第8話 第三皇子ディートリヒは愛のため剣を振るう
「この女に求婚とはな。くくっ、さすがはグランレイズの皇子、ずいぶんと人を見る目があるものだ」
「おおっ、小国と言えども王女だけのことはある。アシュレイ殿の偉大さが貴女には分かりますか」
「ああ、よく分かるとも。くくっ」
「てめえ、何が言いたい、ケイ?」
「言葉通り他意はないが? 何か思うところでもあるのかな、お美しい勇者殿には?」
「ちっ。―――へっ、豚面に惚れるような女に美しいなんて言われちゃ、怖気が走るってもんだぜ」
勇者はわざとらしく自分の両肩を抱き、ふるえて見せた。
「貴様っ」
「何だよっ」
ケイと勇者が睨み合う。
すでに見慣れた―――と言うよりも見飽きた風景だが、間に挟まれたディートリヒは大きな目をぱちくりさせている。
「その様子では、せっかくの求婚を断ったのだろう? 貴様のような女には二度とはない好機だ。今からでも遅くはない、受け入れてはどうだ?」
「うるせえっ、オークキングに振られっぱなしのお前と一緒にすんなっ。こっちは引く手あまたのとっかえひっかえだっての!」
「だ、誰がいつご主人様に振られた!? 適当な事を抜かすなっ。―――だいたい、何が家柄を鼻に掛けないのがむかつくだ。貴様の方こそ求婚を受ければグランレイズの皇族の一員ではないか」
「ああ? そんなことお前に言ったか? ……いや、確かに言ったな。言った気がする。あれ、いつそんな話になったんだっけか?」
「私も少々記憶が怪しいのだが、あれは確か―――」
勇者とケイが首をひねる。
先日の新作エールのお披露目会でのやり取りだが、どうやら二人の記憶はかなりおぼろなようだ。
「と、とにかく、こうしてアシュレイ殿は勇者としての第一歩を踏み出されたのです!」
口喧嘩が休止した隙を突いて、ディートリヒが叫ぶ。
「その後のアシュレイ殿の御活躍は、当然お前も聞き及んでいよう、亜人の娘?」
「んーん、なーんにも」
「ば、馬鹿なっ! ではあの悪名高い盗賊団“銀狼”を壊滅させたことも?」
「えっと、……何それ? ぎんろー?」
「ぎっ、銀狼を知らないのか? いいや、よしんば銀狼を知らずとも、その隠れ家を見事見つけ出したアシュレイ殿の卓越した探索技術と、単身乗り込み壊滅へ追いやった大立ち回りを知らないとは言わせないぞっ」
「だから知らないってば。ぎんろーを知らないんだから、それをどこの誰がどう壊滅させたかなんて知るはずないでしょっ」
「な、ならばゴブリン三百頭狩りやオーガ七つ胴斬りのことは? 超大型人造巨兵細切れ騒動に死霊王退治は? ガーゴイルの巣食う黒岩砦を筆頭に、踏破した迷宮の数が十四にも及ぶことは?」
「し、知らないってば」
ディートリヒの勢いに、ティアが珍しく気圧されている。
「ではお隣の女性は? さすがに貴女は何か聞き及んでいるでしょう?」
「申し訳ありませんが」
クローリスが首を振る。
「な、何と。南方諸国とは、こんなにも世間から隔絶されたものなのかっ!? 何と哀れなっ」
ディートリヒは大仰に頭を抱えた。
実際、勇者の冒険譚ともなればグランレイズでは広く知れ渡ってもいるのだろう。しかしそれにしても、この少年は―――。
「なるほど。勇者の信奉者とはよく言ったものだ。……子供だから許されてるが、こいつは何と言うか、かなりギリギリだな」
「うむ」
賢者が首肯し、勇者と聖女は乾いた笑みを浮かべている。
「アシュレイ殿、やはりこのような場所は貴女が留まるに値しません。僕と結婚して一緒にグランレイズにお戻りくださいっ!」
「おい、何か話が違ってないか? 結婚の話はもう断ったはずだぞ、―――それこそ何度もな」
「分かりました。確かに婚姻は帰国後に考えることでしたね。―――言い直します、アシュレイ殿、僕とグランレイズにお戻りくださいっ!」
「断る」
「な、何故ですかっ?」
「ちょうど魔界探検をはじめたばかりでな。これからってところで帰れねえよ」
「魔界探検っ! 確かにそれは胸が躍りますねっ!」
思わず賛同したデェートリヒは、はっとした顔で言い足す。
「で、ですがっ、ひとまず一度グランレイズに帰りましょうっ。色々と誤解をしている者達もおります。アシュレイ殿のご健在なお姿を、愚か者達に見せつけてやってください」
「めんどくせえ。勝手に誤解させときゃいいさ」
「……そんな」
ディートリヒががっくりとうなだれる。
性格はアレだが、見た目だけは完璧な美少年だからなかなか同情を誘う光景である。
思わず王は口を挟んだ。
「良い機会なんじゃないのか? 皇子に伴われての帰国なら、諸々の問題も上手いこと収まるだろうしな。魔界を探検するなら、それこそ後顧の憂いを断ってから腰を据えて挑んだ方が良いだろう」
「……魔界探検のことだけじゃねえ。あたしはお前に大きな借りがある。それを返すまでは、ただ帰るってわけにはいかねえ」
異端審問から助け出したことを言っているのだろう。
「俺が勝手にしたことだ、気にする必要はない。それに最後は逆にこっちが助けられたようなもんだしな」
「それだけじゃねえ。あたしはその前にも二度、借りを作っている」
勇者は不機嫌そうにそっぽを向いて、みなまで言わせるなという顔だ。
二度。賢者の火砲からかばったことだろう。しかしそれだって、一度目はともかく二度目は勇者の機転に救われている。
王が言い返そうとしたところで―――
「分かりました! そういうことならアシュレイ殿の借り、この僕が代わりに返します! オークキング、僕と勝負だっ!」
―――ディートリヒが剣を抜き、剣先を玉座の王へ向けた。どうやら“借り”の意味を勘違いしているようだ。
「……へえ。お前があたしの代わりにねえ?」
勇者がディートリヒと王を交互に見やり、にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべる。嫌な予感がした。
「よし、やれやれっ! お前が勝ったなら、結婚でもなんでもしてやるぞっ」
「本当ですかっ!?」
「ああ。ただしお前が負けた場合は、大人しく諦めろよな? 帰国のことも、結婚のことも」
「分かりました、お任せください! 必ずやご期待に応えて御覧に入れます!」
「よし、任せた!」
勇者はディートリヒの肩を力強く叩くと、くるりとこちらへ向き直り、玉座のある一段高くなった壇上へ上がった。
「さっ、行った行った」
しっしと手を振って王に立ち退きを迫る。
「ひとに悪役を押し付けやがって」
「気が進まねえってんなら、負けたふりしてくれて良いんだぜ? ―――あたしは皇族と結婚なんてまっぴらごめん、そんなことになったら生涯泣き暮らすことになるだろうけどな」
「ったく」
渋りながらも、王は立ち上がった。
空いた玉座に、勇者がどっかと腰を下ろす。栄誉ある勝利の景品とでもいうつもりなのだろう。
「ご主人様、よろしいのですか?」
「まあ、それで大人しくお引き取り願えるというのなら、悪い話じゃない」
クローリスの問いに肩をすくめて答える。
相手は超大国の皇子である。納得の上で事が済むのなら、それに越したことはない。
「―――はあっっ!!」
王が壇下に降りるや、ディートリヒが間髪入れず斬り付けてくる。
踏み込みも剣速も鋭い。腰の棍棒を抜く間は無く、王は足を使って距離を取る。避けた、―――つもりが突き出た腹にうっすら浅く傷が走った。
「開始の合図もなしにいきなり斬り掛かるなんて、ずるいじゃないっ!」
ティアが叫ぶ。
「魔物相手にずるいも何もあるか。それに“冒険者には卑怯も反則もない”、アシュレイ殿の教えだっ!」
「ちょっとアシュレイっ」
「いやぁ、妹分に教えた斥候としての心構えなんだが、何故か皇子に筒抜けなんだよなぁ。大方あいつが、金儲けの種に使ってるんだろうが」
勇者が暢気に言い返す間にも、ディートリヒの剣は片時も休むことなく王を襲った。
上段中段と丁寧に斬り付けたかと思えば、前のめりに体勢を崩しながら下段を払う。
正当な剣術に冒険者らしい突飛な動きが混じる。ケイと勇者の良いとこ取りをしたような戦いぶりだ。すでにして人類では有数の使い手だろう。
しかし言い換えれば、どっちつかずだ。勇者のように王の意表を突くには意外性が足りず、ケイのように堅実に戦うには粗が多い。
「―――くっ」
半身になって剣先を避けながら、棍棒でこつんと軽く頭部を打った。ディートリヒは額を抑えながら数歩後退る。
王は追撃せず、視線を自身の巨躯に落とした。
「……どうなってる? 今のは完全に避けたはずなんだがな」
またも腹部を浅く斬りつけられていた。
「―――ふふふっ、見たか! これぞ我が亜神器の力っ!」
ディートリヒが勝ち誇った。おでこが痛むのか、目にわずかに涙を浮かべながら。