輸送よりも割の良い仕事にするなど―――、現実問題として水夫達は商人とすでに契約を結んでしまっていた。国が横紙破りをすべきではないし、そもそも貨物の円滑な輸送自体は奨励すべき事柄だ。
そこで急遽計画されたのが、大河へ橋を渡すことだった。
「不手際は不手際さ。政は先の先まで考えないといけないってのに、どうもオークってのは頭が回らなくっていけねえ」
「何を仰いますっ、陛下は稀に見る賢王、史上の名君でございますっ」
「お、おう。また何かあったら言ってくれよ」
「ははっ」
照れ臭さに、早々に会談を打ち切った。
「では、王都エルドール、いえ、今は副都のエルドールへと参りましょうっ」
折良く橋を最終確認していたリアンが戻り、ケイが張り切った様子で言う。
城を長く空ける際には城代として留守を任せることが多い彼女も、今回は行く先がエルドランドということで一緒だった。
例によってメイド服ではなくドレスに身を包んだケイは、皆を先導して馬車へと向かう。
「あん、出発か?」
幌の中でぐでっと寝そべっていた先客―――アニエスが座り直す。
規格外なくらいに大型の馬車だが、王が乗り、さらにメイド二人―――ティアは御者台だ―――に、勇者、賢者、聖女、リアンと続けば、かなり手狭だった。
「ああもうっ、ドレスがうっとうしいなっ」
「乱暴に扱うな、勇者っ。シワになるだろうが。―――ああっ、賢者っ! そこは私の席だっ」
「そのドレスではオークキングも迷惑だろうよ」
王の片膝に腰掛けた賢者が言う。ちなみにもう片膝には当然という顔でクローリスが落ち着いている。
「くっ、早く着替え過ぎたかっ」
「―――出発するよーっ」
御者台からティアの声が響き、馬車が動き始める。
近衛のハイオーク十頭に囲まれ、エルドランド領を南北に走る街道を北へと向かう。
途中もう一か所橋を渡し、道沿いの町で二泊、エルドールへ着いたのは翌々日、朝もまだ早い頃合いだ。
王が自ら訪れるのは、この地を平定して以来となる。今回は数日滞在して、視察と幾ばくかの政務をこなす予定である。
南方諸国屈指の規模を誇る城郭都市の大門―――以前、異端審問にかけられた勇者達の救出のために王が破った門だ―――は、今日はすでに開門されている。
「陛下、姫様、それに皆様も、お待ちしておりました」
門前で出迎えてくれたのは、エルドランド領を任せた代官とその従者達だ。
「馬車のまま、城内に入っちまって構わないか?」
「いえ、こちらで代わりをご用意いたしました」
「……やっぱりそれに乗んのか? オークの俺が?」
「はい」
淀みなく肯定した代官の背後には、煌びやかな馬車が二台停まっていた。
四頭立ての二輪馬車と、六頭立ての四輪馬車で、繋がれているのはいずれも毛並みも体躯も見事な白馬だ。車体は深紅色を基調に、二輪馬車には金の、四輪馬車には銀の装飾が施されている。―――つまりは王子様やお姫様が乗るような代物である。
ここまで旅を共にしてきた実用本位の六頭立ての幌馬車とはまるで別物だ。
「陛下は二輪馬車へ、他の方々は四輪馬車へ。陛下の御者は私が務めさせていただきます」
「……しかたねえか」
代官の有無を言わせぬ気配と、城内から洩れる人いきれに、王は渋々ながらに首肯した。
「御召し物もこちらで御用意しております」
代官の合図で、従者の一人が王に捧げたのはやはり深紅色のマントだ。
「―――私が」
クローリスが代わって受け取ると―――ケイも手を伸ばし掛けていたが有無を言わせず―――、身を屈めた王に装着させてくれた。
「お似合いです、ご主人様」
「……そうか? なんつーか、“裸の王様”みたいじゃないか?」
いつもの王冠に腰巻一丁な時点で十分その要件を満たしてはいるが、マントを付けたことでそれがいっそう強調されていた。
「“裸の王様”?」
「ん? ああ、そっか。いや、何でもない」
王がかつて生きた世界では有名な童話だが、この世界には存在すらしていない。
―――となると、それほど滑稽な格好にも見えないのか?
視線を上げると、代官や従者達は神妙な面持ちだ。
背後へ目をやると、ケイとティア、加えて聖女は満足気な表情で、賢者は何を考えているのか分からない眠そうな目をしていた。
勇者とリアン、それにアニエスもやはり神妙な、というよりも―――
「……この格好をどう思う、勇者、リアン、アニエス殿?」
ずいと三人の方に足を進めて問う。
「ぷふっ、い、良いんじゃねえか?」
「あっ、ああ、似合ってはいるぜ、似合っては」
やはり笑いをこらえる表情だったらしく、勇者とリアンが口元を歪めながら答えた。アニエスにいたっては腹を抱えて言葉を紡げもしない。
「…………まあ、それはそれで良いのか」
化け物離れした化け物と恐れられたり、あるいは神仏が如く崇められたりするくらいなら、滑稽と笑ってくれるに越したことはない。
王は気持ちを切り替え、馬車へ乗り込む。
「では、参ります」
他の面々が四輪馬車に乗り込むのを待って、代官が言った。先刻口にした通り、自ら御者台に付いている。
「――――っ! ――――――っっ! ―――――っ!」
城内に乗り入れると、待ってましたとばかりに大歓声に包まれた。
早朝にもかかわらず、宮殿へ続く大通りの道沿いは黒山の人だかりだ。
「領民に、手など振ってやって頂けますか?」
「お、おお」
いくらか気圧されていると、御者台から声が掛かる。
「―――っっ!! 陛下ぁーーっ!!」
言われた通りすると、歓声はさらにいや増した。
「ずいぶんと好意的なようだ」
「聖心教と和解されたというお話はすでに領民の知るところですし、何よりエルドールの住人は以前の陛下の御活躍と御慈愛を目撃しておりますからな。……それにまあ、いくらか私の方でも根回しさせて頂きました」
代官は如才ない笑みで王を見上げる。
すでに老境にあるこの男はケイとは遠い親戚で、つまりはエルドランド王家に連なる者の一人である。とはいえ遠縁も遠縁で今では下級貴族に過ぎないのだが、先々代の王―――先代の兄でありケイの父―――に才覚を見込まれ、役人としてかなり高い地位に登った。しかし先代の時代になるとその才はかえって王の不興を買い、政の中枢から遠ざけられていたという。
言うまでもなく、エルドランド領の代官として彼を王に紹介したのはケイである。
正直に言えば、代官などではなく王位に就いて欲しいくらいなのだが、それは固辞されていた。
「――――っ!! ―――――っ!」
大歓声に見送られ、宮殿へ入った。
それからやはり歓声に包まれながら視察をこなし、夜は晩餐会となった。
といっても王の一行以外には代官とその妻子他数名が同席するのみだ。面倒な輩は先の政変で一掃されている。
「武骨な味わいがこの国らしいなっ」
アニエスががばがばと杯を傾けるのを、代官夫妻が目を丸くして見つめている。
口にしているのは林檎に似た果実の蒸留酒だ。蒸留酒であるから、当然酒精はかなり強い。
「有名なドワーフの火酒っていうのはこんな感じなの、リアン?」
ちびりと飲み、というよりも舐め、顔をしかめたティアが問う。
「いやあ、あれはこんなもんじゃねえぞ。もう原料の風味なんかまったく残らねえってくらいまでしつこく蒸留を繰り返してな。たとえじゃなく、本当に火が付くからな」
「へえ、そいつはいつか試してみたいもんだな」
アニエスが言う。
まあ彼女なら喉が焼けようが中毒で倒れようが問題はない。
「賢者の実験設備を借りれば作れるだろうが、正直あんまり気が乗らねえな。酒精が強過ぎて、俺らドワーフでも好みが分かれるところだからな」
「ふむ、飲用以外の使い道もありそうだ。試してみても良いかもしれんの」
「おうっ、出来上がったら私にも分けてくれよな」
「お二人とも、火事だけはやめてくださいね」
クローリスが賢者とアニエスにぴしりと釘を刺した。
「……ずいぶんと、賑やかなのですね」
隣席の代官が王に問う。
「悪いな、礼儀がなってなくてよ」
「それは構わないのですが。あんなに楽しそうな姫様は初めて見ました」
「楽しそうか? ……まあ、たしかに楽しそうか」
視線の先では、ケイと勇者が今にも取っ組み合いに発展しそうな口喧嘩を繰り広げている。
かつてこの会場でケイの従弟から眠り薬を盛られたことを勇者が非難し、ケイは一流冒険者でありながら薬を盛られた勇者の無様をあげつらう。見慣れた風景だ。
ところ変われど、いつも通りに夜は更けていった。
翌朝、エルドール城に意外な客人が訪れた。
「港でこちらに居られると聞きまして。行幸先に押し掛けるのは少々失礼かとも思ったのですが」
「構わねえ。久しぶり、ってほどでもねえか、レオンハルトにトリッシュ」
「はっ」
謁見の間にひざまずくのは、先日出立したばかりの二人だった。
「教皇領に戻って、すぐに取って返してじゃねえのか? いったい何の用だ?」
「はい、猊下から書状を預かって参りました」
「猊下ってえと聖心教の教皇様か―――」
玉座から腰を浮かし掛けた王を手振りで押し留め、代官が小走りで駆け寄り書状を受け取る。
「陛下、どうぞ」
「おう、すまねえな」
封蝋を砕き、書簡に目を通す。
「……こいつは、どう考えればいいんだ?」
客人が客人だけに同席させていた聖女やアニエスを招き寄せ、書簡を示す。
「教皇領の大聖堂で、教皇自ら俺の洗礼の儀を執り行いたい、ってことなんだが」
「猊下が洗礼をお与えになるのは、通常はグランレイズの皇族の方のみですから、大変名誉なことではあります。もっとも陛下の格を考えれば、むしろ不敬に当たると言えるかもしれませんが」
「ふむ。……しかしそれならわざわざ出向く手間を掛けるまでもなく、聖女“あたり”にやってもらうわけにはいかねえのか?」
代官の耳を気にして、王を言葉を濁す。
聖女、そして誰よりもアニエスは、教会組織における地位はともかくとして聖職者としての格は教皇よりも上のはずだった。
「とんでもございませんっ。私などではとてもとても」
聖女が顔の前で大袈裟に両手を振って謙遜する。
「私はしがない神官見習いでしかねえからな」
アニエスは肩をすくめる。
「……受けた方が良いんだよな?」
「王が洗礼を受ければ、つまりは聖心教国として認められるってことだ。他国との国交も開きやすくなるだろうな、グランレイズとは特に」
アニエスの言葉に、代官の方へちらと視線を向けると、無言で首を縦に振って同意を示された。
「そういうことなら、―――有難く猊下のご招待を受けさせて頂く」
王はレオンハルトとトリッシュへ向けて宣言した。
教皇領の置かれたグランレイズ帝都で、昨日のような大歓待を受ける可能性を考えると少々気は重いが。