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第16話 少女アニエスは参戦する

「さて、どうしたもんかね、こいつらは?」


「ふむ、とりあえず聖女を呼んではどうかの? トリッシュはともかく、レオンハルトを納得させるのは儂らでは無理であろう」


「そうだな。リアン、悪いんだがちょっくら後宮まで行って、聖女様を呼んできてもらえるか?」


「まっ、俺が行くしかねえわな」


 リアンが面倒臭そうな顔で広間より去っていく。

 オーク達は全員のされているし、そうでなくても後宮への連絡役はオークには頼めない。


「姉御達、やっぱりオークキングの後宮で暮らしているのかよ」


 ようやくレオンハルトの下から抜け出したトリッシュは、観念した様子でその場に胡坐をかいた。

 この妹分は意固地になって勝てない戦いに挑むような真似はしない。その辺り、アシュレイ以上に徹底していた。


「言っておくが、別にオークキングのやつとそういう関係ってわけじゃ、―――っ!」


 視界の端に“白い何か”を捉え、アシュレイは反射的に飛び退いていた。


「……あら。聖剣だけでも返してもらおうと思ったのですけど、反応が良いですね。さすがは勇者様」


 先刻までアシュレイが立っていたその場所で、白い少女が微笑む。聖剣の柄へ伸ばし、そして空を切った右手をゆっくりと下ろしながら。


「アニエス? おい、何のつもりだ。やめとけって、怪我するぞ」


 トリッシュが制止する。


「ここは私の出番かと思いまして」


 言いながら、アニエスと呼ばれた少女は体重を感じさせない軽い足取りでアシュレイの元へ―――


「おおっ!?」


 一瞬で肉薄してきた。聖剣を斬り払う。

 年端もいかない少女を傷付けるのは当然望むところではないが、とっさに身体が動いていた。しまったと思うが、もう遅い。


「―――っ!」


 刃は少女の身に触れる寸前で、ぴたっと制止した。

 白魚のような小さな手に、アシュレイの右手ごと聖剣の柄が握り込まれていた。

 少女はぐりっと手首をひねり上げにくる。抗い難い怪力で。


「くっ、つうっ、―――こんのっ!」


 鼻面に思いきり頭突きを叩き込んだ。鼻血をまき散らしながら、少女の小さな体がのけぞる。

 わずかに拘束が緩んだ隙を見逃さず、アシュレイは前蹴りを放って少女を突き放した。


「ちょっ、姉御! 何やってるんだよ! やり過ぎだっ!」


「―――トリッシュ、こいつはいったい何者だ?」


「何者って、アニエスだよ。神官見習いの―――」


 そこでトリッシュは息を呑んだ。

 少女は先刻までと何ら変わらぬ様子で、平然と立っていた。

 いや、細部まで目を配れば、白の法衣に点々と赤いものが見える。鼻血が付いたのだろうが、すでに出血は止まっていて、染みの他にその痕跡らしいものは残されていない。


「鼻骨を砕いた感触があったんだけどな」


「だからやり過ぎだって」


「やり過ぎも何も、まるでこたえた様子がないじゃねえか。いつの間に回復魔法を発動させやがった?」


 少女はアシュレイから数歩の距離―――少女なら四歩、アシュレイなら三歩といったところか―――を置いて、笑みすら湛えていた。

 頭突きから繋げた前蹴りも、小柄な身体をはるか遠くまで突き飛ばそうと本気で放った。しかし現実には、わずか数歩よろめかせたに過ぎない。

 逆にアシュレイの足の方が、何か重く固い物を蹴り込んだような衝撃に痺れていた。丈夫な革のブーツを履いていなかったら、痛めていたかもしれない。


「頭突きに蹴りですか。本当に勇者らしくない勇者なのですね。“レオンハルト”を思い出します」


「レオンハルトを? あいつほど聖堂騎士らしい聖堂騎士もないと思うが」


「あら、ちょっと口が滑りましたね」


 少女ははにかんだ様子で口元に手を当てると、再び軽やかに踏み出した。

 次の瞬間には、またも肉薄されていた。

 小さく華奢な少女が、目算四歩の距離を何の溜めも力みもない一歩で詰めていた。二度目であるから想定はしていても、行動と結果の落差に思わず目を見張る。


「ちっ!」


 再び聖剣の柄を掴み取ろうとしてきたところを、右手を引いてかわす。


「返してください」


「断る。選ばれた以上、こいつはもうあたしのもんだ」


「教会のものです」


「元は神様のものだろう。教会は管理をしているだけだ」


「それはそうですが、……八百年ですよ。初代勇者レオンハルトより返還されてから八百年の間、我々は聖剣を守り保ち続けてきました」


 少女はいやに実感のこもった口調で言った。


「へんっ、八百年守ったから、神様のものはもう私達のものですってか?」


 アシュレイは吐き捨てる。子供相手に我ながらひどく大人げないとは思うが。


「…………舐めた口を」


「ん? 今なんて―――」


 儚げな風貌に甚だ似つかわしくない台詞が少女の口から飛び出した気がして、アシュレイは問う。

 答えず、少女はやはり溜めも力みもない動きで白い手を伸ばすと、ポンとアシュレイの胸を打った。というより、板金鎧の胸当て越しに軽く触れた。


「―――お、おおうっ!?」


 次の瞬間、アシュレイは経験したことのない浮遊感に襲われた。


「ひっ!」


 危うく天井で“すり下ろされかけた”頭を引っ込め、中空で何とか体勢を立て直し、からくも無事着地する。少女やトリッシュのいる場所から十ワンド(10メートル)以上も離れた大広間の端っこに。


 ―――突き飛ばされたのか?


 他に答えなど思い当たらないが、疑問符が取れない。

 オークキング並みとは言わないまでも、オーガやハイオークに匹敵する膂力でもないと不可能な芸当だ。


「ア、アニエス? い、今のは?」


「ふふっ、トリッシュ様はそこでお休みください。あとは私が」


 少女がこちらへ足を進める。一歩、二歩、三―――


「“火砲”」


 アシュレイへ迫る最後の一歩を―――わずか三歩で十ワンドの距離を詰めた―――踏み出した瞬間、少女の側頭部に火球が直撃した。


「アニエスっ!? け、賢者様っ、マジでやり過ぎだ!」


 トリッシュが叫ぶ。

 アシュレイは内心で半ば同意しながらも、頭部を炎に包まれた少女から視線を逸らせずにいた。もがき苦しむ様子も無く、ただ立ち尽くしている。


「そう慌てるでない、トリッシュ。火砲の火力であれば命まで奪われることはない。聖女の奇跡で元通りよ。……その必要があれば、だがの」


 賢者の意味あり気な台詞を合図にでもするように、少女が長い髪を振り乱した。

 毛先までちろちろと伸びていた炎がかき消され、―――後に残ったのは元通りの白銀の美しい髪だ。


「ふうっ。熱いのはまだ我慢できますが、息が出来ないのは少々つらいですね」


 呑気に呟く花のかんばせにも火傷の跡一つない。

 鼻血の時と同じく、いくらか焼け焦げた法衣だけが炎の名残を留めていた。


「な、何なんだ、お前は?」


「ふふっ、そう言えばまだちゃんと自己紹介をしておりませんでしたね。―――アニエスと申します、勇者様」


 少女は法衣の裾をちょこんと摘まんで持ち上げながら、恭しく頭を下げた。

 アニエス。

 トリッシュの口からすでに何度も聞かされたその名は、初代勇者レオンハルトに聖剣を与えた最初の聖女と同じだった。



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