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第10話 第三皇子ディートリヒは踊らされる

 ごうっと、唸りを上げて棍棒が迫る。


 ―――それは容易く頭部を打ち砕き、板金鎧ごと胸板をひしゃげ、なおも止まらずバリバリメシャメシャと骨肉を圧し潰し―――


「―――っ!」


 棍棒は、ピタリと鼻先で制止していた。


「くっ、はあっ、い、生きてる?」


 どしゃりと膝からくずれ落ち、ディートリヒは喘いだ。

 脳裏を過った己の末路は、恐ろしいまでの現実味を帯びていた。


「ご無事ですかっ、殿下」


 仲間二人が駆け寄ってくる。


「あ、ああっ。くそっ、立てん。こ、腰が抜けるとはこのことか」


 今日も今日とて、ディートリヒはオークキングに戦いを挑んでいた。

 十数回目ともなると、最初の頃と比べて扱いが少々ぞんざいだ。

 玉座の間には面倒臭そうな顔をしているアシュレイと聖女がいるだけで賢者の姿は無く、当初は三人いたメイドも今日は胸の大きな女性が一人だけ、護衛のオークも一番と呼ばれている一頭のみだ。


「肩を」


「い、いやっ、いい」


「ですが」


 一人が身を寄せてくるが、アシュレイの前で仲間とはいえ女性に肩を借りたくはない。すでに散々、見っともない姿を見せてはいるが。


「おわっ」


 身体がぐんと持ち上がった。

 オークキングだ。小指の先を板金鎧にちょいと掛けるだけで引き起こされ、そのまま吊り上げられて豚面と顔を突き合わせる高さで止まった。


「貴様っ! 殿下から手を、―――っ!」


 オークキングは一瞥しただけで仲間達を黙らせる。

 凶相とはこのことだろう。

 オークなのだから当然といえば当然なのだが、オークの中でもとりわけ凶悪な顔をしている。額に×字に走る古傷と下顎から突き出た巨大な牙が何とも禍々しい。


「ここのところ連日だが、まだ続けるつもりか?」


「当たり前だっ! まだ僕は負けていないからなっ!」


「死ぬまで負けじゃない、か」


「そうだっ!」


「その“死”ってやつを少しは実感してもらおうと、今日はかなり本気で棍棒を振り下ろしてみたんだがな」


「―――っ、だがっ、僕は生きている! まだ負けてはいないっ!」


 オークキングの言葉に先刻の生々しい想像が蘇り、背筋がぶるっと震えたが、気丈に言い返す。


「寸止めしてもらった上に腰まで抜かしといてそれは、さすがに往生際が悪過ぎやしねえか?」


 アシュレイが口を開いた。

 今日初めての発言である。耳朶に響く美声に―――高過ぎもせず低過ぎもせず心地良く澄んだ声色だ―――、ディートリヒはがぜん活力を取り戻した。


「はいっ! お褒めにあずかり光栄ですっ。“冒険者の往生際は悪けりゃ悪いほど良い”、ですものねっ!」


「あー、そういやそんなこと、トリッシュの奴には教えたっけなぁ」


 アシュレイがぼりぼりと雑に頭をかきむしると、赤髪が揺れた。

 ほうと、思わず吐息が漏れる。

 華やかで完璧なアシュレイの容姿の中にあってなお、一際人目を惹き付けるのが

あの鮮やかな赤色だ。


「まあ、勝負を挑みに来るのは別に構わねえけどよ、こっちにも予定と言うものがある。―――クローリス」


「はい、こちらに」


 静々と歩み寄ったメイドが、オークキングへ紙片を差し出す。


「っと」


 オークキングが板金鎧に引っ掛けた指を離した。

 危なげなく着地する。アシュレイに醜態を晒さずにすみ、ディートリヒは内心で胸を撫で下ろした。


「ええーとだな、まず明日は―――」


 でかい指で紙片を指し示しながら、オークキングが自身の予定を語り始める。

 魔物の王なのだから適当に暴れて適当に食っちゃ寝しているだけかと思えば、新興国の主だけあってなかなかに多忙なようだ。


「わかったわかった、貴様の予定に合わせるとしよう。この僕が魔物の事情をくんでやろうというのだ、有り難く思え。―――っ」


「うふふ、なかなか面白いことを仰いますね。本来なら、我が主には貴方に付き合う義理も道理もないということをお忘れなく」


「も、もちろん、わかっています」


 妙に迫力のあるメイドの笑みに気圧され、こくこくと首を縦に振った。


「さ、さあっ、もう一勝負だ、オークキングっ!」


 気を取り直し、ディートリヒは再び宝剣ナーゲルリングを緑の巨体に突き付ける。

 グランレイズの威光を恐れてか、オークキングにはディートリヒを傷付けるつもりはないようだった。いつも昏倒させられるか、疲労困憊に至るか、あるいは先刻のように戦意喪失に追い込まれ、城を後にすることになる。少々、いやかなり屈辱的ではあるが、したたかに利用してこそ冒険者だ。

 身体は無傷。そして今日はアシュレイの言葉に元気をもらえたから、まだまだ戦える。


「もう一勝負? ってことは、さっきの勝負の決着は―――」


「ああっ、違う違うっ! オ、オークのくせに言葉尻をとらえるなっ、小賢しい!」


 こほんと咳払いを一つして言い直す。


「さあっ、先日からの勝負の続きといこうではないかっ!」


 その後は、結局また額にデコピンとやら―――初回とは異なり小指だった―――を食らい、ディートリヒはフラフラになって城を去ることとなった。


「いつものを頼む」


「はいよ」


 宿泊先に戻ると、そのまま酒場に雪崩れ込んだ。夕食には良い時間だ。


「私達はこれで」


「ああ」


 仲間二人は軽く頭を下げると、上階へ続く階段へ消えていった。三階建ての宿で、一階が酒場、二階三階が客室である。

 猥雑とした雰囲気を嫌い、二人は客室で食事を取るのが常だった。

 酒場で仲間とがやがや盛り上がる、というのをやってみたいものだが、二人とも元はグランレイズでも有数の高位貴族の令嬢である。馴染めないのもやむなしか。


「“賢者様のエール”を一つ」


「こっちにも一つくれっ」


「……この感じが良いと思うのだがなぁ」


 すぐに運ばれてきたワイン―――元の色が分からなくなるほど水で薄めてある―――を口にしながら、ゆったりと周囲の喧騒に目を向ける。

 グランレイズではこうはいかない。

 金髪緑眼の少年冒険者、加えて宝剣まで携えているとなると、ディートリヒをおいて他にいるはずもない。酒場に立ち寄ってもしんと静まり返ってしまうのだ。


「お待たせ」


 カウンターの上に“つまみ”が置かれた。薄いワインと同じく、ディートリヒの“いつもの”だ。


「相変わらず繁盛していますね」


「ああ」


 カウンターの中の店主に声を掛ける。

 あまり愛想の良くない髭面の男だが、長逗留の間に普通に会話を交わせるくらいにはなっている。


「見たところ、商人のお客さんも多いようですね?」


 いかにもな冒険者向けの店構えに反して、という言外の意味を込めた。


「ああ。昔は、冒険者への依頼を張り出したりもしてたんだがね。最近じゃ魔界から魔物が侵入して来ても、オークの兵士がすぐに片付けちまうしな」


 店主は愛想こそ悪いが、口数が少ないわけではない。饒舌に話してくれた。

 この国がまだ人間の王国であった頃には、冒険者達でいつも席が埋まっていたらしい。

 お隣のエルドランドとは異なりあまり軍隊が強くなかったソルガムでは、当然冒険者への依存度が高かったのだろう。


「今の王様が城を占拠した後もしばらくは、さらに賑わったくらいなんだけどな。何せ“オークキングを討ち果たせ”、“人間の王国を取り戻せ”ってんで、大陸中から冒険者が集まってきたからな」


「それで、大丈夫だったのですか、この宿は? オーク達にとっては敵の根城となったわけでしょう?」


「それが不思議と何の手出しもなくてな。冒険者達も、いざ城に侵入すればそれこそ一斉に袋叩きだが、一歩城門を出ちまえば追われることもなかったらしい」


―――まあ、あいつならな。


 人間の冒険者などそもそも問題にもしていないのだろう。悔しいが、このディートリヒ・フォン・グランレイズを子供扱いするのだから。


「そんな冒険者達も、勇者様一行が敗れたって噂が流れてからは、とんと姿を見せなくなっちまったな。今も残っているのは、魔界の浅い界層で小遣い稼ぎをしている連中ばかりさ」


「そうですか」


 小遣い稼ぎ、などと店主は揶揄するが、魔界に出入りする以上は一角の冒険者達だろう。

 改めて店内を見回していると、こちらに近付いて来る一人の女性に気が付いた。


「ようっ、ディードリヒ」


「トリッシュ殿」


「お前はまたうっすいワインに菓子か」


 ディートリヒの“いつもの”は、南方特産の砂糖をたっぷりと絡めた焼き菓子である。


「おかしいですか?」


「酒場で飲み食いするもんじゃねえが。まっ、変に飾らねえところがお前の良いとこだしな。―――おう、あたしにもいつものを」


「はいよ」


 隣席に腰掛けながらトリッシュが言うと、ほとんど間を置かずジョッキが置かれた。


「くうっ、こいつはたまらねえなっ」


「美味しいですか、その“賢者様のエール”というのは」


 一息に半分ほどあおったトリッシュに尋ねる。

 異様なほど泡立つエールで、一月ほど前に市場に出回るようになるとすぐに人気に火が付いたという。商品名の示す通り、何でも製造にはあの賢者が関わっているとか。


「ん? 何だ、興味があるなら試してみるか?」


「いっ、いいえ、けっこうです」


 飲み止しを突き出されるも、慌てて手を振って拒絶する。苦い物は苦手だ。


「で、今日もオークの城へ乗り込んでいったんだろう? 首尾の方はどうだった? って、その顔を見ると、聞くまでもないか」


「……まだ勝負の途中です」


「まっ、アシュレイの姉御がやられちまうような相手だ、簡単にはいかねえわな。―――で、またすぐに挑むつもりかい?」


「そのつもりです。ただ、明日は視察で城を離れるとかで、来るなら明後日にしろと」


「そうわざわざ親切に教えてくれたのか、オークキングが?」


「ええ」


「ふ~ん。……その視察とやらには、アシュレイの姉御たちも付いて行くのかねぇ?」


「さて、どうでしょう? 客人という扱いのようだから、視察に協力する義務はないでしょうが」


「ふ~ん、そっか。……そうそう、あたしがこっちに来てるってことは、姉御には内緒にしてくれてるんだよな?」


「はい。“姉離れが出来てないみたいで恥ずかしい”でしたよね。その代わりといっては何ですが、また―――」


「ああ。そうだなぁ、それじゃあ、今日は姉御が這竜ナーガに呑まれた時の話でもするか」


「そ、そんなことがっ?」


 酒場の夜は楽しく過ぎていった。



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