第2話 聖堂騎士レオンハルトはオーク王国へ潜入する
「本当に何事もなく、入国出来てしまいましたね」
グランレイズ国内を馬車にて南下すること十日、船に揺られて一鍾半(一時間半)、旧エルドランド王国にレオンハルトは足を踏み入れた。
「なっ、言った通りだろう」
トリッシュが続いて桟橋へ跳び降りる。
下船を助けようと伸ばした手は、ちらと視線をやるだけで無視された。
「さすがはトリッシュ様。情報通ですね」
最後に船縁に立ったアニエスは、レオンハルトの手にそっと小さな手を預けると、トリッシュを真似て跳躍した。
「―――っ」
一瞬、想定外の重さが手に掛かり、レオンハルトはたたらを踏んで何とか転倒を免れた。
「おいおい、何をやってんだい。だらしないねぇ、レオ」
「し、失礼。……アニエス殿、すいません。お怪我はございませんか?」
「いえ、私こそ変に体重を掛けてしまって、すいませんでした」
「ほらほらっ、いつまでもぺこぺこと頭を下げあってないで、さっさと行くよ。いくら警戒が緩いったって、無駄に目立つ必要はないんだからさ」
トリッシュがさっさと歩き始める。レオンハルトとアニエスも後に続いた。
桟橋を渡り切った先には港湾警備の兵―――大半がオークだが人間も一部混じっている―――が居並んでいる。
人間の兵は、移民を希望する者は役場へ向かうようにと盛んに呼び掛けていた。驚いたのはオークの兵達が笑み―――らしきものを浮かべて、会釈などしてきたことだ。
しかしそれだけで、問答の一つもなく素通りが許され、港町へと入った。
トリッシュから聞かされていた通り、常の旅人や商人の行き来にオーク王国側は何の規制も設けてはいない様子だ。
「普通の人間の街と変わりありませんね。……オークの姿がちらほらと見えますが」
人混みの中に、点々と緑の巨体が混じっている。
ここでも驚かされたのは、オーク達が偉そうにふんぞり返るでも、人間達を顎で使うでもなく、むしろ率先して力仕事などに従事していることだ。
「変わらない? まあ、レオにはそう見えるか。はぁっ、これだから帝都っ子は」
「どういうことです?」
あえて人の神経を逆撫でするトリッシュの話し振りにも、もう慣れた。
「これだけ活気のある町は、グランレイズにだってそうは無いって話さ。なあ、アニエス?」
「そうですね。さすがに帝都や副都とは比較になりませんけれど、グランレイズでもこれだけ賑わっている町は数えるほどだと思います」
「言われてみれば、道中立ち寄った町はもっと静かでしたね」
冒険者であるトリッシュは言うまでもなく、アニエスも神官としては見習いながら様々な土地を巡礼しているらしい。三人の中ではレオンハルト一人が生まれも育ちも帝都の、トリッシュに言わせれば世間知らずで鼻持ちならない生粋の帝都っ子というやつだった。
「おっ、あったあった。あれだ」
覚え書きを片手に先導していたトリッシュが指差す。
「冒険者仲間によれば、この町で泊まるならここだってよ。その名もずばり“冒険者の宿”」
言いながら、トリッシュは足を止めずにそのまま宿の扉に手を掛けた。
世間知らずは自ら認めるところであり、宿の良し悪しなど判断は付かない。レオンハルトに否やは無かった。
宿の一階は酒場になっていて、まだ夜というには幾分早い時間だが、すでに酒を酌み交わす客が何組かいる。まさに想像した通りの冒険者の宿だ。
「おうっ、姉ちゃん、良い女だなぁ」
トリッシュはこれまた想像通りの絡み方をする酔客達に軽く流し目だけくれてやると、さっさとカウンターへ向かった。さすがに手慣れた様子だ。
「あいにく一部屋しか空きがないけど、それで良いかい?」
宿の女主人が、レオンハルトにちらと視線をやりながら問う。
「構わないよ。このお坊ちゃんは見ての通り聖堂騎士崩れでね。良からぬことが出来る手合いじゃないのさ」
「トリッシュ殿、聖堂騎士崩れとは何ですか、崩れとは。私は―――」
すっと身を寄せてきたトリッシュに、がつんと顎を肘で跳ね上げられた。
「……わざわざ自分の身分を触れて回るつもりかい? あたしらが受けてるのは密命だってことを、忘れるんじゃないよ」
トリッシュの囁きに、レオンハルトは口元を抑えながら―――舌を噛んだ―――こくこくと肯き返した。
「まったく、このお坊ちゃんは自分が聖堂騎士だった頃の栄光にいつまでもしがみ付いちまって困るぜ」
トリッシュは肩をすくめてわざとらしく言うと、宿泊の手続きを再開する。
押さえた部屋は、大きめの寝台が一つに、あとは書き物をするにはいかにも手狭な小さな卓があるきりだった。
「寝台はあたしとアニエスが使うよ。レオ、あんたは―――」
「はい、私は腰を下ろせればそれで十分です」
レオンハルトは背中に負っていた“スクトゥム”を降ろした。
スクトゥム。盾の一種で、大きな酒樽を縦に二分割したような形状が特徴だ。
年若い少女のアニエスならばすっぽりと、偉丈夫のレオンハルトであっても身を屈めれば全身を覆うことが可能な巨大な盾である。
当然取り回しは困難で、通常は重装歩兵がずらりと横並びにして堅陣を布くために用いる。単独であえてそれを使いこなすのは、神聖魔法で膂力を強化出来る聖堂騎士くらいのものだ。
トリッシュがレオンハルトを指して“見ての通り”の聖堂騎士崩れなどと口にしたのも、スクトゥムを背負った冒険者など他に有り得ないためだ。
レオンハルトはスクトゥムを部屋の片隅に立てた。
衝立代わりである。愛用の品ではなく、今回の密命に当たって教皇から貸し与えられた逸品であるため少々不敬だが、女性二人の名誉のためなら許されよう。
「いつもすいません、レオンハルト様」
「お気になさらず、アニエス殿」
「―――さってと、さっそく情報収集と行くか。あたしは下の酒場を覗いてくるが、二人はどうする?」
「行きますっ」
アニエスが妙に勢い込んで言った。挙手までしている。
「いや、あたしが言いたかったのは、二人でお留守番か、アニエス一人がお留守番かって話なんだけどな」
「そんな、私だってお役に立ちたいですっ」
「あんたの年で酒場はねぇ。いやまあ、無い話じゃないが、あんたはなりもお上品ときているからね。正直、レオのお坊ちゃんよりはなんぼか役に立ちそうではあるんだけどさぁ」
「……分かりました、お留守番しています。お二人でどうぞ」
「すぐに戻りますので」
いささか不服そうなアニエスを残して、レオンハルトはトリッシュと二人階下へ向かう。
「あんたはさっきの女主人に話を聞きな。あたしは酔客どもの相手をするよ」
階段を降りながら、トリッシュが言った。
「それは、……役割を反対にした方が良いのでは? 男は男、女性は女性ということで」
「なんだい? レオのお坊ちゃんは女主人のお相手が緊張するってか? 確かに多少年を食っちゃいたが、中々の上玉だったねぇ」
「そうではなく。あの男達は下心の籠った目をしておりました。トリッシュ殿は見目麗しいのですから、少しは警戒しませんと」
「み、見目麗しいって、また大袈裟な」
「まさかご自覚が無いのですか?」
「いや、そりゃあそれなりに自信はあるけどさ。………はぁ」
しばしの沈黙の後、トリッシュはぶんぶんと頭を振って盛大にため息をつく。
「下心がある相手だからこそ、情報を引き出せるってもんじゃないか。あんたも見た目はその、悪くないんだから、上手いこと女主人から話を聞きだすんだよっ」
何故だか早口で言うと、トリッシュはさっさと階段を降りて行った。