第6話 勇者は聖剣を誇る
「オークキング。昨日儂らとやり合った、あのオークキングよな?」
「替え玉でも疑ってるのか? あんたが盛大にも燃やしてくれた、あのオークキングで間違いないぜ」
魔女っ娘の問いに、王は額の×字傷を指差しながら答える。
「ふむ。確かにそんなような傷痕が昨日のやつにもあった覚えがある。しかし、火傷はもうすっかり癒えたのか?」
「ああ、今すぐもう一戦やり合っても良いんだぜ」
「言ってくれるなっ! こっちだってその豚面を今すぐ斬り―――」
王の言葉を受け、きっと視線に力を取り戻した赤髪の戦士の台詞がぴたりと止まる。
「あまりご主人様に生意気な口を聞くようでしたら、その舌、地面に縫い付けてあげましょうか?」
それもそのはず、ケイの細剣の切先が、口内に割って入っていた。
「おっ、おい、やり過ぎだ」
「こほん。失礼致しました」
ケイはわざとらしく咳払いをすると、剣を引き抜いた。
赤髪がぺっと血の混じった唾を吐き捨て、ケイを睨み付ける。ケイの腕なら傷一つ付けずに同じことも出来たはずだから、わざとだろう。彼女は彼女で冷ややかに赤髪を睨み返している。
「ちょっと頭を冷やせ」
ケイをぐぐっと押しやり、三人から距離を取らせた。
「ふうむ、オークキングの治癒力は凄まじいものがあるな。例えば腕や足が欠損した場合、それも生えてくるのか?」
険悪な空気を少しも斟酌せず、魔女っ娘が暢気に問う。救われた思いで王は返答する。
「トカゲじゃねえんだから、そりゃあさすがに無理だろう。試したことはねえし、試す気もねえけどよ」
「ふむ、では指ならどうだ? 足の小指の一本くらいであれば、試してみて駄目だったとしてもそれほど生活に困らんだろう?」
魔女っ娘が目をきらきらと輝かせながら怖いことを言う。
「嫌だっての。だいたい昨日の傷が癒えたのだって、半分、いやそれ以上に回復魔法のお陰だ。そこの聖女様とやらほどではないんだろうが、ここにも神聖魔法の使い手が何人か暮らしているからな」
「嘘ですっ!」
叫んだのは、神官の女だった。疲弊しきった顔色だが、意外や耳にびりびりと来る大音声だ。高位の神官のようであるから、説法の類で鍛えられているのだろう。
「な、なにが嘘だってんだ?」
「奇跡は神の御業の代行っ。魔物であるオークが、その恩寵に浴せるはずがありませんっ」
「そんなこと言われたって、結構良く掛けてもらってるぜ。熱い物を食って口ん中を火傷しちまった時とかな」
「世迷言をっ!」
神官はもう一度叫ぶと、一心に何かを囁き始めた。昨日と同じく詠唱の類ではなく、聖書か何かの一節のようだ。神々しさというよりはおどろおどろしさを感じ、見て見ぬ振りを決め込む。
「ふむ。思った通りだな。やはり神聖魔法の効果は人間に限った話ではない。とすると―――」
魔女っ娘は魔女っ娘で何かぶつぶつと考え事を始める。オークキングの眼前で手足を縛り上げられてなお“これ”と言うのは、我が道を行くというか、度し難いほどにマイペースな連中だった。
「まあ、何にせよ、ケイ。縄を解いてやってくれ」
「この者達もいつも通りに解放されるのですか? ご主人様を傷付けた大罪人。相応の罰を与えるべきかと」
「いつも通り、“去るも自由、留まるも自由”だ」
「わかりました」
王がきっぱりと言い切ると、ケイは小さく肯いて剣を振り被った。
「こらっ、斬ろうとするなっ! 斬るんじゃなく、解くんだ」
「……はい」
咄嗟に声を荒げたため、珍しくケイは悄然とうなだれて見せた。しおらしい態度だが、振り被った剣の軌道が縄だけでなく赤髪の身体を割とばっさり斬り付けるものであったことを、王はしっかりと見て取っている。
「……これはどういうつもりだ? 解放するだと?」
拘束を解かれると、赤髪はどっかと胡坐を掻いて問う。魔女っ娘と神官は未だ忘我の境地にあるようで寝たままだ。
「ケイ、彼女たちの持ち物は?」
「―――こちらに」
ケイがごそごそと部屋に備え付けの棚を漁り、杖二本と剣、それに革製のポーチなどを取り出した。
「危ないぞ。その剣、この世の物とも思えないくらい斬れる」
ケイが無造作に赤髪の剣の切先側を持ち、柄を王へと差し向けてくる。抜き身で召喚されたため鞘はなく、握っているのは直に刀身だ。
「いいえ、鈍らです」
「おいおい、昨日の戦いを忘れたのか?」
「ご確認下さい」
剣を受け取り、恐る恐る刀身に触れて見た。
昨日の攻防からは触れれば斬れる鋭利さが予想されたが、現実はケイの言う通りだった。刃引きされたとは言わないまでも、研ぎの不十分な鈍らである。
「どうなってやがる? 確かに俺の棍棒を真っ二つにしてくれたんだがな」
「選ばれてもいない者、ましてオークに聖剣が扱えるはずがないだろう」
「聖剣?」
「へっ」
オウム返しに問うも、赤髪は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。仕方なくケイに視線をやる。
「聖剣というと、聖心教が管理する神器ですね。造物主様が天地創造に用いたと伝えられる8つの聖遺物の1つです」
聖心教はこの世界の人間の大半が信じる宗教である。
T字型の磔台をシンボルとしており、その成り立ちや教義は王がかつて暮らした世界にあった十字架をシンボルとした宗教にいくらか似通っているようだ。先刻からぶつぶつと内省に耽る神官も、聖心教に所属する者で間違いないだろう。
「剣に主と認められた者のみが扱うことが出来、あらゆるものを切断するとか。―――そして所有者は、聖心教から“勇者”の称号が与えられます」
「ほう。自分達で勇者だなんだと呼び合うなんて、ちょっぴり恥ずかしい奴らだなぁと思っていたが。あんた、教会公認の本物の勇者様ってやつなのか」
「へっ」
赤髪はもう一度鼻を鳴らすも、その顔が少し得意げに見えたのは王の気のせいではないだろう。冒険者と言うのは多かれ少なかれ自己顕示欲を持ち合わせているものだ。
「勇者の同行者となると、他の二人も恐らく呼び名通りの存在でしょう。魔術結社“塔”に所属する最高の魔術師に与えられる称号賢者に、教会より認定を受けた“本物の奇跡”の代行者聖女。およそ考え得る人類最強のパーティーと言っても過言ではありません」
ケイが魔女っ娘と神官をそれぞれ指差しながら言った。
「腕が立つわけだな。―――まっ、何にせよ大事なものみたいだから、こいつはお返しする」
大層な曰くを聞いてしまってはぞんざいに投げ渡すというわけにもいかない。
王は赤髪、もとい勇者の膝元にそっと聖剣を置いた。即座に斬りかかってくるかとも思ったが、勇者はあっけにとられた様子でぽかんと口を開けている。
次いで寝そべる魔女っ娘と神官―――賢者と聖女の鼻先にそれぞれ杖を、ポーチ等はまとめて勇者の前に並べた。
「いったいどういうつもりだ? 本当に何にもせず解放するつもりか? 女と見れば犯すオークの親玉がよ」
剣―――聖剣にそろそろと手を伸ばしながら、勇者がもう一度先刻と同じ質問を繰り返した。その指先が柄に触れた瞬間から、聖剣はうっすらと光を帯び始めている。
「だから、何も出来ないんだって」
「……あの話、本当なのか?」
「まあ、なんだ、その、…………うん」
「そ、そうか」
煮え切らない返事がかえって信憑性を高めたようで、昨日はあれほどティアの言葉を否定した勇者は居心地悪そうに小さく肯いた。
「あー、でもな、だったら、―――どうして殺さない?」
勇者は一旦言葉を切って気を取り直すと、挑む様な視線と共に問う。返答次第ではすぐにも暴れ出そうという顔だ。
王はやれやれと頭を振って答える。
「何だって殺す必要がある? そりゃあ勝手に乗り込んできて、勝手にオーク共と殺し合いを始める連中を全て救うなんてことは出来ねえけどよ、殺さずにすむならその方がいいだろうが」
「……お前、本当にオークか? お前と喋っているとそこらの人間のおっさんとでも話しているような気がしてくるぜ」
「へっ」
呆れ顔で言う勇者に、王は胸中でその通りと肯きながらも口には出さなかった。代わりに、ようやくの本題を宣告する。
「本当は昨日言うつもりだったんだがな。この後宮は“去るも自由、留まるも自由”だ。けどな、あまり長く留まるとろくなことにはならねえ。オークに犯されたなんて噂を立てられたくはないだろう? 今ならまだ間に合う、すぐに城を出ていけ」
王の台詞に、勇者は唖然とした様子で目をぱちくりとしばたたかせた。