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第22話 オークキングは神聖を示す

 予言者アニエスの襲撃より十数日、城の前庭はかつてない人出で賑わっていた。

 特別に席を設けられた賓客に、ロープが張られただけの観覧席には召集を掛けられたオーク王国の住民。それに警備のオーク兵が少々とそれを監督する三人のメイド。

 コの字型に並ぶ群衆の中央には巨石が一つ鎮座している。一抱え―――人類ではなくオーク基準で―――ほどもあり、賢者の指示で王が手ずから運び込んだものである。


「おおっ、陛下が見えられたぞっ」


「ちっ、オークキングのやつだ」


 王が前庭に足を踏み入れると、待ちに待ったと歓迎する声や、吐き捨てるような囁きが聞こえた。

 王に好意的な者から蔑視する者、そして未だ判断を付けかねている者達まで満遍なく集められている。これも賢者の差配によるものだ。

 喧騒は一度いや増し、やがて潮が引くように静まっていく。


「あー、本日は突然のお呼び立てすまない。この場は塔の筆頭魔術師“賢者”であるこの儂が取り仕切らせてもらう。不服のある者は名乗り出よっ」


 前庭が完全な静寂に包まれるのを待って、賢者が切り出した。勇者と二人、巨石の横に陣取っている。


「そもそも、この集まりは一体何なのだっ」


「そうだっ。世俗の者が我らを呼び出すなどっ」


 貴賓席から声が上がった。

 立ち上がったのは聖心教の司教二人だ。

 オーク王国の、つまりはソルガムとエルドランド教区の司教である。

 疲弊した様子なのがエルドランドの司教だろう。かなりの強行軍でここまで連れてこられた様子だ。

 とはいえ同情する気にはなれない。先の勇者と聖女の異端審問会を主導した連中の一人である。


「ふむ、お情けで呼んでやったのだがの。―――クローリス、司教様お二人はお帰りだ、ご送迎を。聖心教からの立会人には聖女と、そこな教皇猊下の御使者の方がいれば十分であろう」


「むっ、ぐっ、だ、誰も帰るなどとは言っておらんっ」


「ならばおまけらしくお静かにの」


 賢者に睨まれ、司教二人はすごすごと着席する。


「他に不服がある者はおらぬか? ―――おらぬようなので、このまま儂が進行させてもらおう。ではまず、賓客の皆様を紹介しよう。まずはグランレイズ帝国の第三皇子、ディートリヒ・フォン・グランレイズ殿下」


 ディートリヒは立ち上がり、礼儀正しく頭を下げる。さすがに様になっていた。


「おいおい、あいつ酒場でよく見るぞ。グランレイズの皇子だったのかよっ」


「おおっ、“うすワイン”のガキじゃねえかっ!」


 群衆が騒ぎ立てる。何やら不名誉な渾名など付けられているようだ。


「次いで、グランリッヒ公爵家令嬢エミーリア様、そしてヴァッシェヴェルト辺境伯家令嬢ベアトリクス様」


 一礼したのはディートリヒの仲間の女性二人だ。

 貴賓席を中心に、ひそひそ声が漏れる。いずれも超のつく大物である。

 グランリッヒ公爵家。五爵―――公・侯・伯・子・男の最上位に位置する爵位を賜るからには、言うまでもなくグランレイズ屈指の権力者だ。皇家とは近しい親戚筋であり、現当主である彼女の父親は宰相も務めるという。

 ヴァッシェヴェルト辺境伯家。辺境―――グランレイズにおいては南方諸国と境を接するロンガム川流域を指す。つまりは前線であり、辺境伯とは戦を担う軍事貴族のようなものだ。ゆえに軍備を賄うための広大な土地が与えられている。字面上は第三位の“伯”を付されているが、実質的には侯爵家と同等の格と公爵家をも凌ぐ身代を有する。

 ―――というようなことを、王は昨夜ケイから説明されていた。


「続いて―――」


 そこから数人はオーク王国の役人達だ。城に努める高級官僚やエルドランドの代官で、いずれも人間である。オークに政治は任せられない。


「ではこれより聖心教のお歴々をご紹介しよう。司教様方はすでに見知ったであろうから、飛ばすとして―――」


「ぬぐっ」


 ぞんざいな扱いに二人が顔をしかめる。

 異端審問の意趣返し、と言うわけでもなく賢者のことだから素だろう。


「まずは儂の友人でもある聖女、―――カタリナ殿」


「聖女様―っ!」


 これまでで一番の歓声が起こる。

 一時“オークに犯された”だの“偽りの聖女だ”だのと疑惑も出た彼女だが、地道な伝道活動や治療行為によって民からの信頼はすっかり取り戻している。皮肉なことに彼女を敵視するものは今では聖心教関係者にこそ多い。


「そして教皇庁よりの御使者アニエス殿。その護衛で“神の寵児”、“聖女の愛し子”の異名を持ち、現役聖堂騎士最強との呼び声高いレオンハルト殿。勇者アシュレイ唯一の愛弟子にしてグランレイズ随一の斥候レンジャー長足ロングストライドのトリッシュ殿」


 柔らかい笑みを浮かべるアニエスに対して、残る二人は居心地悪そうにしている。

 殊更にレオンハルトとトリッシュの威名を言い立てたのは、正体不明の少女でしかないアニエスに箔を付けるためだろう。


「それでは、始めようか。―――これより、オークキングの神聖を証明する」


 賢者の高らかな宣言が前庭に響く。

 先刻からいやに声が通ると思えば、どうやら魔術を使っているようだ。口元近くにあてがった杖の先端がぼんやりと光を放っている。


「では、勇者よ」


「おう」


 勇者は巨石へ向き直ると、聖剣を突き刺した。

 何の抵抗もなくするすると聖剣は突き進み、刀身の半ばほどまで埋没させたところで勇者は手を離した。


「ほらよ、これでもうあたし以外の誰にも抜けねえ。もしこいつを抜ける奴がいたなら、そいつはあたしと同じ勇者の資格有りってことだ」


「うむ。―――さて、勇者とは聖剣の担い手、つまりは聖遺物に所有を認められた存在。他ならぬ造物主様が天地創造に用いられた神器から所有を認められたなら、これは神聖な存在と言って相違なかろう。―――のう、司教様?」


「あ、ああ。そ、それは間違いないが」


 急に話を振られ、司教の一人がどもりながらも答える。


「聖女カタリナ殿?」


「はい。聖女として、そして勇者様の友人の一人として、肯定いたします」


「御使者の方も、それでよろしいか?」


「ええ、構いません」


 アニエスがにっこりと微笑みながら首肯した。

 こうして外見に相応しい清楚で可憐な猫を被っていると、何やら犯しがたく高貴な雰囲気がある。群衆のみならず司教達も、アニエスの権能を疑う素振りも無い。

 さすがは最初の聖女というところか。十日以上好き勝手振る舞われた今となっては、王やメイド達は白々しい目でしか見られないのだが。


「賢者様のご質問の意義をはかりかねております。まさかオークキングが、その魔物が巨石より聖剣を抜けるとでも仰りたいのですか?」


 アニエスは聖心教を代表するように問う。


「うむ、そのまさかよ。この地を訪れて一年近くになるが、その間儂はずっとこのオークキングと言う魔物の生態を調べてきた。その儂が保証する。―――この男は選定の巨石から聖剣を抜ける」


「おおおーーーっ」


 賢者が断言してのけると、早くも群衆から歓声が上がった。王に好意的な住民達だ。

 もちろん同時に、そんなわけあるかと吐き捨てる小声も王の鋭過ぎる聴覚はとらえている。


「―――僕も試させて頂いて良いですかっ」


 ディートリヒがはいっと挙手した。


「うむ。種や仕掛けを疑われても困るからの。存分に試されよ。せっかくだから他の者も試してみると良い。ケイあたりは案外抜けてしまうかもしれんぞ」


 賢者の言葉で、巨石の前に人が集まっていく。

 ディートリヒだけでなく仲間の女二人、初代勇者と同じ名を持つレオンハルト、ティアにケイ。


「お集まり頂いた皆さんの中にも、試してみたい者はいないか? こんな機会は二度とはないぞっ」


 聴衆へ向かって賢者が促すと、如何にも力自慢と言った感じの男たちが何人か名乗りを上げた。


「……聞いてないぞ」


 挑戦者達が聖剣の前に群がるに任せ、王の隣まで下がった賢者に小声で問う。


「うむ、言っておらんからの。じゃがまあ、おおよそ察しておったのではないか?」


「岩を運ばされた時点で、ひょっとしたらとは思ったけどよ。―――知ってるよな? 俺が聖剣を使えないのは」


 勇者達を初めて捕らえた際に、またそれ以降にも幾度か、王が聖剣を握る機会はあった。しかし勇者の手にある時のように無類の斬れ味が発揮されることはなく、鈍らの鉄剣以上のものではなかった。


「お主なら抜ける。―――儂が信じられぬか?」


「……まあ、賢者に限って勇者や聖女に害が及ぶようなことをするはずがないか」


「むっ、儂はかなり利己的な人間だと自認しておるが」


「ん? いや、そんなことはないだろ。根っこの部分でけっこう面倒見が良いじゃないか、賢者は」


「むむう」


 何が不満なのか、賢者は一つうめくとそっぽを向いてしまった。


「ぐうあああっっ! だっ、だめかっ、だめなのかぁっ!!」


 ディートリヒが聖剣の柄を両手で握り、巨石に両足を掛け、全身の力で“何度目か”の挑戦をしている。

 他の者達はすでに遠巻きにしていた。結局、誰一人として聖剣を抜ける者は現れなかった。


「おい、ディートリヒっ、もう良いだろう。いい加減あきらめろ」


「くうっ、アシュレイ殿とダブル勇者になりたかったのに」


 勇者に諭され、ディートリヒが引き下がる。


「他の連中も納得いったなっ!?」


 勇者は幾分ほっとした様子で叫ぶ。

 “他の連中”と口にしながらも、視線はたった一人ケイに向けられている。賢者の軽口もあって、双剣の姫騎士なら抜きかねないという不安があったのだろう。


「では本番といこうか。―――オークキング」


「おう」


 賢者に促され、王は巨石の前に立つ。

 前庭に集まった全員が固唾を飲んで見守る中、王は聖剣の柄に手を掛けた。やはり完全に巨石に固定されているようだが、賢者を信じて強く握り込んだ。


―――おっ、抜ける。


 直感に導かれるままに、身体が自然に動いた。ずずっと聖剣を巨石から引き抜き、高く掲げる。


「おおおおーーーっっ!」


 耳をつんざく大歓声が巻き起こった。

 全体の半数に満たなかった王に好意的な者からだけではない。この場に集うほぼ全ての住民達が何かしら騒ぎ立てている。


「……おい、思わず抜いちまったけど、こいつは」


 騒ぎに乗じて、賢者に囁き掛ける。


「先日の勇者の戦闘を見て思いついたのだが、上手くいったの。最悪聖剣がぽっきり折れるのではないかと、心配しておったのだが」


 賢者はしれっとした顔で答えた。

 勇者選定の儀。

 てっきり聖剣と巨石が“神秘的”かつ“魔術的”な何かで結びついているのかと思えば、至って“物理的”な接続でしかなかった。つまりは何でも切り裂く発動状態で巨石に突き立ち、鈍ら化することでぎっちりとかみ合う。

 物理的と言ってもその接続は実に強固であり、これを抜ける者は聖剣の力を発動出来る次代の勇者か、―――あるいは化け物離れした膂力を有する真正の化け物ぐらいだろう。言うまでもなく王は後者である。


「要するに詐欺じゃねえか」


「お主のことだから、そんなことを言い出すのではないかと思ったわ。反対されても面倒なのでここまで黙って進めさせてもらった」


「いや、さすがに俺もそこまで馬鹿じゃねえよ。聖心教とのごたごたが続くくらいなら、詐欺の片棒ぐらい担ぐさ」


 話し込んでいると、こつんと、脛に軽い衝撃が走った。


「おらっ、いつまでも持ってないで返せっ。抜けたからってお前に使わせてやるつもりはねえぞっ! 勇者はあたしで、聖剣はあたしんだっ!」


 勇者である。

 王の脛をもう一度蹴り上げると、喧嘩腰に右手を突き出してくる。にわかに前庭に緊張が走るも―――


「俺もオークの身で勇者を務めるつもりはねえよ。想像しても見ろよ、オークが勇者って絵面がおかし過ぎるだろう」


 おどけた口調で答えた王が聖剣を勇者に手渡せば、一転群衆からは笑いが漏れた。

 ふざけた小芝居のようだが、勇者なりのフォローであろう。

 力任せに引き抜いただけの聖剣は、王の手の内にあって変わらず鈍らのままである。アニエスや司教達から、使うところを見せるよう要求でもされれば手詰まりだった。


「―――やはり、貴方は」


 前庭がしんと静まり返った。

 聖女が貴賓席から王の前まで進み出ていた。

 唇を震わせ、目が据わっている。鬼気迫る表情だ。

 潔癖な聖職者である彼女が今回の賢者の計画に加担しているとは到底思えない。果たして何を言われるのか。王が警戒していると―――


「いいえ、貴方様はっ」


 ―――聖女はがばりと王の足元にひれ伏した。


「お、おいおい、いったいどうしたってんだ、聖女。オーク相手にそれはまずいだろう」


「いいえっ、まずいことなど何もございません。貴方様は敵であった私や勇者様をお助けになるため、全身に数百の矢傷をお受けになり、そして三度炎に焼かれました。これは救世主様にもなぞらえる慈愛です。そして今また、聖剣を引き抜かれました。かつて救世主様の手によって聖心教へともたらされた神器を、その手にされたのです。―――そう、このお手にっ」


 とりあえず立ち上がらせようと伸ばした王の腕に、聖女は縋りつく。


「お、おい、聖女」


「神はかつて、人中に救世主様をお産みになりました。そして今、魔中に貴方様をお産みになったのですっ。貴方様は―――」


「―――おいおい、そいつはいくら何でも言い過ぎだろうが」


 ドスの利いた台詞が可憐な声音で奏でられた。


「あっ、―――こほん。カタリナ様、魔物が救世主様に比肩されるなどと、さすがにお言葉が過ぎます」


 貴賓席で仁王立ちしていたアニエスは、慌てて足を閉じ両手を胸の前で合わせ、清廉な少女の顔を取り繕う。


「とはいえ、教皇猊下の名代である私が、確かにオークキングが、いえ、オーク王国の国主様が聖剣を引き抜かれる瞬間を見届けました」


「御使者殿、その発言はっ」


 司教二人が目を剥いた。

 自らを教皇の名代と名乗った上での言葉だ。その意味するところは大きい。―――まあ、実際にはそもそも本人が教皇も霞むほどの聖心教の最重要人物なわけだが。

 アニエスは続ける。


「聖心教は今後、オーク王国と、それに国主様個人に対する認識を改める必要があるでしょう。少なくとも、我らの敵ではないと」


「おおおおおーーーーっっ!!」


 再び大歓声が巻き起こる。

 今度は“ほぼ”全てなどではなく、本当に集まった全ての民が歓呼の声を上げている。

 魔物に統治される不安、そして後ろめたさ。人類に対する背徳感や己が信仰との矛盾は、王に好意的な者ですら、いや好意的な者ほど払拭することが出来なかったはずだ。

 そうしたものの全部が晴れた瞬間だった。


「……オーク王国の夜明けだの」


 らしくもなく、賢者が良い感じの台詞でまとめた。



次回のエピローグで第2章は完結です。たぶん本日中に投稿できると思います。


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