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第18話 少女アニエスはさらに再生する

「……こいつは、いつもの魔術とはだいぶ違うな」


 賢者の杖から迸ったのは爆発と炎ではなく、周囲にほとんど熱や火をまき散らすことのない収束した熱線のようなものだった。

 白と赤の光は大広間を縦断し、石造りの壁を瞬く間に崩壊させる。


「……ふぅ」


 やがて熱線は減弱し、途切れた。

 賢者はその場に足を投げ出し座り込む。魔力を使い切ったのだろう。


「すげえ威力だな」


「火力を一点集中させた改良型よ。オークキングの助言で構成を組んではみたが。……ふうむ、使い勝手は良いがやはり無駄が多いの」


「無駄、多いか?」


 大広間の床には、賢者の足元から真っ直ぐ一本の道が出来上がっていた。

 魔術の熱線が走った跡だ。非常に滑らかに見えるのは、石材が削り取られたのではなく、焼け溶けたためだろう。道は石壁を幾枚も貫通し、その先には眩しい光が見える。城の外まで繋がっているのだ。

 いつもの魔術と比べて、周辺への火力の拡散を抑え、その分威力が向上しているように見える。


「うむ。まず魔力で砲筒状の力場を成し、そこへ炎の魔術を流すわけだがの。力場の形成に魔力を奪われ過ぎる。全てを炎に費やした場合と比べて、出力される熱量は三分の二から半分と言ったところかの。要は魔力を魔力で相殺して抑え込んでいるわけだから、それも当然なのだが―――」


「あー、わかったわかった。そういう話はオークキングのやつとやってくれ」


「むう」


 賢者が不満げに唇を尖らせた。

 このところ、この不愛想な友人は以前よりはるかに表情が豊かになった。

 後宮での生活―――もっと言えば、賢者曰くオークキングとの学術的な会話とやら―――が彼女を変えたのだと思えば、唇を尖らせたいのは一番の親友を自認するこちらの方なのだが。


「……アニエス」


 トリッシュが項垂れている。

 当然、熱線の直撃を受けた少女の姿は影も形もない。

 あまりにも胡散臭く正体不明の存在であったが、トリッシュにとって大事な仲間ではあったのだろう。


「サンプルも残さず焼き尽くしてしまったのは、少々惜しいことをしたの」


 賢者が呟く。

 フォローのつもりなのか。あるいは煽り文句なのか。いや、多分本音が漏れただけか。


「っと、今はそんなことより、―――おいっ、一番っ。生きてるかっ!?」


「……」


 緑色の顔を覗き込むと、一番はわずかに視線だけ動かした。

 息はある。しかしまともに反応を返す体力はないのだろう。呼吸は荒く浅い。


「ちっ、どうすりゃいい? とりあえず、このはらわたは戻してやった方が良いよな?」


「戻すなら、洗浄してからの方が良くはないかの?」


 こちらも立ち上がる体力はないのか、賢者が座り込んだまま言う。


「そうか。それならどこかで清潔な水を―――」


「―――こ、これは何事ですか?」


「おいおい、俺がちょっと離れている間に、何があったんだ?」


 リアンに伴われ、聖女が姿を現した。


「聖女様っ! よかった、早くこっちへ」


「レオンハルト君が来ていると聞いたのですが」


「あいつのことは後だ。それより早く」


 大広間の惨状に戸惑う聖女に駆け寄り、手を取る。


「ああっ、勇者様っ。お顔に傷が」


「あたしの傷も後っ。いいからこっちへ」


「しかし、頬骨が見えて―――」


 聖女を引っ張って、一番の元へ戻る。ゾッとすることを言われた気がするが、今は聞かなかったことにする。


「これは……」


「マリーのために頼む」


「わ、わかっています。勇者様、腸を集めて頂けますか? リアンさん、お酒をお持ちではありませんか? 消毒に使います」


「おうっ」


「うええっ!? 良い酒なんだけど、……まあ仕方ねえか」


 オークの治療は当然本意ではないだろうが、手慣れた様子で聖女はてきぱきと指示を飛ばす。


「――――。―――。“回復”」


 洗浄した腸を一番の体内へ戻すと、聖女の奇跡が傷口を塞ぐ。


「恐らく体内も傷付いているでしょうから、しばらくは経過を見る必要がありますが、ひとまずはこれで良いでしょう。…………はぁ」


 聖女が額に手を当て溜息をこぼしたのは、治療の成功に安堵したためではなく、オークにも奇跡が作用することを再認識させられたためだろう。


「何にせよ、よかったよかった。マリーを悲しませずにすんだぜ」


 そう言いながらも、アシュレイの脳裏に浮かんだのは一番の兄の顔であった。


「いやいや、ないって」


 打ち消すように激しく頭を振ると、何か異常に存在感のある物体を視界の端に捉えた。


「……?」


 先ほどまで何もなかったはずの空間―――焼け溶けた石の上に、ピンク色の何かが存在していた。


「お、おい、賢者様、あれ」


「むっ、焼け残りか。回収せね、……ば?」


 それは人の頭部ほどもある肉の塊だった。今まで見落としていたのが不思議なほど大きい。―――いや、大きくなっている。

 肉塊はぼこぼこと見る間に増殖し、やがて象牙色の格子が生じて“骨格”を組み、鮮やかな赤と黒ずんだ紅の線維が伸びて“血管”を成し、ついには真っ白な“肌”と白銀色の“髪”がそれらを覆った。


「―――ふうっ。さすがに時間がかかったな」


 賢者の魔術で出来た道の上に、再び少女が顕現していた。

 アニエスは身体の具合を確認するように、首を左右にコキコキ鳴らし、両手を握ったり開いたりを繰り返している。その一糸まとわぬ小柄な身体に―――


「はあっ!」


 ―――駆け寄り、聖剣を振り下ろした。

 左の肩口から入った聖剣は、右の脇腹へ抜ける。確かに両断した。

 ずるりと、少女の上体が切断面に沿って滑り落ちた―――かと思えば、見えない力に引きずられるようにすぐに元の位置まで戻り、傷痕一つなくピタリと張り付いた。


「聖剣で斬られたのは、これで二度目か。躊躇ないな、なかなか良いぜ」


 ぐっぐっと、今度は上体を左右に捻るようにして身体の調子を確かめながら少女が言う。


「どういう化け物だ」


「こんな愛らしい少女を捕まえて化け物とは、失礼な奴だ」


「どう見てもっ、化け物だろうがっ」


 口を動かしながらも、聖剣を振るい続ける。

 アシュレイが貫き、斬り落とし、両断すれば、アニエスは塞がり、繋がり、再生した。

 超再生を前に、攻撃の方が追い付いていない。


「ちいっ! 聖女様っ、肉体強化の加護を、―――?」


 視線を走らせると、聖女は目を見開き顔面は蒼白、両肩をぶるぶると振るわせていた。


「―――ゆっ、ゆゆゆっ、勇者様っ!! なっ、何ということをなさるのですっ!?」


 はたから見る分には、確かに勇者が人間の少女に斬り付ける図だった。


「いやっ、聖女様、違うんだ。というか、今の見ただろう? 可愛らしい見た目に騙されちゃいけない、こいつは―――」


「―――ア、アニエス様に何ということをなさるのですっ!」


「……あん? アニエス“様”だって? 何だ、レオンハルトだけじゃなく、この化け物とも知り合いなのか、聖女様?」


「ですから、アニエス様ですっ。化け物とは、何と言う口を利くのですかっ。その御方は―――」


 はっとした顔で言葉を呑み込むと、聖女はアニエスにうかがうような視線を向けた。


「まっ、事ここに至っては、仕方ないな」


「はっ。では失礼しまして、私から説明させて頂きます」


 妙な光景だった。

 神官見習いのはずのアニエスがやれやれと肩をすくめて偉そうにし、聖女は恭しくそれを受ける。


「勇者様、今あなたが手に掛けようとされているのは、予言者アニエス様その人なのですよっ」


「……ああ? よ、予言者アニエス様だって?」


「ほう」


 突拍子もない話に、アシュレイはオウム返しし、賢者は好奇心に目を輝かせた。


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