第20話 オークキングは困惑する
「…………いやいや、本当にどういう状況だ?」
争闘の気配を察してとりあえず一吠えしてみたものの、大広間を二度三度と眺め回しても全く理解が追い付かない。
「まったく、毎度毎度タイミングの良いこって。お姫様を助ける勇者か何かかよ、お前は」
とりわけ理解不能な世界観を形成している勇者が言った。なんと全裸の少女と対峙している。
王は混乱した頭で答えた。
「お姫様を助けたことはないな。いや、そういえばケイの姉はお姫様だったか」
「そういうことを言っているんじゃなくてだな、あたしが―――、お前が―――。……な、なんでもねえよっ」
勇者は不自然に何度も言葉に詰まり、最後に激しく頭を振ると、そのまま横を向いてしまった。
「勇者、お前っ」
それで勇者の左頬が露わとなった。真っ赤な花―――と見えたのは抉れた頬の肉だ。
心臓を鷲摑みにされ、王は一目散に勇者の元へと猛進する。
「おいおい、私を無視するなよ」
「お嬢ちゃん、ちょいと通してくれ」
件の全裸の少女が割って入るも、むんずと肩を掴んで脇へと押しやった。非常に気になる存在ではあるが、今は後回しだ。
「な、何だよ?」
王の勢いに気圧されながらも、勇者はきっと睨み返してくる。
「何だじゃねえ、ひどい傷じゃないか。―――よっと」
「な、なななっ、何をしやがるっ!? こ、これじゃ、ほんとにお姫様みたいじゃねえかっ」
ひょいっと、勇者を両腕に抱きかかえた。
そうしてみると、普段勇ましくも格好の良い彼女の身体はあまりに小さく頼りなかった。
「聖女っ、勇者を治してくれっ!」
「だから無視をするなと」
再び駆け出したところで、またも全裸の少女が行く手に立つ。両腕を広げ、明確にこちらを遮りに来ている。
「悪いが後にしてくれ」
王は足を緩めず、一瞬だけ勇者の身体を片腕で保持すると、空いたもう一方の手で小さな体を押し退けた。
「さあっ、早く回復をっ」
聖女の眼前で勇者を解放する。
「―――あっ」
らしくもない人恋し気な声が勇者の口から洩れる。やはり弱っているようだ。
改めて見返せば、肉が抉れた左頬に限らず、勇者は全身に傷を負っていた。
「勇者様、こちらへ」
「あ、ああ」
「その頬、綺麗に癒えるか? こういう傷は、やっぱり跡が残りやすいだろう?」
王はおろおろうろうろと、詠唱を開始した聖女と勇者の周囲を巡る。
「何を慌てているのかと思えば、そんなことかよ」
「そんなことじゃねえよ。どうすんだよ、せっかくのきれいな顔に傷が残ったら」
「き、きれいな顔って。 あ、あたしは冒険者だぞ。顔に傷ぐらい、あった方が拍が付くってもんだっ」
「冒険者って言ったって女じゃないか。―――ああっ、嫁入り前の娘さんを我が家で傷物にしちまうなんて。どう責任を取れば」
「……せ、責任。いやいや、あたしは女である前に冒険者だっ。ってえかお前もお前で少しはオークキングらしくしやがれってんだっ」
「―――。―――――。“完全回復”」
ぱあっと勇者の全身が優しい光に包まれた。
祈るような気持ちで見守っていると、やがて光は数多の傷を道連れにきれいさっぱりとかき消えた。
「ふうっ。……お二人とも、詠唱中に耳元で騒がないで下さいね。集中が乱れます」
「す、すまん。しかしよかった。さすが聖女の奇跡は効きが違うな」
「あ、あんまり人の顔をじろじろ見つめるんじゃねえよっ」
「ああ、悪い。―――って、この倒れてるの、一番か? おいっ、大丈夫かよっ」
視線をそらした先に青白い、いや緑白い顔をしたハイオークが倒れていた。
「……に、兄さん、も、問題ありません。せ、聖女様に、癒していただきましたから。それより、留守を預かる者として許されざる失態を―――」
「無理に話すな。今は休んどけ」
普段は “王様”としか呼んでくれない弟が“兄さん”と口にした。それだけ意識が曖昧な状態ということだろう。―――不謹慎だが、少し嬉しい。
「聖女、重ね重ね世話になった。本当にありがとう」
「べ、別に貴方のためではありません。勇者様を治すのは当然ですし、貴方の弟を治療したのはマリーさんのためです」
言葉は否定されてしまうだけだろう。もう一度、無言で深々と頭を下げた。
やはり無言で受ける聖女が満更でもない表情に見えたのは、希望的観測が過ぎるだろうか。
「あーあー、おほんおほんっ!!」
あまりにわざとらしい咳払いが、強引に大広間の視線を一点に集めた。
例の全裸少女だ。
「まったく、こうも長々と無視されるとは思わなかったぜ。こちとらインパクト抜群の全裸美少女だってのに」
透き通るような白い肌を石造りの床にごろんと横たえ、片肘を立ててそこに顎を乗っけている。
見た目は可憐で非の打ち所のない美少女だが―――全裸を“非”に数えるべきかもしれないが―――、不思議とふて寝するおっさんのような風情を醸し出していた。
「えーと、勇者、あちらは?」
「予言者アニエス様だとよ」
「予言者アニエス? それって確か、聖心教の最初の聖女?」
「あー、かいつまんで説明するとだな。あたし、というか聖剣と聖女様を取り戻すために聖心教から三人組のパーティが派遣されて来たわけだ。一人があっちで気を失ってるレオンハルト。聖堂騎士で聖女様の縁者」
「そっ、そうでした! レオンハルト君、大丈夫ですかっ!?」
聖女が“すっかり忘れていた”という顔で、倒れ伏す鎖帷子の男の元へ走る。
こんなところまで乗り込んで来て存在を忘れられるというのは何とも哀れだが、この混沌な状況ではやむなしか。
「で、もう一人がそこのトリッシュ。こっちはあたしの妹分」
「ど、どうも。姉御がお世話になってるようで」
「いえいえ、こちらこそ」
何となくぺこぺこと頭を下げあう。
「で、最後の一人があの全裸。どうやらガチのマジであの予言者様で、不老不死の化け物。あたしをボコボコにして一番を半殺しにした犯人だ」
「お、おう。分かったような分からないような」
「―――紹介は終わったか?」
少女が立ち上がる。
一糸まとわぬ身体を惜しみなく晒しながら。
「お前が今代のオークキングか。……なるほど、似てるな。オークの顔なんてろくに見分けはつかねえが、そのでかい牙と筋骨隆々の身体は遠い昔に見た覚えがあるぜ」
「……そうか。予言者様ってのが事実なら、あんたは初代勇者のレオンハルトと一緒に俺の遠い先祖を討ち取っているわけか」
「おうよ。今代の勇者と聖女は失敗しちまったみたいだけどなぁ」
「―――っっ。てめえだって、オークキングの不在を狙ってこそこそやって来やがったくせにっ」
「まあ、今回私は表に出るつもりはなかったからな」
少女が軽く肩をすくめる。
確かに外見に似合わない一種異様な迫力のようなものがある。聖女らしさは感じないが。
「しかしオークキング、ずいぶんとお早いお帰りじゃねえか。今日は夕刻まで不在だって、わざわざグランレイズの第三皇子から聞き込んで来たんだがな」
「俺もそのつもりだったんだが、そのグランレイズの皇子様がやってくれてな」
「ディートリヒが?」
問い返したのは勇者だった。
「あいつ、視察先の村まで押しかけて来てな。見た目は普通に紅顔の美少年だから、さすがに村人の見てる前で伸しちまうのはまずいだろ? だから早めに切り上げてきたのよ。で、道半ばってところで、城から火が噴いたのが見えたんでな。俺だけ急いで駆け戻ったってわけだ」
「ああ、賢者様の魔術が見えたのか」
「やっぱりあれは賢者のやつか」
「で、あれの直撃を受けて一度は消失したのに、全裸で復活を遂げたのがあいつだ」
「……なるほどね」
理解不能だった状況が、ようやくうっすらと飲み込めた。
「つまり当面の敵は、あの少女ってことで良いんだな? 勇者の妹分もやるか?」
「とんでもない。あんたらみたいな化け物の相手が出来るかよっ」
トリッシュが激しく首を左右に振る。
「いま、私のことも化け物扱いしなかったか?」
少女―――予言者アニエスはトリッシュにじとりとした横目をくれながら、とことこと移動する。向かう先は聖女と彼女に介抱される男―――レオンハルトの元だ。
「さすがにオークキング相手に無手と言うわけには行かねえからな。ちょっとお借りしますよ、レオンハルト様」
「……んん?」
曖昧に漏らした声を勝手に了承の返答とし、アニエスはレオンハルトの手から戦棍を奪い取った。
「あ、あの、アニエス様っ。あまりご無体は」
「へえ。カタリナ、そりゃあ勇者にってことか? それともオークキングにか?」
「そ、それはっ、もちろん勇者様にです」
「一瞬言いよどんだな。カタリナ、お前とは後でじっくり話し合わなきゃな」
「―――っ」
聖女にひと睨みくれ、アニエスは踵を返す。
「うん、悪くねえな」
体格にも容貌にも不釣り合いな得物をぶんぶんと振り回しながら、アニエスがこちらへ向かってくる。
「あの戦棍、亜神器だ。棍棒くらいなら簡単に粉砕するし、触れるだけでも効くから気を付けろよ」
王の隣で、勇者が聖剣を構えた。
「なんだ、一緒に戦ってくれるのか?」
「当ったり前だ。あの全裸を舐めんなよっ、不老不死だぞ」
「まあ、勇者をボコボコにするくらいなんだから、そりゃあ強いんだろうけど。―――とりあえず下がっていてくれ」
「なんだあ? またあたしをお姫様扱いする気か?」
「お姫様扱いなんてした覚えはないが、まあ、ここは俺に任せろ」
手振りで勇者をその場に押しとどめると、一歩前へ出る。
「この私相手にあえて一頭で勝負たぁ、いい覚悟だ」
「いやぁ、覚悟とかそういうんじゃねえんだけどな」
大人と子供、いやさ大人と赤子ほども体格差がある相手だ。二人がかりと言うのはさすがに気がとがめる。
「いくぜっ。―――“肉体強化”」
「おおっ」
無詠唱で神聖魔法を行使するや、裸体はすでに眼前にあった。
恐ろしく速い。同じく肉体強化の加護を受けた勇者以上だ。つまりは今までに対峙したどんな人間や魔物よりも速いということだ。
「おうりゃあっっ!」
目一杯振りかぶり、力一杯振り下ろされた一撃を紙一重で躱した。勢い余った戦棍は床を打ち、容易く砕いた。凄まじい膂力、それに加えて亜神器の効果か。
続いてやはり力任せの横薙ぎ。後退して透かす。
ぶんぶんと大振りされる戦棍を避け続けた。
速いが予備動作が大きい。我流ながら実戦的な勇者とも違い、言ってしまえば素人臭い戦い方で隙だらけだ。
勇者の言を信じるなら、自分が攻撃をもらうことなど気にも止めていないということか。
―――しっかし、不老不死と言われてもなぁ。
見た目はあくまで普通の女の子だ。
ディートリヒと同い年か、少し年下くらいに見える。当然男女の差があり、かつディートリヒは冒険者としてそれなり以上に鍛えているのだから、目の前の少女の方がずっと小さく華奢だった。
―――これくらいか?
戦棍を振り被った少女の、まさに無防備にさらされた剥き出しの鳩尾に左の突きを放った。かなり加減して。
「―――っ、ぐうっ」
アニエスは表情をゆがめ、身体をくの字に折り曲げた。
「ちょっと強く打ち過ぎたか?」
「な、何だっ、これは? 痛みが引かねえっ。あああっっ、くそっ、いってえ」
「すまんな、すぐ楽にしてやるよ」
王はさっと手を伸ばし、少女の細首を握り込んだ。
「ちっ、首を引き千切るつもりか? 残念だったなっ、首一つになろうが私は―――」
「―――そんなことするかよ」
「んっ」
指先できゅっと頸動脈を締め上げると、少女の小さな体はだらりと脱力した。苦悶の表情もこれで安らかだ。
「……あれ、何かあっさり勝てちまったぞ? これ、俺の勝ちで良いんだよな? 気絶してるもんな?」
「はああっ? なんだそりゃっ!」
困惑して視線を向けると、勇者は王以上に混乱した様子で叫んだ。




