第15話 勇者アシュレイは一蹴する
「―――っ、ぐっ」
握り込んだ聖剣の柄から、何やら“嫌な感じ”が伝わってくる。
「ふっ!」
直感に従い、アシュレイはレオンハルトの下腹に踏みつけるような蹴りを飛ばすと、その反動で距離を取った。
「おおうっ、な、何だぁ?」
足元がふらつき、数歩たたらを踏んだ。視界も揺れ、対峙するレオンハルトの姿が幾重にも重なって見える。
「聖剣が斬り損ねたの! やはりユーグの聖棍とゴドフリーの聖盾であったか!」
賢者が珍しく興奮気味に叫ぶ。
「ユーグとゴドフリー? ってえと確か、聖堂騎士の創始者だったか?」
「その通りです。“先駆者”ユーグ様と“伴走者”ゴドフリー様。我ら聖堂騎士の仰ぐべき偉大なる先達」
―――おっ、ラッキー。
話題が話題だけに、レオンハルトが乗ってきた。
今追撃を受ければ、躱せる気がしない。アシュレイはこれ幸いと話を広げにかかった。
「そうそう。確か貧乏だから、二人で一対の戦棍と盾しか持てなかったんだっけか?」
「清貧と言って頂きたい。お二方は武具の不足を物ともせず、ゴドフリー様が守り、ユーグ様が打つ。そうして信仰の敵をことごとく退けられたのです」
「―――そしてその二人の故事にならって造られた魔導具が、そこなユーグの聖棍とゴドフリーの聖盾よ。塔の生んだ魔導具造りの天才ヴェーレントの最高傑作の一つ、いや、二つでの。聖剣に対抗し得る武具を目指して作られたという」
「賢者様、何を仰られるのです? この聖棍と聖盾は教皇猊下よりお預かりした、教会の所有する亜神器です。つまりはユーグ様とゴドフリー様が使われた本物の戦棍と盾ですよ」
「ふむ。そういうことにした、ということであろうな。ヴェーレントが残した手記には当時―――今からおよそ二百年前の話になるが、教会からの依頼で作成したとはっきり記されておるぞ」
「そんなはずがっ。五百年の歴史を有する聖堂騎士の結成当時より伝わる、教会の至宝なのですよっ」
言い募るレオンハルトに、賢者は無言で肩をすくめてみせた。
「……妙に煽ると思ったら、聖剣とあの二つの亜神器の戦いを見てみたかったわけだ、賢者様は」
「むっ、気づかれたか」
悪びれた様子もない賢者に、アシュレイはため息交じりに問う。
「で、そこまでご存知ってことは、当然あれがどういう代物かも知ってるってことだよな? 聖剣が斬り損なうなんて、一体どういう仕掛けだ?」
聖棍と聖盾の種明かしだ。
妨害を警戒するも、レオンハルトは思うところでもあるのか、黙って聞き耳を立てている。
「ふむ、何か感じはしなかったか?」
「そうだな、なんだか聖剣が細かく震えているみたいな、そんな感覚があったかな」
「うむ、さすがは勇者、慧眼だの。まさにその通りよ。聖棍も聖盾も、微細で強力な振動を発生させることで聖剣の刃をぶれさせ、切断を封じておるのだ」
「……なるほど、刃筋を狂わされるってわけか」
縦横斜め―――縦だけなら問題ないが―――から聖剣を弾かれ続けていたということだ。
ケイやオークキングも横合いから剣の腹を叩くことで聖剣を上手に捌いてくれたが、それを目で捉えられないほど小さく細かく、そして執拗に繰り返されたようなものだ。
確かにそれでは、いくら聖剣でも“刃”が立たない。
聖棍と聖盾は、レオンハルトがオーク達と戦っていた時は普通の戦棍とスクトゥムのようであった。ディートリヒのナーゲルリングと同じで、使用者が魔力を込める間だけ効力を発動するのだろう。
アシュレイが触れてさえいれば、勝手に無類の斬れ味を発揮する聖剣との違いはそこだ。
「斬れない理由はそれで分かったが、木剣に棍棒、さらにはゴーレムまで粉砕して、軽く触れただけでハイオークをのしちまったあの攻撃力は何だ?」
まだ跪いたままの一番の方へ、くいっと顎をやってアシュレイは問う。自身の不調は当然棚に上げた。
「あれは言ってしまえばただの副産物での。ヴェーレントの手記の受け売りだが、“ある種の振動は物質に対して破壊的な影響を与え得る”のだとか」
「要するに、触れたらヤバいってことか」
「まあ、そういうことだの」
こちらの攻撃は弾かれ、あちらの聖棍と聖盾は軽く触れただけで―――それが聖剣越しであっても―――ダメージになる。
まさに対勇者のための装備だ。
そんなものを教会が造らせたとなれば、目的は一つしかない。
そも勇者とは、敬虔な聖心教信者ばかりが選ばれるわけではない。
初代勇者レオンハルトからして―――後に聖心教最大の庇護者になるとはいえ―――、もとをただせば出自不明の冒険者であり、熱心な信仰の徒とはとても言い難いのだ。
聖心教の意に沿わぬ人間が聖剣に選ばれることもあるだろう。聖棍と聖盾はそんな勇者に対する備えと考えれば、話は分かりやすい。
―――で、今やまさにあたしが“そんな勇者”ってわけだ。
これまで多少の不信心は、冒険者としての抜群の功績でもって目溢しされてきた。しかし魔物と通じたなどという噂が立つに至っては、さすがに放置出来ぬというわけだ。
レオンハルト達に従いグランレイズに戻ったなら、間違いなく聖剣は取り上げられ、あるいはアシュレイ自身も―――
「―――ぺっぺっ。レオ、てめえっ、自分だけさっさと抜け出してんじゃねえよっ」
そこでようやく、ひび割れた岩石をがらがらっと崩しながら、トリッシュがゴーレムの拘束より逃れ出た。
砂埃にやられたのか、しきりに目をこすり、唾を吐いている。
「これは失礼を」
「ったく。―――それと姉御と賢者様、こいつは純な奴なんだから、あんまりきな臭い話を吹き込まないでくれよな」
「へえ」
「ほう」
「な、なんだよ?」
「こういう堅物のあんちゃんをからかって遊ぶのは、何よりお前が好みそうなところだけどな?」
「う、うるせえな、別に良いだろっ」
トリッシュは言い捨てると、レオンハルトの背後―――アシュレイの死角に入った。
別に居たたまれなくなって隠れたというわけではない、多分。先刻と同じ戦闘態勢だ。
必然、会話は打ち切られ、戦いの機運が高まる。
トリッシュのことだ。アシュレイが回復のために時間稼ぎをしていたのはお見通しだろう。
真面目で一本気の聖堂騎士に海千山千で計算高い斥候。なかなか良いコンビだった。
「……」
アシュレイは後方へ数歩跳ねた。距離を取りつつ、体調の確認だ。
もう足元がふらつくことはなく、視界も正常だった。これなら問題なく戦える。
―――とはいえ、こいつは難敵だ。
空振りを続けさせてレオンハルトの魔力切れでも狙うか。
しかしトリッシュがいる。レオンハルト相手に立ち回りつつ、死角から迫るトリッシュにも対処となると、少々荷が勝ち過ぎるか。
ケイのやつなら、正統派の歩法と戦場仕込みの視野の広さで、上手く捌いてみせるのだろうが。
「参ります」
考えがまとまらないうちに、レオンハルトが再び突進してきた。
スクトゥムを掲げての突撃。聖堂騎士の代名詞ともいえる戦法だ。
意識して目を凝らせば、スクトゥムの輪郭がかすかにぼやけて見えた。聖盾の効果は発動済みということらしい。
もはやあれこれと思案を巡らせている時間はない。
「ちっ、仕方ねえな。―――とっておきだったんだがなっ!」
アシュレイは力いっぱい床を蹴った。跳躍する。
大上段、それも“片手”大上段で、のけぞる様にして聖剣を高々と突き上げた。
玉座の間のある最上階とは異なり、迷宮の天井は高くはない。
聖盾でも聖棍でもないただの石造りの天井板へ、当然何の抵抗もなく聖剣は突き立ち―――その場で固定された。
「―――つっ」
アシュレイは跳躍の勢いと聖剣を手掛かりに身体を持ち上げた。聖堂騎士の突撃を見舞われるまさに寸前だった。
天井に張り付くようにして聖盾をやり過ごすと、驚愕に目を見開いたレオンハルトの顔が露わになる。そこで、固定されていた聖剣がするりと抜け落ちた。
アシュレイはレオンハルトの顔面へと“着地”する。全体重を靴底に乗せて。
「ぐあっ」
鎖帷子をまとった長身が、背後に隠れるトリッシュをも巻き込んで倒れた。
一方でレオンハルトの顔面を踏み台にしたアシュレイは、今度は普通に床へと着地した。
「くっ、お、重い、さっさとどきやがれ、レオ」
「残念、失神してるぞ。まともに決まったからなぁ」
レオンハルトの身体の下でもがくトリッシュに言う。
重装備の偉丈夫が、しかもぐったりと脱力しているから、抜け出すには難儀しそうだ。
「くそっ、いったいどんな手を使いやがった、姉御? 一瞬、聖剣が天井に突き立ったまま抜けなくなってただろっ」
「聖剣はな、あたしが“直接”触れている間だけ、何でも斬れるのさ」
言って、右手―――聖剣を握っていた方の手を開いて見せた。
特注品の手袋をはめている。
とはいえ、たいして特別な仕掛けがあるわけではない。小指の先端を切り落とし、そこだけ指抜き手袋になっているのだ。
「なるほどのぅ。勇者が小指をちょいと離した瞬間、聖剣は所有者を認識出来なくなるわけだ。そして岩に突き立った聖剣は、選ばれし者の手によってしか抜けることはない。つまりは、勇者の小指が再び柄に直接触れるまで、聖剣はその場に刺さったまま固定されるというわけだの」
手袋を見せられただけでは理解が追い付かないトリッシュに、アシュレイに代わって賢者が訳知り顔で解説する。
ケイと迷宮部で手合わせする機会でもあれば、度肝を抜いてやるつもりでいた奥の手だ。図らずもここで披露する羽目となった。
「ちっくしょう。ゴーレムの罠にはめたかと思えば、次はこれかよ。聖剣の特性を利用したと言えば聞こえは良いけどよ。相変わらず勇者らしくねえ戦いぶりじゃないか」
「当ったり前だ。あたしは勇者である前に冒険者であり斥候なんだからな。弟子のお前が一番よく知っているはずだろう」
アシュレイは胸を張った。
手段はどうあれ、対勇者に特化した亜神器持ちの聖堂騎士と、姉の贔屓目なしにグランレイズでも五本の指に入る冒険者をまとめて一蹴したのだから、得意気にする資格は十分だろう。




