第14話 勇者アシュレイはオークのため聖剣を取る
間一髪。
振り下ろされた戦棍と一番の顔面の間へ、アシュレイは木剣を突き入れた。
「―――っ」
戦棍に触れた瞬間、木剣が粉微塵に砕け散った。一番の棍棒がスクトゥムを打った時と同じだ。
理解不能だが、予想の範疇でもある。戦棍の勢いをいくらかでも殺げればそれで十分だ。
拘泥せず、駆け付けた勢いそのままに体当りをかまして、レオンハルトを押し退けた。
「くっ。……オークを庇われましたね?」
「まっ、他のオークはともかく、こいつはそんなに悪い奴じゃないんでね。見逃してやってくれねえか?」
「悪い奴じゃない? 魔物ですよ、アシュレイ様。魔物に良いも悪いもないでしょう」
「魔物にだって良いやつくらいいるっての。ったく、聖堂騎士ってのは頭が固くていけねえな」
「勇者様ともあろう方の発言とは思えません」
レオンハルトが疑わし気な視線を向けてくる。
「あー、とりあえずお主ら、今日のところは帰ってはどうだ? また明日にでも来ると良い。この国の王と話せば、お主らの認識も改まろう。偉大にして善良、聡明にして高潔なオークキングとの」
「……賢者様?」
疑いを助長するようなことを賢者は言う。
「……よろしいですか、トリッシュ殿?」
レオンハルトは、アシュレイの妹分に何やらお伺いを立てる。
「まっ、言って聞いてくれる人じゃねえからな。ただし、気合を入れろよ。舐めてかかればやられるのはこっちだ」
「それはもちろん。何せ勇者様なのですから」
「何だ何だ? 力づくであたしに言うこと聞かせようってか」
「悪いな、姉御。これもあんたのためさ。あたしらと一緒にグランレイズへ帰ってもらう」
言いながら、トリッシュは腰の短刀を引き抜いた。
刃の付いた側へ向かって刀身が湾曲した、内反りの短刀だ。聖剣を得る以前のアシュレイのお気に入りの一本である。
「ふむ、勇者よ。いくらお主でも、聖堂騎士と愛弟子を相手に折れた木剣では難儀しよう。―――“召喚”」
眼前の空間に出現した愛剣を掴み取った。
口振りからして、賢者は戦いに参加するつもりはないらしい。
聖心教が取り戻したいのは聖女と聖剣に選ばれた勇者だけだ。賢者は無関係ではある。煽るだけ煽っておいて、という不満もあるが。
―――さて、どうしたもんか
レオンハルトは確か教皇領の大聖堂所属―――つまりは教皇直属の聖堂騎士だ。一騎当千で知られた聖堂騎士の中でも最精鋭の一人だろう。
妹分のトリッシュは、今や名うての斥候である。向かい合っての戦闘を得手とはしないが、死角を取り、隙を突く技術は自分にも劣らない。
パーティの三人目、白の少女に目を向けると、戦意の感じられない笑顔で小さく頭を下げられた。非戦闘員というたたずまいで、超然としている。
「ゆ、勇者殿。オ、オレも加勢を」
一番がくぐもった声を漏らす。口元からはダラダラと血の混じった涎を垂らしている。
「良いから大人しく休んでな。お前に何かあれば、マリーに申し訳が立たねえ」
言い置くと、アシュレイは一番から距離を取るようにつかつかと大広間の中央付近まで足を進めた。
慎重な足取りで続いたのは、レオンハルトとトリッシュの二人だけだ。白い少女はやはり戦いに参加するつもりはないようだ。
「よしっ、来いよ。いっちょ揉んでやる」
聖剣の柄をぐっぐっと何度か握りこんで、新調したばかりの皮の手袋の調子を確かめる。特注の品だ。
「参ります。“肉体強化”」
レオンハルトが、オーク達に向かっていった時と同じく、スクトゥムを掲げて突進してくる。神聖魔法の効果でやはり速い。
重装備の偉丈夫だ。まともにぶつかれば人間、それもごく平均的な女の体格しか持たないアシュレイに耐えられるものではない。
トリッシュの姿は、―――見えない。レオンハルトの後方、スクトゥムの陰だ。
レオンハルトの突進を避けるなら、右か左へさばくしかない。アシュレイが左右どちらかに躱したところで、死角から飛び出してくるつもりだろう。
といって、さすがに聖女の愛し子を聖剣で斬り捨てるというわけにもいかない。
「とうっ!」
アシュレイは“避ける”でも“斬る”でもない第三の選択肢を選んだ。
十分にレオンハルトを引き付けると、真っ直ぐ後方へ思いきり跳び退る。
レオンハルトの足は止まらない。ほんの一瞬だけ開いた距離はすぐに再び詰まるが、―――それが零となることはなかった。
「―――っ! なんだっ、これはっ。くうっ」
「おい、レオっ、暴れんなっ! いてえだろうがっ」
「いっちょうあがりっと。……ってか、てっきり落とし穴の類かと思えば、ずいぶんと大掛かりだな。こいつは一体なんだ、賢者様?」
石造りの床の一部が突如動き出し、レオンハルトとトリッシュの二人を仲良くがっちりと拘束していた。
先刻、賢者が仕込んでいた魔道仕掛けの罠というやつだ。上手く踏ませることが出来た。
「簡易型のゴーレムのようなものよ」
「ああ、なるほど」
言われてみると、人の手のようにも見える。レオンハルトとトリッシュは、その巨大な掌に握りこまれた小さな人形だ。
「二人でもけっこうぎりぎりだなぁ。パーティ丸ごと捕らえるなら、もう少し大きく切り出した方が良さそうだ」
捕らえられた二人の周囲をぐるぐると回りながら、リアンが言う。
賢者と言えどさすがに紋様一つでただの石の床をゴーレムに変質させることは出来ない。リアンがあらかじめ床の一部に仕込んでいた掌型の石造素体を動かしたということなのだろう。
「で、こいつはこの後どうするんだ?」
「ふむ。……そう言えば、どうしたものかのう?」
「考えてなかったのかよっ」
「まだ試作なのだから仕方なかろう。ここまで作るだけでも、なかなか骨が折れたのだぞ。下手をすれば、それこそ捕らえた相手の骨をボキボキに折ってしまいかねんのだからな。絶妙のさじ加減が―――」
ビキッと、何か固いものが割れるような音がした。
「むっ、やはりか」
賢者は訳知り顔で呟くと、ゴーレムから距離を取る。
ビキビキッとさらに音が続き、―――次の瞬間、ゴーレムが崩壊した。
細かな石片を飛び散らせ、それ以上に微細な塵芥をもうもうと煙らせながら、レオンハルトが躍り出る。
アシュレイとの距離は、すでに剣と戦棍の間合いだ。振り下ろされる戦棍に、アシュレイは斬撃を合わせる。
「な、にっ?」
聖剣の刃と戦棍の打突部がかち合い、そのまま押し合いとなった。
―――つまりはどんなものも斬り裂くはずの聖剣が、たかだか戦棍一本を両断し損ねていた。




