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第5話 賢者ソフィアは後宮生活を満喫する

「救世主様の死より一巡(7日)の後、聖剣を手に予言者様が旅立たれました」


「ん? 予言者様ってのは、救世主様とは別人なのか? 確か救世主様もそう呼ばれていたよな」


 オークキングが疑問を差し挟むと、聖女が不快気に眉をひそめながらも答える。


「……救世主様の御異名は“預言者様”です。神の御言葉を“預”かり、我ら人間へ伝道される御方。つまりは神の御子である救世主様をおいて他にありえません。―――そして“予言者様”は、未来を“予”知し、迷い子である我らを正しい道へと導いてくださる御方です。預言者様の使徒の御一人で、“予知”の奇跡を発現されたアニエス様のことです。アニエス様は教会より認定された最初の聖女でもあります」


「最初の聖女。つまりあんたの大先輩ってわけか」


「大先輩。まあ、そういうことになるでしょうか」


 オークキングが尋ね、聖女が渋々ながらに応じる。いつものやり取りだ。

 月に一回の定期開催となった屋上庭園での青空説法は、ぼうっと聞き流す大勢の亜人達と、真面目に受けるオークキング一人という構図が出来上がって久しい。毎度強制参加させられるソフィアも当然前者の側だ。

 ソフィアは胡坐をかいたオークキングの片膝に頬を乗せ、ぐでんと全身の力を抜いていた。ちなみに反対側の膝には、例によってティアが腰掛けている。


―――体毛は至極うすいクリーム色か。ほとんど透明に近いから、肌の色が透けて緑に見えるのだの。


 などと、益体もないこと考える。毛は固く短く、頬をすりすり擦りつけると何とも言えない心地良さがある。

 こんな状況であるから、聖女としては甚だ不本意だろうが、オークキングの相手でもしないことには説法の態をなさないのだ。


「―――何にせよ、予言者様は予知に従い人類に救済をもたらす人物、一人の冒険者を見出します。聖剣に選ばれた初代勇者にして、後のグランレイズ建国王レオンハルト様です。アニエス様と共に、教会より認定された最初の聖人でもあります」


「そうか、あのレオンハルトに聖剣をもたらしたのが予言者か」


「……オークにも、この話は伝承されているのですか?」


 今度は聖女の方が尋ねる。やはり不本意そうな顔だが、聖典に係わる話だけに問わずにはいられないのだろう。


「おう。オークは文字を残さないが、さすがにレオンハルトの名は言い伝えられているぞ。初代オークキング以来のオークの繁栄に終止符を打った、最大の悪役としてな」


「ほうほう、当然だがオークの伝承ではレオンハルトが悪役となるわけだ」


 ソフィアも口を挟んだ。聖書に記された神の愛やら何やらには興味がないが、史学的事実には関心がある。

 建国王レオンハルト。異論の余地なく人類史上最大の英雄である。


「ああ。まあ口頭伝承だから、かなり曖昧だけどな。ロンガム河のほとりで四代目だか五代目だか六代目のオークキングが討ち取られたってことになってるな。そんで、その時葦船に乗せられて河へ流されたオークキングの赤子が、後にオーク中興の祖になるって話だ」


「ほう、葦船からのくだりは初めて聞いたの。聖女よ、聖心教にはそんな話は伝わっておるのか?」


「いいえ。福音書にオークの事情など記されはしません。ただレオンハルト様が河内平原を人類の手に取り戻し、ロンガム河の川岸にてオークの首魁を討ち果たしたと」


「そうか。まあ、聖人レオンハルトがオークキングの後裔を取り逃がしたという話であるし、聖心教もあえて記述などはせぬか」


「むっ、何をおっしゃいたいのですか?」


「別に、ただそういうものだろうと思っただけのことよ」


 聖心教を妄信し過ぎだ、と言いたいところだが、間違いなく喧嘩になるだけだろうから口を噤んだ。


「……お話を再開します。聖剣を手にした勇者レオンハルト様には、様々な試練が待ち受けておりました」


 そこからは英雄レオンハルトの冒険譚だ。

 退屈そうにしていた亜人達もようやく聞き耳を立て始める。

 エルフの女王に加護を受けたり、ドワーフの伝説的職人に防具を作ってもらったり、リトルフットの義賊に秘密の抜け道を教わったりと、亜人の活躍も語られた。今もグランレイズに点在する亜人の自治区は、その見返りとされている。

 とはいえこの後宮に集まっている亜人達の大半は、冒険譚の舞台である大陸中央部ではなく南方の氏族出身だ。オークキングのように関連する伝承の類が口に上ることはなかった。


「―――ご主人様、ソフィアさん、あちらにご用意が整いました」


「おう、ありがとう」


「うむ、助かる」


 聖女の説法が終わるのを見計らい、クローリスとケイが身を寄せて来た。

 手で示された先にはガーデンテーブルが数卓並んでおり、卓上にはいくつも大振りのカップ―――ジョッキが用意されていた。

 どこで聞きつけて来たのか勇者がすでに着席している。今か今かと待ちわびた顔だ。


「……何が始まるのです、賢者様?」


「うむ、お主も来ると良い、聖女。―――リアン」


「おうっ」


 ドワーフのリアンが、椅子代わりにしていた“物”の上から飛び降りる。

 円柱型の“それ”を横倒しにして、芝生の上をゴロゴロと転がし始めた。勇者の待つガーデンテーブルへ向けて。


「先程から気にはなっていたのですが。何ですか、その鉄製の、…………樽のようなものは?」


「見たまま樽だ。酒樽だの」


 リアンの後に続きながら、聖女の質問に答える。

 亜人達や屋上庭園に出ていた他の女達も、何ごとかと集まってくる。


「ではオークキング、頼む」


「おう。―――危ないかもしれないから、みんな、ちょっと離れていてくれるか?」


「設計上は何の問題も無いはずだがの」


「まあ、一応な」


 女達を遠巻きにさせると、オークキングは樽の上部にある取っ手を巨大な拳で握り込む。

 しばししてプシュッと、何かが勢い良く噴き出す音がした。女達はびくっと肩を震わせ、さらに遠ざかる。

 樽内に充満していた“炭酸ガス”とやらだろう。


「よしっ、最初に飲むのは俺で良いよな? なっ?」


「好きにせよ」


「よっしゃっ!」


 興奮気味に問うてくるリアンに頷き返すと、彼女は喚声を上げてオークキングの元へ駆け出していった。


「何なのですか、一体?」


「エールにはかすかにパチパチと口内で弾けるような感触があるであろう? オークキングが言うには、発酵によって酒精とともに作られる炭酸とやらが溶け込むからなのだそうだ。そこで、醸造の際の木樽をもっと密閉性の高い容器に変えれば、溶け込む炭酸の量を増やすことが出来るのではないかと考えたわけだ」


「……ええと、つまり?」


「まあざっくりと言ってしまえば、“より刺激的なエールを試作してみたので、みんなで飲みましょう”という会だ。―――うむ、どうやら成功のようだの」


 さっそくエールを一口含んだリアンが、こちらへ向けてぐっと拳を握って見せた。口の周りには“泡”が付いている。


「賢者様も協力されたのですか?」


「密閉容器の設計や、醸造の条件検討をオークキングとリアンと三人での」


「お酒はあまり嗜まれないと思っていたのですが」


「思考が鈍るからの。しかしこういう実験自体は儂好みじゃ。魔導薬の調合にも応用できるかもしれんしの。―――さて、儂らも試してみようではないか。勇者が怖い顔をしておるわ」


 オークキングとリアン、それに勇者が早く来い来いと手招きしている。

 味自体にはあまり興味はないのだが、製作者の一人であるソフィアが口にするまでは他の者の番が回ってこないということらしい。

 賢者が味見し、オークキングも飲み、勇者と聖女も試飲すると、他の女達が再び集まって来た。

 本格的に“より刺激的なエールを試作してみたので、みんなで飲みましょう”の会の開幕だ。


「うわっ、なにこれっ! 口の中がシュワシュワして、面白いっ」


「喉越しが良いわねっ。癖になりそう!」


「エールってあんまり好きじゃなかったけど、これなら飲めるわ」


「うーん、私はちょっと苦手かも。変にお腹に溜まる感じ」


 難色を示している者も幾人かいるが、おおむね好評のようだ。

 数十人が試飲しても、樽のエールはまだまだたんまりと残っている。やがて試飲会と言うよりも宴の様相を呈し始めた。


「なんだぁ、てめえっ! あたしよりちょっと、いや、かなり剣が強いからって、偉そうにしやがって!」


「天性の才能に胡坐をかき過ぎだと、真実を指摘したまでだっ。貴様がまっとうな剣士を志していたなら、大陸に並ぶ者もない存在になれたかもしれないというのにっ」


「だいたい、お前のその、家柄をちっとも鼻にかけないところもむかつくんだよっ。あたしみたいな平民と、当たり前のように対等の口を利くんじゃねえよっ」


「聖剣に選ばれた勇者ともあろうものが、卑下してくれるではないかっ」


 罵り合うように誉め合うという、訳の分からない口喧嘩を勇者とケイが始める。


「……意外だの。女騎士殿はあまり酒が強くないのだな」


「こっちこそ意外だ。こんなにすぐ勇者があんなになっちまうなんてな」


「然して強くもないのにガバガバと馬鹿のように飲むからの、あやつは」


 どこからか、聖女が呂律の怪しい声で聖書を暗唱するのも聞こえてきた。

 そんな喧騒からは距離を置き、ソフィアはちびちび舐めるように、オークキングはぐびぐびとエールを飲む。さすがにこの巨体だと、簡単に酔いが回るということはないようだ。


「よく寝ておるの」


 オークキングにもたれ掛かって潰れているティアの頬をつんつんとつついてみる。

 最後に残ったメイドのクローリスは、パタパタと忙しなく給仕に徹していた。損な役回りだが、何より本人がその特別な立ち位置を望んでいる。


「にゅふふ、ご主人様ぁ」


 ティアが頬を緩め、寝言を漏らした。


「うむ、愛らしい。……まったくこんな愛らしいティアの何が不満だというのだろうな、お主は?」


「不満? 不満なんてねえよ」


「その割に、相手をしておらぬそうではないか」


「相手?」


「交尾の相手だ」


「ぶっ、―――ごほっ、ぶひ」


 豚鼻で器用にエールを飲んでいたオークキングが、咳き込んだ。


「せっかく儂が媚薬を調合してやったというのに。いったい何が不満だ?」


「前にも言っただろうが、オークの体臭に興奮してティア達を汚すなんていやだね」


「事が成った暁には、お主の“体液”をサンプルとしていくらか分けてもらう約束をしておるのだがなぁ。どうにかならんものかの?」


「……それを聞いて、ますますやる気がなくなったぜ」


「うーむ、こうなったらオークの雌をあてがうしかないかのう?」


「それだけはマジで勘弁してくれよ」


「注文の多い男だ。……そうか、ならば儂が相手ならどうじゃ?」


「酔ってるのか? 酔ってるんだよな?」


「ティア達の愛情にオークの体臭由来の欲望で答えるのが嫌だというのだろう? ならば、儂なら問題あるまい。別に儂はお主に惚れておるわけではないし、元を正せば敵であったわけだから心も痛むまい。道具代わりにやり捨ててくれて良いぞ。うむ、うまい手ではないか。―――っ」


 オークキングのこれまで見せたことのない表情に、思わず息を呑んだ。憤っているようでもあり、悲しんでいるようでもある。


「じょ、冗談だ」


 胸を突かれ、柄にもなく取り繕うと、オークキングは安堵の吐息を漏らす。


「まったく、自分を安売りするような冗談は感心しねえな」


「……お主の優しさは、時に凶器のようだの」


「なんだそりゃ」


 オークキングは首を傾げると、思い出したようにジョッキに残ったエールを飲み干した。

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