第5話 メイド達は静かに怒る
冒険者達の襲撃から一夜明け、王はいつもの寝台で身を起こした。
「お身体はもうよろしいのですか?」
室内に待機していたクローリスが気付き、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「ああ、……大丈夫そうだ」
にぎにぎと拳を握っては緩めてを繰り返しながら答える。
カーテンの切れ目から射す陽光が高かった。すでに時間は正午に近いようだ。普段なら朝はクローリスが優しく、あるいはティアが激しく、はたまたケイが事務的に起こしてくれるところだが、昨日の負傷があるから今日は寝たままにされていたようだ。
「ティアは?」
「……」
クローリスが無言で指差した先、寝台脇に置かれた椅子に尻を預け、上体を王の寝台に突っ伏して寝息を立てるティアがいた。いつもなら平気で布団に潜り込んでくるところを、今は指先が王の身体にちょこんと触れるだけだ。火傷を気遣ってくれたのだろう。
「にゅふふ」
起こさない程度に軽く頭を撫でてやると、ティアが口元をもごもごと緩ませた。
毎日クローリスに手を替え品を替えて様々な形に結わえてもらう金色の髪が、昨日と同じお団子のままだ。ずっと看ていてくれたらしい。
「ケイはあの三人の見張りだな?」
「はい」
小さく肯き返し、王は寝台をそっと抜け出す。
部屋は後宮の女達が与えられる個室とまったく同じ作りで、最上階の角部屋ということだけが唯一王の居室らしい特典だった。寝台には天蓋付きの大きなものが置かれ、他にもかつての城の主であった人間の王族の持ち物である壺やら絵画やらが無理矢理陳列されているから、少々手狭である。
王は調度品にぶつからないように注意しながら、豚鼻をぶるぶる、手首をぷらぷら、腰をぐるぐると旋回させ、その場で2度3度と軽く跳ねてみた。
体の正面ほぼ全域に渡っていた火傷はすでにおおよそ完治していた。ところどころ皮膚が突っ張る様な違和感が残るのと、オーク特有の短くも濃い体毛がすっかり焼け落ちてヌメッとした緑色の肌が露出しているのが視覚的に少々、いやかなり薄気味悪いが、身体に大きな不調は感じなかった。ただでさえ自然治癒力が馬鹿高いオークキングの身体に、神官達の回復魔法複数掛けのお陰だ。
「早速三人に会いに行くとするか」
「もう少し休まれた方がよろしいのではありませんか?」
「ケイを見張りから解放してやらないと。今だって寝ずの番だろう?」
こちらの顔色を伺うクローリスに、王は常と変わらぬ緑の顔で答えた。
「…………私、怒っているんですからね。あんな無茶をして」
「すまん」
「ティアやケイさんならともかく、見ず知らずの人間を守るために御身を危険に曝されるだなんて」
「すまん。そうだな、俺が倒れたら、ここに住む100人の女達は路頭に迷う。いや、そんなもんじゃすまない悲惨なことになる。軽率だった」
「そういうことを言っているのではありませんっ。私は貴方様をっ―――」
感極まった様子でクローリスが喉を詰まらせた。
「すまん」
「……」
「……今後はティアとケイ、それにクローリス以外のための無茶は控えるよ」
「…………本当ですね?」
「ああ」
王が絞り出した言葉がお気に召したのか、クローリスはふうっと大きく一つため息を吐くと、表情を緩めた。
「ケイさんは三日三晩までなら不眠不休で一瞬も警戒を緩めないと仰っていましたが、……さすがにそういうわけにもいきませんね。ご案内いたします、こちらへどうぞ」
ケイならそれくらいケロッとした顔でやってのけかねないが、ともあれ王は先導するクローリスの後に続いた。
後宮の中を、地下へ向かって階段を降りていく。王の意を組んで、地下牢に戻すようなことはしないでくれたらしい。
階段の踊り場に花など飾られるようになっていた。後宮部分落成の際に一度見て回ったが、女達に気を遣って普段は歩き回るのを避けていた。王の居室が最上階角部屋なのも実際は女達への配慮の結果であり、同階の住人はクローリスらを筆頭に王に対して嫌悪感が薄い者で固められていた。
廊下で一対一でオークキングと行き会ったなら、それは女にとって恐怖以外の何物でもないだろう。何よりここには―――
「……大丈夫なのか?」
「? ―――ああ。ご心配なく、皆様お部屋から出てくることは滅多にございませんから」
「そうか。……そうか」
王はほっと胸を撫で下ろすも、すぐにその胸中は悔恨と悲痛で一杯になった。足取りも重い。
「ご主人様?」
「―――あ、ああ」
置いて行かれそうになり、ぶるぶると豚面を振って気を取り直すと後を追った。
「こちらです」
連れてこられたのは居住区域の最下層、地下二階にある一室だった。空き部屋ということだろう。
「こんなところで大規模な魔法をぶっ放されたら、大変なことになりそうだな」
「ええ、ですから良い脅しになるかと思いまして」
クローリスがしれっとした顔で言う。怒らせると実は一番怖いのがクローリスだ。
「……入るぞ」
「ご主人様っ。……もう身体の方はよろしいのですか?」
ドアを開け室内に踏み込むと、ケイは一瞬だけ視線を王へ向け表情を緩めた。しかしすぐにきりっとした顔で眼下を睨み据える。
剣を片手に仁王立ちするケイの足元には、ぐるぐる巻きにされた赤髪の戦士、魔女っ娘、神官の三人の女達が床に転がされていた。
「ケイ、ちょっとこれは、……さすがに酷いんじゃないか」
特に暴力を加えられた様子はなさそうだが、身動きを封じられた上に半日以上も抜き身の剣を引っ提げた武人然としたメイドから冷たい視線を浴びせ続けられては、堪ったものではないだろう。しかもここは醜悪な魔物の巣窟なのだ。
元より気後れした様子だった神官は言うに及ばず、溌溂とした印象の赤髪まで生気のない顔つきをしている。
「んん? んっ! んーんー」
そんな中、瞳を閉ざしていた―――ひょっとしたら剛胆にも寝ていたのかもしれない―――魔女っ娘がぱちくりと目を開け、元気に騒ぎ始める。何か言っているようだが、唯一猿轡を噛まされているから言葉にはならない。
当然魔術対策だろう。熟練した魔術師は詠唱を省くことが出来るが、発動式と呼ばれる一節だけは口にしなければならない。己が魔力で世界に干渉するために必要な所作らしい。
「……外してやれ」
「よろしいのですか?」
「ああ。……クローリスは、一応俺の後ろに隠れているように」
クローリスがしずしずと王の巨体の陰に入ると、ケイが細剣を奔らせた。
「……ケイ」
「隙を見せるわけには参りませんから」
呆れ顔―――オークの顔面で上手く表現出来ている自信はないが―――で呟くも、ケイは悪びれもしない。クローリス同様、この三人に対しては腹に据えかねるものがあるようだ。
「あー、あー、んんっ。まったく、酷い目にあった」
ケイの斬撃によって断たれた猿轡が、わずかな時を置いてはらりと落ち、賢者と呼ばれていた少女が怯えた様子もなく声を上げた。