第9話 第三皇子ディートリヒは付きまとう
「亜神器? 確か勇者の聖剣は神器ってやつだったよな?」
当然、聖心教に関連したものだろう。王は聖女に視線を向けた。
「……神器に准ずる聖なる宝具のことです。神の遺物である神器ほどではありませんが、特別な力を秘めています」
嫌そうな顔をしながらも聖女はしっかり答えてくれる。いつものことだ。
「なるほど、聖剣の代わりってわけか」
「そう、アシュレイ殿が聖剣を手にした折に、聖心教より僕に与えられた“宝剣ナーゲルリング”だ! 言うなれば二人の思い出の品だなっ」
つまりは聖剣に選ばれなかったとはいえ、大国の皇子であり聖心教にとっても期待の人材を手ぶらで返すわけにはいかなかった、ということだろう。
ディートリヒが誇らしげに掲げる剣は、造り自体は至って武骨な聖剣とは異なり、華美な装飾が施されている。見た目で言えばこちらの方が聖剣の名にぴったりくる。
「で、そのナーゲルリングとやらはいったいどんな特別な力を秘めているんだ?」
「ふふん、教えるはずがなかろう。―――さあ、我が宝剣の錆となれっ、オークキング!」
ディートリヒが跳躍した。勇者張りの大上段だ。
王はさっと横に身をさばきながら、棍棒を振るった。宝剣の切先よりもさらに先、何もないはずの空間に向けて。
「うわわっ、くっ」
ディートリヒの態勢が中空で崩れ、バタバタと宙を泳ぐようにもがいた後―――
「ふぎゃ!」
―――背中から床に落ちた。
王の棍棒には、金属とも木材とも違う“何か”を叩いた感触が確かに残っている。
「で、殿下っ! くっ、そこをどけっ!」
ディートリヒの仲間二人が、武器を取って駆け付けようとするのをケイと一番二番が遮った。
「―――二人とも、来るなっ! これは僕の戦いだ」
あわや戦闘というところで、ディートリヒが叫び、のそのそと起き上がる。
勇者と同じ―――というかこの少年のことだから真似たのだろう―――胸当てと手甲だけを残した板金鎧は、それでも線の細いディートリヒにはけっこうな重荷のようだ。
「貴様っ、ナーゲルリングの能力に気が付いているなっ!」
ようやく立ち上がったディートリヒが宝剣を突き付け糾弾する。
「剣先に見えない刃が拳二つか三つ分くらい付け足されてる感じか? 斬撃が“飛ぶ”って可能性も考えたが、棍棒で払えるってことは刃が実体化していると考えた方が良さそうだ」
「ぬぬっ、オークのくせに頭が回るっ」
ディートリヒが暗に肯定する。
少年らしい純朴さだ。憧れの勇者ならしたたかに言を左右するところだろう。
「だが、種が知れたところでっ!」
ディートリヒが再び猛攻を開始した。
突きは弾き、下段は大きく避け、上段は棍棒で受けた。
それで棍棒が断たれるということはない。不可視の刃は、鉄塊すらスパスパ抵抗なく斬り裂く聖剣のような切れ味を有してはいない。魔術が存在するこの世界では、ある意味で常識的と言って良い効果だろう。
「はあっ!」
再びの大上段。
受けにいった棍棒が空を切った。
「―――おっ」
咄嗟に後方に跳び退るも、今度は長い鼻面の先端を浅く斬り付けられていた。
「その見えない刃、自在に出したり消したりも出来るのか」
「ふふん。僕が魔力を込めた瞬間だけ、不可視の剣先は顕現するのだ」
「そうかそうか。今のはなかなか良かったぞ。初めて勇者に聖剣で斬り付けられた時を思い出したぜ」
「何っ、アシュレイ殿を? ―――っ、オークなどに褒められても嬉しくないわっ!」
ディートリヒは一瞬頬を綻ばせた後、頭を振って斬り付けてきた。
「なるほど、こいつは確かに種が知れたところでやっかいだな」
王は大きく切先から距離を取って避ける。
受けにいった瞬間に剣先を消し、棍棒をやり過ごした後に再び顕現する。あるいは一度は受けても、そこからすり抜けるように斬り付けてくる。
かなり有効な戦法だ。この宝剣ナーゲルリング、対人戦においての使い勝手は単に切れ味が鋭いだけの聖剣を凌ぐかもしれない。
「まあ、こうしちまえば良いだけだけどな」
前のめりに身をかがめ、ずんと足を前に踏み出した。
「むっ」
巨体の王と、不可視の剣先も含めれば規格外の長剣を持つディートリヒであるから、必然間合いは遠く離れていた。それを思い切り詰めた。
剣というよりほとんど短剣の間合いだ。こうなってしまえば剣先を伸ばしたところで意味はない。本身での斬り合いだ。
「考えたなっ! だが甘いっ、ここは僕の距離だっ!」
不可視の剣先で間合いをかせげるとはいえ、元々は小柄な少年だ。近い距離での回転の速い剣戟は得意とするところだろう。上段中段下段に袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎと、ディートリヒの宝剣が目まぐるしく動く。
が、オークキングの身体能力はそんなディードリヒの真骨頂を真正面から打ち破る。
「なっ!」
右手に握った棍棒で斬撃を残らず弾き飛ばすと、左手の中指を親指に引っ掛けて力を貯め、ディートリヒの額の前で解放した。―――いわゆるデコピンである。
「ぎゃっ」
ディートリヒの小さな体はゴロゴロと転がっていき、玉座の間の入り口近くでようやく止まった。
戦っていたのは玉座の近くであるから、縦に長い造りの玉座の間を縦断した形である。
「……ちょ、ちょっとやり過ぎたか?」
「殿下っ!」
女二人がディートリヒの下へ駆け付けるのを、ケイと一番二番はもう留め立てしなかった。
すでに勝負ありだ。女達に抱き起されても、ディートリヒはぴくぴくとふるえるばかりでほとんど反応らしい反応を示さない。
「聖女、すまないが頼めるか?」
「言われるまでもありません」
聖女が歩み寄り、“回復”の奇跡を行使する。
意識こそすぐには戻らないようだが、聖女の神聖魔法なら何か後遺症が残るということもないだろう。
王は胸を撫で下ろした。
「お、覚えていなさいっ!」
女達は捨て台詞を代弁すると、ディートリヒを左右から支え去っていく。
「ケイ、城門まで案内してやってくれ」
「はっ」
ケイが小走りで三人の後に続いた。迷宮部をうろうろと歩き回られては、またぞろオークと戦闘になりかねない。
「……何だ? 思惑通りことが進んだってのに、何だかご機嫌斜めじゃないか、勇者?」
玉座に戻ると、そこを占拠する勇者は何やら不貞腐れた顔だ。
「べっつに何でもねえよ」
台詞とは裏腹に、不機嫌そうに勇者はそっぽを向いた。
「……ふむ。どうやらお主がかすり傷程度とはいえ負傷したのが面白くないようだの。儂らが最初に戦いを挑んだ時は、聖女の神聖魔法で強化された勇者を相手にお主は無傷であったからの」
賢者が訳知り顔で言う。
「そんなことか。そりゃあ、勇者相手にはこっちも用心に用心を重ねたからな。人間相手にあんなに慎重に戦ったのは、後にも先にもあの時だけだぜ。二度目は慎重に戦う以前に終始押されていたしな」
「まっ、そういうことにしておくか」
勇者は不承不承に呟くと、やはり言葉とは裏腹にぽんと元気よく跳ねるように立ち上がった。
それから三日後、同じく玉座の間に“同じ面々”が顔を揃えていた。
「お前、何だってここにいる? オークキングに負けたらあたしの帰国は諦めると約束しただろ? 忘れたか?」
「まさかっ。僕がアシュレイ殿との約束を忘れるはずがないではありませんか」
ディートリヒは城門前で堂々と訪いを告げると、戸惑うオーク兵達を案内役に玉座の間まで押し掛けてきていた。
「そういや、勇者の帰国に関しては約束していたが、皇子自身のことは何の取り決めもなかったな。勇者が帰国しないなら、自分も帰国しない腹か?」
「ふん、何を言うか。しょせんはオーク、考えることが浅はかだな」
「だったら何だって、お前はまだここにいるんだよっ?」
勇者が再び問う。
少々いら立っているのか、赤髪がわずかに逆立ち始めている。
「何故って、まだ僕は負けてませんから」
「はぁ?」
「“冒険者はお偉い騎士様とは違う。死ぬまで負けじゃねえんだから、やばいと思ったら尻尾を巻いて逃げ出して、後から何度でも挑戦すりゃいい”、とはアシュレイ殿の至言と聞き及んでおりますっ!」
「……いや、確かにトリッシュの奴にはそんな風に教えたけどよ。ほんと、何でも知っていやがるな、この皇子様は」
「―――さあっ、オークキングっ! 勝負の“続き”といこうではないかっ」
少年の溌溂とした声が玉座の間に響く。
それはたぶん、この先何度も耳にすることになる台詞だった。