幕間・不法異種交遊 中編 二組の兄妹は人間の家に集う
「あっ、ゴバンさんっ!」
城下をぶらぶら歩いていると、声を掛けられた。
「―――っ!? お、おおっ、アンタかい」
街中で人間から声を掛けられるなど完全に予想外の事態だ。五番が狼狽していると、遠巻きにしていた人混みの中から少女が一人駆け寄って来た。
「こんにちは、ゴバンさん」
「よ、よくアタイだって分かったね。人間にオークを見分けるのは難しいんだろう?」
「分かりますよ。私たち一家の命の恩人ですもん。ゴバンさんこそ、私のこと誰だかちゃんと分かってます?」
「ああ、もちろん。マリーだろう? トマの妹の」
「正解っ」
マリーが屈託なく笑う。
オークからも人間の顔を見分けるのは難しい。自分に話し掛けてくるような人間の女は他に思い当たらないという、消去法による答えであることは言わない方が良いだろう。
「……じゃあ、アタイはこれで」
遠巻きにする人々の視線が気になり、五番はマリーに背を向ける。
自分はともかく、この少女にとってはあまり良い状況とは思えない。
「―――あ、あのっ」
ひどく思いつめた声で呼び止められた。
「サンバンさんは、今日はいらっしゃらないのでしょうか?」
「ああ、アニキなら急に出動が掛かってね。何でもキュクロプスが人間の村の近くで目撃されたとかで、その調査に行っているよ」
「……そうですか」
「アニキに何かあるのかい?」
「薬草取りに付き合っていただけないかと思ったのですが」
「ああ。前回取った分は、もう使い切ったのかい?」
「はい、ずいぶん前に。実はあの後も何度かサンバンさんにお付き合い頂いていたのですが、……お聞きになっていませんか?」
「聞いてないねえ。アニキのやつ、アタイに黙ってそんなことを」
「薬が無くなったら、一人で森に入らず自分を頼れと言ってくださって。今日も、サンバンさんにお会い出来ないかと思って、村から城下町まで押しかけてきました」
「へえ、アニキもずいぶんアンタのことが気に入ったみたいだねぇ」
思い返せば、最近の兄は非番時の外出が増えた気がする。
以前は連れ立って魔界へ鍛錬に行く以外は、一人黙々と棍棒を振っていたものだ。
「まっ、そういうことならアタイが代わりに付き合ってやるよ」
「よろしいのですかっ」
マリーの顔がぱっと晴れた。
「ああ、一人で退屈していたところだしね。―――行くよ」
人目を避けるようにそそくさと城下町を出ると、マリーを小脇に抱え駆けた。
オークはその体格故に長駆を苦手とするが、五番はハイオークの中でも三番に次いで俊足で体力自慢だ。もちろん駿馬を軽々置き去りにする王とは比較にならないが。
一息に魔界まで駆け抜けると、五番は先日訪れた水場へと行き着いた。
「もっと根こそぎ引き抜いちまえば良いんじゃないのかい?」
マリーはそっと慎重に薄紫の花びらだけを摘み取っていく。五番は手持無沙汰にそれを眺めながら言った。
「いいえ、この花は根と葉に力さえ残してやれば、来年もまた咲いてくれます」
「ふーん、そんなもんか」
手籠いっぱいに花びらが集まると、再びマリーを抱えて駆けた。
向かう先はマリーが暮らす村だ。城と魔界のちょうど中間付近で、先日も近くまで送り届けている。
「せっかくですから、家に寄って行ってください」
村の入り口で下ろすと、マリーが言った。
「いや、アタイは」
「さあ、どうぞこちらへ。すぐそこですから」
マリーの小さな手が五番の腕を取り、ぐいぐいと先導していく。
当然問題にもならない非力だが、何となく抗いがたく引かれるままに足を動かした。
村の人間達が何事かと視線を向けてくるも、すぐに関心を失った様子で顔を逸らす。
「オークが入り込んでるってのに、この村の連中はあんまり気にしていないようだねぇ?」
「ええ、この辺りの畑地はオークさん達が開墾してくれたものですし、魔物の森からも近いので兵士の皆さんもよく巡回に来ますし」
「そういうことかい。アンタら兄妹がアタイら相手に最初から慣れた様子だったのも、それで納得さね」
「城下町の人達は、やっぱりオークの皆さんをまだ怖がっていますか?」
「そりゃあね。まっ、こちとら魔物だ。人間に舐められちゃお終いってもんだよ」
「……もしかして私、馴れ馴れし過ぎましたか?」
マリーが見上げてくる。
ぱたぱたと動く大きな耳も長い鼻梁も無いため、人間の表情は何とも分かり難い。しかしたぶん、不安げな顔というやつだろう。
「ふっ、構わないよ。アンタのことは気に入っているからね」
「よかった。―――っと、着きましたっ! さあ、どうぞ」
辿り着いたのは、ありふれた木造家屋だ。
人間向けの狭い戸口を、五番は身をかがめて潜り抜ける。
「ただいまっ、お薬取って来たよ」
「邪魔するよ」
「……? ああ、何だ、ゴバンさんでしたか。いらっしゃいませ」
部屋の片隅で背を向けていた男が振り返り、一瞬怪訝そうな顔をした後に言った。
トマだ。かまどの前に立って調理の最中らしい。
「なんだい、妹に薬を取りにいかせて、男のアンタは飯炊きかい?」
「す、すいません。サンバンさんが一緒と思っていたものですから。女性だけで魔界に行かせてしまいましたか?」
「じょ、女性だけって。まあ、間違いじゃないけどね」
人間の男から女扱いをされるとは思わず、五番は動揺した。誤魔化すように続ける。
「な、なんにしたってアニキなんだから、もっとしっかりしなよ。兄ってのは、やっぱり強くて尊敬できる男じゃないとね」
「は、はい」
「ゴバンさんはお兄さんのサンバンさんのことが、お好きなんですね」
「ん? ああ、違う違う。あのアニキのことじゃなくてね」
にこにこ顔のマリーの言葉を否定する。
「他にもご兄弟が?」
「ははっ、さあ、どうだったかね」
「?」
曖昧な答えにマリーが首を傾げた。
「―――トマ、マリー、お客さんかい?」
部屋の奥、仕切りの向こうから声が掛かった。人間の家の造りには詳しくないが、おそらく寝室だろう。
「ゴバンさん、母さんに紹介するわ。こっちへ」
「あ、ああ」
促されるままに奥へ通されると、予想通り寝台に女が一人横になっていた。
「ゴバンさん、母です。―――母さん、こちらはサンバンさんの妹さんでゴバンさん」
「息子と娘がお世話になっております」
「ああっ、無理をするんじゃないよ」
「すみません」
兄妹の母親が上体を起こし掛けたのを、押し留めた。
毛布越しに触れた身体は、ひどく骨張っている。顔付きはオークでも分かる程度にはマリーと似ているが、それだけに二人並ぶとこけた頬が目立った。
「……トマといい、オークが家に訪ねてきたってのに、すこしも驚いていないみたいだね。アニキがよく寄ってるのかい?」
「はい。何度もマリーと一緒に薬を取りに行って頂いて。息子たち以上に、私がお世話になってしまって。ありがとうございます」
「そ、そうかい。ア、アンタら人間は、王様の大切な所有物だからね。近衛のアタイらが、めんどうを見ないわけにはいかないのさ」
「本当に、ありがとうございます」
「あー、何だか良い匂いがしてきたね。トマのやつは何を作ってるんだい?」
居心地悪さを感じて、五番は女に背を向けた。
「ぜひ食べていってください。兄さんの料理、サンバンさんからの評判も良いんですよっ」
寝室を出ると、後を追ってきたマリーが言った。
「良いのかい?」
トマへ視線を向ける。
「サンバンさんがお見えになると思って多めに作っておりますので、ご遠慮なく」
「そうかい、そういうことなら―――」
どんどんどんと、家の戸が打ち鳴らされた。
「はーい、どうぞ」
「……あー、そろそろ薬が無くなるのではないかと思って、取ってきた。いや、任務で森へ行ったら、ちょうどよく見つけたもんでな」
マリーが扉を開けると、緑の巨体がのそのそと入ってきた。何やら言い訳がましくまくし立てながら。
「アタイに隠れて、アニキがこんなことをしていたとわねぇ」
「―――っ、オ、オマエ、どうしてここに?」
その後、追加を作ると言うのを断って兄と半分こにしたトマの手料理は、何故だか懐かしい味がした。