第19話 聖女アニエスは正体をさらす
「それはつまり、今をさかのぼること八百年前、初代勇者に聖剣を与えた最初の聖女と、そこな娘が同一人物と言うことかの?」
「はい」
賢者の問いに、聖女が力強く頷く。でなくとも、彼女がこんな話題で虚偽を言うはずもない。
もちろん聖女当人が騙されているという可能性もある。しかし“不死”と言っても語弊のないあの再生能力を見せつけられた後では、今更それを疑う気にもならなかった。
つまりはこの少女は―――
「ア、アニエス、お前、“不老不死”ってやつなのか?」
トリッシュが恐々と、しかしある種の確信を込めて問う。
アニエスはこっくりと躊躇いなく首肯した。
「むぅ、まさか不老不死とはのう。いったい何をどうすれば、そんなことが可能になる? やはり魔術かの? しかし生体に永続的に魔力を作用させるなど、それはもう魔物と変わらぬではないか。いや、この場合生体そのものではなく時間に作用するという可能性もあるか。しかし時の魔術は概念こそあれど未だ成功例はないとされておる。いや、やはり純粋な人間ではないのか? いやいや、そうか! そう言えば“聖女”であったのっ。ということは本物の“奇跡”の効果か? いや、しかし予言者アニエスが体現した奇跡は確か―――」
「あー、うっせえうっせえ。ったく、仕方ねえから教えてやるよ。私の得た奇跡はご存知の通り“予知”さ。それでレオンハルトを見い出して聖剣を預けたってのは、大陸の人間なら知らねえ奴はいねえだろう」
「うむ。だが、予知でどうして不老不死の能力を得られる?」
「十四の時にな、見ちまったのさ。当時の私と寸分違わぬ姿をした私が、おっ死ぬ瞬間の予知をな」
「―――っ!? なるほど、そういうことかっ! つまりお主は、予知をしたその瞬間が訪れるまで、年を取ることもなければ傷を負うこともないと言うことかっ」
「ご名答」
「なんと、そんなことがあり得るのか? 本物の奇跡は神の御業の代行とされておるが、ならば予知の奇跡で見た結果はすなわち神の摂理になるということか? いやいや、だからと言って完全に消失した肉体が復元などするものか? それはそれで、何か別の摂理に反してはおらぬか? そもそも奇跡とは―――」
「あーもう、いつまでもうっせえなぁ。“誘眠”」
こてんと、賢者は投げ出していた足の上に突っ伏した。
「これで静かになったな。今期の賢者は変わり種とは聞いていたが、まったくうるさくてしかたねえや」
アニエスの睡眠へ誘う奇跡だ。賢者はべたっと前屈姿勢で眠りこけている。
聖女も含め、無詠唱でこれを行使する神官をアシュレイは知らない。やはり本物の予言者、神官歴八百年の大ベテランと言うことか。しかし―――
「…………」
「何だその目は、勇者。それにトリッシュまで」
「お前が最初の聖女様ねぇ。あたしも人のこと言えた義理じゃねえけど、なんつーか、……イメージ壊れるわぁ」
敬虔とは口が裂けても言えないがアシュレイも聖心教の信徒であり、グランレイズ生まれだ。予言者アニエスには当然多少なりの幻想がある。
「ふんっ、こちとら八百年も生きてるんだぜ。真面目な良い子ちゃんってだけじゃ、退屈でしかたねえよ。二百歳を過ぎたころからだったかな、だいたい四、五十年ごとにキャラを変えることにしたのよ」
「キャ、キャラを変えるって。……で、今はこの有様だと」
「この有様とは失礼な。八百年で一番人生を楽しんでるって感じで、気に入ってるんだぜ。あと百年くらいはこのキャラで通しても良いかってくらいにな。まっ、さすがに表向きの神官見習いの立場で会う相手には、猫被る様にしてるけどよ」
アニエスがちらっとトリッシュとレオンハルトへ視線をやった。
初めに大人しくしていたのは、二人の手前ということなのだろう。
「……いやまあ、何となーく裏がありそうだとは思ってたけどよ。宿でたまに酒の匂いさせてたしな」
「えっ、マジで? バレてた? 気を付けてたつもりなんだけどなぁ」
「いや、分かるって。明らかに飲み過ぎてハイになってたことも何度かあったぜ。ド鈍感のレオは気付いてなかったみたいだけどよ」
「何だ、トリッシュだけか。それならいっそ二人で飲みに行っても良かったなぁ。“賢者様のエール”ってやつ、あれもう飲んだか? いやぁ、八百年生きてきたが―――」
「―――そ、それでっ、アニエス様っ。本日はいったい何用あって、このような場所までお越し頂けたのですかっ?」
そのまま四方山話でも初めてしまいそうな流れを、聖女が引き戻す。
「うん? ああ、そんなの決まっているだろ? 聖剣とお前を連れ戻しに来たのよ」
言うと、アニエスは無造作にアシュレイに背を向け、つかつかと聖女の元へと歩み寄った。
「わ、私を連れ戻しに、ですか。まさか私などのためにアニエス様にご足労頂けるとは、光栄です」
「気にすることねえよ。同じ聖女の誼ってやつだ」
「で、ですが、私は……」
「ん? なんだ? 私が直々に出向いたんだ。まさか帰らねえって選択肢はねえよな?」
がっちりと、アニエスが聖女の手首を掴んだ。
「わ、私には、まだ、この地で為すべきことと、……見極めねばならないものが」
「見極めねばならない物? いや、者か? まさかオークキングのことを言っている、なんてこたぁないよな? それじゃあまるで、魔物に人格を認めているように聞こえるぜ」
「い、いえ、それは」
「―――聖女様はあんたにゃ付いていきませんとよっ!」
そろりそろりと近寄ると、聖剣を振り下ろした。聖女の手首を掴む、その細腕に。
「ひっ!」
短く悲鳴を上げたのは聖女だった。手首には、切断されたアニエスの右腕が残っている。
当のアニエスは慌てた様子もなく平然とこちらの次の一手を待ち構えている。不老不死ゆえの余裕と言うやつだろうが、そこに付け入る。
「あー、ちょっと聖女様動かないで」
アニエスの右腕に聖剣を突き立てると、アシュレイは右手の小指を立てた。
その瞬間に聖剣は鈍らと化し、骨肉とがっちりと組み付く。
「よし、もらってくぜ」
聖剣の先にアニエスの右腕を刺したまま、即座に踵を返し、駆けた。
賢者の魔術で肉体を消失した時には、アニエスの身体は何もないところから完全に再生した。しかし聖剣で切断した時には、切り口同士を引っ付けて回復している。つまり斬られた身体の一部が残っている状態では、新しくは生えないということだ。
ならこの右腕をどこかに隠してやれば―――
「―――返せ」
すぐ横で声がした。
「うおっ、こっわ」
横目に見やると、片腕のない全裸の少女が血をまき散らしながら並走し、―――容易く抜き去っていった。
「ちっ、足には自信があったんだけどなっ!」
アニエスはくるりと振り返ると、左の拳を飛ばしてくる。
足元へ滑走して間一髪突きをかわし、すれ違いざまに鈍らの聖剣を振るって脛の骨を砕いた。
「ぎゃんっ!」
左手だけでは受け身が上手く取れなかったのか、アニエスは顔面から床へ倒れる。
「この隙に、―――っ!?」
聖剣の先に突き刺していた右腕が、ぼわっと灰になって散った。
「……切断されたままある程度時間が経つと、そうなるのさ。まっ、発想は悪くなかったぜ」
アニエスが立ち上がる。
折れた脛の骨はすでに繋がり、思いきり石畳に打ち付けた顔面にも傷一つなく、そして右腕を新たに生やしながら。
「ちっ」
舌打ち一つで気持ちを切り替える。
無手の相手に、少しでも間合いを隔てるように中段の構えを取るも―――
「―――つうっ! てめえっ、そんなの反則だろうがっ」
聖剣が胸を貫くのもかまわず距離を詰めたアニエスに、掌底で顎を突き上げられた。
咄嗟に自らのけぞり威力を殺すも、視界がぐわんぐわんと揺れている。
「いんや、神がお認めになった私の特権さ」
じりじりと追い詰められていく。
額を真っ二つに割られながら下段を蹴り込み、胴を斬り払われながら鉤突きを脇腹に突き刺してくる。骨を断たれながら肉を打ちに来られては、為す術がない。
「まったく、器用なもんだなぁ。打たれる瞬間に微妙に体をねじって、致命的なダメージだけは避けやがるか。勇者に選ばれるだけあるぜ。武術の才能じゃ、とても敵わねえや」
「へっ、こっちも怪力と再生力だけは敵わねえぜ」
言い返すも、負け惜しみにもなっていない。まさにその二つにこうして追い詰められている。
「いい加減飽きてきたし、終わらせるぜ。―――“肉体強化”」
「なっ」
息を呑む間もなかった。
次の瞬間には身体は宙を泳いでいて、しばしして背中から床へ落ちた。
胃がひっくり返り、口からは心臓が跳び出しそうなほどの衝撃だ。のたうち回りたいのを堪えて、アシュレイは立ち上がる。
「おう、良い当たりだと思ったんだが、まだ立つか」
アニエスが床に転がった右の拳を拾い上げながら言う。
ただでさえ圧倒的な身体能力が、肉体強化の神聖魔法でさらに増強されていた。闇雲に払った聖剣が右の突きを捉えたのは、ただの僥倖だった。しかしその幸運に浴する間もなく、手首の切断面でそのまま打たれていた。
「へっ、教えといてやるぜ。“冒険者の往生際は悪けりゃ悪いほど良い”のさ。見苦しかろうが粘っていれば、活路はどこかにあるもんだ」
ずきずきと痛む胸に耐え、減らず口を返す。
べっこりとへこんだ胸当てが、胸部を圧迫してくる。たぶん骨も折れているだろう。
「活路ねぇ? とっくに袋小路だと思うがな」
アニエスがぐぐっと身を沈めた。来る―――
「――――――――っっ!!」
耳をつんざく咆哮が大広間を襲った。人の怒号のようでも、豚の鳴き声のようでもある混豚とした響きだ。
「な、何事だ!?」
虚を突かれたアニエスは踏み出し掛けていた足をもつれさせ、その場で数歩たたらを踏む。
「なっ、言ったろ? 往生際が悪ければ、こうして活路も開けるのさ」
「あー、こいつはいったい何事だ?」
雄叫び一つで場を制してみせたオークキングは、困惑顔を浮かべていた。